寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

著者 :
  • 文藝春秋
3.81
  • (333)
  • (404)
  • (432)
  • (50)
  • (11)
本棚登録 : 3736
レビュー : 403
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166602513

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 「構造主義」という言葉。

    この言葉には大学入試の国語、現代文の試験問題で出会ったのが最初だった。「記号」とか「文化相対主義」とか、そんなキーワードに導かれて、行きついたところは「構造主義」。
    大学浪人をしていて、試験勉強もしなければならないのに、内田樹先生の『寝ながら学べる構造主義』を手にとった(内田先生が哲学者、エマニュエル・レヴィナスの敬称を略せないように、俺も内田先生の敬称を略すことはできない。以下、内田先生と記述することにする)。
    高校を卒業したばかりだったけれど、内容はなかなかわかりやすく(といっても当時の理解力ではまだちゃんと理解していない部分もあっただろうけど)、数回読んだ。
    この本を読んでからというもの、自分の考えや学んでいることを可能な限り相対化するように努めてきたように思う。それがどれだけ徹底出来ているかはわからないけれど。

    本書では「構造主義」の“四銃士”として、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、クロード・レヴィ=ストロース、そしてジャック・ラカンが紹介されおり、さらにその「始祖」ということでフェルディナン・ド・ソシュールについても軽く触れられている。
    これらの人物については、各人毎に何冊もの解説書などが出版されている。
    なので、新書1冊ででは扱える情報量にものすごく制限があるが、この本では「構造主義」についてのとっかかりになる彼らの考えをピックアップして、うまくまとめていると思う。
    書名の「寝ながら学べる」に偽り無しと言っていいだろう。

    それでは「構造主義」とは何なのか?
    この問いだけで本が1冊書けてしまうものだろうが、本書の第1章では次のようにまとめられている。少し長くなってしまうが引用する。


    「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものごとを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。」(25頁)


    人は自分が思っているほど自由に物を考えているのではなく、属している社会的集団や使用する言語等によって、実はその考え方がかなり規定されているという考えなのである。

    この思想が自分の脳内に入ってくるときの感覚は今でも忘れられない。
    今でもちゃんと理解しているかと問われたら答えに窮するかもしれないが、「構造主義」との出会いは間違いなく自分の価値観が変わった一つの出来事と言えると思う。
    (別に実生活においてはそれほどの影響があるわけではないけれど。)



    テクストのほうが私たちを「そのテクストを読むことができる主体」へと形成してゆくのです。


    この1文はロラン・バルトについての章のものである。

    バルトはあらゆる文化現象を「記号」として読み解いた人物である、と本書では紹介され、そのバルトの」エクリチュール「と」作者の死「という概念について解説している。
    そして引用文は「作者の死」について書かれている箇所の記述である。

    「作者の死」とは、作品の起源に何か「言いたいこと」をもった「作者」がいて、「作者」はその「言いたいこと」を伝えるために「作品」を創造するという図式を否定するものである。
    これまでは、「作品」を創ったのは「作者」であるから、「作者」は自らの「作品」については熟知しているべきだし、さらにそこには明確な「メッセージ」や「言いたいこと」があるものだと思われてきた。
    今でもそう思っている人も多いだろう。
    ある文章を批評する際、「作者」がなぜその「作品」を書くにいたったのかということを論じる批評家は数多いる。
    そのときに語られるのは、その「作者」の「起源=初期条件」である生い立ち、イデオロギー、宗教性等々。

    だが、バルトはそもそも「起源=初期条件」というものは存在しないとする「作者の死」を唱え、これまで主流であった近代批評の原則を否定する。


    テクストのほうが私たちを「そのテクストを読むことができる主体」へと形成してゆくのです。


    ここで」テクスト「という言葉に着目したい。
    内田先生は、バルトがここで「作品」ではなく、敢えて「テクスト」にしたと述べている。
    「『テクスト』(texte)とは『織り上げられたもの』(tissu)のこと」であり、この「織り物」は無数の要素が絡まり合って成り立っている。
    それらの無数の要素は、それぞれに固有で別々の振る舞いをしつつ、絡まり合って、一遍の「テクスト」が出来上がるのである。
    そのような「テクスト」を目の前にして、「作者は何を表現するためにこれを織り上げたのか」と限定的に問うことはそれほど意味のあることなのでしょうか(130頁)と疑問を投げかけている。
    内田先生は、バルトが「起源=初期条件」というものは存在しないという意味で「作品」という言葉を使わず、「テクスト」という言葉を使用したと述べる。

    最後に内田先生が引用したバルトの言葉を引用しておこう。


    「テクストの統一性はその起源にではなく、その宛先のうちにある。(略)読者の誕生は作者の死によって贖われなければならない」(バルト「作者の死」)


    上記では個人的な興味から主にバルトについて述べたが、その他フーコーの系譜学的思考、レヴィ=ストロースの贈与、ラカンの精神分析についてもわかりやすい語り口でコンパクトに述べられている。

    「入門書」としてはこれ以上ないくらい最適と言える1冊。

  • タイトルが難しそうだからって今まで躊躇してたん、アホやったなぁ。
    あぁその躊躇してた時間が勿体無かった~!
    全部を理解できたわけじゃないけど、「そういうことかぁ~、ポン!」と膝を打ちすぎて膝がへこみそうなほど。

    まだまだ理解できてない部分はいっぱいあるけど、とにかく知的興奮というんだろうか、始終心の中で「うわぁーうわぁー、そーなんかぁー」って叫んでた。

    さらにタツラーの私としては、密かに裏に載ってる著者の顔写真を見るのも楽しいです。
    この写真の内田センセイがとてもお若い!
    http://big-river.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-afc2.html

  • 日本のKindle Storeで購入。
    フーコー、バルト、ラカン、レヴィ=ストロースと一気に理解した(ような気になる。)もう一度、悲しき熱帯を読み直そうっと。

  • 橋爪の「はじめての構造主義」
    は一体なんだったんだ?!

    と驚愕するくらい素晴らしい入門書。
    これだよ、これ!(≒このレベルじゃないとわかんねーよ!)

    マルクス、フロイト、ニーチェ、サルトルから入り、
    ソシュールら「構造主義四銃士」に流れる解説で
    現代哲学の基礎はばっちりです(多分)。

    フロイトにおける「抑圧」の概念とか
    ラカンの精神分析とか、小難しいそうだけど
    なんだ、そんなことだったの!の連続。

    しかし内田の真骨頂は、
    その前書きにアリ。

    -知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです-

    知性がガシガシ動いていくこの感覚。
    梅雨の夜長にお薦めの一冊です(眠くなるから)。

  • わかった気になれました。ありがや。

  • 「まえがき」より
     よい入門書は「私たちが知らないこと」から出発して、「専門家が言いそうもないこと」を拾い集めながら進むという不思議な行程をたどります。知性探求は「私は何を知らないか」を起点に開始されます。入門書は専門書よりも「根源的な問い」に出会う確率が高い。知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。
     構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」という問いに答えようとしていることに変わりはありません。彼らがその卓越した知性を駆使して解明せんとしているのは、他ならぬ「私たち凡人」の日々の営みの本質的なあり方なのですから。

  • 前に自分で書いた書評には「すんごい面白い」と書いてあったが3年経って内容をすっかり忘れているので、もう一度読み直したいリスト入り。
    books132

  • 先週読んだ、檜垣立哉「フーコー講義」(河出ブックス)が、あまりに難易度が高く、本作品を読むことに。

    本作品は内田氏の軽妙で巧みな筆致で、前時代の思想家マルクスやニーチェを踏まえつつ、構造主義時代の代表的人物と言われるフーコー、レヴィ=ストロース、バルト、ラカンの思想が解説されている。

    そして構造主義とは何かについて、次のように述べている。

    私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。 そして自分の属する社会集団が無意識に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
     私たちは、自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

    我々に対し、無意識に「見せ」、「感じさせ」、「考えさせている」モノは何か?我々が所属する社会集団の真理とは一体何なのか?そうこう考えているうちに、「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」(ミシェル・フーコー)。実に衝撃的だが、修辞句的では済まされなくなりつつあると思う。

  • タイトルどおりに「寝ながら学べる・・」というわけではない。フーコー、バルト、レヴィ・ストロース、ラカンを構造主義の三銃士としてとりあげている。あとソシュール、サルトルなども。難解な言葉でなく入門としては面白く読めた。

  • ヘーゲル
    自分を俯瞰する能力=自己意識
    (動物にはないもの)

    マルクス
    自己同一性を確定した主体がまずあるのではなく、ネットワークのなかで作り出した意味(=労働)によって事後的に自分を知る、自己規定される
    ☆主体性の起源は主体の「存在」ではなく「行動」のうちにある
    =脱中心化、非中枢化

    フロイト
    無意識、抑圧=人間は自分自身の精神生活の主人ではない

    ニーチェ
    古典文献学で培った「今の自分」から離れる共感能力 =系譜学的思考(フーコーが継承)

    現代人の自己意識のなさを批判
    (功利主義者による道徳の系譜学…私有財産権、ホッブズ、ロック、ベンサム、ミル)
    大衆社会=非主体的な群衆、畜群、奴隷
    (30年後のオルテガ「大衆の反逆」)
    畜群道徳=社会の均質化を目的とする
    ⇔貴族、超人=畜群を必要とする
    …反ユダヤ主義 と結びついてしまう

    ソシュール
    一般言語学講義
    名前がつくことである観念が私たちの思考の中に存在するようになる
    自我中心主義に徹底的なダメージを与える

    フーコー
    人間主義(自我中心主義) 的な進歩史観を否定
    系譜学的なアプローチをめざす
    権力=ストック趨向性=標準化の圧力
    「監獄の誕生」「狂気の歴史」「知の考古学」「性の歴史」

    バルト
    記号学
    象徴(トイレの男マーク)、兆候(稲妻と雷鳴)と記号(紳士用、という文字とそこでする行為、人為的取り決め=言語共同体によって異なる)の違い
    記号=しるしと意味の組み合わせ
    あらゆる文化現象を記号として読み解いたのがバルト

全403件中 41 - 50件を表示

著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))のその他の作品

内田樹の作品

ツイートする