私家版・ユダヤ文化論 (文春新書 519)

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  • 文藝春秋
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  • / ISBN・EAN: 9784166605194

感想・レビュー・書評

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  • 面白いっ!

    哲学界の翁、内田樹による
    「私家版」ユダヤ文化、ユダヤ人論。

    卓越した知力と教養を身につけ、
    政界、財界、芸術界とありとあらゆる
    世界でトップに栄えるユダヤ人。

    しかしその歴史は、
    受難と迫害の歴史である。

    そもそも「ユダヤ人」とは何者か。
    なにゆえに彼らは、これほどの知性を身に着けたのか。


    -ユダヤ人たちが民族的な規模で開発することに成功したのは、「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と『私はついに私でしかない』という自己繋縛性を不快に感じる感受性」である-

    -「選びは特権から構成されているものではない。それは有責性によって構成されている」-

    -ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを否定するわずかによけいな身ぶりによって、自分がユダヤ人であることを暴露する存在として構造化されている-

    -『たしかに、おまえは一個の自我である。たしかに、おまえは始原であり、自由である。しかし自由であるからといって、おまえは絶対的始原であるわけではない。おまえは多くの事物、多くの人間たちに遅れて到来した。おまえはただ自由であるというだけではなく、おまえの自由を超えたところでそれらと結びついている。おまえは万人に対して有責である。だから、おまえの自由は同時におまえの他者に対する友愛なのだ。』-


    「ユダヤ人」をテーマに人間を、神を、宗教を、哲学を
    鋭くえぐり出す内田樹の傑作。

    決して読みやすい本ではないが、
    構造主義の基本を抑えている方であれば
    ぜひぜひ手にとって欲しい一冊。

  • ユダヤ人迫害の根底にある問題について考察している本です。

    本書では、日本における「日猶同祖論」やヨーロッパにおける反ユダヤ論の言説が紹介されていますが、それらの歴史を実証的に解説することが目的ではなく、「反ユダヤ主義には理由があると信じている人間がいることには理由がある。その理由は何か」という問いを掘り下げることがめざされています。

    その結論は、フロイトの議論を援用しつつ「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していたから」というものですが、著者自身がくり返し述べているように「分かりにくさ」があります。著者が社会的構成主義の言説に対してその〈起源〉への問いを投げかけているところに、本書を理解する手がかりを見いだすことができます。著者は、「父権制的な社会慣行が「男性/女性」というジェンダーを作りだした」という「構築主義的言明」に対して、「男性に社会的リソースを集中させるための抑圧的構築物である父権制社会が成立するためには、それに先立って性差がすでに有意なものとして意識されていなければならない」のではないかと問いかけます。このような問いかけは、「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が作り出したものである」というサルトルの議論に対しても向けられています。すなわち、「なぜ他ならぬユダヤ人だけが、このような出口のない状況にあらゆる時代あらゆる場所で繰り返し追い込まれるのか」という〈起源〉への問いに、サルトルはこたえていないと著者はいいます。

    こうした問いに対して著者は、ユダヤ人思想家であるレヴィナスを参照しつつ、ユダヤ思想のうちに〈起源〉への遅れという主題があることを指摘することで、こたえを示そうとします。われわれはみずからの〈起源〉に対して決定的に遅れてしまっており、それゆえに有責であるという発想が、ユダヤ人の神に対する信仰を支えており、ユダヤ人への迫害はそれを「反復」することにおいてみずからをかたどっているのだということができるでしょう。著者は「私たちがユダヤ人について語る言葉から学ぶのは、語り手がどこで絶句し、どこで理路が破綻し、どこで彼がユダヤ人についてそれ以上語るのを断念するか、ほとんどそれだけなのである」と結論しています。

  • 以前読んだが、なんとなく忘れていたので再読。

    ①ユダヤ人を定義するものは何か?
    ②どうして迫害され続けてきたのか?
    ③どうして優秀な人材を輩出するのか?

    こういう基本的な事を知りたかったが、結局はっきりした結論らしきものは書かれてない。
    いろいろ考える材料はあるので自分で考えるのも一興。

  • ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々であり、ローマ帝国時代から常に迫害され、忍耐と知性で自衛してきた。国民国家が成立していった19世紀、自身の国を持ちたいというシオニズムも起こり20世紀前半それの反動で弾圧され(迫害するのが普通の教養人であったことも悲劇的)ホロコーストにまで至り…。未来にも迫害はあるだろう、それが民族の終わり=神の意志かもとまで彼等は覚悟している。 0.2%の人口で、ノーベル賞の2割を得た民族の知的優位はいかに形成されたのか。考察は、ついには知性そのものがユダヤ人の発明かとまで展開していく

  • 先日ポーランドとチェコに行き、クラクフとプラハにあるユダヤ人街を訪れた。
    日本ではあまり見かけない(私が意識していないだけかもしれない)が、ヨーロッパや東南アジアなど移民が多い国には「中国人街」や「インド人街」が至るところに存在する。
    しかし「ユダヤ人街」は聞いたことがなかったし、どのような雰囲気なのか想像すらできなかった。ガイドブックにも載っていて定番の観光地らしいが、実際足を運んでみる
    と人通りは少なく、見たことのない文字の看板が並び(おそらくヘブライ語)、それまでいた街より温度が低い気がした。
    そういえば、ミラノに住んでいた頃通っていた小学校の目の前にはユダヤ人学校があった。なぜかユダヤ人学校の前には常に大きな銃を持った警官がいた。当時住んでいた学校の近くのマンションにはユダヤ人も住んでいたが、話したこともなければ挨拶をした記憶もない。幼いながらユダヤ人には特別の事情があるのだと感じた。
    「ユダヤ人」の話をするときにだけ感じるこの特別感は一体どこから来るのだろう、なぜそう感じるのだろうか。ずっと気になっていたので、まずは内田先生の本を読んでみようと思った。

    しかし、予想以上に難しい内容で、恐らく半分も理解できていないと思う。
    でもそれもそのはずで、筆者自身が「ユダヤ人について語るとき、どうしてもユダヤ人を傷つけることになってしまう」ということを避けるために、ユダヤ人が読んでも納得してもらえるような書き方をしたそうだ。故にユダヤ人ではない人が読むと分かりづらい内容になってしまったそう。
    このわかりづらさがユダヤ人問題の難しさを表しているのだと思った。ユダヤ人を知る上で導入に相応しいかはわからないが、ユダヤ人問題、反ユダヤ主義の複雑さを知るにはよかった。

  • 【ノート】
    ・やっと読んだ。途中までは少し分かりづらかったりしたが、終盤の展開には引きこまれた。ところどころに出てくる「内田節」は、時にはホッとしたり、時にはちょっと鼻についたり。
    ・時間の観念を逆行させての有責性についての記述はちょっとまだ咀嚼できていない。
    ・人の善性を神の賞罰から切り離した「成熟した」知性。「神の賞罰を基準にしているのは幼稚な状態」という辺りの記述には、幼少の頃から感じていたモヤモヤしたものを一気に吹き払われたような感じ。
    ・アドルノとホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」との共通項が多い。きちんと突き合わせて精読すべきだと思った。
    ・で、結局、「ユダヤ人」って誰のことなんだろう?

  • ユダヤの選民思想とは何か。その思想的意味を内田樹が思い入れたっぷりに語る。本当かどうかはわからないけれど、一つの考え方としておもしろく読んだ。

  • 街場でない内田先生は難しい。

  • ナチのホロコーストを否定した雑誌マルコポーロを廃刊に追い込んだユダヤ人人権団体(サイモン・ヴィーゼンタール・センター)や日露戦争において日本への戦費調達支援により間接的に反ユダヤ政策を取ったロシアを敗戦に追い込んだアメリカ在住のユダヤ系銀行家ジェイコブ・シェフ等に例示されるように、ユダヤ人が同胞意識に基づいて取った行動が第三国における社会情勢や戦争の行方を変えてしまうほどの力を及ぼすことがある。
    この行動を支えている「ユダヤ人」という概念が何であるかを探ることで、なぜユダヤ人が二千年にも及ぶ淘汰圧を乗り越え著名な人材※を輩出しているのか、「わたし」という存在の定義はどのようになされるのか、を解き明かす。

    「ユダヤ人」とは、国民国家の構成員でも、人種でも、宗教共同体でもない。サルトルいわく、「ユダヤ人を作り出したのは反ユダヤ主義者である。」(現在は、母がユダヤ人かユダヤ正教に改宗した人のことを言う)

    19世紀ヨーロッパでは、産業革命によってもたらされた貨幣経済の活発化による社会の急激な変化と、革命によるユダヤ人解放と彼らの経済活動への進出が同時的に進行した。ユダヤ人は農地が与えられず、ギルド組織からも排除されていた。既存の業種につくことができない彼らは、流通、金融、運輸、通信、マスメディア、興行といった新興業界やニッチビジネスに雪崩れ込む以外に選択肢がなかった。ユダヤ人が新たな産業を興したというよりは、新たな需要を喚起する以外にユダヤ人には生計の道がなかったのだ。
    産業革命によってもたらされた急激な近代化、都市化、格差の拡大に対する恐怖・嫌悪感が反体制運動を活発化させた。反体制派の指導者は、「ブルジョワジーvsプロレタリア」という近代的な階級対立図式を古典的な「アーリア人vsセム人」の人種対立図式に重ね合わせることで、すべての社会的矛盾を「反ユダヤ主義政策」に帰結しようと試みた。それゆえ、フランスでは『ユダヤ的フランス』という書籍が爆発的セールスを記録した。
     
     ユダヤ人は、多くの領域でイノベーションを担ってきた。それは、彼らの特異な歴史・文化・民族的背景によって、ユダヤ人には「自分が現在用いている判断枠組みその者を懐疑する力と『私はついに私でしかない』という自己繁縛性を不快に感じる感受性」が育まれたからである。
     これからも、そうして得られた才能を活かして多くの「ユダヤ人」が富や名声を得ることが「非ユダヤ人」の嫉妬を生み、また、彼らの社会的影響力が脅威の対象となって、新たな差別・迫害へと発展していく負の循環が構築される可能性は、十分にあり得る。


    ※多分野で活躍するユダヤ人
    1901年から始まるノーベル賞受賞者のうち、医学生理学48/182、物理学44/178、化学26/147とそれぞれ約20%前後を占めており、ユダヤ人の全人口比0.2%から比べるととんでもない数値。

    ※著名なユダヤ人
    スピノザ、カール・マルクス、フロイト、エマニュエル・レヴィナス、クロード・レヴィ=ストロース、ジャック・デリダ、アルバート・アインシュタイン、チャーリー・チャップリン、ウディ・アレン、ポール・ニューマン、カーク&マイケル・ダグラス、バーバラ・ストライサンド、ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマン、グスタフ・マーラー、ウラジミール・アシュケナージ、リチャード・ドレイファス、スティーブン・スピルバーグ、ロマン・ポランスキー、キャロル・キング、ビリー・ジョエル、ベット・ミドラー、ポール・サイモン、レニー・クラヴィッツ、イギー・ポップ、ルー・リード、デイヴ・リー・ロス。

    ※※ユダヤ人に関するキーワード
    「シオン賢者の議定書」「シンドラーのリスト」「戦場のピアニスト」「アンネの日記」ドレフュス事件、カバラー、タルムード

  • ユダヤの文化論を学ぼうと思ったが、いっそう混乱した。
    一言で書くならこうだろう。

    10/13京都で関西・名古屋アウトプット合同勉強会に参加してきました。
    今回は3冊(レヴィナスと愛の現象学、街場のメディア論)の中から
    僕は私家版・ユダヤ文化論を選びました。

    選んだ理由としては、僕はユダヤ人がとにかく経済的に成功している人たちが多く、
    何か少しでも彼らから学びたいと思い本を選びました。

    本の内容はユダヤ人とは誰?から始まる。
    ユダヤ人の定義は実のところすごく難しい。
    ユダヤ教徒をユダヤ人というし、
    イスラエルに住んでいる人たちはユダヤ人を指すことが多い。
    また全世界に住んでいるユダヤ人もいる。
    本の中で、サルトルは「ユダヤ人とは他の人がユダヤ人だと
    思っている人たちである」という、素人でもわかるこの論理が
    実は非常に重要だ。
    そしてユダヤ人が迫害される理由を宗教的理由と経済的理由をあげている。

    そしてここから反ユダヤ主義がなぜ起こったのか、
    サルトルとレヴィナスを引用して内田先生は語っている。
    あらすじはここでストップ。

    僕は本を通じてユダヤ人ほど自己のアイデンティティを
    考える人たちはいないのではないかと思ってしまった。
    彼らは神から選ばれた者としてのプライドをもち、そしてある種の責任、
    何といえばいいのか、受難を受けて自己を超越した存在とみなすというか。

    またなぜユダヤ人はあれほど才能にあふれているのか?
    ノーベル賞で受賞履歴、例えば医学生理学賞では26%
    (1901年から2005年まで、その他化学賞、物理学賞も似たような数字)。
    全人口の0.2%から考えるとその突出ぶりがわかります。
    これだけでなく、映画界、音楽会にもユダヤ人は数多くいる。
    これを考えると既存の考えを打ち破る特異な思考法を民族的に持ち合わせているのか。

    いったい、どうすれば僕は彼らのような思考法を身に付けることができるか?
    一つできることはまず疑うということだろう。
    何かものを見るときに人の意見をしばしば事実とみなすことが多い。
    でもそれは往々にして事実でないことが多い。
    成功者は周りが出来ないと言われたことをやり遂げるからだ。
    本質を見る訓練を積めば少なくとも正しい決断はできるのではないかと、
    ここでは学んだ。

    この本を読んでもっとユダヤについて知りたくなったな。
    次はタルムードの教えを読みたい。

著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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