- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166607938
作品紹介・あらすじ
山口組最高幹部を次々に逮捕した警察の「頂上作戦」に密着し、歌舞伎町のヤクザマンションに事務所を構え、愚連隊の帝王を居候させ、関西の手本引きの賭場に潜入、九州の抗争事件を追いかける。取材歴15年の専門ライターだから書けるヤクザの生態、行動原理、暴力。
感想・レビュー・書評
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ヤクザの取材を専門とする記者が、ヤクザについて語ったもの。15年にも及ぶ取材歴をもち、ヤクザに密着しながらさまざまな経験をしており、説得力があるとともに興味深い。ヤクザの実際の姿を知らない者にとっては、内容の真偽を判断することはできないが、著者の積極的な取材方法や正直な語り口から、そのほとんどは真実を語っており、核心をついているものと推察する。ヤクザは怖い存在ではあるものの、古き良き日本の伝統を踏襲した、よい人たちの集まりだと思えた。印象的な箇所を記す。
「歌舞伎町で発砲事件が起きたとき、警察は遠巻きにそれを見ている。ほとぼりが冷めるまで待っていて中に入ることはない。アメリカのようにやれとはいわないが、もうちょっと根性を入れてやってほしいよ」
「暴力団規模:1山口組(神戸)45%、2住吉会(赤坂)、3稲川会(横浜)」
「本当は相手を殺した後、死んでくれるのが一番助かる。そうすれば金もかからず捜査も終わる」
「元ヤクザの3割は覚せい剤の密売人となり、もう3割は窃盗団となり、これに加えて2割が暴力団の下請け、もしくは生活保護、女への寄生で生きているだろう。まっとうな仕事をしているのは、1割いればマシと思う」
「一般誌の暴力団記事は、どの程度まで書けばいいのかさじ加減が難しい。差し障りのない記事→面白くない→仕事がこない。踏み込んだ記事→面白い→でもトラブルになったら仕事がこない、となるからだ。例外は突出して硬派な記事だろうが、それだけの記事を記名で書く勇気と、書かせてもらえる信用を持ち合わせているのは溝口敦しかいない」
「(暴力団について)言動のすべては道徳的で、正当なものに思えた。印象に残っているのは、誰もが「地域のために、日本のために力を尽くしたい」と力説していたことだ」
「カタギさんを絶対に泣かしちゃ駄目なんだ。いつも弱い者の味方となり、強い者と喧嘩するのがヤクザの心意気だ」
「金の力は絶大で、同時に怖いものだと思い知らされた。(金をもらうと)当日は相応の罪悪感があっても、翌日になるとそれが半減し、もう一日たつと、当日の10分の1程度しか後ろめたさを感じなくなる。その蓄積は暴力団に対する遠慮に変換され、そのまま文章に反映される」
「芸能界と暴力団の繋がりはいまも続いている。相撲界にせよ、いまさらなにを大騒ぎしているのか、と不思議でならない」
「その賭博には関西のほとんどの博徒が来てた。そのとき、ある組織が関西でも名うての仕事師を連れて行ったんや。おそらく、関東の賭博なんてたいしたことあらへんという意識があったんやと思う。そのとき使うたのが、シャッターいうて、バタバタと目の変わるイカサマ札。せやけど稲川会の合力はすごかった。一発でパシッと見破り、そっと注意したからな。向こうの合力はみな達者やな、思うたわ」
「とにかく、昔の親分はどこの組であろうがみんな器量の大きい人ばかりやった。喧嘩も強いし、根性も情けもある。とくに代紋頭という人は、一種特別やったよ。若い衆がさらわれたとき、白い着物を着て乗り込んで助け、自分が殺されたなんて親分もいるんやからな。組織の大小やない。みんなそのくらい器量があったんや」
「社会の裏側で暗闘を繰り返し、それなりの立場に上り詰めた親分や組長には、苦労の歴史がある。内部闘争を勝ち抜き、他団体との抗争をくぐり抜け、ときには破門となって辛酸をなめながら、幾多の困難を乗り越えていまの立場にのし上がったのだ」
「これまでの社会は暴力団という存在を内包したまま、彼らに一定の役割を与え、それなりに上手く機能させてきた。犯罪者たちの重石となり、反共運動の防波堤となり、バブル期には企業の尖兵となって地上げという汚れ役を引き受けた」
「暴力団が害悪しかまき散らさない完全悪というのは嘘っぱちである。売春、ドラッグ、違法賭博、取立て、会社整理、様々なトラブル解決等々、日本の社会は今のところ暴力団を取り込んだまま、それなりにうまく機能している。汚れ役を切り捨てるなら相応の対価がいる」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
筆者は「殺し屋1」も舞台のモデルとなった歌舞伎町のヤクザマンションに事務所を構え、加納貢氏を居候させ、関西の手本引きの賭場に潜入、果ては九州の抗争事件を追いかける…。体を張って書かれた貴重な記録です。
筆者はフリーライターとして独立する前に業界誌として名高い「実話時代」にて修行を重ね、姉妹誌(もしくは兄弟誌?)にあたる「実話時代BULL」の編集長をやっていらしたという「筋金入り」の方で、フリーとなってからは自ら彼らの懐に飛び込むために「殺し屋1」という漫画の舞台になった通称「ヤクザマンション」のモデルになったといわれるマンションに仕事部屋を借り、日常的に彼らの生態や行動原理、そして暴力の現場を見ることになります。
やはり、僕にとってのハイライトは2つ。ひとつは、上の階のベランダから「その筋」の方が降ってきて現場検証のために筆者の仕事部屋が使われたという箇所。「非日常が日常」の歌舞伎町でも最先端の危ない箇所に身を置いたからこそ、こういう現場に出くわし、また彼らの懐に飛び込んだからこそ徹底した組織人である彼らが筆者に胸襟を開いたのだな、という部分がいくつもあって、それがやはり、テレビや新聞などのマスコミではなかなかうかがい知ることのできない「余人を持って変えがたい」ものであると感じ入ってしまいました。
2番目は、「ジュクの帝王」の異名をとった加納貢氏の晩年を筆者が世話していた、という箇所で、一時は肩で風を切って歩いていた加納氏が最後のほうになるにつれて、孫ほど歳の離れた筆者に「醜い」と断言され、歌舞伎町の片隅でひっそりと亡くなっていく…。そこにはなんともいえない後味の悪さとともに
「かっこいい理想を口走り、それを最後まで貫くなら、孤独な死が待っている。加納の死はその事実を私に教えてくれる」
という一文は、ある種の真理を突いているのかもしれません…。
歌舞伎町の事務所を引き払った筆者は「本場」と呼ばれる関西。しかももっともディープといわれる大阪は西成に拠点を構え、手本引きの賭場という私たちには想像だにしない世界に飛び込んだり、九州で起こった抗争事件を追いかけるという自身の活動を通して、俗に「暴力団」といわれる人たちがいったいどういうものであるかということを伝えてくれております。
筆者は最後のほうで、「自分がここまで暴力団を追い続けてきたのは単なる好奇心だったと分かったからだ」という述懐を、なんと彼らの事務所の中で書いていて、その執念にひっくり返りそうになったのと、彼や、溝口敦氏のような存在がいるからこそ、私たちが決して窺い知る事のない世界が見ることができるわけで、その点においては非常に感謝もし、また自分にはできないんだな、ということを思い知った次第でございました。 -
タイトルと中身がちょっと違っていて、特に「修羅場」というようなものはなかった。雑多な文章をまとめた、と言った感じ。
でも自分にはまったく縁のない世界を覗けるのは楽しい。この稼業、かなり先細りしているらしいが、なんとか長く続けて行ってもらいたいなあ。 -
少し前に『誰も書けなかった日本のタブー』(宝島社文庫)という短編ルポ集を読んだとき、ブログのレビューで私はこう書いた。
《参加している書き手の力量にバラツキがあって、かなり玉石混淆。
鈴木智彦という人が書いた3本の記事が、いずれも突出して面白い。ヤクザ系ルポをよく書いている人らしいのだが、「よくここまで書くなあ」という感じで、スゴイ迫力。》
以来注目していた鈴木の新著である。
どこにでもあるヤクザ・ノンフィクションのようなタイトルだが(文春新書は総じてタイトルづけがヘタ)、そうではない。これは、極道ジャーナリズムにどっぷり漬かってきた著者が、その舞台裏を赤裸々に明かした希有な一書なのである。
よって、内容を正確に反映したタイトルにするなら『ヤクザ・ジャーナリズムのウラ側、全部見せます!』といったところか。あるいは、本書の帯の片隅に記された言葉――「暴力団専門ライターの『わが闘争』」のほうが、タイトルにふさわしい。
「極道ジャーナリズム」といったって、あの世界に『朝日新聞』などと同じ意味のジャーナリズムがあるはずもない。『実話時代』(著者はここの編集者出身)などの実話誌がそのおもな舞台だが、それらは実質暴力団の広報誌的側面が強いわけだし……。
だがそれでも、さまざまな制約のなか、ヤクザ専門のフリーライターである著者が身体を張って限界ギリギリの記事を書きつづける姿勢には、熱いジャーナリスト魂を感じずにはおれない。本流のジャーナリズムとは拠って立つモラルも方法論も違えど、ここにもやはり一つのジャーナリズムが脈動しているのだ。
カバーそでに記された内容紹介が本書の魅力を簡潔に表しているので、引用する。
《山口組最高幹部を次々に逮捕した警察の「頂上作戦」に密着し、歌舞伎町のヤクザマンションに事務所を構え、愚連隊の帝王を居候させ、関西の手本引きの賭場に潜入、九州の抗争事件を追いかける。取材歴15年の専門ライターだから書けるヤクザの生態、行動原理、暴力。》
ここに出てくる「歌舞伎町のヤクザマンション」とは、ヤクザの事務所がたくさん入った“特殊マンション”で、劇画『殺し屋1』の主舞台となったマンションのモデル。そんなオソロシイところに、著者は取材のネタの宝庫だということで、あえて入居するのだ。その顛末を記した第一章「ヤクザマンション物語」だけでも、その気になれば優に一冊になり得るものだ。
そのあとの各章――「ヤクザ専門誌の世界」「愚連隊の帝王・加納貢」「西成ディープウエスト」「暴力団と暴力団専門ライターの未来」――もそれぞれ面白く、内容が非常に濃い一冊。
さりとて、一方的なヤクザ礼賛には陥っていない。また、この手の本にままある左翼的偏り(「ヤクザも俺たちも、反権力の立場を同じくする同志だ」みたいな)が微塵もないところもよい。仕事柄、ヤクザに「殺すぞ」と脅されたりするのが日常茶飯事の日々を送りながらも、著者の筆致にはどこか乾いたユーモアがあり、読後感はむしろ爽快だ。
「いい・悪い」を言えば、ヤクザは悪に決まっている。それでも、取材対象に食い下がっていく著者の執念には脱帽せざるを得ない。大マスコミでふんぞり返っているジャーナリスト先生のうち、いったい何人がここまで情熱をもって仕事をしているだろう。
暴力団専門ライターとしての歩みを余さず明かした本書は、著者にとっても“人生でただ一回書ける本”であり、量産のきくものではあるまい。
著者は終盤で、自らの執筆活動の主舞台であるヤクザ専門誌にいかに未来がないかを書いている。この著者なら他分野でもひとかどの仕事をなし得るはずで、もっと幅広いノンフィクションの世界に羽ばたいてほしい。 -
要件=PM4時。●●組の▲▲様より電話有り。
内容=殺すぞ
ここは笑った。
どちらかというとヤクザ記事ライターとは
みたいな本かな。 -
図書館 2016年5月5日読了。
著者の実体験はそこそこ面白く読めたが、潜入ルポというタイトルには違和感あり。 -
10年以上ヤクザを取材し続けてきた著者が語る。ヤクザの実態と未来について。
取材対象とお近づきになるために、
歌舞伎町のヤクザマンションに住むまでして、
取材をつづけた著者が書いた本だけあって、
情報の生々しさはさすがだった。
流行りのコメンテーターがさらっと書き上げたような新書とは情報の密度が全く違う。
過去、現在のエピソードを通じて、
普通の人には実態がよく分からない
ヤクザ・暴力団について、
活動の輪郭、組織の性質が、
おぼろげながら見えてきて、
非常に面白い。
昔は羽振りのよかったヤクザも、
暴力団排除の条例で
今は日本での活動はかなり厳しいようだ。
(著者はヤクザは今や斜陽産業だと言っている)
ただし、最近のヤクザは海外展開にも力を入れてるようで、今後も根絶はされないだろう。
犯罪組織と一口に括られるヤクザだが、
社会、地域社会の中で一定の
役割を担っている事も事実のようで、
必要悪とまでは言わないが、
彼らの存在をどのように捉え、
コントロールしていくかというのは、
社会にとって難しい問題だと思った。
まぁ一個人で言えば、
一生関わり合いを持たずに生きていければ、
それで良いと言うことにはなるのだが、、、 -
知らない世界を誰かの目を借りてでも垣間見れるのは楽しいものです。この著者はかなりヤクザ世界に入り込んでいると思えます。が、本書の記述は無難なところに留めているようです。雑誌などの記事ではもっと突っ込んだ感じなのでしょうか?
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取材する人にすればとても危険な行為なのだろうけれど、渡世稼業の実態はあまり掴めませんでした。
ガサ入れの際のテレビ映像などは段取りがあるらしく、しかも段ボール箱などを次々に運び出してはいるが、そのほとんどは中身が空ということを知ったのはよかったです。
払ってもいい金額:800円 -
筆者は週刊実話などでヤクザ記事を執筆しているヤクザ専門ジャーナリストである。本書は、この特殊な分野を専門としている筆者の仕事の裏側を記したもので、ヤクザとのつきあいとか、ヤクザに対する筆者の考えとか、を読みやすく書いている。
マスコミ報道では分からない裏の世界の一部が見えてきておもしろい。怖いもの見たさの興味だが、筆者はごくふつうの一般人の視線を持っており、眉をひそめるような記述はない。
法律のよる引き締めでヤクザも減少方向で筆者の仕事も減っているそうだ。博打や任侠など日本文化のあだ花であるかもしれないヤクザは、昭和の映画でしか見られない時代も近いようだ。