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Amazon.co.jp ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784166604746
感想・レビュー・書評
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生命科学がどこへ踏み込もうとしているのか、そこにある生命倫理をとはなにかをテーマに、生命科学の情報サイト「Life Science Information Net」の主宰も務める著者が12人・11分野の第一人者(哲学者・サイエンスライター・宗教学者・発生生物学者・ウイルス学者・ナチュラリスト・医師・ノンフィクション作家・宇宙生物学者・分子生物学者・社会学者)との対話を納めた一冊。それぞれの対話一つ一つがとても考えさせられる。そして本書の最後には「終章 未来」と題してこれらの対話や取材を終えた時点での著者の考えが明確に記されている。あまりにも深く難しいテーマのため、書評は控えるが、様々な意味で考えさせられる。簡単には答えが出ないことを象徴するかのように、著者は本書の最後をこう結んでいる。「新しい生命科学によって変わりつつある「いのち」の現場からの中間報告と対話。本書がきたる未来医療に向きあうための一つの手がかりとなることを願いつつ、ここで再び”いったん”筆をおくことにする。」本書は、特別な人々にとってではなく、一般の人々にとって、貴重な手がかりを提供してくれる一冊であると思う。
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人という以前の胚や受精卵など命に手を入れるのは傲慢か、
今までの亡くなった命とこれからの犠牲になる命、病気が治るためという病気治癒の目的、遺伝子解明という知的好奇心、人はどこまで命をいじれるのか、ただ反対だけでは盲目的すぎる
難病やがんになったら治してほしいという希望
議論を重ねて国際基準をつくり試行錯誤をしていってほしい。
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ほんとに色んなテーマを手がけていますなこの方は。生命倫理専門調査会の傍聴を続けたり、LNETという生命倫理をあつかうWEBサイトを主宰したりしていたそう。本書は対談集で、相手は理系の学者さんから、哲学者、宗教学者、医師、プラントハンターなど多彩。クローン羊のドリーが話題になったあと少し下火になり、ES細胞の医療への応用が議論されだした時代(ips細胞は未登場)。
全般的にクローン、ES細胞、遺伝子組み換えなどに慎重なスタンスである。ただ慎重であることはいいが、医療への応用などいつまでも時間をかけられない分野があることも確か。いつまで議論しても、はっきりした答えが出るような問題でないと思う。そんな中で「すべての治療は過渡期の治療なんです」というノンフィクション作家後藤正治の言葉が印象的だった。
古澤満「岡崎フラグメント」と「進化の不均衡説」。二本鎖のそれぞれでコピーのされ方、エラーの発生率が違うと。オリジナルはオリジナルで残したまま変異を生み出せる。 -
医療技術の進歩とバイオテクノロジーの進歩が、
「いのち」という尊いものを忘れてしまっているのではないか?
という問いかけが新鮮で、
少し読んでは、考え、少し読んでは、考え、
実に、考えることが沢山あることに、
自分の問題意識の少なさを痛感しました。
ドリーの衝撃からはじまるこの書は、
わたしにとっては、ドリーは、余り衝撃ではなかった。
というか。あり得る現実だと思っていたので。
ただ、クーロンネコにまで発展していくのは、どうも行きすぎだ。
と思いましたが、経済という論理が大きなチカラになっていること
もうなずくしかないなと思っていました。
人工授精した卵子から、ES細胞(全能性を持つ)を作り出す。
それは、遺伝子病治療、再生医療に発展するが、
クーロン人間の領域にまで発展する。
先端医療技術がつぎつぎに成し遂げる新しい技術は、
「いのち」というものをどうとらえるかで、
ある意味では、神の領域に発展していくことにもなるのだ。
著者の真摯な追及の姿勢は、いたるところにあらわれていて、
沢山の問題提起を頂いた。
晴耕雨読というが、
雨の日に、じっくりと本を読むことは、
よくこころの中に落ちていきますね。 -
iPS細胞のことが、ノーベル賞で、わーーっとなって、手放しで絶賛という雰囲気をものすごく感じ、もやもや~と違和感のようなものが、胸でうずまいていた。たしか『福祉労働』でiPS細胞のことが書いてあったなーと、また読んでみたりした。
何からたどりついたか忘れてしまったが、最相葉月のこの本も、わーーーっとなってる時に何かでみつけて、借りてきて読んでみた。本としては2005年に出ているが、メインの「対話」はほぼ10年前、2002年の春から約1年、とあるPR誌に掲載されたもの。その記事を「対談形式に書き改め、現状をふまえて大幅に改訂を行った」とある。
クローン羊のドリー誕生(1997年ネイチャー誌で公表)、ES細胞の培養・増殖、そしてEG細胞の培養に成功したニュース(いずれも1998年)をうけて、日本では科学技術会議生命倫理委員会の下部におかれたクローン小委員会がクローン技術の人への応用と規制について審議しており、最相葉月はその傍聴を続けていた。
日本政府の方針は、「クローン人間については厳しい罰則のある法律のもとで禁止するけれども、それ以外のヒト胚研究は医療目的であれば今後どんどん開いていこう、ということなのだ」(p.20)。その後、いわゆるクローン法案が2000年に国会を通り、「同じヒト胚なのに、クローン人間は法律、クローン胚は法律に基づく指針、ES細胞は行政指針、不妊治療は日本産婦人科学会の会告、と規制のレベルがバラバラといういびつな状況」(p.22)は決定的となった。ヒトゲノムの解読プロジェクトも進められていた。
最相は、「病気を治すための研究を推進するのが何が悪いのか、医学目的ならよいではないか、と考えるのはあまりにナイーブすぎる」(p.24)と書いている。iPS細胞でわーーっとなってることに対して、私は似たようなことを感じる。
「ライフサイエンス・インフォメーション・ネット」(LNET;2007年11月で更新を停止)という場をネット上にもうけ、そこで議論をしていこうというサイトの運営にも最相は携わった。サイトの目標として、「なぜ、どんな目的でその技術が生まれ、それによって何がどうなるのか、生じうる問題に対処するには何をすればいいのかを的確に把握し、公平に評価し、社会的な合意を得るために専門家と一般の方々との橋渡しをしたい」「あなたがあなた自身の考えを深めるための補助的役割を果たせれば幸いです」という二点を掲げたという。
こうした活動と同時に、各分野の専門家と対話し、この時代の変わり目に多くの人を考えをうかがっておきたかったと、最相はこの本のメインとなっている「対話」を始めた。それは、最相自身が「初めてドリーを見たときに覚えた違和感が、技術を知れば知るほど薄れていくことに不安を感ずるようになったためでもある」(pp.31-32)という。
この本で11章まである「対話」はどれも、ぐっと考えるところがあった。
中でも私にずーんときたのは、10章の「遺伝子診断と家族の選択」。アリス・ウェクスラー&武藤香織との対話。神経難病だった母のお供で難病連や難病友の会などの会合に出たときに、遺伝子診断の話も聞いたことがある。一方の親がもつ難病について、子どもの遺伝子診断をした親御さんが、その結果を子どもに伝えるかどうかで悩んでおられた。母の発症は同じ病気の中でも遺伝性ではなく弧発性だと言われてはいたものの(もしかしたら)という思いは私の中にある(といっても、私はそういう診断を受ける気はない)。
ウェクスラーさんには、ハンチントン病の発症リスクをもつ当事者として、自分と家族の体験、病気の原因遺伝子が発見されるまでの科学者の営みをつづった"Mapping Fate"という本(邦訳『ウェクスラー家の選択』)があるそうだ。武藤さんは、その本を共同で翻訳した一人。この邦訳を読んだ最相は、「病気を突き止める技術が治す技術よりも先走る時代を生きる家族のあり方について、お話をうかがいたいと思った」(p.231)と書いている。
恋愛を含めた自分のプライバシーを明らかにすることに葛藤はなかったかと訊かれて、ウェクスラーさんはこう答えている。
▼センセーショナリズムをねらったわけではなく、遺伝的な疾患をもつことが家族のありとあらゆる面にかかわっているということを書きたかったからです。遺伝性疾患の患者と家族が抱える苦しみについて臨床現場の理解が不十分だと思うことがありましたし、病気が予測できるなら問題はすぐ解決すると医師の方も思いがちでしたので、事態はもっと複雑であることを伝えたかったんですね。(p.233)
病気の原因遺伝子が発見されても、治療法が見つかったわけではない。そこで、将来病気になる可能性についての診断を受けるのかどうかという新たな問題が出てくる。ウェクスラーさんと妹さんは、検査しないこと、「知らないでいる権利」を選ぶ。
遺伝的情報は、医学的にはそれなりの意味があるだろう、けれど、それと同時に「われわれは遺伝子そのものではない」ことも忘れてはいけないと思うとウェクスラーさんは語る。武藤さんの「医学だけが助けられるわけではない」という言葉にも深く共感した。
(10/25了) -
それぞれの章は生命科学に関係するさまざまな分野の著名人と対話で構成されている.全11章,生命科学や哲学に関して考えさせられる内容である.
この手の対話形式の本は手抜きの内容のものが多いが,しっかり編集されており,著者の意見も同様にしっかりと記述されている.
著者プロフィール
最相葉月の作品
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