ポスト消費社会のゆくえ (文春新書 633)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (321ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166606337

作品紹介・あらすじ

セゾングループの歩みを振り返ることは日本の戦後消費社会の歴史を考えること-消費社会論の研究者でもある上野千鶴子氏が元グループ総帥・辻井喬(堤清二)氏へのインタビューを通して、ポスト消費社会をどのように再構築していくか、その手がかりを探る。

感想・レビュー・書評

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  • セゾン関連の本はいくつか読んできたので、セゾングループの盛衰についてはすんなり読むことができました。
    ただ、第三者が書いたものと、本人の口から出てくる内容には違いもあって、知っている話もおもしろかったです。
    最後の章の政治的な話は多少難しくも感じました。
    しかし、日本経済が上昇していた時に最前線にいた人のものの見方を知ることは、凡庸なビジネス書とは一線を画していて、ためになります。

  • 堤清二が全面的に上野の言説を肯定していることで
    消化不良感というか、空腹が満たされない感。

    自身の経営責任もすべてあっさりと認める、
    言葉を尽くすのは美術館にまつわる話とかばかり。

    面白かったのはヴィトンなどブランド物への反感
    「ブランド名をつけることで二割も三割もモノが高く売れる
    というのはどう考えても納得できない」
    その反感から無印良品をつくった
    といっていること。
    セゾンでも積極的に海外ブランドを導入してきた矛盾。
    それをあっさり認めて、企業は自己否定しながら成長すると自論を適用する。

    上野との対談を受けているということは、
    いい加減に話をしてのらりくらりと、かわしているわけではないはずだが、
    堤の言葉は終始、どう受け取ればよいのか宙ぶらりんに
    されたような感覚で読んだ。

  • やはり堤清二さんという人は、経営には向いていなかったんですねぇ、という結論は何となく端折りすぎの感が自分でもしますが。
    しかし、この本での堤さんは驚くほど達観していて、上野女史に何を言われても、怒りもせず解脱者の域。
    もっと反論してもよいのになぁ。

    理想主義で経営するのが通った時代もあり、通らなくなった時代もあり、後者にいたってセゾンは解体した、くらいにしておきますか。

    日本の労働者も二週間くらいの有給休暇をとるようになるべきだ、、、というべき論で作ってしまったサホロリゾート。
    だから、本気であれは庶民のために作ったのであり、今日の富裕層マーケティングなどとはおよそ対局にある。

    でも、「当のセゾングループの社員に二週間の有給休暇を与えていましたか?」と訊かれ、「差し上げてないですね。」
    と回答するあたりは、悲しいほどずれているが、それはあくまでも今から振り返っての視線だ。
    たぶん堤さんは本気で一億総中流で豊かになる社会を考えていたのだろう。

  • 『「私」探しゲーム』(ちくま学芸文庫)で80年代の消費社会を論じるも、その後の不況と格差の拡大によって立場を修正するに至った上野千鶴子が、元セゾングループの代表として当時の社会を変化をリードした堤清二(辻井喬)にインタビューする形で議論が進められています。

    セゾングループの社史の編纂に携わった上野は、辻井の経営者としての立場と彼の政治的立場の相克に対して鋭い皮肉を交えながら、当時の辻井の思想と実践の絡み合いを解きほぐそうとしています。読んでいるうちに、何だか辻井に同情したくなってきますが、それにしても、自身がオーナー経営者でありながら、「私には、本当のオーナーである父親に反旗を翻して、ここへ来ているという意識しかない」という辻井の発言には唖然としてしまいます。おそらく正直な気持ちなのだろうと思うのですが、こういうことをぬけぬけと語ってしまう彼の態度には、どうしても違和感を覚えずにはいられません。ただ、それが経営者である堤清二への違和なのか、それとも堤清二を外の視点から語ってしまうような辻井喬への違和なのか、自分でもよく分からないところがあります。

    いずれにしても、こうした言葉も含めて、辻井自身による多くの証言を引き出している本書の意義は、けっして小さくないように思います。

  • 個人的にはめちゃめちゃ面白かった。来年は辻井喬(堤清二)の本を集中的に読む時期を作りたい。あと、インタビュアーとしての上野千鶴子に感心。さすがだと思いました。

  • 70~80年代のあたりがとくに、ふむふむ
    無印良品をやりつつ、一方でエルメスを売る
    「自己否定できないと、これからの経営はだめだ」

    セゾングループは、啓蒙的広告によって「自立した消費者たれ」と宣伝しましたが、
    豊かで多様性のある社会になるほど「自立した消費者」であることは余計に難しくなると感じます。(私はマーケットに関してずぶの素人で、実感としてそう感じるだけですが)
    選択肢が多すぎると疲弊してしまい、何かに選択肢を委ねざるをえない。それが百貨店なのか個人経営的なセレクトショップのオーナーなのかはわかりませんが、、

  • 再読です。以前、読んだときも面白かった。今回も面白かった。何故、面白いのでしょう。理由は簡単です。社史を担当していたので、上野さんが、よく知らべているのです。個々の店舗の状況も、よく知っているのです。面白くならないわけがありません。社会学というよりも、経営学の本だとおもいます。もう一度読んでも面白いはずです。

  • 永江朗「セゾン文化は何を夢見たのか?」に導かれて本書にたどり着きました。本人たちが自覚的なように上野千鶴子のツッコミ、辻井喬のボケという役割でセゾングループの50年が語られていきます。印象的なのは、自分でもかなりめでたい人間だったなあ、とか、そこんところは迂闊なんだなあ、というボケ役の徹底した軽さ。そのフワッとしたヒューマニズムとかロマンチシズムみたいなものが当時の日本の社会、経済、文化を重厚長大な地面から浮揚させたのかな、と思いました。もちろん、ツッコミ・ボケ構造だけでなく、辻井喬が語る堤清二という二重性も本書に縦横無尽さを与えています。「マージナル産業論」「生活総合産業」という実業家、堤清二、文学者、辻井喬が求めてきたテーマは今こそ、そこから考えてみたい気になりました。

  • 本名とペンネームの使い分けに関する第四章の前半が興味深い。他は普通の対談

  • タイトルは正確ではなくてセゾンの歴史を通してみる消費社会論だった。堤の人間性含めてめちゃめちゃおもしろい。

  • 自らの功罪について、自覚的で、不思議な距離感で批評できる辻井嵩に対し、ある種の魅力を感じてしまう一冊。辻井(堤清二)とセゾングループの功罪の影響を直接受けた人が、その態度をどう感じるのかは分からないけど……。それとは別に、上野の遠慮のなさと受ける辻井の掛け合いが、とにかく面白い。

  • [ 内容 ]
    セゾングループの歩みを振り返ることは日本の戦後消費社会の歴史を考えること-消費社会論の研究者でもある上野千鶴子氏が元グループ総帥・辻井喬(堤清二)氏へのインタビューを通して、ポスト消費社会をどのように再構築していくか、その手がかりを探る。

    [ 目次 ]
    第1章 1950’s~70’s(前史 激動 ほか)
    第2章 1970’s~80’s(黄金期 第十期 ほか)
    第3章 1990’s~(失敗 解体 ほか)
    第4章 2008(戦後共同体から遠く離れて 産業社会の終焉)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • かたいタイトルなので読みづらいかと思いきや、意外に読みやすい。身近な百貨店の変遷とその裏側がわかります。

  • 一番気になる題名の件について、あまり触れられていないのが残念。

  • home
    200910
    bookoff

  • 西武グループの話。

    「渋谷」がどうできたかのとこがおもしろい。

  • 上野千鶴子がフェミニストとしての自分を振り返り、
    「ずっと反逆者をやって石を投げてきたはずの人間なのに、
    いつの間にかエスタブリッシュメントと第三者から思われ、アイデンティティの危機を体験した」(p.277)
    と述べたのに対し、辻井さんが「すごく心強い」と返したのが印象的。
    自分は何でも言うタイプで、親米派の父親・康次朗にも食ってかかる嫌米派だったと語る辻井喬=堤清二も、
    部下には「『素直に意見を言ってくれ』とおっしゃられていても、本音では賛成してほしいに違いない」と勝手に解釈され、
    そうした惰性が結局、80年代以降のセゾンの解体を招いたと、かつてのリーダーは嘆いている。
    叩かれて伸びる(のに叩いてもらえない)タイプの人間としても、その心情には共感できた。

    あと、三島由紀夫の自決に関してのエピソードも面白かった(p.280〜)。
    死後の緊急座談会で、参加者がみな「三島、三島」と呼び捨てで批判するのに抗議して、
    「どんな事情があったにしろ、私は三島由紀夫を敬愛しています。あなた方とは正反対の立場です」
    と語った部分は、武勇伝的な自己言及であるとはいえ、素直にかっこいい。

  • なんだかボケとつっこみのような対談集。勿論、今だから話せるみたいな回顧録的な場面も多い。デパートは街の中での情報発信基地だった。苦手な池袋でも西武美術館には通ったし、渋谷西武からパルコにかけての生き生きとした「街」の動きは刺激的だった。
    私たち世代は「自分たちの街」と思い、親しんだ。そんな思い出とからめての流通業の回顧と総括は生き生きとして上野氏の分析力も光る。しかし言い方がきつい人だね。表題の「ゆくえ」についてはご両人とも歯切れが悪い。
    「繚乱と咲き誇った消費社会の後に何がくるのか」誰もわからんという結果である。当たり前のことだけれど肩透かしだな。

  • 2008/6
    全体の半分はセゾングループの歴史と哲学の対談。そして、後半はそれを踏まえた対談となっている。
    と書きつつも前半部分が戦後の日本社会の流れを踏まえた内容になっており、読みやすくもなかなか深い物になっている。対談した二人の考察もよいが、このようにうまく編集できた編集者の力も評価したい。

  • 2008.06 西武をネタにした近代回顧的対談集。面白いといえば面白いが、それ以上の深さはないかな。

  • 長い。題名がミスリーディング。基本西武百貨店の本だから。でも中身は結構面白い。7-80年代はセゾングループが消費を牽引していた時代。今から見ると相当ふわふわした感じがするけど、当時はそういう軽い感じだったんだろうな。「さよなら大衆」。個性が賞賛され始めた時代。欲が肯定され始めた時代。イトイが最先端を行っていた時代。楽観ムード。未来はばら色だったのかなあ。そうでもないんだろうけど。100%。

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著者プロフィール

小説家、詩人。元セゾングループ代表。著者に『茜色の空』など。

「2010年 『大澤真幸THINKING「O」第4号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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