本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (248ページ) / ISBN・EAN: 9784166606054
みんなの感想まとめ
歴史の深い闇を掘り下げる本書は、日清戦争の旅順における兵士と軍夫の日記を通じて、当時の実情を明らかにしています。著者は、日記の記録をもとに、捕虜虐待や民衆の物資略奪といった事件を解説し、これらが後の南...
感想・レビュー・書評
-
兵士と軍夫の日記をたまたま古書店で発見し紹介したもの。当時の人々が虚偽を記載しているとは思わないし、貴重な史料ではあるが、何万人も従軍している中の数名の記録でしかないので、これが「真実」と捉えるのは早計だろう。また、「南京」については殆ど記載がないので、題名的にミスリードと思われる。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は戦争という非日常的な場に於いて、兵士と軍属という2人の立場から見た戦場の有り様について、2人の日記を元に語る内容となっている。筆者が偶々古書店の入荷リストで見かけた本をきっかけに、異なる2人の立場から見た戦場を日記の原文をそのまま載せる事により、リアルに伝えるものとなっている。但し、当時の言い回し、表現は若干現代人の我々にとって馴染みの薄いものであり、そこに歴史的な背景や解説を筆者が加える事で、読者にわかりやすく伝えている。
そもそも本書に登場する兵士の関根と、軍属の丸木の2人が日記に記す事で、後の世の人々に何を伝えようとしたのか、2人が既に亡くなってしまった今となっては、その真意を探るのは困難だ。だが、そこに描かれた内容を時系列的に追いかける事で、2人が選んだ題材、描き方からある程度想像する事ができる。戦争自体が非日常と述べたが、当時の軍国日本にあっては、ある程度自分が戦場に赴く事を予想できたに違いない。だがその様な中でも実際に現地(この場合は中国)に赴きその目で見た事、触れた状況には予想をはるかに超えた悲惨な状況があったに違いない。戦闘を前に味わった恐怖や極度の緊張、目の前に横たわる敵兵士の遺体。更には非戦闘員にまで及んだ暴力の跡。そして、それらは時間を追う毎に、これが日常の普通の風景に変わる。味方が極寒の中で凍死してしまったり、腐敗してカラスに啄まれる敵兵士の死体。それが徐々に兵士や軍属の心にぽっかりと穴を開け、心が崩壊しない様に「慣れ」が訪れる。そして、戦争終結に向かって、それまで極限の中で見えてこなかった、本来そこにある日常。これは、自分たちの故郷にも普通に見る事ができた平和の一部であったりする。丸木はそれを絵に描き、色をつけて残そうとした。
彼らが伝えて残したかった日清戦争の戦場の風景は、その後の日露、日中戦争、太平洋戦争で活かされたであろうか。出兵先においても保たなければならなかった、皇軍兵士としての規律や威厳は、南京事件などを見て分かる通り、活かされていたとは言い難い。無論、それを知る由もなく、2人がこの世を去った可能性もあったし、活かされなかった事実を見てどう感じたかまでは解らない。我々は今、そうした過去の日本が引き起こした負の歴史を振り返る事ができる。彼らの残した日記を読み返す事ができる。単に当時の日本の軍部や兵士たちを批判するのではなく、なぜ戦地でそうした行為が繰り返されたのか、その機会に成り得る戦争がなぜ起こったのか。この辺りを調べる時間と資料には溢れている、恵まれた状況かもしれない。そしてその答えを導き出す事、それは時代が進めば進むほど難易度の上がる宿題なのかもしれない。
戦後80年を迎え、改めて兵士たちの見たリアルな戦場に想いを馳せ、当時の兵士になった気持ちで、その空間を体験できる一冊である。そして、読者は宿題の答えを探すべきだろう。 -
日本近代史を専門とされる埼玉大学教授の一ノ瀬俊也さんによる、日清戦争の旅順虐殺に関してまとめられたもの。旅順攻略戦に同行した兵士・軍夫による日記を読み解いて、現場レベルで見ていたことを明らかにして、日中戦争の南京虐殺との類似点等を述べられています。
南京虐殺は、現在も議論されているデリケートな話題であるものの、著者の主観的・感情的にならずに、多面的に考えられる材料として情報を提供される姿勢に好感を持てる。 -
日清戦争に従軍した兵士と軍夫の日記に現れた捕虜虐待、試し切り、さらに民衆の物資の略奪等の事件を読み解きながら、南京事件の起源が、すでに日清戦争にあることを問いかけた書。本書を読んでいくと、明治はよかったのに昭和になって軍が堕落したという論はあたらないことがわかる。もちろん、捕虜虐待や民衆の物資の略奪は軍紀で厳しく戒めてはいるが、それは逆にそうしたことがふだんから起こっていたことを意味するだろう。
著者プロフィール
一ノ瀬俊也の作品
本棚登録 :
感想 :
