通訳の英語 日本語 (文春新書)

  • 文藝春秋 (2003年5月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784166603176

みんなの感想まとめ

通訳の歴史やその魅力、さらには実際の現場での経験を通じて、言語の違いや文化の背景を深く理解できる内容が展開されています。著者の豊富な経験から語られるエピソードは、通訳の難しさや面白さを実感させてくれま...

感想・レビュー・書評

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  • 同時通訳者として有名なのは、小松達也、村松増美、國弘正雄、松本道弘、西山千、鳥飼玖美子などだが、特に最初の3名はサイマル・インターナショナルという同時通訳会社を立ち上げたメンバー。
    さて、本書とは直接関係ないが、上記同時通訳者たちのプロフィールを引用する。彼らの英語との接点がわかるし、同時通訳者の共通特性が浮かび上がるかもしれない。

    《小松 達也(1934年 - )は、日英会議通訳者(同時通訳者)。日本における会議通訳者(いわゆる同時通訳者)の第一人者であり草分け的存在として知られる。
    名古屋市生まれ。東京外国語大学英米科卒業。1960年日本生産性本部駐米通訳員として渡米、1965年まで米国国務省言語課勤務。村松増美、國弘正雄らとともに、日本初の会議通訳エージェントとして1965年に設立された、株式会社サイマル・インターナショナルの創設に参加。1987年から1997年まで同社社長、1998年より顧問。
    アポロ11号の月面着陸テレビ中継の同時通訳や、主要国首脳会議(サミット)で1986年から1993年まで主席通訳者も務めるなど日本の国際化、グローバル化に伴う数多くの重要な舞台で第一線の通訳者として40年以上にわたり活躍。1982年から1988年までNHK教育テレビ(現:Eテレ)英語会話Ⅲ(のちに英語会話Ⅱ)講師。
    通訳者養成機関サイマル・アカデミーの開校当初から現在に至るまで、30年の間後進を育成。1999年から2008年まで明海大学外国語学部教授。2005年、通訳業界初のNPO法人通訳技能向上センター設立に寄与、理事長就任。》(Wikipedia)

    《村松 増美(1930年7月31日 - 2013年3月3日)は、日英会議通訳者(同時通訳者)、男性。「ミスター同時通訳」と称された。東京生まれ。早稲田大学第二文学部中退後、在日米軍のタイピストから通訳者に。1956年日本生産性本部駐米通訳として渡米、1960年日米貿易協議会(ワシントン)調査部長に就任、この間ジョージ・ワシントン大学で国際経済学を修める。1965年に日本初の会議通訳者集団である株式会社サイマル・インターナショナル創設に参加。同社社長、会長、顧問を経て、2000年9月末退任。
    西山千、國弘正雄、小松達也らと共に、日本における会議通訳者(同時通訳者)の草分け的存在であり、主要国首脳会議(サミット)には1975年の第1回ランブイエ・サミットから第9回まで毎回通訳チームの一員として日本の外交に貢献するなど、国内外で数々の重要な通訳を担当した。1969年のアポロ11号月面着陸のテレビ中継(NET)の同時通訳も務めた。
    晩年は、国際ユーモア学会理事を務め、2001年にはNPO「えむ・えむ国際交流協会」を設立し代表として各種講演・著述活動を行ない、通訳者として現役を退いた後も国際コミュニケーション分野で活動した。2013年3月3日、死去。82歳没。》(Wikipedia)

    《國弘 正雄(1930年8月18日 - 2014年11月25日)は、日本の同時通訳者、翻訳家、文化人類学者、ニュースキャスター、政治家。「同時通訳の神様」と呼ばれ、外務大臣・首相を務めた三木武夫のブレーンとしても知られた。参議院議員を1期務め、護憲派として活動した。
    現在の東京都北区に生まれる。東京府立六中(現・東京都立新宿高等学校)に入学するが、父親の転勤により、神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)に転校する。同級生に小松左京と高島忠夫がいた。神戸空襲に遭い、親しくしていた知人の最期を看取った経験から、強い反戦思想を持つようになる。
    中学時代、新渡戸稲造の伝記に感銘を受け、英語の猛勉強を開始した。神戸に進駐していた様々な国籍の兵士に英語で手当たり次第話し掛けては、教科書の音読を頼んで、ひたすら自分で音読を繰り返して発音を学習した。この学習法をのちに「只管朗読」(曹洞宗の教え「只管打坐」をもじった)と名づけ、英語学習界に浸透させた。
    1955年にハワイ大学卒業。帰国後は予備校講師を経て、日本生産性本部と米国国務省の文化交流計画に加わり、ワシントンD.C.常駐スタッフとして、訪米した日本の各界関係者に随行して全米各地を訪れた。
    1963年帰国後、1964年に中央大学法学部専任講師(文化人類学)となる。翌1965年にはミスター同時通訳・村松増美とともに通訳エージェント「サイマル・インターナショナル」を設立。また同年からNHK教育テレビで「英語会話中級」講師を務める。1969年にはアポロ11号の月面着陸を伝えるNHKテレビの生中継に西山千とともに出演した。1971年からは同じくNHK教育で「トーク・ショー」の司会者となり、エドウィン・O・ライシャワー、ヒューバート・ハンフリー、ドナルド・キーンら著名人をゲストに招いて丁々発止のトークを展開した。
    1966年よりのちに首相となる三木武夫との交流が始まり、三木が外相に就任すると政務秘書官、環境庁長官になると特別調査官、そして首相に就任すると民間初の外務省参与にそれぞれ起用され、外交政策におけるブレーンとなり、三木とともにサミット先進主要国首脳会議の礎を築くなどの実績をあげた。
    中央大学講師のほか上智大学・お茶の水女子大学非常勤講師を務めたが、学生運動のバリケードに対して教授会の反対を押し切って「学生の気持ちを理解したい」と中に入ったことから、中央大学から解任された。のちに国際商科大学(現・東京国際大学)教授を務める。
    文化放送にて「百万人の英語」講師を務めたのち、1978年からは解説委員待遇で日本テレビと専属契約を結ぶ。ニュースキャスターとして「NNNおはよう!ニュースワイド」「NNNジャストニュース」「NNNきょうの出来事」を担当したほか、討論番組の司会や選挙特番のコメンテーターを務めた。2014年11月25日、老衰のため死去、84歳没。》(Wikipedia)

    《西山 千(1911年9月12日- 2007年7月2日)は、日本の同時通訳者。同時通訳の草分けであり、月面着陸を果たしたアポロ11号のテレビ中継を担当したことで広く知られた。「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」はあまりにも有名。
    アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティで日本人の両親のもとに生まれ、アメリカ合衆国の国籍をもつ日系アメリカ人として、家庭では日本語、学校では英語を使いバイリンガルとして育つ。出生名は、ウィリアム・セン・ニシヤマ (William Sen Nishiyama) と届けられていた。子どものころには、母に連れられ、日本を訪れることもあった。マイク正岡とは、少年期からの友人であったが、後年の正岡の回想によれば、中学校のクラスで市営プールに出かけた際に、西山だけが日本人という理由でプールに入れてもらえないといった経験をしたという。
    ユタ大学で電気工学を専攻し、卒業後は大学で助手としても働き、1934年には修士号を取得した。
    1934年に父が死去した後、大不況の中で電気関係の職が減少した上、日本人排斥の動きも高まりもあっ]、母とともに日本へ移り、1935年に日本国籍を取得した。
    1935年から1945年までは、逓信省電気試験所(産業技術総合研究所の前身のひとつ)で研究に従事した。この時期には、もっぱら技術文書の翻訳に取り組み、日本語の読み書き能力を向上させた。
    戦後は、1945年から1952年まで、連合国軍最高司令官総司令部で働いた。この時期には、占領当局と日本政府の連絡の場面に数多く立ち会い、異文化コミュニケーションの様々な問題を経験した。その中で、逐次通訳に代わる通訳法として自己流で同時通訳をするようになったという。1951年には、国務省の雇用となり、合衆国情報局 (United States Information Agency, USIA) の前身である合衆国情報サービス (United States Information Service, USIS) の東京における通訳、翻訳者となり、1972年まで業務にあたった。
    やがて、駐日アメリカ合衆国大使(1961年 - 1966年在任)エドウィン・O・ライシャワーの個人通訳となった。ライシャワーは西山の力量を高く評価し、「西山はまさにかけがえのない素晴らしい通訳」と日記に記した。
    リチャード・ニクソン、ロバート・ケネディ、ジョン・グレンなど、来日する要人の通訳を務めることもよくあった。
    1969年には、アポロ11号のテレビ中継放送(NHK)の同時通訳を國弘正雄とともに担当したことをきっかけに広く知られるようになり、以降、講演や寄稿、テレビ出演などが増加した。
    1973年にソニーの理事、1976年に顧問となり、さらに嘱託となって1986年までソニーに在籍していた。 並行してサイマル・アカデミーにも関わり続けた。
    日本翻訳協会理事長・会長(1995年 - 2002年)を務めたほか、長く日本ペンクラブの会員であった。
    西山はプロテスタントのキリスト教徒であり、東京ユニオン教会の信徒として、長く英語礼拝の運営に関わった。2007年7月2日、東京で老衰により死去、95歳没。》(Wikipedia)

    《松本 道弘(1940年(昭和15年)3月6日 - 2022年(令和4年)3月14日)は、日本の英語通訳者、英語講師。
    大阪府生まれ。高校生のとき、校長が行った臨時の授業をきっかけに、英語学習に注力するようになった。関西学院大学商学部卒業後、日商岩井勤務。通訳者として、西山千に師事し、駐日アメリカ合衆国大使館同時通訳者、NHK教育テレビの上級英語講座の講師などを勤めた。
    産業能率短期大学、のち産業能率大学助教授、名古屋外国語大学教授などを経て、1997年からホノルル大学教授。
    松本は、早い時期から日本におけるディベート教育の必要性を主張し、1970年代から著書『知的対決の論理 : 日本人にディベートができるか』(朝日出版社、1975年)や、翻訳書『ディベートの方法:討論・論争のルールと技術』(産業能率短期大学出版部、1978年)などを刊行するとともに、各地で普及活動にあたった。1993年には、国際ディベート学会を創設し、会長となっている。
    ヒストリーチャンネルや、ナショナルジオグラフィックチャンネルなどの番組に、英語で日本文化を紹介する役回りで出演したことがある。
    2022年3月14日、間質性肺炎により死去。82歳没。》(Wikipedia)

    《鳥飼 玖美子(本名:町田 玖美子、1946年3月21日 - )は、日本の通訳者・英語教育学者・通訳学者。立教大学名誉教授。
    大学在学時から同時通訳者として活動し、23歳でアポロ11号の月面着陸の生中継(NETテレビ)、24歳で大阪万博期間中の特別番組(NHK総合、全21回)を担当するなど、若くして数々の大舞台を踏んだことで広く知られる。のちに研究者に転身、英語教育や通訳学、異文化コミュニケーションを専門として積極的に発言を続ける。NHKの英語講座をはじめ、メディア出演も多い。
    東京都港区赤坂檜町5番地に生まれ育つ。父は海軍主計少佐で、母はシンガポールで数年間を過ごした帰国子女だった。中之町幼稚園を経て、檜町小学校に入学。3年次から母親の母校である東洋英和女学院小学部に編入した。
    小学2年生のころ、近くに住んでいた米国人家庭(父親が軍人)の少女と遊びたくなったが、ことばが通じないので、お互いに見つめあうだけだった。鳥飼は、英語での名前の聞きかたを自分の母親に問い、翌日また少女のもとへ出かけ、"What's your name?" と話しかけた。その少女ベッキーとは、一家が相模原に転居した後に泊まり込みで遊びに行くほど親しい関係となった。ベッキーとはほぼ会話なしで遊んでおり、彼女が帰国してからは交流が途絶えたが、その楽しかった想い出が英語に触れた原体験となった。
    東洋英和女学院高等部1年時、月刊誌『百万人の英語』の記事をきっかけに留学に関心を持ち、父親から高校生対象の留学プログラムがあるらしいと聞かされたこともあり、本格的に英語学習を始める。近所の米国聖公会の宣教師フレッド・ハナマン宅で開かれていた英語を話す会に毎週通い、大学生や社会人に交じって津田英語会の最上位クラスに週3回通った。AFS留学試験に1度落ちたが、翌年、2回目で合格した。1963年、AFS10期生としてニュージャージー州に10か月間留学した。
    留学中にスペイン語に親しむ機会があったことから、1965年、上智大学外国語学部イスパニア語学科に入学した。同年、英検1級に最優秀で合格した。通訳案内業試験にも合格したが、ガイド業には適性がないことを自覚したという。》(Wikipedia)

    長々と引用したが、「人に歴史あり」でそれぞれ個性があって面白い。
    さて、本書の内容も要点のみ記しておく。
    第一章 通訳の仕事
    ・会議通訳の相場は、1日10万(Aクラス)、7万2千(Bクラス)、4万5千(一般クラス)
    ・通訳者の8割が女性
    第二章 通訳の歴史
    ・サイマル・インターナショナル設立
    第三章 日本語と英語
    ・主語が曖昧な日本語の特性として、例えば助詞「は」は主語になることも単なる主題を提示することもある。その場合に便利なのが、「As for A 」「As far as A is concerned」で時間稼ぎする方法。
    ・「と思う」は、できるだけ「I think」という曖昧さの残る言葉は使わず、英語らしく「I believe」「I am convinced」と断定する(日本式謙遜の美学は自信の無さと勘違いされる可能性大)
    ・お役所言葉「善処いたします」は、「I will do my best」よりも「I will see what I could do 」「I take note of your request」などをTPOで使い分ける
    ・日本的語彙
    うらむ、悔しい、仕方がない、まとめる、素直な、筋を通す、前倒し、骨太の、腰抜け、血の通った、金太郎飴、おんぶにだっこ、前座をつとめる、中国のことわざなどの英語例を解説
    第四章 通訳者への道
    ・通訳者を目指す人の必要な英語力
    TOEFL600~630、TOEIC870~900
    第五章 英語上達法
    ・とにかく原書を読む
    ・リスニングのコツは、頭をフル回転させ持てる周辺知識と想像力を生かすこと

  • 日本における通訳の歴史がわかる。
    著者は日本の通訳の先駆けで、歴代首相が参加したサミットなどにも通訳として従事している。その経験談はおもしろかった。

  • 通訳の歴史、面白さ、難しさ、裏話、英文法と日文法の違いなどを、短い時間で俯瞰できる気がします。SOV SVO 左方分枝 右方分枝など。

  • 英語の解説も通訳の視点から。なるほどと唸りそうになった。ただの英語解説本なら興味持たなかったと思う。

  • 通訳者として長いキャリアを積んできた、小松氏の著作。長いキャリアをもとにしているだけに、とても内容が充実していて、どんどん読み進んでいけます。

    特に、語学の学び方はとても参考になりました。早速自ら実践してみると、これがなかなか面白かったりして、参考書でもあり、本格的な実用書であると思います。

    英語‐日本語の通訳も、translateではなく、interpretなんだと、この本を読んで初めて気づきました。手話通訳が(基本的には)意味を通訳するのに比べ、外国語の通訳はただ単に言葉を変換するだけかと思っていた自分が恥ずかしくなりました。

    通訳の歴史の箇所は話が小難しいけれども、「へ〜」という新発見や驚きが沢山詰まっています。

    英語上達には、まず「読む」こと。この大切さを実感させてくれる1冊です。

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