潮音 第二巻

  • 文藝春秋 (2025年2月26日発売)
3.71
  • (15)
  • (28)
  • (21)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 350
感想 : 25
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (424ページ) / ISBN・EAN: 9784163919478

作品紹介・あらすじ

幕末・維新の動乱を描く宮本文学初の大河歴史小説、いよいよ佳境へ!
時代は江戸幕府最末期の安政から元治年間。薬売りとして一本立ちした川上弥一は、京に拠点を移す。寺田屋事件、池田屋事件と血なまぐさい騒動が続く京で、弥一は旧知の薩摩藩士・園田矢之助らと呼応しながら、人の命を救うために戦乱の町を奔走するーー。

<全四巻から成る大河小説。読みごたえがある。
 武士や権力者ではなく、市井の人間が激動の時代を懸命に生きる姿が見事にとらえられているのは宮本輝ならでは。>
 ーー川本三郎氏(評論家)「毎日新聞」2025年6月7日付の書評より
<宮本文学の代表作の一つとして、長く読み継がれる作品になるだろう>ーー重里徹也氏(文芸評論家) 「東京新聞」2025年5月31日書評より
<日本各地を回った富山の薬売りの鋭い観察眼と時代認識を通して、黒船来航から王政復古を経て西南戦争にいたる平和と変革の時代を描く雄渾な文学作品>
 ーー山内昌之氏(東京大学名誉教授)「週刊文春」2025年2月27日号の書評より
<「一身にして二生を経る」ほどの幕末維新の激動を乗り越えた日本人のたたずまいが巨匠の筆で活写されている。この小説は混沌の現代を生きる私たちの心の支えだ。>
 --磯田道史氏(歴史学者・国際日本文化研究センター教授)

全四巻それぞれに違った著者直筆の「ことば」が入った初回配本限定特典「讀む藥」付。

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

幕末の激動を市井の人々の視点から描いた本作は、歴史の教科書のようなリアルな展開で、読者を魅了します。安政の大獄や寺田屋事件など、実際の歴史的出来事が次々と登場し、幕末の不安定な時代を生きる人々の姿が丁...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • まさに歴史の教科書のような展開…
    というより、幕末を学ぶにはこれ以上ない教材ではないでしょうか。著者はかなり細かく調査されたのでしょうね。

  • 安政の大獄、桜田門外の変、寺田屋事件など、有名な出来事が次々に登場しました。その度に、幕末の不安定だった世の中に思いを馳せながら、心が痛みました。
    そんな状況の中で、薩摩藩と富山売薬人たちの深い繋がりが要所要所に読み取れました。この本を読んで初めて知りました。
    最終章の「禁門の変」では、薩摩藩を守るため富山売薬人たちが京都で壮絶な場面に遭遇し、命を奪われることなく無事に富山へ帰り着いた時には、ホッとして涙が出てしまいました。
    弥一さんや、彼を取り巻く人々(長吉さんや才児さん他、たくさんの仲間たち)が、とても温かくて魅力的に感じます。そして、弥一さん&お登勢さん夫妻の愛情の深さも随所に散りばめられています。
    今後の展開に、ますます目が離せなくなりました。第3巻、第4巻も、楽しみです。

  • Interview:宮本輝さん(作家) 初の歴史小説『潮音』刊行 富山の薬売りから見た激動の幕末 | 毎日新聞 2025/3/31有料記事
    https://mainichi.jp/articles/20250331/dde/014/040/017000c

    宮本輝さん10年かけた初歴史小説「潮音」 越中富山の薬売りの視点で幕末維新の動乱描く - 産経ニュース 2025/3/29
    https://www.sankei.com/article/20250329-APNKWOMAYVN6NDOVWOIAPOFCJA/

    現代に通じる激動期 『潮音 第一巻』宮本輝著 <書評>評・秋山香乃(小説家) - 産経ニュース 2025/3/2
    https://www.sankei.com/article/20250302-EGNC4GGJQFPD7OWEENLPQP7TLA/

    舞台は動乱の京都。大河歴史小説、佳境へ!『潮音 第二巻』宮本輝 | 単行本 - 文藝春秋
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163919478

  • 京を中心とした幕末の動乱が市井の視点で描かれている。話の展開がゆっくりであった第一巻とはうって変わって、ストーリーが目まぐるしく展開する。早く続きが読みたい!

  • いよいよ訳のわからない尊皇攘夷とか会津とか長州とかのいわゆる身内の騒乱になって来ましたね。この時期にすっかりと外国と交渉できなかった事が2025の今も禍根を残してるのか。そう言う輪廻とか宿命とかを描いたら作者は一級。後2冊も買うしかないやん。

  • 富山の薬売りで薩摩藩と切っても切れない仲にある川上弥一の姿を通して、幕末の日本をドラマチックに描く歴史巨編。
    第2巻は、京の町が拠点となり、伏見寺田屋事件、池田屋事件の騒動から大規模な市街戦となった蛤御門の変までを描く。
    弥一は、戦場と化していく京で、旧知の薩摩藩士・園田矢之助らと連絡を密にしながら、薩摩藩のために命を張って情報の入手や伝達に奔走する。
    弥一には、北前船で蝦夷地の干し昆布を薩摩へ運び、坊津の沖合で大量の唐薬種を得るということで富山の民は薩摩藩に恩義を感じるべきであり、薩摩藩を守らなければならないという強い意識があった。
    幕末の動乱期の日本について物語を通して再度、学び直せる素晴らしい本であると改めて感じた。
    ただ、弥一らが商いや関係先を通じて、情報を得やすい環境にあるとしても、戦乱のさなか、情報の入手や伝達に走ったところで、どんな意味があるのかという疑問は残った。
    まあ、それが歴史をドラマとして面白く伝える手法だとは思うが。


  • 第二巻は安政の大獄から禁門の変までが描かれる。京に拠点を移した弥一たちは薩摩と協力し長州の動向を探る中、禁門の変の動乱に際会する。そして物語はいよいよ幕府倒壊へ。

  • 作者の知識調査力に感銘した
    幕末から明治維新、第3巻4巻で多くのことを学べそうだ

  • 一巻は展開が遅くて挫折しそうだったが、二巻は歴史的に大きなできごとが多く、非常にスリリングでおもしろかった。
    一巻に比べ、主人公の薬売という本業に関する内容はかなり少なくなり、薩摩藩に肩入れする密偵の役回りがほぼ全編を占める。
    三巻でどう売薬業が絡んでくるのか楽しみ。

  • 3月下旬が待ち遠しいです

  • 2巻に入って面白くなってきた。よく知ってる名前が出てきて幕末を復習している気分。富山の薬売りからの視点で語られるのが新しい。時々入ってくる弥一と家族の温かいシーンもいい。3巻以降で時代はますます激動に入っていくのが楽しみだ。

  • 多分、2巻は私にとっては面白くないだろう・・・と予感していたらその通りだった。
    主人公の個人の事よりも幕末当時の出来事が描かれていて、それはそういう事あったよな・・・位で読んでいて退屈だった。
    それは、主人公の男性が世相に影響を受けつつも、その渦中にいるという感じの人物ではないからだと思う。
    その当時の出来事が主人公の生き様に深く影響を与えるなら、その文章も興味深く読めただろうけど・・・。
    この分だと3巻もこの調子なんだろうな・・・。
    もうここまで読んでしまったら読もうとは思う。

  • 第一巻とは打って変わって、激動の幕末の京都を舞台とした第二巻。
    正直、今まで幕末ものには興味なかったのだが、本書のストーリーにグイグイ引き込まれ、今後、食わず嫌いだった幕末ものにも手を出そうかと思うくらい。
    あと二巻がどのように展開していくのか、楽しみでしかない。

  • 潮音 第二巻

    著者:宮本輝
    発行:2025年2月25日
    文藝春秋
    初出:「文学界」2017年8月号、10月号~2018年5月号、2018年7~12月号、2019年2月号~6月号、8、9月号

    バリバリの純文学作家・宮本輝が初めて書いた歴史小説の第二巻。1月から毎月、4冊出すという。第一巻は24章まで、今回は25章~45章まで。今回も、登場人物やストーリーを思い出せないのが嫌なので、面倒だけどメモを取りながら読んだ。情けない記憶力・・・
    時代小説はエンターテインメントの象徴ともいえる分野だけど、純文学作家が書いたものがどうなのかという思いで第一巻を読み、なかなか面白いと思った。越中八尾の紙問屋の長男が主人公で狂言回し。16歳の時、突然、富山の薬種問屋の大店に奉公することになった。苦労しながら富山の売薬商人として成長していく姿を、わくわくしつつ楽しみながら読めた。

    今回は、一人前になって京都での情報収集役を任される話で、幕末の激動の様子を富山の薬売りの視点で描いていく。富山の薬種問屋は、薩摩と切っても切れない関係。唐から密売で入れる薬種は薩摩経由、売薬先も薩摩。そんな薩摩が長州が中心となって起こす倒幕の動きとどう絡んでいくか。越中富山の売薬人としては一大事のこと。薩摩のいわば斥候となって情報を京で収集し、薩摩藩士たちにそれを提供していく。

    禁門の変までを描いている。
    商魂ものでも、成長物語でもないので、第一巻のような面白さはなかった。単に幕末の京の混乱ぶりをだらだらと書いているという印象もあるが、連載小説だけに、さすがはベテラン作家。次に続ける技をよく心得ているので、ずるずると読んでしまう。今月(3月)後半、第三巻が出る予定なので、また借りて読まないといけない。
    *********************
    (ストーリーと登場人物メモ、ネタ割れ)

    第25章

    源太:満井屋の3番番頭
    園田矢之助:錦小路の薩摩屋敷前で出会う、下役の役人
    仙十郎:出町柳にある干し物・若狭屋主人、安政5年8月に出会う、時事放談(事情通)、儒学者の梅田雲浜(うんびん)からの情報らしい、
    小夜:伏見の船宿「ちぐさ屋」の養女、出戻り、富山の飛脚商「鍵銀」の跡取りである万之助が入り浸っている(許嫁もいるのに)、

    斉彬は暑気あたりで死んだ。前日には遺言を残し、次の藩士は弟の久光の子である又次郎(後に茂久(もちひさ)に)にせよ、しかし19歳だから久光が後見として補佐せよ、その次の藩士は我が子である哲丸を又次郎の嫡養子にして継がせろ、と。死ぬほどの暑気あたりでこれだけのことを考えて重臣の前で言い遺したことを、矢之助は疑っていた。

    うどん屋を出て別れた2人。通行人の男と女が矢之助を振り返って見ていた。あれは密偵ではないか?

    安政の大獄が始まった


    第26章

    お玉:長吉の縁談相手、高岡の鍛冶屋の次女、19歳

    <安政5(1858)年秋>
    弥一と長吉は27歳、才児は25歳
    伏見で十石屋から話を聞いていた時、一緒にいた長吉と弥一は、才児が突然居なくなるのは、蝶や鳥が現れて追い掛けるのではなく、幻視であることが判明した。その日、才児は十石屋新伍の方に蝶がとまったかのように手で包んで、捕まえた、と言った。さらに、どうしてそんな幻視が見えるようになったかという話もし始めた。父親は代々の竹職人だったが、直接販売は認められず、卸し専門だった。直販すると卸しが2度と買ってくれない。しかし、安かった。だから、第3子である才児が望んだ第4子が生まれても、間引きせざるを得なかった。頬ずりし、名前をつけていいと言われた才児。そして、母親が口を塞いで殺してしまう瞬間を目撃。なお、才児がつけた妹の名は蝶ではなく、お雪とした。その名は、才児以外は誰も知らない。

    <安政6(1859)年正月>
    正月に長吉の縁談が決まる。相手はお玉。父親は釘作りがうまい鍛冶屋の浜助。鍛冶屋の子供同士、知った仲だった。10歳年下。


    第27章 桜田門外の変

    お登勢:弥一の妻
    太一郎:子(安政6年3月で1歳)
    松本良順:江戸の医者、長崎で蘭医術を学ぼうとする日本の医師たちを塾生としてとりまとめている。
    ポンペ:オランダ人の教師、軍医、医術だけでなく舎密(せいみ)(化学)、窮理(物理)、洋算術、天文学も教える
    良助:一貫堂の手代

    <安政6(1859)年4月半ば>
    弥一が探した蔵つき2間の家に住むことになった長吉とお玉。京へ戻ってきた。夫婦が戻る日、迎えるために仕事を休んでいると園田矢之助が訪ねて来た。島津に行っていて、江戸に戻る途中、弥一の結婚と子が生まれた祝いとして薩摩の鰹節を持ってきてくれた。すぐに江戸に戻らないといけないと行ってしまった。
    この夏、弥一は井伊大老による暴政を聞いた。尊王攘夷派の清水寺・月照が死ぬ、入水。吉田松陰が萩城下から江戸の伝馬町へと護送されたのを知った。水戸藩士の鵜飼吉左衛門、儒者の頼三樹三郎なども同じ伝馬町の牢獄に入れられ、10月に入れられた橋本左内も含めて斬首された。11月には30歳の松蔭も。

    1年の帳簿を見せに、11月に富山に帰ると、主人から上州屋と大峰屋から抗議されたと言われた。富山売薬仲間組の約定に違反していると言われた。そんな覚えはないのに。しかし、跡取りの半兵衛が、昨日、相手に説明をしてくれていた。どちらも長崎に注目している。蘭医を学ぶ必要。なぜ高麗屋さんは知らん顔しているのかと問われた。弥一は、自分に長崎に行かせて欲しいとその場で提案したが、主人は渋った。富山の本分としては、反魂丹をおろそかにできない。洋薬に走るのはどうだろう。

    <安政7(1860)年3月>
    一貫堂の手代である良助がすべりこんできた。3月3日に井伊大老が殺された。

    <安政7(1860)年3月18日>
    万延へと元号が変わる


    第28章 目明かしの町

    鼬(いたち)の伝六:出町柳の目あかし、若狭屋仙十郎の店によく来る嫌なやつ、

    桜田門外の変で、守れなかった彦根藩士まで斬首された。水戸藩は藩がしたのではないと必死だった。しかし、禍根は残す。

    咸臨丸がアメリカへ。艦長は勝海舟。

    出町柳の干し物屋、若狭屋仙十郎からまた時事放談を聞く。やつは国学の徒でこいつはと思うと仲間を作ろうとしているな、と弥一は思った。

    <文久元年(1961年)>
    元号が2月に万延→文久に

    矢之助がくれた鰹節が手に入らないかなあと思い、薩摩藩邸を訪ねたら、武士が出てきて園田にどういう用事だと聞いてきた。どこかで見た顔だと言われ、その武士は園田弥之助と仲がよかった池上長四郎で、お互いのことを思い出した。矢之助が蚋に刺された時に運んだ一件を思い出す。鰹節がもらえることになった。その換わり、翌日に若狭屋でかった目刺しと交換だった。

    いったん、屋敷の外に出て池上を待っていると、鼬の伝六が来ていちゃもんをつけかけた。そこに長四郎が戻り、追っ払ってくれた。あやうく番屋に引っ張られるところだった。


    第29章 飛脚屋の女房

    九助:京都の飛脚屋「鍵銀」の飛脚
    彦蔵:手代

    鼬の伝六につけられて以来、見張られている感じがする弥一。伏見の宿屋、十石屋で時事放談にて情報収集した後、お小夜(伏見の船宿「ちぐさ屋」の養女、出戻り)について評価を聞く。というのも、富山の飛脚商「鍵銀」の跡取りである万之助が富山に許嫁がいるのに入り浸っているため。高岡の飛脚屋の娘との縁談を父親は進めているが、万之助はお小夜に惚れている。

    十石屋の評価は、色好みの金棒引きの流言があるとのこと。富山の父親は、当然、認めていなかったが、弥一に手紙を寄越し、最初に弥一のお眼鏡にかない、次に自分が認めれば嫁にしてもいいから、まずは会ってきてくれとのことだった。

    弥一は訪ねることにした。京都の「鍵銀」でお小夜の家を聞いて行くと、万之助が遠出から戻ってきていて声を掛けられた。父親からの手紙の件をすべて話し、自分は二人を結婚させたい、協力したいと言った。結婚なんか認めてくれるはずがないとお小夜は諦めていたが、父親の心変わりを話すと、彼女もその気になってきた。跡取りの嫁に富山でなる気があるようだった。

    <文久元(1861)年秋>
    万之助とお小夜は富山で祝言をあげる。
    お登勢が二人目を生んだが、翌日に死んでしまった。
    和宮が中山道を通って輿入れ。

    <文久2(1862)年>
    坂下門外で老中首座の安藤信行が襲撃されて怪我。
    3月半ばには、鼬の伝六の首なし死体が三条大橋の袂に転がっていた。


    第30章 隠密御用

    せいさん:尾田静櫓(せいろ)、旗本三男、尾田参右衛門、学問好きで昌平黌(しょうへいこう)に学ぶ、神田の古着屋長女お松と結婚して武士を捨てる、お松の祖父は富山の売薬(関東仲間組)だった

    <文久2(1862)年3月16日>
    せいさんが来た。大坂で仕入れた情報を元に警告しに来てくれた。京は危険だから妻子を加賀か八尾へ帰せ。後から知ったが、この日に久光が800人を引き連れて京へ向かった。しかし、久光は京で天皇の勅諚を聞き、幕府に改革を迫るしかないと考えていた。ところが、斉彬派はそれを倒幕と誤解して行動してしまっている。京が火の海になるかも。そうなると薩摩はお取り潰し、富山藩も危ない。
    *誠忠組(斉彬派)Vsお由良派(久光派)

    お登勢と太一郎を加賀に帰すことにした。才児も一緒。本人たちには太一郎(孫)の顔を見せにいってやれとだけ言い、薩摩や京の事情は伏せている。半兵衛と新兵衛も来た。父親とは水盃を交わしてきたという。

    どうにかして薩摩の聞きを回避する方法はないか。とりあえず、鍵銀の万之助がお小夜のためにかりていた家に隠れることにした。まだ空いていればだが。あれなら対岸に伏見の町の様子を見ることができる。

    弥一の頭には、園田矢之助と池上長四郎のことが頭に浮かんだ。


    第31章 薩摩屋敷 

    弥一は半兵衛と、長吉は新兵衛と組んで二手に分かれ、薩摩藩をお取りつぶしから救う行動に。まずは、情報収集と分析から。対馬に来て動かないオロシア。フランスとエゲレスの力を借りて動かした外国奉行。どちらも対馬を拠点にしたのか?とくにオロシアは不凍港が欲しい。日本も釜山も監視できる。

    2組は分かれて、大坂にそれぞれ向かうことに。道修町で待ち合わせ。弥一と半兵衛は薩摩の京屋敷へ。雰囲気が違っている。万之助と長四郎はいるだろうか・・・裏門を叩くと2人に出会えた。どちらも誠忠派であるはず。今、屋敷はてんやわんや。まったく後片付けも出来ていない。久光公が入るまでにちゃんと片づけなければいけない。暫く手伝わんかと提案されて、チャンスをつかんだ2人だった。


    第32章 騒乱前夜

    猿(ましら)の文吉:鼬の伝六のボス、九条関白の家臣である島田左近の手先の目明かし、高利貸しもしている、
    黒田:馬関で池上長四郎と接点、真木和泉(久留米藩士)の門人
    橋口覚之進:長四郎と矢之助の上役
    お藤:45歳、後家
    お初:出戻りの娘、27歳

    <文久2(1862)年3月18日>
    長四郎と矢之助を含め、弥一たちは木の葉うどんを食べながら、いろいろと話を聞く。褌洗いの女を3人ほど探してくれと言われた弥一は、さっそく心当たりをあたる。お藤とお初が了承してくれ、他にも賄い女を捜してくれるという。店に戻ると、普段は酒を飲まない半四郎が飲んで酔っ払っていた。お小夜がいないであろう丹沢家に運び、丹沢の奥さんに頼んで、弥一はお小夜の借家に行って寝る。

    大島三右衛門=西郷吉之助であるという。

    翌日、十石屋で新伍に伏見の状況を聞く。続いて鍵銀へ行き、お小夜と万之助は2,3日で伏見に戻るとのことを聞き、弥一は4,5日帰れないと伝言を頼んだ上で、淀川の北側を大坂へと歩いて向かった。夕刻、大坂の八軒家、そして道修町の薬種問屋の奈良屋へ行き、新兵衛と長吉を待つものの、その日は来なかったが。会えたのは翌日だった。それぞれ情報交換。飯屋でせごどんかと思われる薩摩武士を見たが、村田さんと呼ばれていたので違うと思った。のちにその武士が、村田新八であることを知る。


    第33章 せご屋

    新兵衛と弥一は、久光が姫路に着いた文久2(1862)年4月7日まで、大坂、尼崎、灘、神戸、明石、姫路、赤穂、室津を行ったり来たりしていた。

    4月8日、明石の網元で船の帆布卸しも営む明石屋で隠居に聞く。久光がやはり100人引き連れているという。その後、2人は伏見へ戻ることに。まずは大坂で1泊、伏見へ戻ると万之助がいた。2人は鍵銀から1町ほどの川沿いに二階屋を借りたという。また、越前鯖江でお登勢たちと逢ったとも。

    日に日に錦小路にある藩の京屋敷に増える藩士が増え、てんやわんやに。下男下女たちも逃げていく。半兵衛と長吉も下男を続けざるを得ないし、新兵衛と弥一もせざるを得ない。伏見屋敷にもう少しいるはずだった久光もこちらに来るという。弥一は園田に、これから何が起きるのかと聞いた。園田はなにも起こらん、と。久光は朝廷に公武一和のための意見を建白し、帝に拝謁し、勅命を賜って江戸に向かうだけ。血迷った妄動の輩から守るために1000人の兵が必要だから連れきているだけだ、と。しかし、その苛立ちぶりから何かが起きると弥一は思った。

    一緒に行ったうどん屋が、「うどん屋」としか屋号のないことを知る。主人に命名してくれと言われた園田は「せご屋」と書いて渡した。気に入ったら使ってくれ、と。久光は、西郷を薩摩に返したという。人望が厚く、久光よりも西郷の言うことをみんな聞くので、恐らく焼き餅だろうと園田。

    伏見に、高麗屋金兵衛からと、お登勢からの手紙が来ているとの情報を得て、急いで伏見に向かう弥一。


    第34章 伏見寺田屋

    伏見の船着場はごった返していた。4月13日に久光が伏見屋敷に入ったため。しかし、精兵の姿はない。どうやら相国寺とその周辺に泊まっているらしい。久光も3,4日後に伏見を発つ。16日に近衛邸に呼ばれているという。一度、伏見に戻り、17日以降に錦小路の京藩邸に行くことになる。

    弥一は手紙を読んだ。お登勢からは、孫の顔を見せられて喜んでいたという話や、八尾まで移動した話などが知らされた。高麗屋は弥一の言うとおりにする、スタンバイしているとのことだった。

    寺田屋に20数名の薩摩藩士に加え、佐土原藩の侍や真木和泉たちの一行が、土佐人も含めて16人も泊まることになっているという。合わせて40人近い尊王激派。京藩邸に知らさなければいけないと思う弥一。京藩邸に行くと、園田が出て来て事情を聞くと、伏見へと向かった。その晩は弥一の家(以前にお小夜が借りていた部屋)に泊まった。翌朝はもう園田はいなかった。寺田屋を見張っているのかも。

    歩いていると、十石屋の布団部屋から寺田屋が見えることに気づいた。上がらせてもらい、見ていると、園田の角張った顔が見えた。園田をここへ連れてくると新兵衛。やってきた園田は書状をしたため、弥一に京藩邸に届けてくれと命じた。


    第35章 血気

    橋口覚之進:京藩邸の若い武士、寺田屋騒動のあとに樺山家の娘婿となって樺山資紀(すけのり)となった、樺山家の先祖は製薬掛
    鈴木昌之助:薩摩藩京藩邸から竹田街道でかけつけた鎮撫役の一人

    京藩邸に走り、事情を知らせると、出て来た橋口覚之進が弥一に伝言を頼んだ。園田に対し、決して寺田屋の中には入るな、と。長吉と半兵衛が伏見に向かう、弥一も今度は本街道を通って伏見に。

    寺田屋の中で、いよいよ騒動が始まった。酒の勢いで始まったものらしい。薩摩藩から5人の鎮撫役が来て、鈴木昌之助以外の4人は中に入っていった。激派を斬りにかかった。結果、なかは破壊されて寺田屋は大きな損害を受けた。その時点で薩摩藩士が6人死亡、後から来た1人も死んだようだった。園田は騒動を表沙汰にせず寺田屋に対し弁償しなければと考えた。

    鎮撫役は上意を持ってきたのではないか。久光から、逆らうやつ(誠忠派)は討っていいといわれたのではないかと考え始めた。小松帯刀も大久保一蔵も、彼らが行くのを止められなかった、それどころか小松がけしかけたのではないか、と考えるものが出て来た。この騒ぎが明治10年の西南戦争の導火線となった。

    誠忠派を討ったのが、どうして同じ誠忠派だったのか。なぜ大久保はそれを黙認したのか。明治新政府の時代になっても、旧薩摩藩士たちのなかでは消えない思いとなった。

    久光が江戸へと発つと(勅使・大原重徳(しげとみ)の護衛として)、半兵衛と長吉、新兵衛も解放されて戻る。高麗屋主人から長吉と弥一に富山に一度来て話を聞かせてくれと言われた。7月1日に高麗屋に到着した。

    主人は、半兵衛への引き継ぎを急ぎたい、もう届は出してあるという相談をした。そして、空席となっている大番頭は、新助にしたいがどうだと聞いてきた。弥一を156日も座りっぱなしにした手代、今は中番頭である。半兵衛は父がそう考えるならそれでいいと言った。弥一も聞かれたが、人事に口を出す立場ではないと答える。弥一はなんの役職も持たない薬売りの立場だが、そういう意向を聞くぐらいに重んじられていることを示されたのだった。

    主人に言われ、弥一は妻子が待つ八尾へと向かった。


    第36章 幕府の綻び

    寺田幹兵衛:廻船問屋「美濃屋」当主、岩瀬浜に店
    緒方喜重郎:反魂丹役所で本草学を習得
    栄蔵:さいかちこと栄蔵、薬袋を専門とする城下の紙屋の三女と結婚、3人の男の子がいる、弥三郎を補佐する番頭役
    雅右衛門:満井屋を継いだ若主人

    7月いっぱいは休めと主人から言われた弥一は、父親から紙の仕入に来た大坂の問屋より得た最新動向を聞いた。父親が自分で嘘話(おそごと)とあり得るであろう話を取捨選択している鋭い推論だった。主に美濃屋と緒方喜重郎の話だったが。

    元々、和宮が降嫁する際に帝は、蛮夷を入れるな、通商条約を破棄して速やかに攘夷せよ、という条件を出していた。幕府は5年後、10年後を目指して実行するという返事で誤魔化し、帝の心変わりに期待した。しかし、今回、勅使の大原重徳(しげとみ)が持っていった勅命は、攘夷の断行を強く迫り、一橋慶喜を将軍後見職に、越前の松平春獄を政治総裁職に就かせ、安政の大獄で追いやられた有志たちの大赦をも命じていた。久光の意見に帝が心動かされたからだった。参勤交代が廃止されるらしい(緩くなって実質廃止)となり、江戸や宿場に金子が落ちなくなって富山の薬売りにも影響が出る。

    薩摩の満井屋と手を結び、自分たちで唐薬種を清国から買おうと閃いた。

    高麗屋主人が中気で倒れた、富蔵が死んだ、という知らせが入った。駆けつけると、主人も死んでいた。2人、ほとんど同じ日に。

    挨拶回りで半兵衛と弥一は挨拶回りに。岩瀬浜の廻船問屋「美濃屋」の寺田幹兵衛から聞く。久光の行列を馬に乗ったエゲレス人が邪魔をしたから藩士が斬った事件について(生麦事件)。寺田は満井屋の雅右衛門と会ったことがあるという。先代より切れ者かもしれないとのこと。9月に京に行くらしいからと、暗にそこで会うように進めた。


    第37章 ふたたび京へ

    伊兵衛:引退した大番頭、新助の相談役を引き受けてくれた
    福松:富蔵に代わり薩摩仲間組の上縮となった

    秋の行商が始まろうとしていた。伊兵衛からの情報で、猿(ましら)の文吉が残忍な殺され方をして、三条河原に晒されたとのこと。下手人は「人斬り以蔵」と呼ばれる土佐郷士とのことだったが、実は岡田以蔵は土佐郷士ではなく百姓の倅かも。久坂玄瑞などの尊攘激派が江戸や京でしていることは狂ったとしか思えない所業だとも。

    京で暮らしたいというお登勢を思いとどまらせ、京へ戻ると薩摩の藩邸へ。池上長四郎が出て来た。大坂からこちらへ転勤した。久光はまだここに居ると言われていたが、既に帰ったという。園田も薩摩へ。生麦村では園田も行列にいたはずだが、刀を抜いたのかと聞くと、園田は後ろの方にいたから関わらなかったという。もし、斬った侍の一人だったら、エゲレスから裁きの要請が来るかもしれず心配だった。

    池上が弥一と長吉、才児に、今回こそは木の葉うどんを奢るので屋号のないうどん屋へ行こうと誘われた。


    第38章 偽者

    「せご屋」の暖簾がかかっていた。しかし、明日閉めるという。たった1日しか使っていないが、3人一組で見回る連中が人を斬っているので危ないから。

    店を出ると、才児が富山の薬売りの半纏を着た偽者3人組を見つけてつけた。「木曽屋」という伏見にある油屋に入ったので、自分も油を買うつもりで入るといなかった。二階を根城にしていることが分かった。

    京の丹沢家に行って、満井屋から手紙の返事が来ていないか確かめようとしたが、丹沢家も避難していた。伏見に戻り、偽薬売りのことを番屋に届け出ましたが、ほとんど相手にされませんでした。満井屋からの手紙は、鍵銀の継立場に届いていた。

    来年2月の将軍上洛が決まった。一橋慶喜は下準備で今年10月に京へ。

    淀川の河口にある廻船問屋「広瀬屋」が、内外の情報に詳しいと知る。


    第39章 京の雪

    広瀬屋久兵衛:廻船問屋「広瀬屋」主人、42-3歳、
    小杉元三郎:旗本の次男坊、才児がたまたま一膳飯屋で酒をおごったらオロシア通だった

    お登勢が懐妊したという手紙が来た。喜んで伏見湊から船に乗った。才児とともに堂島へ。羊羹を買って広瀬屋へ行く。主人の久兵衛は、清国の情報を話してくれた。黄甫江の西岸には、エゲレス、アメリカ、フランスなどの租借地があり、清国人はそこで過酷な労働をしていた。清国では、耶蘇教の信者との戦争である太平天国の乱が10年以上続いている。清国はエゲレスに協力を求める。エゲレスは租借地のことがあるので断れない。しかし、太平天国がどうしてそんなに強いのかといえば、実は裏でエゲレスが新しい武器を売っているからだった。次は清国側にさらに新しい武器を売って儲けるか、終わらせるように仕向けるか。

    今後ともよろしくといって広瀬屋を出た2人。才児は久米の情報源はオロシア関連だと見抜いた。書籍などを見てそう推察した。

    さらに、以前、たまたま一膳飯屋で酒を奢った小杉元三郎という侍から聞いたオロシア情報も才児は話した。

    文久2年は、長吉、弥一、才児とも宇治川南の家で過ごしたが、文久3年になると松原通の丹沢家に戻った。家主は依然として琵琶湖の西にいる甥っ子宅に避難中だったが。松原通に戻ったのは、文久3年1月に半兵衛が京に来たからだった。手紙を受け取っていた新兵衛も来た。新兵衛は弥一が探りを入れる活動をしていることを知っていた。店の番頭の目撃による情報が入ってきており、売薬人は6人だと理解していた。長吉、弥一、才児の3人。あとの3人は誰だ?と。

    偽者のことを話した。もし、その3人が要人に斬りかかり、自害でもしたら、高麗屋が疑われることになるから、もう半纏は着ないことにする。

    雨戸を閉めようとした才児が、鴨川を南に歩いて行ったやつらは、富山売薬の半纏を着ていたような気がすると言い出した。半兵衛があとを付けることになった。雪が降っているので簑を被って。弥一は傘をさして別ルートでつける。3人は東本願寺へとつながる道を曲がった。


    第40章 刺客

    雪道に残る足跡をつけていった。1人分か2人分のあと。音も聞こえる。走り出した。追わない方がいいだろうと半兵衛。すると、2人の男が飛び出してきて半兵衛を押し倒す。怪我をする半兵衛。板壁に何かが当たる音。そちらに向かおうとする弥一は匕首で刺された男につまずく。男は、これを富之屋(宿屋)にと言って息絶える。弥一は隠れながら、必死で半兵衛を丹沢家まで連れ帰る。血まみれの着物は全部焼いた方がいいと才児。手紙は殆ど血に染まっていたが、少し読める。
    ―先般取決め候事 いかなる辞退に相成り候へども実行いたすべく候 大義為すには矩を踰ゆるべしー
    それも燃やした。巻き込まれないために。

    満井屋雅右衛門とは昨年9月に京で会うことになっていたが、父親の彦次郎急死により延び延びになり、本年文久3年3月になっている。

    <文久3年3月4日>
    将軍家・家茂の行列が京に到着。二条城へ。10日ほど滞在予定だが、おそらくそれでは帰さないだろうとの見込み。

    弥一は思い出した。あの日、自分が刺していた傘がない。「丹沢施療所」と書いてある。あの現場に落としてきたのか。現場には死体がなかったという聞き込み情報がある。偽売薬人仲間が持ち帰ったのか、刺客側が持ち帰ったのか。丹沢の家にもどり、誰かが来たら話をすればいいと思った。しかし、半兵衛は言う、そんなことを聞く連中ではない、殺されてしまう。このまま伏見にいるべし。そして、京にはもう用がなさそうだから、越中富山に帰ろうと半兵衛。

    第41章 馬関砲撃

    4月25日、才児は京にとどまることにして、弥一と半兵衛、長吉は富山に出立。
    久光が朝廷に呼ばれて上洛した。旅の途中で聞いた半兵衛は、もう少し京にいればよかったかなあと後悔していた。
    5月10日に攘夷を決行すると将軍が朝廷に約束したとの話が伝わった。どうせまたずるずる延ばすのだろうとの話だった。
    5月10日、馬関海峡を通過中のアメリカ船が長州藩から攻撃を受けたという噂。攘夷を先駆けたのか?
    5月23日には馬関海峡でフランス船、26日にはオランダの軍艦が長州の台場からの砲撃を受けた。修好条約を結んでいるから明らかな国際法違反だったが、諸外国は性急には長州を責めなかった。本国の指示待ち。アメリカは南北戦争で手が回らない、フランスは長州の暴挙を利用して幕府とのつながりを深めようという考えもあった。


    第42章 薩英戦争

    文久3年6月、アメリカとフランスが長州に反撃をした。

    その頃、将軍家茂と一橋は、帝の賀茂行幸の御鳳輦の行列に供奉(ぐぶ)していた。次に石清水八幡宮行幸に。ここで節刀(せっとう)を賜れば、将軍はいわば天皇の軍隊の指揮官となる。将軍は仮病を使って従わず、一橋も体調不良だとして途中で列から外れた。

    <文久3(1663)年6月22日>
    半兵衛、弥一、長吉は伏見に唐著悪。鍵銀でまずは情報収集。久光は薩摩へ帰ったとのこと。尊攘激派の根城となっている長州藩邸が近いことに苛立ちを隠せず、薩摩へ。幕府がエゲレスに10万ポンドも払ったと知って、京に居づらくなったかもしれない。

    半兵衛が熱を出す。才児が風邪だと見立てる。才児は大坂の蘭医の弟子になって藪医者より優れた能力をもはや持っているという。

    7月2日、ついに薩英戦争が勃発した。エゲレスは上陸し、町の1割わりを破壊し、町人や漁師は大勢死んだ。しかし、結局は引き分けのような感じで横浜へいったん退いた。弥一が半兵衛を連れて広瀬屋に引き合わせた時、長崎の廻船問屋から手紙が来て、広瀬屋からその情報を得たのだった。

    お登勢が女の子を産んだ。紫万(しま)と名付けた。

    半兵衛は、これから富山の売薬はどうしたらいいのか、と悩み出した。弥一は、広瀬屋から聞いたバンクがいいのではと言ってみた。高利貸しとどう違うのか?高利貸しは自分の金を貸すが、バンクは人の金を預かってそれを貸して儲ける。売薬の脚がお金を集めればいけるのでは、という話になった。実際、明治9年には実現する。

    8月1日、薩摩から戻った園田矢之助と偶然、伏見で出会った。なにか命を受けているのだろうと弥一は思った。その夜、2人は再会した。


    第43章 八月十八日の政変

    園田は薩英戦争では後ろの方で武器弾薬を運んでいたが、五分五分の戦いだったと言った。しかし、エゲレスの武器は進化していたと。薩摩の塩豚料理を作ってやろうと言い、弥一らの借家へ行くからと言った。

    8月16日に来た。他の藩士には河内の様子を探るふりをしていた。弥一はその前に、十石屋で、浪士たちが農民に化けて河内に移動している。帝の大和行幸にあわせてなにかをたくらんでいるとの情報を得ていて、それを伝えたためだった。

    8月16日に借家で塩豚料理に舌鼓していると、内田という藩士が訪ねてきた。園田は話を聞いて去っていった。禁裏でなにか深刻なことがあったようだった。


    長州藩の勤皇激派と真木和泉一派は、帝が大和に行っている隙にここを倒幕の拠点にしようと企んでいた。そして、朝廷はそのまま行幸先の大和に移す。だから、大和へ行幸に行くよう、長州藩士たちは帝に嘘を言っていた。しかし、嘘がばれて帝が驚いた。そして、保守派が成敗、帝は長州を門番から解任。長州と真木一派は西へと逃げ出した。

    8月17日夜から18日にかけ、連携して天誅組が謀叛を起こすが制圧された。

    半兵衛や弥一たちは、富山に帰ることにした。その時、半兵衛はエゲレス語を習いたいと言っていた才児に対し、富山でエゲレス語は習えない、長崎へ行くか?と言った。

    第44章 池田屋事件

    調所(ずしょ)笑左衛門広郷:薩摩藩家老
    浜崎太平次:(八代目)、薩摩の御用商人、笑左衛門に重用された廻船業者、屋号は山本=ヤマキ、文久3年2月に50歳で死亡
    弥平次:高麗屋九州組だったが、長崎へ。オランダ語が苦手で富山に戻る。高麗屋と寺田屋から薩摩以外の九州の情報を収集する仕事を与えられ、長崎で蝋燭問屋「高美屋」を始める。嘉永6年1月。

    9月と10月、3回にわたって薩摩とエゲレスが和睦の会議をした。最初はもめたが3回目にまとまる。しかし、裏では話し合いがあって親密になっていた。アメリカの南北戦争により綿が入ってこなくなったエゲレスは綿が欲しい、薩摩は小銃が欲しい。薩摩は日本中で綿を買い占め、エゲレスに売って小銃を買っていた。表向きは攘夷の薩摩が密貿易。

    <元治元(1864)年>
    文久4年2月に元治に改元

    各藩は、大中小を問わずどこも、
    尊皇攘夷派
    お家大事の佐幕派
    その折衷派
    で三分されているが、その急先鋒が水戸藩だった。もめている。

    前年の10月、富山に戻って数日すると、才児はひとり京に戻りたいと言った。いくらなんでもからっぽではいけない、情報収集が必要だと主張、半兵衛も認めざるを得ず、帰した。元号が変わるまでに10通の手紙を寄越し、天誅組の悲惨な末路など、いろいろと情報をくれた。新選組が大坂の呉服商(高島屋)に発注した制服は隊旗、揃いの羽織(袖口がだんだら模様の浅葱色)、新選組により水戸派が排除された情報なども。

    半兵衛は才児のエゲレス語を学ぶ先と嫁探しの手紙を書いていたが、一つ情報を得た。越前大野藩の藩士が、江戸でエゲレス語を学んだという。その後、理由は不明だが藩をくびになり浪人になり、淀川河口の広瀬屋にいるという。だから広瀬屋に行けと才児に手紙を書いた。長崎で学ぶとなると最低でも庄屋程度の身分が必要だが、どこかで学んで先生となれる者がいるのだからそこで学ぶ手はあると考えたのだった。

    4月5日、筑波山に「水戸天狗党」と名乗る尊皇攘夷派が筑波山に陣を張ったという情報が富山に入る。

    6月半ばには、池田屋事件の情報が入る。
    四条小橋の真町で炭薪商を営む枡屋喜右衛門が新選組の通報により調べられ、長州激派との書簡が見つかる。激しい拷問いより自白した。長州激派は祇園祭が始まる前の風の強い日に御所に火をつけ、その騒ぎにまぎれて中川宮(のちの尹宮)朝彦親王を幽閉し、帝を長州へ連れ去る。一橋公と会津候は殺す。

    半兵衛は、長州はやけになっていると考えた。いずれは西の端まで幕府は来る。だからその前にこっちから行って死んだ同志たちの仇を討とうと。

    半兵衛、弥一、長吉の3人は急いで旅支度をし、京へ。


    第45章 禁裏への道

    6月20日伏見で十石屋から、薩摩は実質的に沖永良部島から戻った西郷が牛耳っているのではないかとの情報。22日には室津から戻った才児が、長州が3隊に分かれて上京するとの情報がもたらされた。伏見から禁裏を狙う。久坂玄瑞や真木和泉が率いる浪士隊が天王山と石清水八幡宮に陣を張る。嵯峨のほうから禁裏を狙う。この3隊。1700の精兵。

    越中売薬行商も3隊に別れ、見張って斥候をしよう、と才児が提案。池田屋事件の時のように。薩摩が応援してくれる。
    宇治川の借家は通り道で危ない、丹沢家はもっと危ない、などの意見対立もあったが、地理になれた行商は丹沢を、不慣れな者は宇治川を根城にしようということに。ノボリには「世話役」と記す。

    越中売薬は今や2200人もの行商人を擁する大店。その富山の薬を支えてくれた薩摩藩には恩がある。

    天龍寺、山崎、伏見を見張る。薩摩藩に情報を伝えて危険を避けさせる、丹沢に逐一する、弥一は訳あって宇治川の借家で待機、竹田街道のどこかにも根城を作り、才児が待機する。

    薩摩京藩邸に、園田と池上を訪ねた半兵衛と弥一。不在だったが、剣術道場のようなところから、十津川郷士と思われる声が聞こえた。


    第46章 大火

    十津川郷士が息絶え絶えに弥一に手紙を渡した男の兄だとしたら、丹沢施療所と書かれたあの傘も持っている?

    才児や十石屋から状況を聞く。しかし、十石屋はなにか本音を隠しているような感じ。十石屋は言う。伏見は情報が集まるため、富山売薬と薩摩の関係も想像し、唐薬種で密売しているのではという噂もある、と指摘した。抜け荷に関しては、いくら十石屋相手でも否定しなければいけない弥一。

    7月。弥一は自分も命を落とす覚悟を決めた。18日か19日か。禁裏に近い出町柳に籠もることに。途中で才児に出会って状況を聞く。出町柳の松に登って薩摩の二本松新屋敷と禁裏の北側を見渡そうと思っていた。ノボリは、「薬隊」「越中隊」「越中売薬隊」「越中仲間隊」の4つをつくり、自分で選ぶことになっていた。自分たちが斥候をすることは、園田を通じて伝わっているはず。弥一はある老夫婦の二階を借りて立てこもることに。

    帝は長州が洛中に入ることを禁じていた。18日には、まだ入らない。長州は会津に対する復讐だけが頭にあるのだろう。

    弥一は、「薬隊」を体にしばりつけた。


    第47章 禁門の変

    およし:お紫万のための子守、16歳、桑畑農家の三女

    長州が洛中に入り、すでに合戦は始まっていた。

    (禁門の変に関する描写が続く・・・)

    京のまちに火をつけたのは、幕府側だという話がひろがった。長州の残党を逃さないために。最終的に、伏見の長州は大坂に下った。

    弥一は7月20日の午前11時ごろ、伏見の借家に戻る。

    火災がくすぶり続ける京のまちに近づけず、弥一たちは9月10日まで伏見にいた。京のまちは民衆が家を奪われ、おまけに米が大幅に値上がりして不足。大坂商人が値上げをしていて、それは薩摩が綿を買い占めている影響で物価があがったせいだと主張しているが、真実としては怪しい。

    半兵衛は、自分たちも米がないから富山へ帰ろうと言った。9月11日、帰路に着く。

    富山で、お登勢と太一郎に再会できた・八尾でお紫万は留守番。およしという子守をやとったのだった。

  • 明治後の追憶談という形式なので、後半戦、どのように答え合わせが進んでいくのかにわくわく

  • 最終巻に記載します。

  • 富山の薬売りから見た寺田屋事件、禁門の変が非常にリアルに描かれている。読み手として、まるで自分で見たような感覚になるのは、やはり著者の表現力の素晴らしさにあると思う。寺田屋を近くの旅籠の二階の布団部屋から見張ったなどという表現は恐れ入る。新しい視点の幕末ものとして非常に興味深い。

  • 時代の急変にあわせて
    ストーリーも急展開。
    幕末の混乱のなかで奮闘する
    薬売りたちの活劇にワクワクするが、大きな歴史の流れへの言及も見逃せない。続きが気になる。

  • 長大な物語。幕末の歴史をりるものには少し退屈。

  • 良かった!富山売薬仲間の薩摩藩のために,ひいては、富山藩のためにできる事を必死に活躍する様は、目が離せない。歴史を鳥瞰し、横断的に見るのは、いろいろな事を教えてくれる。時間が楽しみ。

全23件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

1947年兵庫生まれ。追手門学院大学文学部卒。「泥の河」で第13回太宰治賞を受賞し、デビュー。「蛍川」で第78回芥川龍之介賞、「優俊」で吉川英治文学賞を、歴代最年少で受賞する。以後「花の降る午後」「草原の椅子」など、数々の作品を執筆する傍ら、芥川賞の選考委員も務める。2000年には紫綬勲章を受章。

「2018年 『螢川』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮本輝の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×