- 文藝春秋 (2003年7月18日発売)
本棚登録 : 1234人
感想 : 100件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784166603305
みんなの感想まとめ
翻訳という複雑な作業を通じて、著名な作家たちの思考や感性が浮かび上がる本作は、村上春樹と柴田元幸の対話を中心に展開します。村上がサリンジャーの作品について深く掘り下げ、その解釈や翻訳観を率直に語る様子...
感想・レビュー・書評
-
サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を村上春樹さんが翻訳していること、併読している『ギンガムチェックと塩漬けライム』(鴻巣友季子著)で初めて知りました。そして、本書に辿り着きました。
村上さん、『キャッチャー』(『ライ麦畑』)を大絶賛でした。翻訳という大変なお仕事をするのですから、当然といえば当然ですが。『キャッチャー』(『ライ麦畑』)を読んだら、(どちらかでも)本書は必読だと個人的に思います。
村上さんの翻訳を巡っての柴田さんとのお話は、とにかくおもしろい! 野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』を読み、ちょっと理解が難しいところが、こんがらがった糸がほどけたように分かり、すっきりしました。そして何より、村上さん柴田さんの翻訳観を知り得たこと、大きな収穫でした。言葉の訳し分けの細かいところまで、突っ込んで説明されています。翻訳の繊細な部分を感じ取れました。
契約上、「訳者が本に一切の解説をつけてはならない」という縛りがあったとのこと。本書には村上さんの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の解説、柴田さんの「Call Me Holden」が掲載されていてお得です。
早速、村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、読んでみようと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
村上春樹がサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を刊行したことを受けて、彼と柴田元幸が二度にわたっておこなった対話を収録しています。さらに巻末には、『キャッチャー』に収録できなかった村上の「訳者解説」、さらに柴田がホールデンに成り代わってハックルベリー・フィンなどとの比較についての考察をおこなっている「Call Me Holden」が収録されています。
本書を読む前は、おそらく柴田がサリンジャーのアメリカ文学上の位置づけについて大きな枠組みを示し、そのつど村上が作家としての感性にもとづく解釈を差し挟んでいくというスタイルで議論が進められているのではないかと思っていたのですが、じっさいに読んでみるとむしろ村上が終始サリンジャー解釈の大きな枠組みを提示し、柴田がサポートにまわっているという印象です。村上が、翻訳についてはともかく、他の作家の作品世界についてこれほど能弁に語るのは意外でしたが、「イノセント」の意味にかんする、おそらくは河合隼雄の心理学に由来をたどることのできるような考えが示されていて、興味深く感じました。
わたくし自身は野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』しか読んでいないのでよく理解できないところもありましたが、村上の翻訳についての考え方も率直に語られており、こちらもおもしろく読むことができました。 -
キャッチャーに惹かれる理由がなんとなくわかる対話だった。結局のところ、寂しさとか孤独があるから共感できるんだろうし、あれほどタラタラ文句言う本もそうそうない気がするから言いたいこと言ってくれたみたいな感じがあってスッキリするのかもしれない。
-
キャッチャーインザライは村上春樹という客体を通して原作の雰囲気そのままに再構築された物語なのだなと改めて思う。原作のままに、というのは色々難しいこともあるんだと思うけど、ライ麦畑のキャッチャーになりたかったサリンジャーと文化的雪かき仕事の大切さを知っている村上春樹が合わないわけがない。サリンジャーの方が狂ってるけど。図書館で借りたもののさらに読み込みたくなりKindle版買った。面白いので色々読み取りたい。
-
これは面白かったです。サリンジャーという人の詳しい経歴を知らずにいたので(晩年は隠居してしまったとかそれくらいしか知らなかった)、これを読んでキャッチャーという物語が生まれるにあたっての経緯がわかったような気がしました。わたしは野崎訳のキャッチャーを読んだことがないのでぜひ読んでみたいです。原書でも読んでみたい。わたしならどう訳すか?考えてみたくなる一冊でした。
最後に収められている柴田さんの「Call me Holden」は、ホールデンの心を代弁した語り口調の小話。柴田さんの文章はよくポール・オースターの訳で読んでいます。優しくも快活でリズミカルな文章で、村上訳のホールデンとはまた違った雰囲気ですが楽しめました。
村上さん柴田さん二人の対談と、二人がそれぞれ独自に書いた文章が入っていますが、二人の中でのホールデン像が共通しているので、全体を通して違和感なく読めました。 -
『キャッチャー』の解説が無くて、残念だったのですがこの本で読めてよかった。当たり前かもしれないけど、“訳した人”によってだいぶ印象が変わるのだと実感した。
ジョン・レノンを殺害したデイヴィット・チャップマンが『キャッチャー』を愛読していた。ジョン・レノンを射殺した後にも警官が到着するまで舗道の敷石に座って『キャッチャー』を読んでいたという。
「自分がジョン・レノンを殺した理由は、最近のジョン・レノンが『キャッチャー』に出てくる人物のように、インチキで、不誠実で、見下げはてた人間に成り下がっているからであり、彼を撃つことによって、自分はそのイノセンスを護ろうとしたのだと主張している。」(P215)
『キャッチャー』は「並みはずれて輝かしい作品」であると共に非常に危険な作品である。ホールデンの分析はすごく興味深かった。次は野崎訳で読み直してみようと思った。 -
キャッチャーインザライとセットで飲むと感慨深い。
-
村上さんと柴田先生の対話で暴かれていく作家サリンジャーのひととなり、非常に興味深く読めました。物語への考察=サリンジャーの生涯に密に関わっていたんだという発見があり、サリンジャーの生き方をホールデンになぞらせたのではなく、サリンジャーがホールデンの生き方をなぞっていったというのは一種の狂気を感じた。大昔に野崎訳を読んだ後に村上訳を読んで比較したことはあったけど、当時の印象として前者のホールデンはとんがり少年で、後者は引きこもりがちな天邪鬼。この印象の違いは翻訳に取り掛かった時代の背景を訳者がうまく反映させていたからだというから感心しきりだったし、ひとつの文章がこんなに変わるものなのかと文学の多面性のようなものにやっぱり面白いと思わずにはいられなかった。海辺のカフカが読みたくなる。
-
p.2003/7/20
-
訳本の方はまだ読んでなく、旧約ももう長いこと読んでいなかったが、楽しく読めた。
解釈の違いで翻訳に色を出したりすることを知らなかったので、村上春樹の考察するキャッチャーの話も楽しめたし、また、村上春樹の小説はほぼ読んだことないので、村上春樹の思考の一端が垣間見えたようで新鮮だった。 -
-
おもしろかった!
ハルキストではないので、おもしろかったことが悔しい(笑)
柴田先生との対談。ホントに楽しそうで、また、本の紹介本でもある…
柴田先生のコール・ミー・ホールデンが良かったです。
ライ麦畑でつかまえて、読みたくなりました。
-
◆読書記録2冊目
◆No.048 -
キャッチャー・イン・ザ・ライは原著からして非常に有名な本ですが、村上春樹がこのような解説本を出したことを知ってる人はあまりいないのでは?長年ファンやってる私ですらネット検索で初めて知りました。笑
キャッチャーは契約の関係で訳者の後書きを加えることができなかったため、このような形になったそう。キャッチャーを読了後、できたらすぐにでも読んでほしい一冊です。「翻訳夜話」の続編という形ですがこちらから読んでも特に違和感はないと思います。とても豪華な後書きでした。 -
物語を物語としてストレートに受け取るのではなく、
物語の本質を読むことを教えてくれた本。
ライ麦と合わせて、私に読書の新たな味わい方を教えてくれた本になりました。
「キャッチャー」は思春期に宿る潜在的反射精神を刺激する、起爆剤だなあと改めて。
作者であるサリンジャーが、世の中への条理にどれほど違和感をもち、それが「キャッチャー」を生み出したのかがよくわかる本でした。
小説を読み解くって最高に面白いですね… -
↓貸出状況確認はこちら↓
https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00104782 -
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(以下、この本に沿って『キャッチャー』と呼ぶ)の翻訳を手掛けた村上春樹と、彼の翻訳仲間である柴田元幸が、翻訳者という視点からサリンジャー及び『キャッチャー』について縦横無尽に語る本。
小説について作家が語る本を読むのは、おそらく初めてだと思う。読書ガイドとして書評集を買うことはあったが、どれも一冊につき2~3頁程度で語られており、こうして一冊の本としてガッツリ語られたものを読んだことはなかった。 読むことになった理由は、『キャッチャー』を読んだ時の印象が、普段読む多くの青春小説に比べ非常にもやもやした感覚が残ったため。
青春小説というと、例えば主人公に好きな人がいて、その女の子(男の子)とのロマンスがある。で、相手を愛したり憎んだりいろいろして、結ばれたり結ばれなかったりする。そして、そこで様々な経験を通じ、物語が始まった時より少しだけ大人になっている。そんな物語が圧倒的に多い。古くは夏目漱石の『坊っちゃん』とか、私の愛してやまない『文学少女シリーズ』とか、最近なら『君の膵臓をたべたい』とか、アニメ『宇宙よりも遠い場所』とか。
こうした「物語を通じた若者の成長」という枠に、どうしても『キャッチャー』がしっくりこなかった。元々大反響を呼んだ小説だということはもやっと聞き及んでいたので、この違和感の正体を垣間見たくて、この本を読むことにした。
この本で語られている限り、やはり主人公の成長というよりは、ホールデンは永遠の16歳であり、「そこにしっかりと留まり、読者の心のひとつのありかとして機能することを宿命づけられた小説」(p.220)なのだそうだ。
また、同時に米国の、しかも60年代の小説ということもあり、出版当時教育界などからヒステリックなまでのバッシングがあったこと、今でも一部では有害図書として扱われていること、ある凶悪殺人犯がこの小説をバイブルの如く扱っていたこと、当時は(日本もそうだろうが)社会・世間の繋がりが非常に強かったので、説教や世間に当て嵌めるような教育が今以上に重視されていたこと、など、小説を読んだだけでは気付けなかったものも多数あり、作品の理解(?)に大いに役立った。
あとは、サリンジャーがホールデンのように、あるいはホールデン以上にイノセンスな世界にのめり込んでしまい、隠遁生活を送るようになるという解説のくだりはやはり印象的だった。前にも後ろにも進めないホールデンの閉塞感が悪い方向に向かってしまったような(そりゃ社会から隔絶された隠遁生活が悪くも何ともないと言えばそれまでだが)、汚いとも取れるノット・イノセンスの世界を拒絶するということがどういうことか、
突き付けられている気もする。 -
買って読んでない「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、そろそろ読んでみよう。
-
1
-
翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)
著者プロフィール
村上春樹の作品
