県民性の日本地図 (文春新書 166)

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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166601660

感想・レビュー・書評

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  • 子供の頃から旅行が趣味で、日本全国を旅して歩いているからか、この手のお国自慢的な話は大好きなのだが、実際『県民性』なんてないと思っている。ここで出てくる話も、「~と言われている」とかばかりで、エビデンスは皆無である。一体何人の人物を観察してその結論に達したのかと小一時間問い詰めたい。地域による気質の違いがあるにしても、県の単位よりはずっと大きな括りではないかと思う。藩士の性格がそこに住む農民の気質に影響したなんてとても考えられない。
    ただ中世からの地方史が丁寧に解説されていて勉強になった。

  • 「おクニはどちらで?」「○○県です」「ホォ、努力家で働きものの多いところですなァ」-そんな会話がいまも交される。全国が均質化される中でも、それぞれの地方の特性、特有の気質は根強く生きているようだ。その特性はいかに形づくられたのか。縄文・弥生から江戸時代の藩、近代以降に至る長い歴史の中に、地域性の由来をさぐる。
    (2001年)

  • 日本全国の都道府県(多分、全部)の県民性について解説している本。どういった特質、地域性があるか、その特性はどうやって形成されたかを真面目に研究している。話のネタ的になりそうな面白おかしな話ではない。

    日本国内で地域間の人の交流が盛んになったのはつい最近のことである。少なくとも江戸時代までは情報すらろくに伝わらなかったのだから、地域ごとに生活習慣も文化も異なっていたのは当たり前。そうした中で地域による特性、気質の違いが出てくるのは自然である。

    本書では、そうした地域性が、その地域の地理的な特性と縄文・弥生時代からの長い歴史の中で形成されたとして、それぞれの県民性の背景を解説している。ただ、その地域の地理と歴史がそれなりに頭に入っていないと似たような話が続くだけに、読み物としては厳しい。

  • 県民性について、著者独自の視点で分析した一冊。

    地方別でも、いわゆる行政上の地方ではなく、独自の分類。
    その分類や実際の分析は賛否が別れるところだけど、読み物としては面白かった。

  • 所在:展示架
    資料ID:10100192
    請求記号:361.42||Ta63

  • 一頃(というか、この本が出た当時)
    ちょっとブームになっていた「お国柄」「県民性」について、
    地理・歴史的背景からカッチリ解説した本。

  • 県民性の違いを盆地世界、弥生人の流入、稲作が生んだ社会構造とその変化、気候風土、江戸時代の独自の藩政による影響などの視点から分析している。

    縄文人の祖先はシベリアから北海道に南下してきた。
    紀元前2世紀初めに朝鮮半島から人々が大量に移住。
    縄文人は人間は平等だと考えたが、弥生人は有力な指導者の下で土地開発と水田耕作が可能になることから、上下の秩序を重んじた。
    中世まで、西日本では皇室や公家政権の権威が重んじられ、東日本では家柄より能力を重んじる考えが強かった。

    畿内を中心に、朝鮮半島と同じ短頭型が分布。弥生顔は細長く、目が細く、鼻が低い。
    えらが張り、目が大きく、顔の堀が深い縄文顔の特徴は、アイヌや琉球王国の住民と共通する。

    6世紀までは朝鮮半島南部と同じ言語圏だったが、7世紀に日本と対立していた新羅が朝鮮を統一したため、往来が減少し、別の言葉になっていった。
    あずまことばは、(1)関東地方から北、(2)信濃、近江以東(今日の東西の方言の境界)、(3)飛騨、美濃、尾張以東(今日の東京式/京都式アクセントの境界)の3つの区域に分けられる。

    稲作の発達によって、鎌倉時代ごろから農民の共同体が主導権を持つ惣村が発達したため、近畿地方では戦国大名が育たなかった。
    東日本の武士団は本家の強い指導のもとにおかれたため、強大な戦国大名を生んだ(党)。西日本では子供たちが財産を公平に受け継ぎ、血縁と婚姻を同等に扱ったため、強力な指導者が出にくく、合議が重んじられた(一揆)。

    江戸時代には、御三家、国持大名20家があり、藩内の価値観を統一しようとしたものが多かった。
    明治以降は都市型の気風が広まった。東京人は秩序を重んじ保守的で控えめ。大阪人は実利、個性を重んじ陽気で外交的。
    (2011年03月09日)

    ・津軽では夏が暖かく、稲作に適する。南部は冷害に見舞われやすく、近年まで畑作が中心で牧畜が盛んだった。
    ・秋田は水に恵まれているため米作が豊か。冬の食糧難に備えるために、漬物やハタハタすしなどの貯蔵用食物が発達した。
    ・岩手県胆沢町の角塚古墳は本州最北の前方後円墳。
    ・古代には東山道が重んじられたため、古墳文化は毛野から関東南部に南下する形となった。
    ・大磯町の高来神社、埼玉県日高町の高麗神社は高句麗からの移住者にちなむもの。秦野市の地名は秦氏が開拓したことにちなむ。
    ・5世紀末に渡来した秦氏は、琵琶湖の水運に目をつけ、近江に支族が広まったため、農業や手工業の先進地になった。天智天皇が大津宮に遷都したのは、近江の先進性と北陸道への交通の便に目をつけたため。この遷都は百済滅亡の直後だったため、亡命者の中で近江に移り住んだ者も多い。
    ・大内家は百済からの渡来者の子孫。

  • 県民性の話は興味深いし、へぇ〜とも思う。ただ歴史の話が多くてちょっと苦手。

  • お国柄があるように、県民柄もあるようです。はたして、当たっているでしょうか。

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著者プロフィール

1950年、山口県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大大学院博士課程修了。文学博士。元明治学院大学教授。専攻は日本古代史、歴史哲学。比較文化的視点を用いた幅広い観点から日本の思想・文化の研究に取り組んでいる。著書に『律令太政官制の研究』『日本古代国家と律令制』(ともに吉川弘文館)など専門書のほか、『歴史書「古事記」全訳』『古事記・日本書紀を知る事典』(ともに東京堂出版)、『古事記と日本書紀 どうして違うのか』(河出書房新社)など多数。

「2022年 『古代史入門事典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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