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Amazon.co.jp ・本 (560ページ) / ISBN・EAN: 9784165105404
みんなの感想まとめ
この作品は、日本人の精神性や武士道の本質を探求する内容であり、特に明治時代における自律心や名誉の重要性を浮き彫りにしています。武士道に基づく「約束を命がけで守る」「敵に情をもつ」といった価値観は、読者...
感想・レビュー・書評
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司馬遼太郎全集 54「草原の記」 「明治という国家」の二つが目当てで読んだ。 草原の記 「街道をゆく」の中で印象に残っていたモンゴル紀行に関連するもの。大草原の景色が頭に浮かぶと何故か不思議な安心感がある。 著者のモンゴル行きに関連して書かれたのが「街道」だけではなかったことを他の本で知ったのだが、確かに少し雰囲気が違っている。
著者のモンゴルに対する思いとともに「ツェベクマ」という数奇な運命をたどったモンゴル人女性の感性、理性を時に中心に置きながら話が進む。 「草原の記」最終話はちょっと涙が出ましたぞ。昔見た中国の映画で「芙蓉鎮」を思い出してしまった。あれはほんとにいい映画だった。 明治という国家 初めの章に出てくる「イデオロギ」を訳すとすれば「正義の体系」であるという一言に衝撃。 極めて難しい善と悪の判断基準(何万年にも及ぶ人類の共通概念として持っている善悪は除く:人を殺す、盗むなど)に理論武装を与えることをイデオロギと読むとは簡にして妙。 腑に落ちるとはこのことでした。だからイデオロギは長続きしないと納得できる(未だ人類は数学も含めて絶対真を見出していないから)。
さて、「明治という国家」のことである。アジア諸国のなかで、なぜ日本だけが西欧の侵略から免れることができたか。決して日本人が優秀だったわけではない。 江戸時代の中期以降、鎖国政策の中で原始的ながら資本主義を独自に発展させていたことが、西欧の近代思想を効率よく消化可能にした。なぜ日本が独自に資本経済を発展できたか?について様々に考察を加えている。
本書を読んでいてどうも気になったことがある。最も端緒に現れる「十六の話:洪庵のたいまつ」の一節を挙げると、
『日本の近代がげき場とすれば、明治はそのはなやかなまく開けだった。その前の江戸末期は、はいゆうたちのけいこの期間だったといえる。 適塾は、日本の近代のためのけいこ場の一つになったのである。…その洪庵先生も、病人たちをしんりょうしながら教える。体が二つあっても足りないほどいそがしかったが、それでも塾の教育はうまくいった。』
司馬遼太郎ともある人がこのような小学生の教科書のような漢字の使い方をするとは!---、といらいらしていたら文部省の仕業だ と気づきました。文化小革命の残骸がこのような形で残っているとは。 日本語は(まくあけ)か(幕開け)とは書くが決して(まく開け)とは書かない。 私は不要な漢字(漢字を書かなくても意味が普通に通る場合)は書かない主義だが、このようなチャンポンは最も嫌う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書の中で、武士道とは下記のように記載されている。
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「日本および日本人とは何か」という説明をもとめられたとき、明治人は武士道をもち出さざるをえなかったのです。ではサムライとは何か、と問われれば、自律心である、ひとたびイエスといった以上は命がけでその言葉をまもる、自分の名誉も命を賭けてまもる、敵に対する情(なさけ)。さらには私心をもたない、また私(し)に奉(ほう)ぜず、公に奉ずる、ということでありましょう。それ以外に、世界に自分自身を説明することはなかったのです。
そしてそれは、りっぱな説明でもありました。すくなくとも日露戦争の終了までの日本は、内外ともに、武士道で説明できるのではないか、あるいは、武士道で自分自身を説明されるべく日本人や日本国はふるまったのではないか、と思います。
皮肉なことに、武士が廃止されて(明治4年の廃藩置県)武士道が思い出されたといってよく、過去は理想化されるように、武士道もまた理想化されて明治の精神となったと思います。
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この「自律心」「約束を命がけで守る」「名誉も命がけで守る」「敵に対して情をもつ」「私に奉ぜず、公に奉ずる」という武士道は、私はスッキリくるし、私もこうでありたいと思う。
自分には日本人の精神が流れていると、少し嬉しくなった。 -
ツェベクマさんという女性の強さに感じ入る。
司馬さんが
「ツェベクマさんの人生は大きいですね」と言ったときの返答
「私のは希望だけですよ」
ほんとの強さ。
どんな権力だって、人の心の中の希望までは支配できない。
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