十七歳の硫黄島 (文春新書)

  • 文藝春秋 (2006年12月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784166605446

感想・レビュー・書評

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  • 栗林中将の名を一躍知らしめた梯さんの『散るぞ悲しき』が兵団長の大局観に基づく戦記だとすれば、本書は若き通信兵という一兵卒の生還記である。

    バンザイ突撃を自重しゲリラ戦による持久戦をしかけた硫黄島戦は、それゆえ将兵に苛烈な耐久と消耗を強いた。
    物量・軍備・兵員すべてで劣る場合、ゲリラ戦に持ち込むしか手はない。本戦法は米軍に多くの死傷者をもたらし、「硫黄島戦と沖縄戦のような戦闘が続いていたら分からなかった」と言わしめた。確かに効果的だった。それが戦う者にとってどれほど過酷かを本書は教えてくれる。

    著者は本業の文筆家ではないためいささか読みにくい個所はあるが、そのことが本書の価値を損なうことはない。
    とくに、遺体が置かれた霊安所に立ち昇る無数のリンに著者が「囚われる」シーンは圧倒的であった。

  • 私は歴史は苦手で好きでない。戦争の話は人殺しや暗い話ばかりで、とにかく怖いので近寄らなかった。でも、歳を重ねるうちに、なぜ戦争が起きたのか。その時代を人はどう生き抜いたのか知りたくなった。この本は少し飛ばして読んだが…壮絶。よく生き延びて書き残してくださった、と著者には敬意しかない。生きることに貪欲であること。人として1番の課題と思う。

    戦争はとにかく起こしてはいけない。
    そして人は生きなくてはならない。
    万が一、何者かに攻められてきた時、自分たちや子孫を守るために何をしたら良いのだろうか。
    考えはまとまらない。答えは出ない。

    一人の力が世の流れにどこまで影響を与えるかわからない。それでも世の中の流れをしっかり見つつ、決して戦争の流れに乗らないようにだけはしたいと心に誓う。

  • 一万人が一発ずつ打っても一万発になるのに

    という言葉に恐ろしくなった。

    圧倒的な戦力差でよくあそこまで耐えれたなと本当に尊敬する。何度も黙祷した。

    手榴弾での自決は木っ端微塵になってしまうのか。

    死体が転がってても米軍の島全体への砲撃銃撃などでどんどん粉になり体も跡形も無くなってしまうのか。

    硫黄島に行ってみたい。だけど恐ろしい。
    人が粉々になって島に溶け込んでいる。

    苦しすぎる環境はもはや想像もできないが、知らないのは絶対にいけない。この事実を私たちは次の世代として知るべきだし語り継いでいきたい。
    あの死が意味のないものとならないように、平和であり続けるように、命が脅かされないように、過去を学ばなければならない。そして、平和に感謝し英霊達に黙祷を捧げるべきである。

    私は硫黄島の戦いのことを全然知らなかった。社会の授業も真面目に受けていたのに、Twitterで知ってそこから調べに調べて本も読むようになった。
    もう少し調べていこう。学ぼう。

    本にしてくださったこと感謝しかありません。
    3年前にこの本に出会っていれば直接お手紙にて感想を伝えられたのに今ではそれも叶いません。
    生き延びてくれてありがとうございました。伝えようとしてくれてありがとうございました。
    次の世代として、しっかりと学び後世に伝えるべきだと感じております。

    カラー化の硫黄島の当時の映像で、アメリカ軍が火炎放射器で火を水のように前に向かって放っていることに絶句した。

    あの中で兵士に火がつき、本に書いてあったことが起こるのか。
    筆者はなるべくなるべく奥に行ってなるべく布を重ねたけれど、郷から出たときには髪の毛は折れるほどになり、黒焦げになっていたのか。

    料理でしか使わないよ火。
    それでも手をかざすと熱いってなるのに自分に向けられるなんて考えられない。
    なんで水撒いているんだろうと思ってたけどあれガソリンらしいし。

    一つ一つの人生が一瞬に消える。
    積み重ねてきたことも、関わってきた人たちとの思い出も、関わった人に残るその人も失われる。
    恐ろしい。

  • 『その記録は両親にはどうしても見せたくなかった。知ったらどれほど悲しむか』という言葉がとても刺さった。国の為に戦場へ赴き、九死に一生を得るような経験をしても、それを吹聴することは出来ない。そんな戦場だった。

    この本の前に栗林中将について書かれた本を読んだときと硫黄島の戦いに対する印象が全然違った。そちらも別に栗林中将を美化して書いたものというわけではなかったけど、作戦総指揮をとる人間を追って戦場を読むのと、運良く助からなかったら名もなき兵士として精霊となったであろう一人の兵士を追うのでは、やはり全然違う。

  • [ 内容 ]
    志願兵として玉砕の地・硫黄島で戦い、傷つき、壕の中で生き延びること約三ヵ月。
    硫黄島で死んだ仲間達を思い続け、六十一年目に初公開する少年兵の心と身体に刻まれた戦争。

    [ 目次 ]
    第1章 米軍上陸は近い
    第2章 情報収集
    第3章 米軍上陸
    第4章 摺鉢山の日章旗
    第5章 砲撃と負傷
    第6章 玉名山からの総攻撃
    第7章 壕内彷徨
    第8章 一瓶のサイダー
    第9章 石棺

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  • ふむ

  • 916-A
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  • 硫黄島兵士の真実。硫黄島に絶対行きたくなくなる本。

  • 戦記というジャンルでいいのかな。
    正直さほど戦記ものは読んでないが、映画「硫黄島からの手紙」に感銘受けて、こちらを購入。
    17歳の通信兵の経験談はだいぶ局所的。しかし悲惨さが薄目なので案外さらっと読める。

  • 硫黄島から生還した17歳の志願兵の記録。映画「硫黄島からの手紙」を見て興味を持ち読んでみた。

    実際の戦闘は映画より凄まじく、米軍はより多く、弾丸も火炎もより多く、血潮もより多く、なによりも糞尿と死臭とが地下壕に満ちているのが手記を通じて分かった。そして島の各所の部隊壊滅後は統制が無くなり、捕虜の虜囚を受けずとの日本軍紀から投降の呼びかけに応じようとすると同僚に撃たれてしまう、あるいは手榴弾での自爆を強要、あるいは選択と地獄絵図となっていた。

    著者は昭和2年生まれ、昭和20年時18才なので普通なら招集年齢に達していないが飛行兵になりたくて少年航空兵の試験を受け一次の飛行兵には落ち第二志望の通信兵となって横須賀で訓練をうけたのち昭和19年7月30日に硫黄島へ到着する。通信兵なので直接の戦闘はしない分状況が見えていたようだ。

    有名な摺鉢山の星条旗も持ち場の玉名山の送信所から目視している。ここで興味深い記述。2.23の十時過ぎに星条旗が立つところを見た。米艦からは汽笛が鳴り響いた。があくる朝見ると日ノ丸になっていた。すぐさま星条旗に代わった。翌早朝2.25また日ノ丸が。8時頃は日の丸が抜かれ、午後1時ごろ星条旗に代わった。日ノ丸をバーナーで焼いている。その後日の丸が立つことは無かった。とあった。

    がしかし通信所が爆撃を受け、南方空本部に状況報告に行く途中右手3本を失くし左ももに負傷をし自身の玉名山には戻れず医務室に残ることになり、そこでの突撃決定にも参加できず、それが生存する元となった。栗林中将が自決したのは3月26日、著者がグアム島の捕虜収容所に搬送されたのが6月1日。

    本より
    S19.7.30 硫黄島へ到着
    S20.1.24,25と米軍の海、空からの砲撃と空襲。以後砲撃の無い日は無いくらい。※米軍上陸前にかなりな損傷を受けている。
    S20.2.19米軍が本格的に南海岸に上陸
    S20.2.23米軍摺鉢山を制覇し頂に星条旗を立てる
    S20.2.28米軍は島中央部にまで進む。
    S20.3.1 著者のいる玉名通信所が攻撃を受け機能が停止する。状況を知らせに少し北にある南方空本部壕通信司令部に行くがこの時右手3本を失い左腿に弾を受ける。
    S20.3.6 負傷のため南方空本部隣の医務室にいたが竹やりを持たされ、東と南部隊で突撃をすると言われる。
    S20.3.8 指揮の海軍部隊首脳は本部の栗林司令官にその旨かろうじて通じる無線電話をし「総攻撃は好ましくない」と返電を受けるが無視し攻撃をした。
    S20.3.9 まだ動けずそのまま地下にいる。
    S20.3.10 どこからか数人将兵がやってきてこれからは俺が指揮を執る、というが何もしなかった。地上に出てみたり別な壕にいってみたりした。
    S20.3.25過ぎ 地下壕に北司令部から来た人がいて、高野通信長は将兵を外に出すと銃声が聞こえ見ると事切れていた、25日には栗林兵団長は大阪山で負傷し自決したのではないか、と伝聞する。自身に湧きでたウジ虫を食べて飢えをしのぐ。別な人からは覆いかぶさった別の兵隊から流れ出る血を飲み渇きを癒したと聞く。
    S20.3- 見はり所の外に向かおうとするが気を失う。
    (S20.5.7 最後の日本兵の集団が掃討される。※この時捕虜になったのではないかと思われる)
    S20.6.1 グアム島に搬送される。

    あとがき補足には
    2006年夏のNHKスペシャル「硫黄島玉砕戦ー生還者62年目の証言」に登場、初めてマスコミの取材を受ける。オンエアされなかったがこう続けたという「あの戦争から60年、この国は戦争をしないですんだのだからおめえの死は無意味じゃねえ、といってやりたい」

    2006.12.10発行 2007.2.1第7刷 図書館

  • 硫黄島のことを何も知らなかったが、少年兵の目で見た戦争として知ることができたのがよかった。少し能天気で、でも死を覚悟している軍国少年の青春が垣間見られた。戦争映画でなく、等身大の少年の記憶。

  • 米軍上陸は近い◆情報収集◆米軍上陸◆摺鉢山の日章旗◆砲撃と負傷◆玉名山からの総攻撃◆壕内彷徨◆一瓶のサイダー◆石棺

  • 硫黄島の戦いをかろうじて生き延びた秋草さんの体験記。

    これを読むと、死して何も語れずにいた大勢の人達を前に、語ることの意味を問い続けることが課された生への重みを感じさせる。
    どこまでが当時の思いで、どこまでが今振り返った思いなのか定かではないが、体験記としては非常に上手くまとめられていて、読みやすい。

    ここには栗林中将といった中核となる人達は登場しない。
    それでも、彼の影を感じ、同じ戦場のどこかでこの事態と向き合っていたことが分かる。

    国が起こした争いを、人一人の身をもって贖い続けることは、私からすると不当な思いがなくもない。
    けれど、その場を経験した、という忘れることの出来ない時間は、その人の生き方に深く根差しているのだろう。
    人一人に出来ることの意味を、秋草さんはずっと追い続けているのだろう。

  • 著者は、太平洋戦争において最も過酷な戦場となった硫黄島の激戦を生き残りである。
    タイトルにあるように17歳という若さで硫黄島に配属された少年兵が、そこで見た事、経験したことを書きとめたものをまとめたものである。

    イーストウッドの硫黄島2部作などの戦争映画では決してかかれることの無い事実、排泄物、死体の処理などにも触れられており、戦場という極限状態の実際がわかる貴重な証言でもある。このような環境の中で生き残ったことは奇跡としかいいようが無いが、著者が生き証人として、前線に立つ人達がどのような戦いをし、どのように思い、どのように散っていったかを後世に伝えることができたことは、我々日本人のみならず人類にとって大きな意味を持つはずである。

    最後の著者の言葉が印象的である。「戦友達の死にどんな意味があったか、それは難しい。でも、あの戦争から60年、この国は戦争をしないで済んだんだのだから、おめぇの死は無駄じゃねぇ、と言ってやりたい」、と。重い言葉である。

    戦争で命を捧げた先人達を弔う方法、それは我々こうした気持ちを忘れないことである。


  • 凄惨な戦場を実際に苦しみ、生き抜いた人の語りは、重さ、凄みが違う。
    映画『硫黄島からの手紙』を随分前に観たけど、衝撃的な場面があって気分が悪くなった。
    だけど、この本を読み進めると、それ以上の衝撃を味わう。映像ではなく文字でしかないのに、あの映画を凌駕する衝撃が、何度も繰り返し、やってくる。
    気分が悪くはならない。でも、怖くて信じられなくて、つらくて苦しくなる。
    著者とともに、死にそうになりながらギリギリ生きている、生かされていく感覚。
    生かされるからには、やっぱりもう一度、お母さんに会いたいなと思う。
    その場で息をし、熱や乾きを感じ、涙し、痛みを感じたり、もはやそれさえ感じなくなり、死を覚悟したり、それでも絶対、家族に帰るんだと決意したり…
    辛い現実をひたすらに生き、戦友の死と自身の生を背負いながら天寿を全うし、平成30年に亡くなった著者。
    私たちは、「平和」を実現していかなければならない。
    まことしやかに語られる「平和」の真の意味も、その実現の仕方も、簡単ではない。

  • この本を開くと、あの絶望的な戦場に放り込まれる。
    17歳の著者は、ほとんど丸腰で、連絡のために、硫黄島を駆け回り、弾を撃ち尽くすまで、敢闘した日本兵の様子を生き延びて伝えてくれた。彼らの必死の戦いのお陰で、少なくとも、あれから戦争をしなくてすんだのだと思いたい。

  • かなりひどい。戦争って酷すぎる。こんなことがほんの少し前にあったなんて、なんということだろうと思う。
    言葉にならない。

  • あまりに凄惨、極限状態での戦闘。死を選んだことも、無駄ではない。彼らのおかげで今がある。生に執着しないものから死んでいくのか…。そんな簡単な精神状態ではないのでしょう。ただ、安らかであれと、祈るばかりです。ほんとうに、ありがとうございます。
    このようなことがあったことが忘れられるのが、なかったことにされていくのが一番怖い。

  • ここ最近「硫黄島」がなぜかブームだ。いくつかの書籍、TV、クリント・イーストウッドの映画製作。そのほとんどは総指揮官栗林忠道中将を中心として語られているものが多い。しかしあの壮絶な玉砕戦を高所から俯瞰するのではなく、一兵卒の目線で見たらどういうことになるのかずっと気になっていた。「十七歳の硫黄島」の著者秋草鶴次氏は数少ないこの激戦地からの生還者の一人だ。秋草さんは若年の通信兵として硫黄島に配属になり、壮絶な激戦の期間を体験した人だ。この著書は彼がその間見聞きし体験したことがきわめて淡々と綴られている。誇張のない平明な語り口で展開される世界からは、それでも平時の我々の感覚を持ってしては計り知れないほどおぞましく恐ろしいものが伝わってくる。ただし作者はあくまで事実を記述するだけで、そこから反戦を訴えたり教訓をたれたりは決してしない。それがためにこの著作はズシリと響く一作になっているのだと思う。一度読み出すと先が気になって結末まで引っ張られていく。

  • 夏に必ず読むことにしている一冊。
    知ろうとしなくてはどんどんわからなくなってしまう戦争の実際やその怖さをきちんと伝えてくれる。戦争を扱ったドラマや映画は数々あるが、そのような物語にせず、体験として語られている。

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著者プロフィール

秋草 鶴次(あきくさ つるじ)
1927年 - 平成30年3月30日
元、大日本帝国海軍軍人。太平洋戦争で硫黄島に派遣されるが、手足に重傷を負ったために総攻撃には参加できず地下壕にいたため、決戦後はアメリカ軍の捕虜になって生き残る。
硫黄島での体験は帰還してすぐノートに書きとめており、それらは『十七歳の硫黄島』『硫黄島を生き延びて』などの著作に結びつく。各メディアで戦争体験を語り継ぐことを晩年まで止めなかった。

秋草鶴次の作品

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