民主主義とは何なのか (文春新書 191)

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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166601912

感想・レビュー・書評

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  • とても面白かったです。本書の最大の特徴は、錦の御旗を与えられている「民主主義」「人権」という概念を疑えという問いかけです。以下私なりの理解を書きます。民主主義(デモクラーティア)は、古代ギリシャ時代においても、実は(最初は)邪道な統治方法だと考えられていた。その語源から言えば、民衆(デーモス)が力(クラティア)を獲得して政治を行う、ということだが、この背景には、フランス革命に象徴されるように、絶対的統治者、あるいは国家に対する闘争を通じて民衆が権利を獲得する、というニュアンスが込められている。しかしいざ国民が革命を通じて統治権を得ると、その統治者への怒り、憎しみが高まり、再び闘争を通じて(あるいは弾劾裁判などの手段を通じて)、国民が鉄槌を下す、という「われがわれに敵対する」病的なイデオロギーであるというわけです。

    これは日本人なら意外に納得できる説明ではないでしょうか。欧米人が権利を主張してばかりいるのを見ると嫌気がさす、という感覚を日本人はまだ持っているのではないかと思いますが、複数の人々が根拠(グラウンド)のない権利主張をしあっている場面ほど虫酸が走るものはありません。お互いが聞く耳を持っているわけではなく、理性的でもありません。

    そして本書の最後では、民主主義を克服するということで、聖徳太子の十七条憲法を参照します。そこに書かれていることは、いかに各人が理性および知的謙虚さをもって相手の話を聞き、自分の視点を広げていくか、そして当初は考えもつかなかったより良い結論をみんなで探索するか(衆議衆論するか)、ということが重要なわけです。闘争を通じて自分の権利を獲得せよ、という無理性の行為ではないのです。そして主張するよりも聞くことの大事さ、これはまさに10人の主張を同時に聞いた?と言われる聖徳太子が示す、人間にとっても最も大事なスキルだということでしょう。

  • 埼玉大学で名誉教授を務める著者が「民主主義」を根っこから紐解くことを試みた本。その構成要素と成り立ち、歴史といった角度から民主主義の正体を明らかにしていく。

    我々は民主主義というものを一体どれだけ知っているのか、という著者の問いかけから始まる。確かに民主主義というイデオロギーを知ってはいるが、それがどんな根拠や論理によって支えられているかを理解しているとは言えない。

    著者によれば、近代民主主義が社会で陽の目を浴び始めたのは18世紀のアメリカ革命とフランス革命以降である。どちらも既存の体制(絶対専制君主制)に対する革命であり、これによって「民衆が力を持って支配権を得る体制」(民主主義)を築き上げた。つまり、民主主義はその生い立ちからして「反体制」的、暴力的性質を持つものなのである。

    また民主主義の主要な構成要素である「人権」も、欺瞞に満ちたインチキなものであるとする。現代社会で広く受けいれられている自然権の概念は、ロックによってもたらされたもので、「神によって与えられた」権利であるという、キリスト教的世界観の延長線上にあるものだ。しかしロックは権利に対応する義務を説明することはなく、故に不十分なロジックとして世に出てしまった。

    著者が言うのは、自然権の本来の意味はホッブスが『リヴァイアサン』で唱えたように「各人が生存すること自体を根拠とする、各人の自由」だと言うことだ。つまりそれは誰から与えられたものでもなくて、ただ自らが生存することで持ち得る自由であり、ここでは「それをどのように放棄するか」が問われている。
    この問いを克服するのが人間の「理性」である。今起こっている権利をめぐる様々な「矛盾」(「知る権利」と「プライバシーの権利」、「生存権」と「環境権」の真正面からの対立)は、この理性を回復することで解消に向かうことができるとする。

    上記が本書の要約であるが、内容としては非常に興味深いものだった。著者の分析も一つ一つの事柄は丁寧で分かりやすい。
    しかし、それを統合する段階がかなりなおざりになっている。故に繋がりがわかりにくい。
    大筋を掴んだ後に再読すると理解できた。難解で読みにくい本だが、理解できれば教養は深まるとおもう。

  • 「民主主義」の光の側面のみに目をうばわれている現代の知的状況を批判し、その闇の側面を明らかにしている本です。

    著者は、政治的には対立する立場に立つであろう福田歓一の『近代民主主義とその展望』(岩波新書)を参照し、そこで福田が「民主主義」ということばのいかがわしさに目を向けていることに注目します。そのうえで、「ヴァンデ事件」という、フランス革命のさなかに起こった血なまぐさい事件をとりあげて、「民主主義」の裏面を明らかにします。

    その後著者は、ギリシアにおける僭主制と民主制の概念にまでさかのぼり、民衆のなかから生まれる僭主を排除しようとする民主制のありかたを、「われとわれが戦う」病ということばで表現し、民主制の起源にひそむ問題にせまろうとしています。さらに著者は、ホッブズとロックの議論の差異に着目し、「人権」という概念がどのような経緯で仏蘭西人権宣言やアメリカ独立宣言のうちに取り入れられるようになったのかということを明らかにします。

    「民主主義」の輝かしい理念ではなくその現実について、歴史的な解説をおこなっているところは興味深く読みました。

  • 幾度となく引用されていた作品です。

  • ●普段、自分たちが享受している民主主義や人権について考えたこともなかった。当たり前のことすぎて疑問にすら感じていなかったが、そういったものこそ疑問を抱くことを忘れてはいけないのかもしれない。

  • 時間があれば

  • 西部邁などが昔から論じていた文脈。

  • 民主主義(デモクラシー)は本来「いかがわしい」制度である。
    民主政(デモクラティア)と僭主政は「民衆(デーモス)の力(クラトス)」を束ねるという意味で近しいものであり、プラトンいわく民主政こそが僭主政を生み出す。
    民主政登場の物語は古代ギリシアの時代から常に血と革命をともない、「不和と敵対のイデオロギー」を内包している。その「不和と敵対のイデオロギー」を現在もっとも純粋に継承しているのが「国民主権」であるうんぬん。。。
    かつて英国首相チャーチルは「民主主義は最悪の政治形態である」と言い放ったが、私たち日本国民は民主主義についてどのような印象をもっているだろうか。
    マスコミや政治家の間ではいまだに「民主主義万歳」、「国民の声を政治に反映させることが民主主義である」、「日本の政治がダメなのは民主主義が実現されていないからだ」といった言説が飛び交っている。
    果たしてそれは本当だろうか。民主主義とはすばらしいものなのだろうか。普遍的なものなのだろうか。
    もしかすると私たちは民主主義という代物について何もわかっていないのではないだろうか。何も知らないままに「いかがわしい」制度を使っているのではないだろうか。
    古来日本には「十七条の憲法」や「憲政の常道」があったはずだ。
    民主主義の危機が叫ばれる今こそ、日本の伝統を再発見し解釈しなおす本当の意味での「維新」が求められている。

  • 民主主義を考えるための師弟激論に知的刺激受ける(上)《赤松正雄の読書録ブログ》

     民主主義とは何なのか―このところこの問題意識を問う論考や書物に出会い、考えを巡らす機会が少なくない。三十八年に及んだ自民党の一党支配から十数年の連立政権を経て政権交代の三年余り、重要課題は先送りされるばかりの決められない政治が続くのは一体なぜなのか。民主主義そのものに根源的な欠陥があるのではないのか、との観点にたつ書物と格闘し、知的刺激をいっぱい受けた。

     長谷川三千子『民主主義とは何なのか』と岡崎久彦、長谷川三千子『激論 日本の民主主義に将来はあるか』の二冊である。正直言ってこの二冊を読み終え、すべてがわかったとは言い難い。だが、思索の糸口に立つことができ、考え続ける格好のよすがとはなる、と言っておこう。現代日本を代表する、しかも男女双方の立場を担う保守の論客二人による合奏は実に興味深いものがある。

     ズバリ、長谷川さんは、民主主義とは、一口でいえば「人間に理性を使わせないシステム」であり、「そのことが革命から生まれ出てきた民主主義の最大の欠陥であり問題点なのである」と喝破する。戦後民主主義との名で呼ばれてきたものの只中で、どっぷりと浸かって私は生きてきた。子どもの頃の記憶を辿ると、二言目には「多数決が民主主義」が少数意見は尊重されなければ、とのおまけ付きで、言い古されてきた。そして、天皇に代表される権威、軍部に集中された権力に支配されてきた、戦前の支配機構や歴史を全否定する流れに身を任せてきた。そのことがいわゆる“革新幻想”とあいまって戦後の思考停止とも言うべき状況を生み出す起因となってきた。

     国際政治を語らせて余人の追随を許さないかに見える岡崎久彦氏がここまでへりくだるか、との複雑な思いを抱くくだりが「激論」には散見され印象深い。「その該博な知識は、従来漠然と民主主義について腑に落ちないところのあった私としては、まさに、真理に目を開かされた思いがあった。読者の方々も、民主主義というものがいかに理論的にあやふやなものであるかについて、長谷川さんの哲学的分析から深い啓示を受けることができよう」との指摘から始まり、「民主主義というものは、そのままで、自動的に善政をもたらすものではないという、今まで漠然とそう思っていたことが真実であることを確信するに至った」との吐露に至るまで、全編これ民主主義をめぐる師弟対談の趣きすら漂う。
    (つづく)

    デモクラシーよりも自分の国柄にあった政体を(下)《赤松正雄の読書録ブログ》

     民主主義といえば、かのチャーチルの「民主政治は最悪の政治である。ただし、今までに存在したいかなる政治制度よりもましである」との箴言を思い出す。これについて今まで長きにわたって結局は民主主義しかない、民主主義はいいものだとの表面的理解に終わっていた私の浅薄な捉え方を長谷川さんと岡崎さんは打ち砕き、そして新たなものを打ち立ててくれる。

     「彼のこの言葉は、いわゆるデモクラシー礼賛の言葉というより、むしろコモンロー礼賛であって、自分の国柄に合った政体でなければだめだよ、というメッセージとして聞くべきものなのでしょう」と述べ、それを受けて岡崎さんが日本における大正デモクラシーを賞賛する。この辺りのやり取りを追って、改めて歴史を学び、自分の頭脳で考えることの重要性を実感する。随所で知的刺激が堪らない。

     戦後民主主義のダメさ加減を実感して民主主義全般の否定に立ち至るのではない。日本の歴史を振り返って、日本独自の民主主義の政体、在り様に思いをいたすことの大事さをこの二冊からそれなりに理解した。岡崎さんは「日本の民主主義は、明治の自由民権運動以来営々として築いた日本社会の近代化の頂点でありながら、占領史観によって無視されてしまった、大正デモクラシーへの復帰とその改善であるべきだと考えるに至った」と強調。具体的な実現する手段としては「憲法の改正、教育、言論によるほかはない」と結論づける。

     尖閣諸島をめぐる中国政府の理不尽きわまりない主張や、暴動的デモによって、日本には今、主権者意識の高まりがみられる。しかし、その高揚たるやみせかけのものとの指摘が見逃せない。

     京大教授の佐伯啓思氏は「『国民主権』や『民主主義』、『憲法』という言葉だけを輸入してきて、どうして西欧思想のなかでこれらの観念が生み出されてきたのか、そのことを理解していない」(「反・幸福論」22 領土を守るということ=「新潮45」10月号)と厳しく論及している。このあたりは長谷川、岡崎両氏と共通の問題意識がみられよう。こうした識者の論調が社会に定着するまで、まだ前途は大いに険しいものがあるというほかない。(この項終わり)

  • 確かに民主主義といえば何か良いものというイメージがあり、それでいて具体的にどんなもので何故良いのかというのは問われると答えにつまる問題だな。そういうことを考えさせられる本です。

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著者プロフィール

1946年生まれ。哲学者。著書に『バベルの謎|ヤハウィストの冒険』(中公文庫)、『民主主義とは何なのか』(文芸新書)など。

「2007年 『自由は人間を幸福にするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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