消された政治家・菅原道真 (文春新書)

  • 文藝春秋 (2000年7月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (248ページ) / ISBN・EAN: 9784166601158

みんなの感想まとめ

政治家としての菅原道真の生涯と業績を深く掘り下げたこの作品は、彼の政治的な影響力や税制改革の背景を丁寧に描写しています。道真が讃岐守として直面した税制の破綻と、その改革に向けた取り組みが詳細に記されて...

感想・レビュー・書評

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  • 難しい官位の読みや意味にぶつかりながら読んでいると、1100年の流れの向こうに道真という人を感じることができた。 著者の平易な解説で疑問が少し薄れたようだ。
    先に読んだ大岡信著の「詩人菅原道真」は、歴史と文学の面から主に道真の残した詩文に光を当てていた。
    主として文人としての道真像が(当時の歴史的な背景の影響も書かれていたが)漢詩人であり、優れた学識を備えた学者として学問の神になったという歴史の流れや、一方で学聖と呼ばれるに至った経緯などは、近年の研究書も伝記も多く残っていて、私なども今までの大雑把な知識としても理解できるものだった。

    だが、政治家という面から見ると、一時は権勢を極める地位にいて、力を尽くして多くの政治的改革案を準備したがその地位が一夜にして崩壊し、遠い太宰府に左遷されたという事件は、その根底にある不思議な経緯については疑問符とともに大雑把に想像される範囲だけだった。
    藤原氏との長い確執の末、根本は権力争いという面を持つクーデターに敗れたということはよく知られているが。

    この「消された政治家」という表題はとてもインパクトがあって、政治家菅原道真がその大きな流れのなかから、支流に追いやられたというより抹殺されたのに等しい非常にショッキングな出来事を研究者の目で知ることができた。

    文人道真の面からしか知らなかったけれど、当時の政治とその根幹を支える税制の形、時代とともに逼迫してきた経済事情など、多くの問題を解決しようとした道真の業績は、現在は政変後、藤原時平の輝かしい業績になって残っていて、基礎になったとおぼしい道真の綿密な草案(実行案)は資料がのこっていないそうだ。

    余談だけれど、一昨年の秋「浄瑠璃寺」の帰り「恭仁京跡」に寄ってみた。広い空き地を少し高くした土地に塔の跡だけがあり心柱の礎石が残っていた、当時遷都を繰り返しさまよった聖武天皇と光明皇后一行はその費用も莫大だったろうし、大仏開眼の材料費や人件費はどうなったのだろう、租庸調の税で滞りなくまかなえたのだろうかと、些細な家庭の会計を預かる身に過ぎないけれど、なんだか歴史の跡を訪ねてロマンに浸っていてもいいのだろうかと、ここでも庶民の目には不思議に映っていた。

    読んでいると、初期の律令財政はよく機能して国の経済はまかなえたようだ。だが人頭財を基礎として成り立っている間に、道真が実地調査をしてみれば書面上だけでは解決できない出来事も多く、結果財源が不安定になって来ていた。使途は拡大し監査制度も地方に行くと杜撰なものになり、単純な収支費目の裏には多くの矛盾が発生してきていた。
    歴史の流れにはこういうことは起こりうることで、実情に合わない原因は、口分田から上がる租税を私有化したり人頭税にかかわる戸籍を偽って減収になることも多く、収支のバランスが大きく崩れ始めてくる。経済的にも苦しく暮らしも貧窮度が深まると村人は逃げ出して人口が減り、帳簿と合わなくなる、記載漏れの減籍という不具合も起きる。

    道真は戸籍の不明確な人数による課税制度をあまり変化のない土地税に替え、改めて検地を行うことを定めようとした。
    その時に遣唐使の廃止も含まれている(資料が少なく様々な説があるが)道真が派遣されることが決まってすぐの廃止の上奏はその原因に疑惑を生じたことも述べられているが、やはり政治危機、律令制度の行き詰まりから国政改革を優先した決断だろうと推察されている。
    しかし、土地改革は多くの寺院や富豪層にも大きな影響を与えた。私有化の増加という問題もあった。
    そのために現地調査の検税史の派遣が必要だという案が浮上した、しかし道真は正確に機能するのかを確信できず廃止案を奏上した。税の申告やその調査は人の信頼の上に立つ。律令制度の乱れはそういった人々の欲望から徐々に乱れ財政をひっ迫させていたと考えた。

    律令制度の乱れは根本的な改革が必要だという考えは、当時の宇多天皇に受け入れられ権大納言、右大将に任じられ最高の地位について、即実施できることになった。
    左大将、大納言に先任の藤原能有の後を継いだ藤原時平が任じられた。以後二人は政治の車の両輪として働くことになる。

    その後、宇多天皇は出家して譲位し、13歳の醍醐天皇の世になる。宇多天皇は二人の大臣に助言を求めるよう若い帝に伝えた。この譲位の思惑については諸説あるようだが一線から退くことは道真も賛成したというがその影響を考えなかったわけはない。それでも何もかも二人を通さなくてはならないというのは双頭政治の窮屈さも感じられる。

    そして、さあ国政改革に取り掛かろうとした矢先、確執のあった文学博士の三善清行から、陰陽道を元にした道真への引退勧告が出た。藤原氏の敵愾心や反発が表に出たものだという説で、道真は取り合わなかった。
    身の危険を感じて道真も減給や官位辞退を申し出ていたが、醍醐天皇が詔で道真の援護をしていた。
    しかし、陰陽師説の時代で、予告された不吉な「辛酉の年」を迎えた。道真の新制改革は次々に実現して、藤原氏の影が薄くなっていた正月7日に道真はさらに昇進した。そして25日醍醐天皇から突然、追放の宣命が出た。もっとも輝いていた大臣の地位から一挙に太宰権帥として左遷されたのだった。

    宇多法王は二度擁護のために馳せつけたが参内が許されなかった。道真とその家族兄弟一党と藤原氏の明暗が確定した時だった。

    東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主人なしとて 春を忘るな
    君がすむ やどの梢を ゆくゆくと かくるるまでも かへりみしはや

    こうして長い陸路を通って太宰府につく。過酷な指令が出て援助もなく、食料や替え馬を与えないこと、俸給も従者も与えず政務に関係させないこと、など前途は非常に厳しいものだった。
    連れて行った子供二人とも貧しい生活で亡くし、道真も59歳で亡くなりその土地に葬られた。「菅家後集」

    去年の今夜 清涼に侍す
    秋思の詩論 独り腸を絶つ
    恩賜の御衣 今ここに在り
    捧持して 毎日余香を排す
        
    若き17歳の新帝に抱いた愛着を57歳の老臣が深い感慨を込めて回想したもの。彼は天道に無実を叫び、荘子の哲学に救いを求め、流罪の苦しさを歌った。天皇に対する忠誠の心は時として乱れることもあったが心の支えであった。


    その後天皇家に不幸が続き、また藤原氏も主流の家柄は続かず様々な天変地異が続いた。それを道真に結び付け供養と贖罪の意味を込めて神殿を建て今に至る。

    罷免の理由などは推測だが、多くの不明な点はまだ残っている。現代の研究では道真の冤罪に傾き、有罪説より多いそうで、やはり讒言による悲運と、天皇の意思も時流には逆らえないという、いつの時代にも変わらない流れがある。道真は家系も亜流であり政治的な後ろ盾は天皇と道真の私塾に集まったサロン出の官僚が半分を占めていたことで、その優秀な集まりがかえって反感を買った。
    道真を排除した後、新しい国家体制がスタートした。後期王朝国家になり鎌倉幕府の崩壊まで続く。

    この頃はまた難しい室町時代王朝貴族と武家が並行するする歴史が始まった。

  • 政治家としての菅原道真について書かれた本。非常に読み応えがありました。

    当時の税制の仕組みを専門的に細かく記述し、数百年前に施行された制度が破綻していたこと、讃岐守として道真が制度の実情を把握し、そして破綻していた税制を立て直すための制度の基盤を築いていたことを説明してありました。実際には、その新たな制度は藤原氏によって施行されるわけで、道真が左遷前に行った治績部分の資料が故意に消されたということから、タイトルが「消された政治家」となっている、と。

    詳細にかかれている制度の説明の部分は、難しかったので、斜め読みになってしまいましたが(すみません)、人頭税で立ち行かなくなった財政を、地税に置き換える方策を採ることで、古代の政治形態から、中世の政治形態に移行させたのが道真と彼の周りのブレーンたちの功績であったであろうということはわかりました。

    政治家としての道真を中心にしながらも、誕生から亡くなるまでの軌跡も盛り込まれていて、本当に充実した本でした。道真ゆかりの地めぐりにでも行きたい気分。満足。

  • 気に入ったので平田耿二先生の主張を全面的に認めたい

    宇多天皇が困窮する国庫を昔に戻したいといと、道真の
    才を認めて登用した
    讃岐は一等国だが制度疲労のため藤原保則など名の知れ
    た貴族を送りまだ従五位上と官位が低い道真を秘密兵器
    として投入、実態を知り朝廷に戻った時には問題の根本
    を探るべく問民苦使を派遣し政策的解決を図る

    最終的には政争(皇位を恣意的に曲げたクーデー)と
    して改革の最後を見届けぬまま、大宰府へ落ちていく

  • 菅原道真そのものについて、というより、延喜の土地・税制改革について自説を紹介するために道真をダシに使った感じはするが、律令体制下の公地公民制がどのように変形していったかについては関心があったので勉強になった。

  • 購入して再読。

    p43に菅原氏略系図あり。

    p137に寛平七年の公卿一覧あり。

    門民苦使
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    1,天平宝字2年1月4日(758年2月16日)に「民の苦しみを問う」ことを目的(孝謙天皇の詔)として、藤原仲麻呂の意向によって初めて派遣された[1]。前年の橘奈良麻呂の乱で動揺する地方情勢の鎮静化と仲麻呂の儒教色の濃い政策の反映であるとされる。唐の観風俗使に採訪処置使など他の監察を掌る諸使の要素を加えた日本独自の性格をもったものであったとみられている[2]。

    畿内には石川豊成、
    東海道・東山道には藤原浄弁、
    北陸道には紀広純、
    山陰道には大伴潔足、
    山陽道には藤原蔵下麻呂、
    南海道には阿倍広人、
    西海道には藤原楓麻呂が派遣された。
     
    例えば藤原浄弁の提言によって
    老丁・耆老の年齢を1歳引き下げ[4]させ、
    毛野川の治水工事が行われた[5]こと、
    藤原楓麻呂が指摘した29件の民の疾苦の処理を大宰府に命じた[6]こと、など
     藤原仲麻呂政権の地方政治振興政策と問民苦使の報告は密接に関わっていたことが知られている。

    2,延暦14年(795年)にも派遣され、東海道を担当した紀広浜が
    食料の乏しい夏に正倉の修繕などの徭役を行わせる場合には動員された百姓に対して公粮を支給すべきことを提言し、後に実現されている[7]。

    3,寛平8年(896年)になって平季長が山城国問民苦使として平安京周辺の同国を状況を視察し、院宮王臣家の土地支配に対する規制が出されている[8]。




    ☆★★2020/08/29
    この本の面白い点は、
    時平一派によって抹消されたとおぼしき、菅原道真自身が行った政治改革を、資料にもとづき丹念に復元!されていることです。


    寛平8年8月28日、道真、民部卿に就任。
    寛平8年11月戸籍編成開始。

    門民苦使の派遣
    ☆平季長・奏状の内容。
    1、土地開発に関する墾田法の改正。
    2、権門による在地富豪層の土地訴訟の弊害。
    3、樵の田地に対する寺院の非法。
    4、鴨川両岸にある水陸田の耕作を禁止する法規の撤回について(四月14日)←タナギの弁?


    ☆道真による改革
    1、寛平年間に新しい財政監査制度の施行
    給付制度と会計監査制度の改革。手形制度

    2、納税一国請負制
    国司に官物の納付を請け負わせる
    3,1奴婢解放
    寛平8年11月戸籍編成開始とともに、全国の奴婢は家人になる。

     【延喜二年からはじまる造籍と班田】
    これがキーポイント。これの前に何としても時平派は、道真を引きずり降ろさねばならなかった。

    ☆藤原時平による延喜の治(延喜二年三月12日13日)
    1、班田を実行し、全国に土地台帳の作成を命じる
    2、臨時の御厨と権門の御厨の廃止。国有地の回復。
    3、権門による入会地独占の禁止。
    4、荘園整理令(醍醐天皇以降)
    5、富豪層の里倉負名の排除。




     それ以外にも当時の名吏といわれた、実務派の官僚の皆さんの名前個性をうかがうことができ、個人的に興味深かったです。
    ・藤原保則
    ・平季長
    など。

  • 学問の神様として広く国民の信仰を集める天神様(菅原道真)その道真の知られざる一面を明らかにする。

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • [ 内容 ]
    「学問の神さま」菅原道真。
    最後は大宰府に流される悲劇の生涯はよく知られている。
    しかし、道真は偉大な文人であったばかりでなく、政治家、それも右大臣という要職にあったのだ。
    では政治家道真は何をしたのか、となるとほとんど知られていない。
    というよりその痕跡が消されている…。
    実は道真は、財政危機に悩む律令日本を変革しようと企てていた。
    左遷されたのも、死後、天神になったのも、それに由来する。
    まったく新しい視点の道真論。

    [ 目次 ]
    序章 新しい道真論を
    第1章 前半生の素描―讃岐守として転出するまで
    第2章 地方官としてみた政治と社会
    第3章 政治家道真の登場
    第4章 王朝国家の構想固まる
    第5章 政界追放
    第6章 王朝国家の成立
    終章 道真、神となる

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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 道真の左遷は冤罪であったのか否かの点について第五章で戦前の説と戦後の説を引きながら解明しています。

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