寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

  • 文藝春秋 (2002年6月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784166602513

みんなの感想まとめ

難解な構造主義をユーモアを交えて解説する本であり、入門書としての役割を果たしています。著者はフーコーやラカンといった哲学者を取り上げ、彼らの考え方を分かりやすく紹介しようと試みていますが、時にはその内...

感想・レビュー・書評

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  • 構造主義というものは実際非常に難解なのですが、めっっっちゃ噛み砕いて冗談まじりに言うとこういうことなんだよっていう解説本でした。

    ですが、その例え話すら???ってなるくらいだったので、フーコーやラカンといった哲学者の書籍は読めたもんじゃないだろうなと思いました。

    とはいえ200ページ無いくらいだったので、入門書にはいいのかも...?

  • 極力分かりやすく説明しようとされていますが「寝ながら」は学べないですね(笑)
    そんな簡単ではない。なんとなく分かった気になるには便利な本だと思います。

    ちなみに構造主義者としてフーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンが登場してきますが、フーコーとラカンは構造主義なのか?
    フーコーは違うと思う。ポスト構造主義じゃないの?ラカンは前期だと構造主義的なところがあるけど後期は否定しているんじゃなかったっけ?

    ちょっとこの本ではフーコーの部分が特に分かりにくかったし私自身ほとんど理解出来ていないので別の本で改めて勉強しようと思います。

  • 特に「構造主義」なんてものには全く興味がないのですが、
    ちょっとしたきっかけでこの本を読む機会を頂いたので、
    ナナメ読み。

    タイトル通り「寝ながら」読んでみました。
    が、そのまま「寝てしまう」くらいの難易度。
    決して、歯が立たないってことはないですし、
    著者が素人でもちゃんと理解できるように
    工夫/努力をしている痕跡は感じましたが、
    それでも自分にはちょっと難しかったです。

    とは言え、自分なりの発見もありまして、
    この手の本は深井龍之介さんが「歴史思考」で語ってる
    新しい視点の獲得(自分の常識を疑う心)のことなのかな、
    ということです。

    ※世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考
    https://booklog.jp/users/noguri/archives/1/4478112274#comment

    そういう意味では、哲学も歴史も似通っているのかな。
    面白くはなかったですが、気づきはあった本です。

  • 「関心の深さや細かさの違いが言葉を決める(=知的能力の差ではない)」
    これは、現代日本でまかり通ってる風潮がいかに空虚なものか教えてくれる。
    知ってる人、エリート、論破できる人こそ賢い。的な風潮がいかに空虚なものか。
    たしかに、私と違う人は違うことに関心と知識を抱いており、それが知的か否かとは関係なく、それぞれの世界に必要な、ことを知っているし関心を持っている。

    「実存主義は死んだ」
    実存主義はその単線的な見方及び、存在するものの本質があるという姿勢が、故に我こそは正しく、我こそは進歩の頂点にいる。と考える。
    それは傲慢であり世界、とくに歴史を説明できない。と実存主義の死を宣告したのがレビィストロース。

    「功績は後世が証明する」
    とよく言うものの、その後世なる時の価値感なりの尺度である。
    そして、絶対的ではないが故に真の正しさや正義なんてない。ってことを言ってる。

    だから、他者との関係とそのインストールされている前提の差の中で、常に謙虚であらなければならない。

    と理解したけど、構造主義ムズいぞ。。。。

  • 構造主義というものをネット検索しても
    「私たちの思考や行動は、所属している社会や文化によって決められている」という文言に肌感覚的にピンとくるものがなく、初心者でもわかりやすい書籍は無いかなと探してたら、これを見つけたので購読。

    読み進めていくうちになんとなーく構造主義というものが見えてくるし、
    現代思想に疎い私でもわかりやすく書かれていると思う。

    私の理解では、人間が生きているうちに獲得した概念や言語、習慣により身に着けた文化や想いにはカテゴライズされた名前(記号)が付けられていて、人間はその「構造」に左右されて考えさせられているため、その「構造」から外れて物事を考えることができないということかなと。

    そのため人は外的要因により自己を形成していくし、外的反応により自己を認識できるのかと思う。
    新しい価値や教養を獲得すれば世界が広がり、ある特定の「構造」に囚われれば心理的盲目になる。
    生活習慣を改めれば体調がよくなり、心も洗われるなんてことがよく言われるが、それも「構造」の力かも?と思ってみたり。
    部屋がきれいな人は落ち着いている人が多いとか(笑)

  • 各章ごとに具体例が書いてあって
    素人の私でも感覚的に掴める感じ。

    三宅香帆さんが評論の時の参考書籍として
    紹介していた本。

    個人的に気になったのは
    エディプスコンプレックスと言われる
    父性との葛藤ってやつは、
    人が社会に出てからもあるのかもと思った。
    仕事はできるようになっても、
    人の育成とか人間関係の悩みとかで
    鼻をくじかれてこんな感じになる。

    引用するとラカンについて述べた文章で
    「おのれの無力と無能を「父」による威嚇的介入の結果として説明することです」

  • 構造主義とは何か?ということを考えるにあたり、我々の中に常識としてインストールされているが故にもはや何かわからないんだなと。ある物事について、多様な視点から物事を考えるというのは、そもそも常識ではなかったんだなと。

    構造主義の代表的な思想家として、フーコーが紹介されており、個人的に印象深かったのでメモする。

    > 狂人は「別世界」からの「客人」であるときには共同体に歓待され、「この世界の市民」に数え入れられると同時に、共同体から排除されたのです。つまり、狂人の排除はそれが「なんだかよく分からないもの」であるからなされたのではなく、「なんであるかが分かった」からなされたのです。

    なるほど。今でも精神病を抱えている人は、きちんと病名をつけられて常人とは違うものであると判断できるが故に、排除の対象になるのかと。

    あくまでフーコーの視点であるものの、狂気は分かってしまうとそれは狂気ではなく、排除すべき対象に成り下がってしまうというのは鋭いなと思った。

  • 寝ながら…は学べなかったが、挫折しがちだった構造主義思想についての本を最後まで読むことはできたくらいには読みやすかった。

    構造主義者たちの思想の前段階の思想も丁寧に説明されており、また例えも分かりやすく挿入されていた。

    自分のことばで語っていると思っていても、それはほぼ外部要因に影響されたものであって、「他人のことば」と大差ない。私たちが考えることや行動は、私たちが身を置いた世界の決まりごとの範囲で行なわれる…
    といったことが構造主義なのかと思ったけれど、やっぱり全体像や深い理解は曖昧なままなので、本書を再読したり、他の構造主義の本を読むなりして、理解を深めたいところ。

  •  内田樹による構造主義の入門書。構造主義に繋がるまでの背景から、構造主義の父と呼ばれるソシュール、そして「四銃士」フーコー・バルト・レヴィ=ストロース・ラカンまで。
     先ずはあとがきから引く。
    “そういう年回りになってから読み返してみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。
    レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
    「なんだ、『そういうこと』が言いたかったのか。」(p.200)”
    ここまで単純化(俗化?)されると構造主義も形無しだが、専門家でもない僕にとってはこう言い切って貰えるととても分かりやすい。
     結局構造主義というのは、「立場によって見方は変わる」という、極々常識的なことを主張しているに過ぎない。しかし、まさにこの構造主義の考え方から、この常識というものも単に現代の私たちにとっての「常識」でしかないことが従うわけだ(このことすらも(メタ的な!)常識かもしれない)。実際、このようなものの見方は40年ほど前には見られなかったらしい(p.22)。構造主義的発想が自明なものとなってしまった現代は、筆者の述べるように「ポスト構造主義期」にある(p.17)。そして、哲学が、自明なものにクエスチョンマークを付ける営みである以上、当たり前になっても、いや当たり前になったからこそ、構造主義は依然として重要なのだ。

     フーコーは、「監獄」や「狂気」、「学術」といった現在当たり前に思われている存在の起源=バルトの言うところの「零度」にまで遡って考えるという系譜学的思考から、制度が人間を作ってきたことを見出した。
     バルトは、人々はあるエクリチュール(社会集団や立場にローカルな言葉遣い)を選択し語ることでそのエクリチュールによって規定される型にはめ込まれてしまうと言い、語り手の主観の介入を完全に欠いた「エクリチュールの零度」(日本語!?)を追い求めた。
     レヴィ=ストロースは、文化人類学の視点から文明社会を相対化すると同時に、人間社会に普遍的な贈与と返礼のダイナミズムを発見した。
     ラカンは、精神分析の対話における「私」の現れ方と、私が「私」であることに根源的な二つの詐術について語った。

     解説の合間に挟まれる例え話が分かりやすく、それだけ読んでも面白い。原著を読むにしても、まず本書を読んでから挑戦すると、かなり見通しよくなるのではないだろうか。筆者には似たコンセプトの『現代思想のパフォーマンス』があるが、それよりも本書の方が好み。

  • 実にありがたい。こんな入門書を待っていた。市民講座の講義ノートをもとに執筆された本書は、「哲学について予備知識のない一般人」を対象としているので、素人でも安心して読み進めることができる。構成は、以下のようになっている。

    1.構造主義の生まれる土壌を形成した人々:マルクス、フロイト、ニーチェ
    2.構造主義の始祖:言語学者ソシュール
    3.構造主義の「四銃士」1:歴史学者フーコー
    4.構造主義の「四銃士」2:記号学者バルト
    5.構造主義の「四銃士」3:人類学者レヴィ=ストロース
    6.構造主義の「四銃士」4:精神分析医ラカン

    もちろん、こんな薄い新書一冊で、彼らの思想のすべてを網羅することはできない。だから各論についてはざっと紹介されている程度で、ちょっと哲学を学んだ人なら、「なあんだ、その程度のこと」というレベルの話なのかもしれない。それでも私にとっては新鮮な話題ばかりだったし、何より、私たちが普通に使う日常会話の文体で解説してくれているので読みやすく、ビギナーとしては大変ありがたかった。それに、構造主義を学びたければ上に挙げた人々の主著にあたれば良いのだという指針を与えてもらっただけでも、この本を読んだ価値はあった。

    しかし、実をいうと本書でもっとも面白かったのは「まえがき」だった。韜晦と諧謔に満ちた文章、逆説的なロジック。しかし、この人を喰ったような文章こそ、実は構造主義的思想の実践なのかもしれないと、何度か読み返した後にようやく気がついた。

    <知的探求は(それが本質的なものであろうとするならば)、つねに「私は何を知っているか」ではなく、「私は何を知らないか」を起点に開始されます。>(p12)

    要するに、「自分の知識を、常識を、文化を、絶対視しないこと。『自分だけが真理を語っている』と、無邪気に信じるのをやめること」ということらしい。ごく当たり前のことのように思えるが、このような考え方は、構造主義によって初めて本格的に思想史に導入された重要な知見のひとつらしい。本書を読んで、とりあえずその一点だけは理解できた。今後は、理解できた部分を足がかりにして、少しずつ他の書物を読んでいこうと思う。思想史の世界へ分け入るための足がかりを提供してくれた著者に感謝!

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「てな感じで、収拾つかなくなりつつあります」
      素晴しいです。
      興味の赴くまま、どんどん読んで。面白い本があればご紹介願います!
      「読むの超お...
      「てな感じで、収拾つかなくなりつつあります」
      素晴しいです。
      興味の赴くまま、どんどん読んで。面白い本があればご紹介願います!
      「読むの超おそいのに」私もそれが悩みの種。速読って身に付くでしょうか?
      2012/04/07
    • みどりさん
      どうなんでしょうね、速読。身につけたら便利そうですが、それを身につける時間があるなら別の本を読みたい、というジレンマがありますねえ。
      どうなんでしょうね、速読。身につけたら便利そうですが、それを身につける時間があるなら別の本を読みたい、というジレンマがありますねえ。
      2012/04/08
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「それを身につける時間があるなら」
      速読自体の信憑性から時間を割くつもりはありませんが、仕事では似たようなジレンマに陥るコトがしばしば。。。...
      「それを身につける時間があるなら」
      速読自体の信憑性から時間を割くつもりはありませんが、仕事では似たようなジレンマに陥るコトがしばしば。。。この中途半端なExcelは破棄して一から組んだ方が今後の為には、と思うのですが、結局直さずに使ってしまう。

      「射影幾何学と遠近法」
      遠近法は、絵を描く時に学びましたが、射影幾何学は未知の学問です。どんな内容でしょうか?
      まぁ紅茶さんがレビューを書かれるまで待ってます。。。
      2012/04/09
  • 「構造主義」とは何か、全く知らない状態で読み始めました。
    旧Twitterのたらればさん(@tarareba722)がおすすめしていたので、手に取ってみただけでした。

    それなのに、何とも引き込まれてするする読んでしまいました。
    面白かったです。

    構造主義とは、
    属した時代、地域、社会集団によって視点を固定されており、我々が信じているほど自律的主体として判断、行動できているわけではないよ?
    という考え方なのだそうです。

    当然でしょ、と思うと同時に、少し悲しい気持ちにもなります。
    特別な何者かでありたい、そんな私が周囲に流されているなんて信じ難いと。

    でも、おそらくそこまで卑下する必要もないのでしょう。
    みんなそんなもんです。
    そして、それを踏まえた上で、自分がかけている色眼鏡はどんなものかな、と顧みることができれば上出来なんだと思います。

    そんなことをつらつら考えながら読ませていただきました。

  • 内田樹さんの本では、以前に『女は何を欲望するか』と『他者と死者ーラカンによるレヴィナス』にたいへんお世話になった。以上の2冊に負けず劣らず、本書も読みすすめるごとに頭がスッキリする感覚がある。「もーわからん!頑張ってもわからん!」となったときに読むと、効果てきめん。暗号のような思想が理解できたような気がする。内田さんは魔術師かなにかか。 思想うんぬんの前に、彼くらい頭のなかを整理整頓したいものだと思う。掃除上手なところをとても尊敬している。

    さて肝心の内容についてだが、『寝ながら学べる構造主義』という表題で、構造主義をそれなりに知っている人やそもそも興味のない人は手にとらず仕舞いになっているかもしれない。後者は仕方ないご自由にとして、前者はちょっともったいないことをしているかも。
    わたしは前者で、何冊か現代思想の入門書を読んでおり、あらたまって学ぶほどのことでもないだろうと、ちょっとばかし面倒くさがっていた。お盆休みの日長に積読を減らそうと読みはじめて、本書をさっさと手にとらなかったことにひどく後悔した。無駄とは言わないが、何冊も読まずともこの一冊でよかったのではないかと思うほど、本書は優等生だったからである。
    構造主義とはうたっているが、通読すれば現代思想の要までおさえることができてしまう。マルクス、フロイト、ニーチェ、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカン、スター選手が勢ぞろいだ。現代問題も引き合いに思想の検討が行われ、深さもともなっている。「しまった、時間と金を無駄にした」というがわたしの本音だ。苦労あっての学習なので、まあよしとしようとは思うが。

    内田さんの解説が冴えているのは、たとえが巧みだからだと思う。正直どれもよかったのだが、わたしが思わず「なるほど〜」と唸ったのは、バルトの「記号」について。わかるようでわからない「記号」とはなにか、たとえはこんな感じ。
    将棋を指していて歩が一個なくなったとする。しょうがないから相手に「じゃ、これ歩ね」と言って手元にあった蜜柑の皮の切れはしを盤におく。蜜柑の皮と歩にはなんの関わり合いもないけれど、対局者との了解があるなら、蜜柑の皮が「記号」となって歩の機能を果たす。すなわち「記号」とは、「ある社会集団が取り決めた『しるしと意味の組み合わせ』のこと」であり、「『しるし』と『意味』のあいだには、(中略)純然たる『意味するもの』と『意味されるもの』の機能的関係だけ」がある。「ほほう、そういうものか」と納得。

    内田さんの著作は、導入部分も冴えわたっている。本書の場合、「知らない」の意味を問うことからはじまる。わたしは、「知らない」とはそもそもどういうことなのかなどと考えもしなかった凡人なのだが、内田さんは「知らない」のではなくて「知りたくない」から「知らない」になるのだと言う。換言すると、「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」、ついうっかり知るのを忘れてたなんてことはない、必死に目を逸らしている結果が無知になる。これは痛いところを突かれた。

    内田さんの指摘はいつもズバリ。そして発想が逆。ここまでサッパリ言われると、なんだかやる気が湧いてくる。目を逸らしていることはないか、ついつい甘め判定が出る自身にこの問いを課すことが内田さん的掃除上手になる一歩となるのやもしれない。

  • この本は最高の眠り薬!すごく良く眠れます。寝ながら学べるはずなのに、枕元で本を開くと二〜三行で抗えない瞼の重さがやってきます。気が張って寝付けない時におすすめです。
    私は、この本のあとがきが全ての本のあとがきの中で一番大好きです。すんごい小難しそうな西洋哲学観を「なーんだこんなことだったのか」と身近にしてくれました笑。

  • この手の解説本では、思想家の記述を逐一分析して結局なんなのかわからない、なんてややこしいものを結構みかけるのですが、この本は思想家の芯となる考え方を把握したうえで、コンパクトに記述を整理し親しみを加えて書かれているので、とても読みやすかったです。

    本書一冊で構造主義の概要・歴史、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンと、もりだくさんの内容をとりあげており、これらの考え方をより知る際に、ここで書かれたことを押さえておけば、変な方向に勘違いすることはなさそうです。

    自分はレヴィ=ストロース、バルトに興味は持ったものの、それ以前にこの人たち、どういう状況の中で、何について考えてたの? というほど現代思想に無知だったのですが、頭の中が整理でき、もっと知りたいと思えるようになりました。
    良い本でした。

  • "いい入門書は私たちが何を知らないかを問う。"

    "答えることのできない問い、一般解のない問いを示し、それを読者一人ひとりが自分ごととして引き受けて、ゆっくりと噛み締めることができるように差し出すことが入門書の最良の知的サービスである。"

    この導入から一気に引き込まれました。

  • 名著としてこの本は名高い。以前から気になっていたところ、読んでみて深い知見に感動した。この本の引用(下記参照)の多さから、新しいことをかなり多く学んだし、既知の知識も整理された。しかもその内容も著者の力が無ければ、わからないままでいたであろうことについて、わかりやすく読み進められた。次に下記の引用箇所をまとめたのと「→」の後に私見を述べた。

    「知性で一番大切なことは問い。」

    →問いの質に答えは強く影響を受けるという点で、このことはとても大切だ。

    構造主義をひとことで説明すると、人は見るとき、感じるとき、考えるとき、社会集団の影響を強く受けて、見させられ、感じさせられ、考えさせられている。「マルクスは階級によってものの見方が異なる、と言った。」

    →人は自分で能動的に行動しているつもりでも、必ず社会によって動かされているということになる。このことを知っていて注意深く意識していなければ、社会によって動かされているということには気付けない。

    フロイトは、「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」ということ、つまり、人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が「どういうふうに」思考しているかを知らないで思考しているということを看破しました。これはフロイトの分析した「抑圧」のメカニズムです。マルクスは人間主体は、自分が何ものであるのかを、事後的に知ることしかできないという知見を語りました。フロイトは、人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないという知見を語りました。ニーチェは、私たちは自分が何ものであるかを知らない、と言い切る

    →人間は自分で考えていること、自分が何ものであるのか、を事後的にしかわからないというのは、最初の方に書いてあることを含めて考えると、人間は社会に無意識に動かされながら思考や行動していて、結局社会の要請に従って人は動かされていることになり、人間の自由意志とは何なのかということになる。

    すごく平たく言えば、ニーチェのそれ以後の全著作は「いかにして現代人はこんなにバカになったのか?」と総題を持つことになる。畜群の行動準則はただ一つ、「他の人と同じようにふるまう」ことです。 誰かが特殊であること、卓越していることを畜群は嫌います。この畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。(だって)、畜群は(その定義からして)主体的判断ができないものだからです。他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準です。「超人」とは「人間を超える何もの」かであるというよりは、畜群的存在者=「奴隷」であることを苦痛に感じ、恥じ入る感受性、その状態から抜け出そうとする意志のことのように思われます。

    →畜群にはなりたくない。大多数の畜群は畜群のことについてどう思っているのか。他人と同じことをしていればよいので、畜群は主体的判断ができないのです。
      
    「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。「・・・言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」

    →持論は他人の持論。言語がないとはっきりと分別がつかない。

    (人間が他者と共生するルールは、)「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルール

    →方丈記の冒頭が思い浮かんだのととギブアンドテイクの精神。

    つまり、私たちは全員が、自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。

    →そういう傾向があるような気がしていたので、的を射ている。

    下記引用、数字はページ数

    11 知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。

    14 構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」という問いに答えようとしていることに変わりはありません。ただその問いへの踏み込み方が、常人より強く、深い、というだけのことです。

    19 「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法そのものが、構造主義がもたらした、もっとも重要な「切り口」だからなのです。

    25 構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たち、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

    26 意外に思われるかも知れませんが、構造主義の源流の一つは紛れなくマルクスなのです。

    27 マルクスは社会集団が歴史的に変動してゆくときの重大なファクターとして、「階級」に着目しました。マルクスが指摘したのは、人間は「どの階級に属するか」によって、「ものの見え方」が変わってくる、ということです。この帰属階級によって違ってくる「ものの見え方」は「階級意識」と呼ばれます。

    27 人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものであるか」ではなく、「何ごとをなすか」によって決定される、マルクスはそう考えました。

    28 たいせつなのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命がけの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものなること」であるーヘーゲルの人間学

    28 (国家は)人間が動物的な意味で生きてゆくためにはもとより不要のものです。人間がそのような「もの」を作り出すのは、「作られたもの」が人間に向かって、自分が「何ものであるか」を教えてくれるからです。

    29 ヘーゲルによれば、「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけ」です。

    32 主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義に共有されている考え方です。

    32 中枢に固定的・静止的な主体がおり、それが判断したり決定したり表現したりする、という「天動説」的な人間観から、中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体は規定されるという「地動説」的な人間観への移行、それが二〇世紀の思想の根本的な趨勢である、と言ってよいだろうと思います。

    33 フロイトの貢献はマルクスと深いところで通じています。それは「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」ということです。

    34 フロイトは人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が「どういうふうに」思考しているかを知らないで思考しているということを看破しました。自分がどういうふうに思考しているか思考の主体は知らない、という事実をもっとも鮮やかに示すのがフロイトの分析した「抑圧」のメカニズムです。

    40 マルクスは人間主体は、自分が何ものであるのかを、生産=労働関係のネットワークの中での「ふるまい」を通じて、事後的に知ることしかできないという知見を語りました。フロイトは、人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないという知見を語りました。

    41 ニーチェは、私たちは自分が何ものであるかを知らない、と言い切ります。

    46 すごく平たく言えば、ニーチェのそれ以後の全著作は「いかにして現代人はこんなにバカになったのか?」と総題を持つことになるのです。

    50 利己主義を徹底的に追求したら、いつしか「利他主義」に至ってしまった、というのが功利主義の道徳観です。

    51 畜群の行動準則はただ一つ、「他の人と同じようにふるまう」ことです。誰かが特殊であること、卓越していることを畜群は嫌います。この畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。

    52 (だって)、畜群は(その定義からして)主体的判断ができないものだからです。

    53 他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準です。

    54 「貴族」は、自分の外側にいかなる参照項も持たない自立者です。「貴族」とは何よりも無垢に、直接的に、自然発生的に、彼自身の「内部」からこみ上げてくる衝動に完全に身を任せるもののことなのです。

    55 「超人」とは「人間を超える何もの」かであるというよりは、畜群的存在者=「奴隷」であることを苦痛に感じ、恥じ入る感受性、その状態から抜け出そうとする意志のことのように思われます。

    60 「ことばとは、『ものの名前』ではない」

    62 「名づけられる前からすでにものはあった」という前提

    67 「・・・言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」

    72 私たちはごく自然に自分は「自分の心の中にある思い」をことばに託して「表現する」というふうな言い方をします。しかしそれはソシュールによれば、たいへん不正解な言い方なのです。「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。

    73 まさに「ことばを語っているときに、私の中で語っているものは私ではない」という言語運用の本質を直観したものです。私がことばで語っているときにことばを語っているのは、厳密に言えば、「私」そのものではありません。それは、私が習得した言語規則であり、私が身につけ
    た語彙であり、私が聞きなれた言い回しであり、私がさきほど読んだ本の一部です。「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。

    125 126 テクストも読者もあらかじめ自立した項として、独立に自存するわけではありません。例えば、非常にインパクトの強い本の場合、最後まで読み終えたあと、そのまま間をおかずにもう一度はじめから読み直すことがあります。そして、その二度目に、私たちは一度目には気づかずに読み飛ばしていた「意味」を発見することがあります。なぜ、最初は見落としたこの「意味」を私は発見できるようになったのでしょう。それは、その本を一度最後まで読んだせいで、私のものの見方に微妙な変化が生じたからです。つまり、その本から新しい「意味」を読み出すことのできる「読める主体」へと私を形成したのは、テクストを読む経験そのものだったのです。

    129 こうなると、批評家の仕事は、読解を通じて、作者を書くことへと動機づけた「初期条件」、作者の「秘密」に手が届かなければ、批評家の「負け」というわけです。現在でも、私たちが眼にする文芸批評の過半は、「作者に書くことを動機づけた初期条件の特定」というこの近代批評の基本パターンをしっかり踏襲しています。バルトは近代批評のこの原則を退けました。テクストが生成するプロセスにはそもそも「起源=初期条件」というものが存在しないとバルトは言い始めたのです。

    147 つまり、私たちは全員が、自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。

    148 新石器時代とほとんど変わらない生活をしている部族がまだ地上には多く残っています。彼らの社会には「歴史的状況」などというものはありませんし、「参加」も「決断」もありません。数千年前から繰り返してきたことをこの先も永遠に反復するだけです。しかし、だからといって、彼らには人間としての尊厳や理性が欠如しているといえるでしょうか。レヴィ=ストロースは「文明人」にそのような傲慢を許しません。彼らもまた自分たちの生の営みのうちに「人間の生の持ちうる意味と尊厳のすべて」が込められていると確信して、そのような生活を営んでいるのです。

    159 ・親族構造は端的に「近親相姦を禁止するため」に存在するのです。
       ・近親相姦が禁止されるのは、「女のコミュニケーション」を推進するためである。

    160 親族が存在するのは親族が存在し続けるためなのです。

    165 (人間が他者と共生するルールは、)「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルールです。

    166 「隣人愛」や「自己犠牲」といった行動が人間性の「余剰」ではなくて、人間性の「起源」

    195 ラカンの考え方によれば、人間はその人生で二度大きな「詐術」を経験することによって「正常な大人」になります。一度目は鏡像段階において、「私でないもの」を「私」だと思い込むことによって「私」を基礎づけること。二度目はエディプスにおいて、おのれの無力と無能を「父」による威嚇的介入の結果として「説明」することです。

    200 レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

  • 新書というものは誰にでも分かるように書かないと売れない種類の本である。こみ入った話は避け、できるだけ平易な言葉で語ろうとする。だから、読みやすいのは当然で、あっという間に読み終えることができる。それだけに読み応えの方はあまり期待できないといったものが多い。ただ、話題が「構造主義」である。どれだけ平易な言葉で語ることができるのだろうか、という興味で読み始めた。結論から言えば、極めて分かりやすい構造主義の解説書でありながら、読み物としての面白さも併せ持った格好の入門書足り得ている。

    ただ、現代は「ポスト構造主義の時代」と呼ばれて久しい。なぜ、今頃「構造主義」なのか。それについて内田は、「ポスト構造主義の時代」とは、決して構造主義的な思考方法が廃れてしまった時代ではなく、むしろ構造主義の思考方法が「自明なもの」になり、誰もがその方法を使って考えたり話したりしている時代であるとした上で、そういう「自明なもの」だからこそ研究する意味がある。なぜなら、学術という仕事は「常識として受容されている思考方法や感受性のあり方が、実はある特殊な歴史的起源を有しており、特殊な歴史的状況の中で育まれたものだということを明らかにすることだから」だと言う。

    ここを読んで「あれ、どこかできいたような気がするぞ」と気づいた人がいるかもしれない。そう。実は、こういった切り口で、それまで自明と考えられていた物事について、その起源を探り、それらが、自明でなかった時代が巧妙に隠蔽されていたことを暴いていったのがフーコーら構造主義者と呼ばれる人たちだったのである。つまり、内田は構造主義についての解説書を書くのに構造主義的な思考方法を用いることで、その意義を語っているのである。

    構造主義とは何か。少し長くなるが内田の言葉を引用する。「私たちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。」

    見事な要約と言えよう。ふだん自分が考えたり、文に書いたりしていたことをこうまで的確に説明されると、何だ自分は構造主義者だったのか、と妙に納得させられてしまう。そうなのだ、意識するにせよ、しないにせよ、私たちはすでに構造主義のただなかにいるのである。なあんだ、そうだったのかと思った人はここで本を閉じてもいい。構造主義についてはこれ以上の解説はない。後は、構造主義的な思考方法を準備した先駆者達、つまり、マルクス、フロイト、ニーチェの果たした役割と、始祖ソシュールに始まる構造主義の「四銃士」達、つまり、フーコー、バルト、クロード・レヴィ=ストロース、そしてラカンの思想の解説にあてられている。

    ただ、その解説のために準備された譬えがなかなか秀逸である。映画や能、狂言、童話まで駆使して解きほぐされる構造主義の「四銃士」たちの話はそこだけを読んでもおもしろい。慎重に選び抜かれた引用から、それぞれの著作にあたってみるというのもいいだろう。ラカンだけは、たしかに少し難解だが、それ以外の著者の文章は翻訳でも充分に理解できるはずである。個人的にはフーコーの『監獄の誕生』や『狂気の歴史』を読んだ後の「自明なもの」がぐらぐらと音立てて崩壊してゆくときの感覚が忘れられない。それは今に至ってもずっと続いていて、ものを考えるときの礎石になっている。

  • 初めて買った内田先生の本。裏を見ると平成14年の7版と書いてあるから読んだのはもう十年前近く前なのか… なんとなく読みたくなって再読した。

    構造主義についてわかりやすく説明してくれる本である。マルクス、フロイト、ニーチェといった前の時代の前提となる知識をおさらいしながら、ソシュールを経て構造主義四銃士(フーコー、ロラン・バルト、レヴィ=ストロース、ラカン)へと論を進める。

    いろいろと内田先生の本を読んできた後なので、この頃から基本的な考え方がぶれていないことを確認した。『昭和のエートス』も最近読んだところで、その中で面白いカミュ論がありカミュを読みたくなってきているが、『寝ながら~』の中のカミュ=サルトル論争から、レヴィ=ストロースのサルトル批判へ至る所までの流れを読んで、サルトルもなんとなく読んでみたくなっている。「レヴィ=ストロースの文章は端正で明晰でそのままフランス語の教科書に使いたい」という文を読んで、大学の頃フランス語の授業で『悲しき熱帯』の一節を読んだのを思い出した。フランス語はほとんど忘れたが、「悲しき熱帯」の原題が "Tristes Tropiques" であることはなぜか覚えている。

    バルトが日本の文化について論じているところとか何となく忘れていた。これも気になる。ニーチェも良さそうなんだよなあ… とか言っていると際限がなくて困ってしまう。ああ時間が欲しい…

    内田先生の「初心者向けに書かれた本には良書が多い」という感覚には共感。

    • 花鳥風月さん
      どれくらい内田先生の本を読んだろうと数えてみたらいつのまにか20冊近くになっていました。ある程度数を読むと「ああ、これに近いことは別の本でも...
      どれくらい内田先生の本を読んだろうと数えてみたらいつのまにか20冊近くになっていました。ある程度数を読むと「ああ、これに近いことは別の本でも言ってたなあ」という感じになってきますね。でも内田先生の本の場合はその反復も心地いいです。nyancomaruさんもおっしゃってましたが内田先生の本は全部読みたいですね。

      講演会ですか! いいですね~
      よろしければ後日感想などお聞かせください。
      2012/09/12
    • yuu1960さん
      「悲しき南回帰線」が酷く読みづらかったのですが、翻訳の所為なのでしょうか。
      本書も読みましたが、内容は忘れてました。僕も読みなおそうと思いま...
      「悲しき南回帰線」が酷く読みづらかったのですが、翻訳の所為なのでしょうか。
      本書も読みましたが、内容は忘れてました。僕も読みなおそうと思います。
      2012/09/12
    • 花鳥風月さん
      yuu1960さん こんばんは
      コメントありがとうございます。

      学術文庫版の『悲しき南回帰線』私も持っています。実は学生の頃読んで途中で挫...
      yuu1960さん こんばんは
      コメントありがとうございます。

      学術文庫版の『悲しき南回帰線』私も持っています。実は学生の頃読んで途中で挫折したままになってます。中公クラシック版でそのうち再チャレンジしてみたいとずっと計画中… 内田先生の説明が難しい思想家の本を読む助けになってくれそうです。
      2012/09/13
  • 人がいかに環境の影響を受けているかをすっきり整理できて、とてもよかったです。
    自分自身の発言や考え方を見つめ直すよい機会になりました。

  • 構造主義前夜のマルクス、フロイト、ニーチェの要点、代表格四銃士のそれぞれの功績といった展開でポイントが掴みやすい。

    人間の内在的な主体性から、外因との関係性から自己や人間とはを問う。なんとなくではあるが、現代の思考や価値観に(個人的なのかも)通底する考え方かなって我が事として引き込んで理解しやすい。

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著者プロフィール

1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、神戸市で武道と哲学研究のための学塾凱風館を主催、合気道凱風館師範(合気道七段)。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。専門は20世紀フランス文学・哲学、武道論、教育論。 主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』、『先生はえらい』など。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『日本型コミューン主義の擁護と顕彰──権藤成卿の人と思想』、『沈む祖国を救うには』、『知性について』など。

「2025年 『新版 映画の構造分析』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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