遺伝的プログラム論 人間は遺伝か環境か?――遺伝的プログラム論 (文春新書 485)
- 文藝春秋 (2006年1月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166604852
感想・レビュー・書評
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遺伝か、環境か?氏か、育ちか?という二元論で議論されてきたが、どうやら遺伝的プログラムによってある前提が満たされると発現するというのが正しいらしい。また、学習は遺伝と対立したものと思われてきたが、遺伝的プログラムで学習の発現がなされるというらしい。なるほどな。氏も育ちもどちらも大事なのだな。
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学術論文、というわけではないらしい。
結局、遺伝と環境の二つの要素が人間を形作る。環境による学習効果は特に大事で、集団生活が重要、というのが持論らしい。この持論へのこだわりが非論理的で、論拠が危うい。従い、後半に掲載される対話の中で、集団生活の必要性に対し、人間そのものはプライバシーを好むという点において自己撞着に陥ってしまう。非論理的に流れを組み立てると、このような、ゴール不明な書物が度々生まれる。そもそも、行動一つ一つを領域別に識別をしないから、論が混乱する。お風呂や睡眠を集団生活で済ます必要はない。労働や教育は、きちんと社会生活においてなされている。その点、現代が単独生活で危険とは全く言えない。そもそも、テレビの効果をどう見るか。主論に戻ってもそう。環境因子と遺伝因子を要素ごとに分けなければ。全体感でもって、複合的です!なんて帰結は、はっきり言って無意味だ。
そもそも。…だろう、…と思う、…かも知れない。などの推測のままの文章に意味があるのか?
言葉はキツイが、残念な書である。 -
環境なのか
もって生まれた才能なのか
人間は、環境か、遺伝子か
これだという結論を期待した・・・が、
人生は遺伝で決まっているわけではないが、
全く関係なくもない
遺伝子プログラムは具現化される
その具現化されるその瞬間は、
人間個々のそれぞれの場所と時が関係する・・・
と、考えると、
やはり遺伝子にも環境は影響力を持っている
遺伝子は揺るがないし、変わらない
科学だけで人生は決まらない
99%の科学
環境が
1%の化学反応をおこす
その1%の違いが
とてつもなく大きな違いになる
人間は、環境の動物であることは
間違いないと思った。 -
『利己的な遺伝子』などのR.ドーキンスの著作やローレンツの古典『ソロモンの指環』などの翻訳がある、その行動遺伝学の大家である日高さんが書いた本ということで、Amazonのリコメンデーションで引っかかったので読んでみました。
内容は、少々薄く、特に新しいものであったり独特であったりする知見が見えません。新書なので、そういうものなのかもしれませんが。最後に収められた佐倉氏との対談でいみじくも佐倉氏から指摘されているように、今この本を書く意味というのがよく分からない。新書ブームに乗った小遣い稼ぎかな、とも取られなくもない。回答として教育の現場の混乱をおさめるというのが意図らしいですが、その目的を達せられるとは思えませんね。
マット・リドレーの『やわらかな遺伝子』に触れて、「ぼくの考えもあれに非常に近い」と言い、ただし「あの本ではあんまり細かいことをいい過ぎて議論が本質的なことからずれてしまったところがあるんですね」というのは、謙虚さに欠けるように感じます。
まあ、さらっと短時間で読めてしまうので、長いフライト中の時間つぶしなんかにはよいかもしれません。 -
いや、ためになる。
へー、ほーと口にだしてしまうほど、驚きと納得の連続である。