寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 5760
感想 : 507
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166602513

感想・レビュー・書評

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  • 特に「構造主義」なんてものには全く興味がないのですが、
    ちょっとしたきっかけでこの本を読む機会を頂いたので、
    ナナメ読み。

    タイトル通り「寝ながら」読んでみました。
    が、そのまま「寝てしまう」くらいの難易度。
    決して、歯が立たないってことはないですし、
    著者が素人でもちゃんと理解できるように
    工夫/努力をしている痕跡は感じましたが、
    それでも自分にはちょっと難しかったです。

    とは言え、自分なりの発見もありまして、
    この手の本は深井龍之介さんが「歴史思考」で語ってる
    新しい視点の獲得(自分の常識を疑う心)のことなのかな、
    ということです。

    ※世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考
    https://booklog.jp/users/noguri/archives/1/4478112274#comment

    そういう意味では、哲学も歴史も似通っているのかな。
    面白くはなかったですが、気づきはあった本です。

  •  内田樹による構造主義の入門書。構造主義に繋がるまでの背景から、構造主義の父と呼ばれるソシュール、そして「四銃士」フーコー・バルト・レヴィ=ストロース・ラカンまで。
     先ずはあとがきから引く。
    “そういう年回りになってから読み返してみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。
    レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
    「なんだ、『そういうこと』が言いたかったのか。」(p.200)”
    ここまで単純化(俗化?)されると構造主義も形無しだが、専門家でもない僕にとってはこう言い切って貰えるととても分かりやすい。
     結局構造主義というのは、「立場によって見方は変わる」という、極々常識的なことを主張しているに過ぎない。しかし、まさにこの構造主義の考え方から、この常識というものも単に現代の私たちにとっての「常識」でしかないことが従うわけだ(このことすらも(メタ的な!)常識かもしれない)。実際、このようなものの見方は40年ほど前には見られなかったらしい(p.22)。構造主義的発想が自明なものとなってしまった現代は、筆者の述べるように「ポスト構造主義期」にある(p.17)。そして、哲学が、自明なものにクエスチョンマークを付ける営みである以上、当たり前になっても、いや当たり前になったからこそ、構造主義は依然として重要なのだ。

     フーコーは、「監獄」や「狂気」、「学術」といった現在当たり前に思われている存在の起源=バルトの言うところの「零度」にまで遡って考えるという系譜学的思考から、制度が人間を作ってきたことを見出した。
     バルトは、人々はあるエクリチュール(社会集団や立場にローカルな言葉遣い)を選択し語ることでそのエクリチュールによって規定される型にはめ込まれてしまうと言い、語り手の主観の介入を完全に欠いた「エクリチュールの零度」(日本語!?)を追い求めた。
     レヴィ=ストロースは、文化人類学の視点から文明社会を相対化すると同時に、人間社会に普遍的な贈与と返礼のダイナミズムを発見した。
     ラカンは、精神分析の対話における「私」の現れ方と、私が「私」であることに根源的な二つの詐術について語った。

     解説の合間に挟まれる例え話が分かりやすく、それだけ読んでも面白い。原著を読むにしても、まず本書を読んでから挑戦すると、かなり見通しよくなるのではないだろうか。筆者には似たコンセプトの『現代思想のパフォーマンス』があるが、それよりも本書の方が好み。

  • 内田樹さんの本では、以前に『女は何を欲望するか』と『他者と死者ーラカンによるレヴィナス』にたいへんお世話になった。以上の2冊に負けず劣らず、本書も読みすすめるごとに頭がスッキリする感覚がある。「もーわからん!頑張ってもわからん!」となったときに読むと、効果てきめん。暗号のような思想が理解できたような気がする。内田さんは魔術師かなにかか。 思想うんぬんの前に、彼くらい頭のなかを整理整頓したいものだと思う。掃除上手なところをとても尊敬している。

    さて肝心の内容についてだが、『寝ながら学べる構造主義』という表題で、構造主義をそれなりに知っている人やそもそも興味のない人は手にとらず仕舞いになっているかもしれない。後者は仕方ないご自由にとして、前者はちょっともったいないことをしているかも。
    わたしは前者で、何冊か現代思想の入門書を読んでおり、あらたまって学ぶほどのことでもないだろうと、ちょっとばかし面倒くさがっていた。お盆休みの日長に積読を減らそうと読みはじめて、本書をさっさと手にとらなかったことにひどく後悔した。無駄とは言わないが、何冊も読まずともこの一冊でよかったのではないかと思うほど、本書は優等生だったからである。
    構造主義とはうたっているが、通読すれば現代思想の要までおさえることができてしまう。マルクス、フロイト、ニーチェ、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカン、スター選手が勢ぞろいだ。現代問題も引き合いに思想の検討が行われ、深さもともなっている。「しまった、時間と金を無駄にした」というがわたしの本音だ。苦労あっての学習なので、まあよしとしようとは思うが。

    内田さんの解説が冴えているのは、たとえが巧みだからだと思う。正直どれもよかったのだが、わたしが思わず「なるほど〜」と唸ったのは、バルトの「記号」について。わかるようでわからない「記号」とはなにか、たとえはこんな感じ。
    将棋を指していて歩が一個なくなったとする。しょうがないから相手に「じゃ、これ歩ね」と言って手元にあった蜜柑の皮の切れはしを盤におく。蜜柑の皮と歩にはなんの関わり合いもないけれど、対局者との了解があるなら、蜜柑の皮が「記号」となって歩の機能を果たす。すなわち「記号」とは、「ある社会集団が取り決めた『しるしと意味の組み合わせ』のこと」であり、「『しるし』と『意味』のあいだには、(中略)純然たる『意味するもの』と『意味されるもの』の機能的関係だけ」がある。「ほほう、そういうものか」と納得。

    内田さんの著作は、導入部分も冴えわたっている。本書の場合、「知らない」の意味を問うことからはじまる。わたしは、「知らない」とはそもそもどういうことなのかなどと考えもしなかった凡人なのだが、内田さんは「知らない」のではなくて「知りたくない」から「知らない」になるのだと言う。換言すると、「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」、ついうっかり知るのを忘れてたなんてことはない、必死に目を逸らしている結果が無知になる。これは痛いところを突かれた。

    内田さんの指摘はいつもズバリ。そして発想が逆。ここまでサッパリ言われると、なんだかやる気が湧いてくる。目を逸らしていることはないか、ついつい甘め判定が出る自身にこの問いを課すことが内田さん的掃除上手になる一歩となるのやもしれない。

  • 実にありがたい。こんな入門書を待っていた。市民講座の講義ノートをもとに執筆された本書は、「哲学について予備知識のない一般人」を対象としているので、素人でも安心して読み進めることができる。構成は、以下のようになっている。

    1.構造主義の生まれる土壌を形成した人々:マルクス、フロイト、ニーチェ
    2.構造主義の始祖:言語学者ソシュール
    3.構造主義の「四銃士」1:歴史学者フーコー
    4.構造主義の「四銃士」2:記号学者バルト
    5.構造主義の「四銃士」3:人類学者レヴィ=ストロース
    6.構造主義の「四銃士」4:精神分析医ラカン

    もちろん、こんな薄い新書一冊で、彼らの思想のすべてを網羅することはできない。だから各論についてはざっと紹介されている程度で、ちょっと哲学を学んだ人なら、「なあんだ、その程度のこと」というレベルの話なのかもしれない。それでも私にとっては新鮮な話題ばかりだったし、何より、私たちが普通に使う日常会話の文体で解説してくれているので読みやすく、ビギナーとしては大変ありがたかった。それに、構造主義を学びたければ上に挙げた人々の主著にあたれば良いのだという指針を与えてもらっただけでも、この本を読んだ価値はあった。

    しかし、実をいうと本書でもっとも面白かったのは「まえがき」だった。韜晦と諧謔に満ちた文章、逆説的なロジック。しかし、この人を喰ったような文章こそ、実は構造主義的思想の実践なのかもしれないと、何度か読み返した後にようやく気がついた。

    <知的探求は(それが本質的なものであろうとするならば)、つねに「私は何を知っているか」ではなく、「私は何を知らないか」を起点に開始されます。>(p12)

    要するに、「自分の知識を、常識を、文化を、絶対視しないこと。『自分だけが真理を語っている』と、無邪気に信じるのをやめること」ということらしい。ごく当たり前のことのように思えるが、このような考え方は、構造主義によって初めて本格的に思想史に導入された重要な知見のひとつらしい。本書を読んで、とりあえずその一点だけは理解できた。今後は、理解できた部分を足がかりにして、少しずつ他の書物を読んでいこうと思う。思想史の世界へ分け入るための足がかりを提供してくれた著者に感謝!

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「てな感じで、収拾つかなくなりつつあります」
      素晴しいです。
      興味の赴くまま、どんどん読んで。面白い本があればご紹介願います!
      「読むの超お...
      「てな感じで、収拾つかなくなりつつあります」
      素晴しいです。
      興味の赴くまま、どんどん読んで。面白い本があればご紹介願います!
      「読むの超おそいのに」私もそれが悩みの種。速読って身に付くでしょうか?
      2012/04/07
    • 佐藤史緒さん
      どうなんでしょうね、速読。身につけたら便利そうですが、それを身につける時間があるなら別の本を読みたい、というジレンマがありますねえ。
      どうなんでしょうね、速読。身につけたら便利そうですが、それを身につける時間があるなら別の本を読みたい、というジレンマがありますねえ。
      2012/04/08
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「それを身につける時間があるなら」
      速読自体の信憑性から時間を割くつもりはありませんが、仕事では似たようなジレンマに陥るコトがしばしば。。。...
      「それを身につける時間があるなら」
      速読自体の信憑性から時間を割くつもりはありませんが、仕事では似たようなジレンマに陥るコトがしばしば。。。この中途半端なExcelは破棄して一から組んだ方が今後の為には、と思うのですが、結局直さずに使ってしまう。

      「射影幾何学と遠近法」
      遠近法は、絵を描く時に学びましたが、射影幾何学は未知の学問です。どんな内容でしょうか?
      まぁ紅茶さんがレビューを書かれるまで待ってます。。。
      2012/04/09
  • この本は最高の眠り薬!すごく良く眠れます。寝ながら学べるはずなのに、枕元で本を開くと二〜三行で抗えない瞼の重さがやってきます。気が張って寝付けない時におすすめです。
    私は、この本のあとがきが全ての本のあとがきの中で一番大好きです。すんごい小難しそうな西洋哲学観を「なーんだこんなことだったのか」と身近にしてくれました笑。

  • この手の解説本では、思想家の記述を逐一分析して結局なんなのかわからない、なんてややこしいものを結構みかけるのですが、この本は思想家の芯となる考え方を把握したうえで、コンパクトに記述を整理し親しみを加えて書かれているので、とても読みやすかったです。

    本書一冊で構造主義の概要・歴史、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンと、もりだくさんの内容をとりあげており、これらの考え方をより知る際に、ここで書かれたことを押さえておけば、変な方向に勘違いすることはなさそうです。

    自分はレヴィ=ストロース、バルトに興味は持ったものの、それ以前にこの人たち、どういう状況の中で、何について考えてたの? というほど現代思想に無知だったのですが、頭の中が整理でき、もっと知りたいと思えるようになりました。
    良い本でした。

  • 新書というものは誰にでも分かるように書かないと売れない種類の本である。こみ入った話は避け、できるだけ平易な言葉で語ろうとする。だから、読みやすいのは当然で、あっという間に読み終えることができる。それだけに読み応えの方はあまり期待できないといったものが多い。ただ、話題が「構造主義」である。どれだけ平易な言葉で語ることができるのだろうか、という興味で読み始めた。結論から言えば、極めて分かりやすい構造主義の解説書でありながら、読み物としての面白さも併せ持った格好の入門書足り得ている。

    ただ、現代は「ポスト構造主義の時代」と呼ばれて久しい。なぜ、今頃「構造主義」なのか。それについて内田は、「ポスト構造主義の時代」とは、決して構造主義的な思考方法が廃れてしまった時代ではなく、むしろ構造主義の思考方法が「自明なもの」になり、誰もがその方法を使って考えたり話したりしている時代であるとした上で、そういう「自明なもの」だからこそ研究する意味がある。なぜなら、学術という仕事は「常識として受容されている思考方法や感受性のあり方が、実はある特殊な歴史的起源を有しており、特殊な歴史的状況の中で育まれたものだということを明らかにすることだから」だと言う。

    ここを読んで「あれ、どこかできいたような気がするぞ」と気づいた人がいるかもしれない。そう。実は、こういった切り口で、それまで自明と考えられていた物事について、その起源を探り、それらが、自明でなかった時代が巧妙に隠蔽されていたことを暴いていったのがフーコーら構造主義者と呼ばれる人たちだったのである。つまり、内田は構造主義についての解説書を書くのに構造主義的な思考方法を用いることで、その意義を語っているのである。

    構造主義とは何か。少し長くなるが内田の言葉を引用する。「私たちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。」

    見事な要約と言えよう。ふだん自分が考えたり、文に書いたりしていたことをこうまで的確に説明されると、何だ自分は構造主義者だったのか、と妙に納得させられてしまう。そうなのだ、意識するにせよ、しないにせよ、私たちはすでに構造主義のただなかにいるのである。なあんだ、そうだったのかと思った人はここで本を閉じてもいい。構造主義についてはこれ以上の解説はない。後は、構造主義的な思考方法を準備した先駆者達、つまり、マルクス、フロイト、ニーチェの果たした役割と、始祖ソシュールに始まる構造主義の「四銃士」達、つまり、フーコー、バルト、クロード・レヴィ=ストロース、そしてラカンの思想の解説にあてられている。

    ただ、その解説のために準備された譬えがなかなか秀逸である。映画や能、狂言、童話まで駆使して解きほぐされる構造主義の「四銃士」たちの話はそこだけを読んでもおもしろい。慎重に選び抜かれた引用から、それぞれの著作にあたってみるというのもいいだろう。ラカンだけは、たしかに少し難解だが、それ以外の著者の文章は翻訳でも充分に理解できるはずである。個人的にはフーコーの『監獄の誕生』や『狂気の歴史』を読んだ後の「自明なもの」がぐらぐらと音立てて崩壊してゆくときの感覚が忘れられない。それは今に至ってもずっと続いていて、ものを考えるときの礎石になっている。

  • 初めて買った内田先生の本。裏を見ると平成14年の7版と書いてあるから読んだのはもう十年前近く前なのか… なんとなく読みたくなって再読した。

    構造主義についてわかりやすく説明してくれる本である。マルクス、フロイト、ニーチェといった前の時代の前提となる知識をおさらいしながら、ソシュールを経て構造主義四銃士(フーコー、ロラン・バルト、レヴィ=ストロース、ラカン)へと論を進める。

    いろいろと内田先生の本を読んできた後なので、この頃から基本的な考え方がぶれていないことを確認した。『昭和のエートス』も最近読んだところで、その中で面白いカミュ論がありカミュを読みたくなってきているが、『寝ながら~』の中のカミュ=サルトル論争から、レヴィ=ストロースのサルトル批判へ至る所までの流れを読んで、サルトルもなんとなく読んでみたくなっている。「レヴィ=ストロースの文章は端正で明晰でそのままフランス語の教科書に使いたい」という文を読んで、大学の頃フランス語の授業で『悲しき熱帯』の一節を読んだのを思い出した。フランス語はほとんど忘れたが、「悲しき熱帯」の原題が "Tristes Tropiques" であることはなぜか覚えている。

    バルトが日本の文化について論じているところとか何となく忘れていた。これも気になる。ニーチェも良さそうなんだよなあ… とか言っていると際限がなくて困ってしまう。ああ時間が欲しい…

    内田先生の「初心者向けに書かれた本には良書が多い」という感覚には共感。

    • 花鳥風月さん
      どれくらい内田先生の本を読んだろうと数えてみたらいつのまにか20冊近くになっていました。ある程度数を読むと「ああ、これに近いことは別の本でも...
      どれくらい内田先生の本を読んだろうと数えてみたらいつのまにか20冊近くになっていました。ある程度数を読むと「ああ、これに近いことは別の本でも言ってたなあ」という感じになってきますね。でも内田先生の本の場合はその反復も心地いいです。nyancomaruさんもおっしゃってましたが内田先生の本は全部読みたいですね。

      講演会ですか! いいですね~
      よろしければ後日感想などお聞かせください。
      2012/09/12
    • yuu1960さん
      「悲しき南回帰線」が酷く読みづらかったのですが、翻訳の所為なのでしょうか。
      本書も読みましたが、内容は忘れてました。僕も読みなおそうと思いま...
      「悲しき南回帰線」が酷く読みづらかったのですが、翻訳の所為なのでしょうか。
      本書も読みましたが、内容は忘れてました。僕も読みなおそうと思います。
      2012/09/12
    • 花鳥風月さん
      yuu1960さん こんばんは
      コメントありがとうございます。

      学術文庫版の『悲しき南回帰線』私も持っています。実は学生の頃読んで途中で挫...
      yuu1960さん こんばんは
      コメントありがとうございます。

      学術文庫版の『悲しき南回帰線』私も持っています。実は学生の頃読んで途中で挫折したままになってます。中公クラシック版でそのうち再チャレンジしてみたいとずっと計画中… 内田先生の説明が難しい思想家の本を読む助けになってくれそうです。
      2012/09/13
  • 構造主義前夜のマルクス、フロイト、ニーチェの要点、代表格四銃士のそれぞれの功績といった展開でポイントが掴みやすい。

    人間の内在的な主体性から、外因との関係性から自己や人間とはを問う。なんとなくではあるが、現代の思考や価値観に(個人的なのかも)通底する考え方かなって我が事として引き込んで理解しやすい。

  • 構造主義とは、人間の考え方は、その人が生きる社会構造によって無意識的に形づくられてしまっている。という考え方。
    この本では、構造主義の代表的な人物を簡潔に解説してくれている。

    社会史専攻のフーコーは、「いまある制度とか常識って昔からそうだったわけじゃないよね」と考えて、その常識の起源まで遡ってみると、権力によって歴史が作られてきた側面があることを発見した。
    例えば、体操って健康的な行為だと思っていたりするけれど、歴史を遡ると、そこには管理しやすい兵隊作りのために、国家が国民を統制するために作られた制度であったことがわかった。

    記号学専攻のバルトは、「言葉遣いを変えたら、人ってその変えた言葉遣いを使っているイメージに似るよね」と考えた人。
    例えば、僕から俺に一人称を変えたら、発音も、語彙も、髪型から嗜好品までも「俺」っぽくなったりするということ。

    文化人類学専攻のレヴィストロースは、「世界中の全ての言語音が12ビットで表せるのなら、世界中の全ての親族構造にもパターンあんじゃね?」と考えて、家族間の親密さは2ビットで表せることを発見した人。
    これはつまり、人間が家族関係において相互の感情に基づいて親族制度を作ったわけではなく、親族制度が感情や論理に先立って既に存在しており、事後的に感情や論理を事後的に構成していることを意味する。

    精神分析専攻のバルトは、「大人になるということは、理不尽を受け入れるということである」と考えた人。
    赤ん坊が大人になるためには、言語活動を用いた他者とのコミュニケーションが必要不可欠で、そういった社会化プロセスの中で理不尽や理解不能な事態に直面し、受忍したひとだけが大人になれると考えた。

  • 内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』、かなり有名な本だと思います。構造主義を学ぶ意味もそもそもよくわからず読んだし、本当に寝ながら学べるの〜?と半信半疑だったけど、読み物として非常に面白かった!寝ながら学べた!
    ところでタイトルの「寝ながら学べる」だと睡眠学習的な意味にならないか?とずっと思っているけど、まあ普通そう取る人はあまりいないか。

    私がこの本を知ったきっかけは、県内の高校の「3年間で読むべき推薦図書30冊」に入っていて、そのリストを数年前に見たため(文学作品、新書、ノンフィクションからそれぞれ10冊ずつ)。内田樹さんのこともそれまで知りませんでした。

    私が読む本は基本的に「高校生(以上)向け」のものがほとんどで、例えば小説だと「誰でも知っている作者やタイトル」のもの。レビューを読む対象者も男子高校生を想定して書いています。

    それには一応理由があって、ひとつは私が高校〜大学にかけてほとんど読書をしてこなかったから。
    もうひとつは、高校生の頃の教科って非常に大事で、大学になると専攻科目以外学ぶ機会が減るので、選択科目で取りこぼしたものを学びたいし、もう一度復習したいから。つまり今、高校生の勉強をやりなおしています。
    さらに、高校って今はほとんどの人が行っている(98.8%、中退率1.4%)から。だいたいみんな高卒以上なら、高校生におすすめの本は読めるはずでしょということ。高校生までの勉強、重要ですよ。

    この本を知ってから時は流れ、内田樹が橋本治フォロワーだということをつい最近知ったので、全くの偶然で読む本がリンクしていく。つながっていく。
    昨年橋本治さんが亡くなられた際、内田樹のブログに追悼としてかつて書いた文章が掲載されていました。その内容は、この『寝ながら学べる構造主義』と重なっている部分が多いので、併せて読むと面白いです。
    橋本治と内田樹に共通しているもの、それは「よく知らないことを自分で学びながら、説明しながら書く」ということ。まえがきにも書いてあって、これだけでもめちゃくちゃ面白い。


    本の内容の方に進んで、この本が面白いのは「話があちこち脱線して、説明するための雑談的たとえ話が多い」点。これも橋本治スタイル。もちろん雑談が雑談で終わるのではなく、「構造主義を説明する」というテーマで貫かれているから本として成立する。
    あとがきによると編集者さんから「専門用語だけでは分かりません、もっと具体的に」と言われて「たとえ話」が増え、長大になってしまったとか。編集者さんグッジョブ!だよ。この「たとえ話」の部分が面白いんです。

    まず構造主義前史として、マルクス、フロイト、ニーチェの思想が紹介される。ここから面白い。(さっきから面白い面白いとしか書けていない泣)

    「たとえ話」他で面白かったのは、
    P.80 人間主義(ヒューマニズム)
    P.85 蒸気機関車の話
    P.93 ナンバ歩き
    P.100 山縣有朋〜体育座り
    P.123 フェミニズム批評理論
    P.128 村上龍
    P.144 サルトル=カミュ論争の意味
    P.187 エディプス

    ……しかし、これだけ面白かった本なのに、読んだあとで「構造主義とはなにか」を自分で説明できるようにはなっていない。そして、本の内容もたいして覚えていないのが自分で面白い。入門書、入り口になる本だからそんなもん、フーコーやバルト、レヴィストロースなどそれぞれの著書を読むしかないかと思う。ラカンは読む気がしない。しばらく間を置いて、もう一度この本を読み返したい。

    そもそも「構造主義とはなにか」は序盤で書かれていて、「考えるためのツール」ぐらいの認識です。微積分が物理学のツールであることと似たような感じかなと思う。

  • 名著としてこの本は名高い。以前から気になっていたところ、読んでみて深い知見に感動した。この本の引用(下記参照)の多さから、新しいことをかなり多く学んだし、既知の知識も整理された。しかもその内容も著者の力が無ければ、わからないままでいたであろうことについて、わかりやすく読み進められた。次に下記の引用箇所をまとめたのと「→」の後に私見を述べた。

    「知性で一番大切なことは問い。」

    →問いの質に答えは強く影響を受けるという点で、このことはとても大切だ。

    構造主義をひとことで説明すると、人は見るとき、感じるとき、考えるとき、社会集団の影響を強く受けて、見させられ、感じさせられ、考えさせられている。「マルクスは階級によってものの見方が異なる、と言った。」

    →人は自分で能動的に行動しているつもりでも、必ず社会によって動かされているということになる。このことを知っていて注意深く意識していなければ、社会によって動かされているということには気付けない。

    フロイトは、「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」ということ、つまり、人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が「どういうふうに」思考しているかを知らないで思考しているということを看破しました。これはフロイトの分析した「抑圧」のメカニズムです。マルクスは人間主体は、自分が何ものであるのかを、事後的に知ることしかできないという知見を語りました。フロイトは、人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないという知見を語りました。ニーチェは、私たちは自分が何ものであるかを知らない、と言い切る

    →人間は自分で考えていること、自分が何ものであるのか、を事後的にしかわからないというのは、最初の方に書いてあることを含めて考えると、人間は社会に無意識に動かされながら思考や行動していて、結局社会の要請に従って人は動かされていることになり、人間の自由意志とは何なのかということになる。

    すごく平たく言えば、ニーチェのそれ以後の全著作は「いかにして現代人はこんなにバカになったのか?」と総題を持つことになる。畜群の行動準則はただ一つ、「他の人と同じようにふるまう」ことです。 誰かが特殊であること、卓越していることを畜群は嫌います。この畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。(だって)、畜群は(その定義からして)主体的判断ができないものだからです。他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準です。「超人」とは「人間を超える何もの」かであるというよりは、畜群的存在者=「奴隷」であることを苦痛に感じ、恥じ入る感受性、その状態から抜け出そうとする意志のことのように思われます。

    →畜群にはなりたくない。大多数の畜群は畜群のことについてどう思っているのか。他人と同じことをしていればよいので、畜群は主体的判断ができないのです。
      
    「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。「・・・言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」

    →持論は他人の持論。言語がないとはっきりと分別がつかない。

    (人間が他者と共生するルールは、)「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルール

    →方丈記の冒頭が思い浮かんだのととギブアンドテイクの精神。

    つまり、私たちは全員が、自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。

    →そういう傾向があるような気がしていたので、的を射ている。

    下記引用、数字はページ数

    11 知性がみずからに課すいちばん大切な仕事は、実は、「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです。

    14 構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」という問いに答えようとしていることに変わりはありません。ただその問いへの踏み込み方が、常人より強く、深い、というだけのことです。

    19 「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法そのものが、構造主義がもたらした、もっとも重要な「切り口」だからなのです。

    25 構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たち、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

    26 意外に思われるかも知れませんが、構造主義の源流の一つは紛れなくマルクスなのです。

    27 マルクスは社会集団が歴史的に変動してゆくときの重大なファクターとして、「階級」に着目しました。マルクスが指摘したのは、人間は「どの階級に属するか」によって、「ものの見え方」が変わってくる、ということです。この帰属階級によって違ってくる「ものの見え方」は「階級意識」と呼ばれます。

    27 人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものであるか」ではなく、「何ごとをなすか」によって決定される、マルクスはそう考えました。

    28 たいせつなのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命がけの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものなること」であるーヘーゲルの人間学

    28 (国家は)人間が動物的な意味で生きてゆくためにはもとより不要のものです。人間がそのような「もの」を作り出すのは、「作られたもの」が人間に向かって、自分が「何ものであるか」を教えてくれるからです。

    29 ヘーゲルによれば、「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけ」です。

    32 主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義に共有されている考え方です。

    32 中枢に固定的・静止的な主体がおり、それが判断したり決定したり表現したりする、という「天動説」的な人間観から、中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体は規定されるという「地動説」的な人間観への移行、それが二〇世紀の思想の根本的な趨勢である、と言ってよいだろうと思います。

    33 フロイトの貢献はマルクスと深いところで通じています。それは「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」ということです。

    34 フロイトは人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が「どういうふうに」思考しているかを知らないで思考しているということを看破しました。自分がどういうふうに思考しているか思考の主体は知らない、という事実をもっとも鮮やかに示すのがフロイトの分析した「抑圧」のメカニズムです。

    40 マルクスは人間主体は、自分が何ものであるのかを、生産=労働関係のネットワークの中での「ふるまい」を通じて、事後的に知ることしかできないという知見を語りました。フロイトは、人間主体は「自分は何かを意識化したがっていない」という事実を意識化することができないという知見を語りました。

    41 ニーチェは、私たちは自分が何ものであるかを知らない、と言い切ります。

    46 すごく平たく言えば、ニーチェのそれ以後の全著作は「いかにして現代人はこんなにバカになったのか?」と総題を持つことになるのです。

    50 利己主義を徹底的に追求したら、いつしか「利他主義」に至ってしまった、というのが功利主義の道徳観です。

    51 畜群の行動準則はただ一つ、「他の人と同じようにふるまう」ことです。誰かが特殊であること、卓越していることを畜群は嫌います。この畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。畜群の理想は「みんな同じ」です。それが「畜群道徳」となります。ニーチェが批判したのはこの畜群道徳なのです。

    52 (だって)、畜群は(その定義からして)主体的判断ができないものだからです。

    53 他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準です。

    54 「貴族」は、自分の外側にいかなる参照項も持たない自立者です。「貴族」とは何よりも無垢に、直接的に、自然発生的に、彼自身の「内部」からこみ上げてくる衝動に完全に身を任せるもののことなのです。

    55 「超人」とは「人間を超える何もの」かであるというよりは、畜群的存在者=「奴隷」であることを苦痛に感じ、恥じ入る感受性、その状態から抜け出そうとする意志のことのように思われます。

    60 「ことばとは、『ものの名前』ではない」

    62 「名づけられる前からすでにものはあった」という前提

    67 「・・・言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」

    72 私たちはごく自然に自分は「自分の心の中にある思い」をことばに託して「表現する」というふうな言い方をします。しかしそれはソシュールによれば、たいへん不正解な言い方なのです。「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。

    73 まさに「ことばを語っているときに、私の中で語っているものは私ではない」という言語運用の本質を直観したものです。私がことばで語っているときにことばを語っているのは、厳密に言えば、「私」そのものではありません。それは、私が習得した言語規則であり、私が身につけ
    た語彙であり、私が聞きなれた言い回しであり、私がさきほど読んだ本の一部です。「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。

    125 126 テクストも読者もあらかじめ自立した項として、独立に自存するわけではありません。例えば、非常にインパクトの強い本の場合、最後まで読み終えたあと、そのまま間をおかずにもう一度はじめから読み直すことがあります。そして、その二度目に、私たちは一度目には気づかずに読み飛ばしていた「意味」を発見することがあります。なぜ、最初は見落としたこの「意味」を私は発見できるようになったのでしょう。それは、その本を一度最後まで読んだせいで、私のものの見方に微妙な変化が生じたからです。つまり、その本から新しい「意味」を読み出すことのできる「読める主体」へと私を形成したのは、テクストを読む経験そのものだったのです。

    129 こうなると、批評家の仕事は、読解を通じて、作者を書くことへと動機づけた「初期条件」、作者の「秘密」に手が届かなければ、批評家の「負け」というわけです。現在でも、私たちが眼にする文芸批評の過半は、「作者に書くことを動機づけた初期条件の特定」というこの近代批評の基本パターンをしっかり踏襲しています。バルトは近代批評のこの原則を退けました。テクストが生成するプロセスにはそもそも「起源=初期条件」というものが存在しないとバルトは言い始めたのです。

    147 つまり、私たちは全員が、自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。

    148 新石器時代とほとんど変わらない生活をしている部族がまだ地上には多く残っています。彼らの社会には「歴史的状況」などというものはありませんし、「参加」も「決断」もありません。数千年前から繰り返してきたことをこの先も永遠に反復するだけです。しかし、だからといって、彼らには人間としての尊厳や理性が欠如しているといえるでしょうか。レヴィ=ストロースは「文明人」にそのような傲慢を許しません。彼らもまた自分たちの生の営みのうちに「人間の生の持ちうる意味と尊厳のすべて」が込められていると確信して、そのような生活を営んでいるのです。

    159 ・親族構造は端的に「近親相姦を禁止するため」に存在するのです。
       ・近親相姦が禁止されるのは、「女のコミュニケーション」を推進するためである。

    160 親族が存在するのは親族が存在し続けるためなのです。

    165 (人間が他者と共生するルールは、)「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルールです。

    166 「隣人愛」や「自己犠牲」といった行動が人間性の「余剰」ではなくて、人間性の「起源」

    195 ラカンの考え方によれば、人間はその人生で二度大きな「詐術」を経験することによって「正常な大人」になります。一度目は鏡像段階において、「私でないもの」を「私」だと思い込むことによって「私」を基礎づけること。二度目はエディプスにおいて、おのれの無力と無能を「父」による威嚇的介入の結果として「説明」することです。

    200 レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

  •  内田先生による、構造主義の入門書です。

    読んでいて書き留めたい箇所を引用します。

     精神分析の目的は、症状の「真の原因」を突き止めることではありません。「治す」ことです。そして、「治る」というのは、コミュニケーションの回路に立ち戻らせること、他の人々と言葉をかわし、愛をかわし、財貨とサービスをかわし合う贈与と返礼の往還運動のうちに巻き込むことに他なりません。(P197)

     レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。(あとがき)

  • 構造主義についてざっくりわかった。ノートとかにまとめて整理したい。

  • 用は足さないけど、トイレで本読むの結構好きだし不思議と捗るんですよね

    これは、私の中では「トイレ」が無意識下で「リラックスできる場所」という「意味」をもっている、つまり「トイレ」というシニフィアンと「読書に適した快適な空間」というシニフィエとが一つの「記号」を成しているということなんですよ

    (以下常体)

    前半部の「構造主義に至るまでの歴史」に関する記述は、平易な説明に加え丁寧な具体例が都度都度紹介されているため非常にわかりやすく、現代思想や構造主義、哲学一般についてほとんど知識がなくても読み進めることは十分可能だ
    必要なのは、世の中や自己に対する違和感、すなわち哲学の源流の意識だけと言っていい
    逆に後半部、特にラカンの思想に関する記述で一気に抽象的で多くの読者にとって解りづらくなると感じている
    そして内田氏が用いる例もいまいち核心を核心を突いているとはいえなくなってくる(ちょうど執筆に疲れてきたところなのかもしれない)
    この辺りで「こんな少ないページ数でラカンやバルトの思想を浚えるわけがない」ということにも気づき他の入門書や専門書を読み出そうという気になってくる
    その流れを作り出すことこそが本書の価値であると感じる

    「寝ながら」構造主義のきっかけを掴み、
    「立ち上がって」本を買いにいき、
    再び「寝ながら」専門書を読み耽る

    読了一回目は終盤での怒涛の専門用語・観念ラッシュで放心状態だった故、
    二回目に突入、先ほど読了
    誤差程度の理解の前進、不甲斐ない

  • 構造主義は、主体を重視するのをやめて、既にある社会システムを重視し、なぜそのシステムがあるのかを考えていくことだと認識した。そもそも主体なんてない。生まれた瞬間から分節された社会システムの中にいて、その構造上の中で生きていく以上、その人の思考もそのシステムの影響を受ける。よって、それはその人の主体ではない。構造主義での主体とはシステムを作った瞬間にしか存在しない。それを零度と呼び、構造主義の目的はこの零度の探求である。ポスト構造主義がポスト構造主義と呼ばれる理由がわかった。構造主義から逃れられないからか。

  • ようやく読み終えた。

    内田樹さんが書いている、ということ、「寝ながら」「入門編」という謳い文句に釣られてしまったけれど、なかなかに難しかった。
    特に、肝心の四銃士の部分は、それまでとは突然風向きが変わったように感じて、私の基礎知識が乏しかった分、かなり手こずった。

    とはいえ、ひとつひとつのことを、例えを使って分かりやすく書いてあるので理解はしやすい。分からない部分は調べながら、時間をかけて読み終えた。

    私たちは自分の考えを述べているつもりでも、自分の所属する環境に大いに影響を受けているため、語っている言葉は、元は他の誰かの言葉に過ぎないという。「記号とはこういうものだよ」とか、レヴィ=ストロースが『野生の思考』で言っていた未開人と文明人の見ている世界が違う話とか、「それをわざわざ言葉にしたところで何?」というところがモヤモヤが残る要因であるのかもしれない。
    もちろんその、何の意味もなさないような部分も含めて、面白いのではあるのだが…。
    なんとなく「改めて言われてみればそりゃそうだよね」と思うことばかりだったが、得てして思想家とは皆そんなことばかり唱えているものだろう。
    目新しい大発見というものでもなく、なんとなく肩透かしというか期待外れだったような気持ちも拭えない。
    これはもちろん著者のせいではないので悪しからず。
    むしろ読み終えた後の著者のあとがきに救われた気分だった。

    理解が深まればまた変わるかもしれないので、また再読したい。

  • タイトルが難しそうだからって今まで躊躇してたん、アホやったなぁ。
    あぁその躊躇してた時間が勿体無かった~!
    全部を理解できたわけじゃないけど、「そういうことかぁ~、ポン!」と膝を打ちすぎて膝がへこみそうなほど。

    まだまだ理解できてない部分はいっぱいあるけど、とにかく知的興奮というんだろうか、始終心の中で「うわぁーうわぁー、そーなんかぁー」って叫んでた。

    さらにタツラーの私としては、密かに裏に載ってる著者の顔写真を見るのも楽しいです。
    この写真の内田センセイがとてもお若い!
    http://big-river.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-afc2.html

  • さすがに「寝ながら」は学べないけど、「寝っころがりながら」は読めたよ。

    構造主義それ自体というよりかは、構造主義にまつわる哲学者についての概説。
    専門書と違って言葉遣いがやさしく、わたしのような学術書初心者にはありがたかった。

    でも内田先生にかかってもラカンの解説は難しいのね・・・
    そこだけよくわからなかった。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「「寝っころがりながら」は読めたよ。」
      内田センセの、にこっとする顔が目に浮かびます。
      この本は、堅苦しくならないように、取っ掛かりを示して...
      「「寝っころがりながら」は読めたよ。」
      内田センセの、にこっとする顔が目に浮かびます。
      この本は、堅苦しくならないように、取っ掛かりを示してくださってますね。読んで気になったら次へ進みましょう!って感じで、、、
      2013/03/13
  • 内田さんの本・ブログではここで取り上げられた5人が繰り返し登場します。普段の出来事へそれぞれの思想家をうまく導入しています。学生の時にポストモダンはよく読んだけれど難解でつらくなる経験をした覚えがある自分にとっては、うそのようにこちらへ入り、外へ導入できそうな気にさせてくれて、大変ありがたいと常々思ってます。まえがきに「話を複雑にする」ことによって、「話を早く進める」・・「複雑な話」の「複雑さ」を温存しつつ、かつ見晴らしのよい思想史的展望をしめす、とあるように「簡単」な話におとさず、「時間・死・性・共同体・貨幣・記号・欲望・交換とは何か」という根源的問いを分かりやすく「パス」してくれてるようです。本書では構造主義の前史としてニーチェ・マルクス・フロイトの話が冒頭におかれ、つながりのあるどんな「パス」をしたかも垣間見れます。すぐ読んでしまえます。より細述された「現代思想のパフォーマンス」を読みはじめています。

  • 物を考えたりしゃべったりしている主体が、世の中を観測しながら考えたりしゃべったりしている観測者だとすれば、どこから観測をしているのか? はとても重要だ。主体とは思ったほど自由に自発しているわけではない、という構造主義の考えの基本を、代表的構造主義学者の紹介を通じて味わえる。筆者が諸説からかみくだいた内容は、かなり「わかる言葉」で書かれていて、高度な知見がすんなり頭に入ってくる。考えもしなかった「納得いく話」を聞くとどういうことになるか、というと、簡単に言うと「目からウロコ」という状態になるということです。これは相当面白い読書体験でした。

  • メモ バルトに関する本を読む

  • ラカンの章だけはわかりづらかったが、それ以外はとても読みやすく、入門書として良い。

  • 「まえがき」を読んで、多分これはいい本だろうなと思った。内田樹の本になに言ってるんだ、って感じだけど。
    何度も勉強しようと思って繰り越していた構造主義。

    「よい入門書は『私たちが知らないこと』から出発して、『専門家が言いそうもないこと』を拾い集めながら進むという不思議な行程をたどります」(まえがき)

    この文で最後まで読み通そうと決意した。

    読んでよかった。読みながら理解はできた。一回読んだだけでは身につかないので関連書籍を読みつつ読み返そうと思う。

    構造主義以前のマルクスやニーチェ、「実存」、サルトルの考えも合わせて分かりやすく解説してくれているのが非常に親切だと感じた。

    最初の一冊に。
    1章 構造主義前史
     マルクス、フロイト、ニーチェ
    2章 ソシュールと『一般言語学講義』
    3章 フーコーと系譜学的思考
    4章 バルトと「零度の記号」
    5章 レヴィ=ストロースと終わりなき贈与
    6章 ラカンと分析的対話

  • うーん、寝ながら分かるはずが…わからなくなってきたな…

  • 人間はどういうふうにものを感じるかとの問いに答える入門書的な本。
    名前がつくことで、ある観念が思考の中に存在することになる。
    【関連書籍】
    史上最強の哲学入門

  • 今回は感想ではなく、覚書に使わせて頂きます。

    マルクス:労働ーーー人間の個別性はその人が何者であるかではなく何事をなすかによって決定される。「人間は、彼によって創造された世界の中で自己自身を直感する」
    フロイト:抑圧ーーー構造的な無知「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」
    ニーチェ:畜群・奴隷/貴族・超人、距離のパトス

    ソシュール:一般言語学講義ーーー「あらかじめ定立された観念は無い。言語の出現以前には、判然としたものは何一つ無いのだ」
    フーコー:人間主義的進歩史観の否定、出来事の零度
    バルト:記号学、エクリチュール
    レヴィ=ストロース:音韻論の理論モデルによる研究。親族の基本構造、近親相姦の禁止とコミュニケーション欲求

    ソシュールの構造言語学は特にグッとくる。
    構造主義的思考の、その断片だけでも、ひとりでも多くの人に知って欲しい。世界のあり方がきっと変わると思う。

  • めっちゃ分かりやすい

  • 本当に寝ながら読んでいたら3回ほど寝落ち

  • 「自分が見えている世界が相手にも見えているわけではない」
    「自分が育った環境によって、物の見え方・感じ方が変わる」
    といった考え方が構造主義。
    正直「そりゃあそうでしょ」というのが感想である。
    しかし、私がこのように感じたことからもわかるように、構造主義というのは現代の人々の考え方の基礎になっており、あらゆるものに応用できる、現代社会において抽象度が最高に高い哲学なのだ。

    具体的なものの方が抽象的なものよりもわかりやすいため、構造主義は分かりづらいと思われがちで、私もこの本を最初に読んだときは「で、結局、なに?」が正直な感想だった。
    しかしこれも何かの縁か、細谷さんの「具体と抽象」を読んだ後、この本の内容を思い出すと「そういうことなのね!」と理解。

    これからこの本を読もうとしている人は、「具体と抽象」とセットで読むのがいいかも。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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