皇族と帝国陸海軍 (文春新書 772)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166607723

作品紹介・あらすじ

明治以後、大元帥として陸海軍を統べる天皇のもと、男子皇族はこぞって軍人となった。だが、軍は徹底した能力社会。はたして、彼らはどんな歩みを辿ったのか?その姿を克明に記す画期的大作。出世は・軍功は?そして戦争責任は?明治から敗戦まで、天皇を支えた全48人の栄光と失意。

感想・レビュー・書評

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  • 新書文庫

  • 皇太子出征は、なぜ幻に終わったのか
    天皇の「藩屏」たる皇族は、なぜこぞって軍人になったのか。軍功、出世、スキャンダルなど、明治から大東亜戦争までの軌跡を追う

  • 結論が甘い。主観が入り過ぎ。一次資料からの参照はそこそこ。

  •  明治から昭和前期にかけての日本と、昭和20年(1945年)以降の戦後日本とは同じ国とは思えないほどに全く違うと思っていたが、本書の「皇族と帝国陸海軍」を読んで、戦後には無くなった政治勢力としての「宮中」と「陸軍」についてよく理解できた。
     「皇族はなぜ軍人になったのか」や「優遇された宮様たち」を読むと、明治の日本的「王政復古」のもとでの「皇族」と「軍」の関係がよくわかる。
     しかし、これは「高貴であるがゆえの義務」とされたヨーロッパでの「ノブレス・オブリージェ」の日本版でありつつも、様々な配慮を含んだ極めて日本的なシステムに換骨奪胎されているのではないのかとも思えた。
     当時の日本の「国家システム」にそれなりに適合していたのだろうが、「二人の統帥部長」において、実務であるはずの「参謀総長」や「軍令部総長」への皇族の就任の歴史を読み、昭和の軍組織に様々な影響を与えた歴史を知ると、これは、ちょっと無理がある「政治システム」であったのではなかったのかとも思える。
     歴史をよく知るためには、様々な角度からその時代を知ることが必要という意味では、本書は戦前の日本を知る上で興味深いものである。
     とくに目を引いたのが、「昭和の軍と皇族」における「南京事件」「戦争犯罪」についてである。「東京裁判」で「A級戦犯」として絞首刑となった「松井大将」の責任について、「南京事件」で真っ先に責任を問われるべきは傘下軍の司令官であった「上海派遣軍司令官の朝香宮鳩彦王及び第十軍司令官の柳川平助中将」であったというのだ。
     しかし、「柳川平助中将」は敗戦当時戦死しており、「朝香宮鳩彦王」は、昭和天皇を訴追しないというGHQの方針のもと免責された関係上、すべての責任を「松井大将」が背負うことになったとの指摘には瞠目する。 
     そうか、こういう形で日本の「皇族」をめぐるシステムの歪みがあったのか。
     現在の日本には、「皇族」は天皇の家族のみとなり、「宮中」という政治システムもなくなっているために、戦前の「国家体制」とについて想像することさえ難しいと思う。
     本書は、その戦前を知ることができる良書であると思う。

  • ●:引用

    ●おわりに
    明治以来、男性皇族たちの大多数が軍人となった理由は第一章で述べたとおりである。それまで「武」とは無縁だった天皇が軍の頂点に立ったこと、国民皆兵をうたう徴兵令ができたこと、皇族の出家が禁じられたこと、それらの結果として、皇族には軍人になる義務が課せられたのだが、その代償であるかのように、皇族は軍の中で徹底的に優遇された。あらためて述べるまでもなかろうが、軍隊という組織では、ほかのあらゆる組織にもまして実力主義が貫徹しなければならない。(中略)が、義務として軍人となった皇族たちは、こうした原則とは無縁なところにいた。猛烈な速さで進級し、若くして重要な地位に就くが、危険な戦場からはなるべく遠ざけられる。しかも、批判を浴びることはない。このような軍人がいることが、組織としての軍にとって好ましいわけがなかった。そして、皇族たち自身にとっても、軍人にならなければならないとの運命は過酷なものだった。すべての人間と同じく、皇族たちも自ら出自を選んで生まれてきたわけではない。にもかかわらず、軍人という職業しか選べなかったのである。その結果、少なからぬ数の皇族が、厳しい訓練や勤務のために健康を損ねて早世した。彼らもまた犠牲者であったことを忘れるべきではなかろう。そんな中、山階宮家の軍人皇族たちは、第二章の終わりで述べたようにユニークな道を歩んだ。もし、ほかの宮家の皇族にも同様の選択が許されていたならば、皇族にとっても、軍にとっても、日本という国にとっても、もっといい状況がうまれていたかもしれない。

  • 1960年にエリザベス2世女王の次男として生まれたヨーク公アンドルー王子は、78年に海軍に入隊し、82年に起こったフォークランド戦争にヘリコプターのパイロットとして従軍した。当初、後方事務の仕事へ異動させる話があったが、母の女王が許可したため、副操縦士として、対潜戦や対水上戦作戦などの任務をほかの将兵と同様に遂行した。そして、戦争終了後、女王夫妻は、ポーツマスの軍港まで、ほかの家族に混じって王子の帰港を出迎えた。

     フランス革命による王制廃止以来、ヨーロッパ各国・地域の王族・貴族は存続の危機にあった。その生き残り策のひとつが、王族・貴族が幼少のころから軍に入り、徴兵制などで集められた兵士からなる国民国家の軍隊を、自ら率いることだった。そして、それを日本の皇族は、明治初期のヨーロッパ留学で学んだ。

     しかし、ヨーロッパ各国民国家の軍隊の成立過程が、それぞれの事情でまちまちであったように、近代日本の軍隊も明治維新後の立憲君主制国家への模索のなかで生まれた。まず、天皇の後継者問題と天皇家をつねに支えるために、皇族が増加した(このことにかんしては、同著者の『皇族誕生』(角川書店、2008年)に詳しい)。江戸時代末期まで、宮家は伏見、桂、有栖川、閑院の4つしかなく、後継ぎ以外は出家して子孫を残さなかったために増えることもなかった。それが、幕末に久邇、山階、王政復古直後に華頂、北白川、小松、梨本、さらに明治20~30年代に賀陽、東伏見、竹田、朝香、東久邇宮家が創られた。これらは皆、北朝第3代崇光天皇(位1348-51年)を祖とする伏見宮家から分かれたもので、弟の梨本宮を除きすべて邦家親王(1802~72年)の子どもたちが立てたものである。皇族といっても、姻戚関係を除き、天皇とは数百年前に共通の祖先をもつにすぎなかった。

     本書は、この増えた皇族が、ごくわずかな例外を除いて軍人になった経緯を、「なるべく具体的に紹介し、皇族たちが軍人となったことが、日本という国や戦前の陸海軍、そして天皇や皇族たち自身にどんな影響をおよぼしたのかを考えるために書かれた」。皇族たちが軍人となった理由は、つぎのように説明されている。「それまで「武」とは無縁だった天皇が軍の頂点に立ったこと、国民皆兵をうたう徴兵令ができたこと、皇族の出家が禁じられたこと、それらの結果として、皇族には軍人となる義務を課せられたのだが、その代償であるかのように、皇族は軍の中で徹底的に優遇された」。

     日本最初の軍歌、俗称「トコトンヤレ節」で「宮さん宮さん、お馬の前でひらひらするのはなんじゃいな」とうたわれたように、近代日本の軍隊は、宮様を先頭に「ひらひらする」錦の御旗を掲げた明治維新の「官軍」を起源とし、宮様は天皇の分身として皇軍を率いた。そして、明治15年に発した軍人勅諭冒頭で、「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」と明記し、皇族参謀本部長制が確立した。

     さらに、皇軍は、対外戦争を経て神軍となっていった。したがって、敵は「神」に刃向かう「賊」で人間扱いされず、会津白虎隊にみられたように、敵兵の戦死者は葬られることなく野晒しにされた。日中戦争を経て、中国人が日本人の残虐性を強調する原因のひとつは、皇軍・神軍の兵士が中国人を人間扱いしなかったことにあり、皇民化教育を受けた日本人に罪の意識はなかった。その罪の意識のなさは、敗戦後においても改めて考えられることなく、今日に至っている。

     日本の軍国主義化は、軍人が皇族を利用した結果であった、ということもでき、著者は「おわりに」で、つぎのように述べている。「軍人たちは天皇と最も近い人々、つまり皇族を、さまざまな形で利用しようとすることもためらわなかった。皇族を通じて、天皇を自分たちに都合よく動かそうと目論んだのである。そして、何人かの皇族は、意識的にか無意識のうちにかはともかく、そのような軍人のたくらみに同調し、他の皇族たちもそれを積極的に止めようとはしなかった。西園寺が言う、「常に陛下のお味方である」との「建前」は通用しなかったのである」。

     敗戦後、軍はなくなり、自衛隊として復活しても、天皇・皇族が自衛隊とかかわることはなくなった。しかし、天皇・皇族を「利用」しようとする人がいなくなったわけではない。著者は、つぎのように警告して、本書を閉じている。「外国要人と天皇の会見を自分たちの都合で強行し、そうした行為を居丈高に正当化する歴史に学ばない政治家がいるのを見ると、皇族と軍隊といういかにも時代離れしているかのように見えるテーマを中心にして日本の近代を振り返ってみるのも、あながち意味の無いことではなかろう。天皇や皇族を利用しようとたくらんだ軍人たちのおこないが、どんな結果をもたらしたか、是非そういう政治家たちにも知ってもらいたい」。

  • あまり触れられる事が無かったという、戦前の皇族の陸海軍での歩みを描く。その立場と実力主義の世界との微妙なバランス。その中で生じる皇族の葛藤と軍部の苦心。結果として生み出されるいびつな構図に、何がしかの目的を皇族に近づく勢力の存在など、様々なファクターがとても興味深い。単純な善悪ではなく、そうした制度を取ってしまった戦前の日本軍の構造を知る事自体、意味があるように感じた。

  • 華冑界に関する論考では定評ある著者。新著刊行を知らなかったのだが、書店で見かけて即購入した。
    冷静で中立的(とかく雑音かまびすしい分野なので)な筆致、知識と駆使する文献の膨大さはいつものとおり。あえて言うならいつものとおりに過ぎるというか、過去の事件の真相やある人物の振る舞いについて、「旧著を参照」で片づけている部分が目についた。
    いずれもはっきりと書きにくい内容ではあるのだが、一見さんには親切とは言いがたい。あるいはかほどに読者層の固定したジャンルであるのなら、それはそれで問題だと言えよう。

    2010/10/6〜10/7読了

  • 祖父の海軍好きから連想しての購入です。理由のいくばくかも理解できるかな?
    -----
    読了。上記の期待は自分の勝手な思い込み。本書のねらいは別にあるのだから。それでも、ちょっとヒントはあったかも。

    しかし、本書で触れられるエピソードの殆どを知らず、驚くばかり。皇族の思いはある程度理解出来るものの、周囲の思惑で思うようにならない皇族の姿に危うさを感じたり、一方、安心したり。なにかもやもや。

    もやもやの一つには皇族の名前の区別が途中で付かなくなるという自分の常識、記憶力の無さでそれぞれのエピソードがごっちゃになったせいもあります。(これは読者である自分のせい)

    しかし、皇族の思い、悲しみ、思惑がいろいろあったにせよ歴史に大きな違いがなかったように読めるのは何故かな。苦労するのは現場の人間ばかりという印象。
    (言葉が足りなかったです。軍人としては、であって、例えば終戦時の高松宮親王の動きなどはもちろん大きかったと)

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著者プロフィール

1947年、東京生まれ。70年、慶應義塾大学経済学部卒業。出版社に入り、雑誌・書籍の編集に携わる傍ら、日本近・現代史に興味を抱く。主な著書に『侯爵家の娘 岩倉靖子とある時代』『華族たちの近代』(共に中公文庫)、『華族誕生 名誉と体面の明治』(講談社学術文庫)、『闘う皇族 ある宮家の三代』『皇族誕生』(共に、角川文庫)、『皇室一五〇年史』『皇族と天皇』(共にちくま新書)、『歴史の余白 日本近現代こぼれ話』(文春新書)などがある。

「2018年 『大正天皇婚約解消事件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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