徹底検証 日清・日露戦争 (文春新書)

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レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166608287

作品紹介・あらすじ

乃木希典は本当に愚将だったのか「智謀湧くが如し」秋山真之の弱点とは?戊辰戦争の生き残りが見せた勇猛果敢東郷ターンは偶然だった?明治期の陸・海軍、歴史に精通した五人が日清・日露両戦役の真実に迫る。乃木愚将論について意見を戦わせ、作戦を検証し、司令官・参謀たちの知られざるエピソードを披露する。昭和の失敗、平成のリーダー論にもつながる白熱の議論。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史オンチが勉強したくて買って、そのまま積んどいた本。読みやすくて良いです。坂の上の雲読んだのはもう随分昔で詳細忘れていますが、その事実検証もしています。でも、この人達、日本と戦争の話が大好きですねえ。半藤さんは「漱石先生、、、」以来ファンです

  • ◆ 精通した5人が語るだけあって、初耳話がちょくちょくある。

    ・日清戦争前の明治22年に徴兵令を変えたが、その際、夏目漱石、勝田主計、高浜虚子などは、徴兵令対象外の北海道・沖縄へ本籍を移して徴兵を逃れた。
    ・日清戦争の黄海海戦時に、あの有名な三景艦は実は全く役立たずだった。撃った弾はわずか3、4発らしい。理由は、身の丈以上のサイズの主砲を設置したため、撃っただけで、艦は傾き、砲は壊れる状況だったため。
    ・日露戦争の南山の戦い(死傷者4,300人 乃木将軍長男勝典も戦死)後に、乃木が詠んだ日本の漢詩の最後の詩「金州城外の作」
    「山川草木 転(うた)た荒涼/十里風なまぐさし 新戦場/征馬前まず 人語らず/金州城外 斜陽に立つ」
    ・ロシアの名将マカロフ提督戦死後に、対戦国である当の日本で、追悼の提灯行列をおこない敵将の死を惜しんだ。かの石川啄木もマカロフ追悼の詩をつくっている。
    ・多大な犠牲を払った旅順要塞戦の天王山である、二百三高地奪取前に、旅順艦隊は事実上壊滅していた。二百三高地を占領して山頂から二十八センチ砲を港に打ち込んで撃沈したのはフィクションであり事実とは異なる。
    ・『坂の上の雲』のラストで好古が「奉天へ」とうめくように叫んで逝ったと書いているが、本当は「馬引け!」が末期のことばだった。その言葉も戦場ではなく、自身が校長をしていた中学校へ行くつもりでのことばとのこと。
    ・奉天会戦後に児玉総参謀長が極秘に一時帰国した際に、出迎えた参謀本部次長の長岡外史の顔を見るなり、児玉は「長岡ァ」と怒鳴ったが、「馬鹿かァ、お前は」という言葉は司馬さんが新たに加えたもので史実ではない。
    ・日本海軍による、「下瀬火薬」と「伊集院信管」は戦争において大きな貢献をしたと言われているが、実は問題点が多く、味方もこれらによってたくさん怪我をしている。山本五十六、伏見宮博恭王などもそうであった。
    ・日本海海戦時の軍艦「日進」では主砲4門のうち3門が砲身内自爆で砲身が折れた。
    ・日本海海戦において、はじめにバルチック艦隊を発見した位置が海図上の〈二〇三地点〉であった。
    ・かの有名な敵前大回頭の〈東郷ターン〉は、実は作戦通りではなかった。バルチック艦隊追尾中の第三艦隊「厳島」がバルチック艦隊の位置を一万メートル近く東側に間違えて報告したため、予定よりも充分な距離が取れず、結果としてやむを得ず敵の射程内でUターンすることになった。
    ・バルチック艦隊発見が早朝であったのに、戦闘開始が午後二時頃であった。これは何故か?
    実は、主力決戦前に連合艦隊は重要な奇襲作戦を用意していた。第二戦隊の駆逐艦と水雷艇隊で〈奇襲隊〉を編成し、バルチック艦隊の目の前で連繋機雷をまく作戦であった。
    ・実際は中止になったがその理由は荒天によるものである。
    ・この奇襲作戦を念頭に置くと、かの有名な「天気晴朗なれども浪高し」の意味が一般に言われていものとは大きく変わってくる。
    ・本当の意味するところは、この天候では連繋機雷による奇襲作戦はできないかもしれない、そのときは正面衝突で戦わざるえを得ないという大本営への報告に他ならない。
    ・ここから「本日天気晴朗にシテ浪高シ」ではなく「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と書いた意味も読み取れるのではないか。
    ・公刊戦史に対して、脚色を廃し、事実に基づいて編纂された『極秘明治三十七、八年海戦史』というものがある。
    ・この極秘戦史は3組作成され、海軍大学校、軍令部、明治天皇へ献上された。太平洋戦争敗戦時に海大、軍令部では燃やしてしまい、宮中に唯一残った「極秘戦史」は昭和天皇が亡くなる直前に御下賜され、現在、防衛省図書館に所蔵されている。
    ・この「極秘戦史」から新しい新事実が見えてきている。
    ・日本海海戦では、T字戦法で戦ってはいないのに何故、T字戦法で勝ったと言われているのか?連繋機雷による奇襲作戦をカモフラージュするためと言われている。
    ・勝った戦争ほど後始末が悪い。

  • 坂の上の雲の後に読むべきだった…

  • 著者:半藤一利、秦郁彦、原剛、松本健一、戸髙一成

  • 読了。

  • 「そこから旅順港は見えるか!」という有名な児玉の問いかけに対して、「見えます。が、敵艦隊はすでに壊滅している模様であります」という答えが本当だったとは..。事前の山越えの砲撃ですでに旅順艦隊が次々に撃沈していることも知らず、あれだけの犠牲を払って二百三高地を取る意味があったのか?

  •  おそらく明治期以降の歴史に最も精通しているだろうと思われる著名な「歴史家」5人による「座談会」ということで、大きな期待をもって本書を読んだが、ちょっとがっかり。
     本書には「日清戦争・日露戦争」の戦術的な論議は多いが、背景の政略的考察や歴史的位置についてはほとんどなく、昭和の大戦争へつながった「大陸政策」への言及もほとんどない。
     「日清・日露」という勝った戦争の自慢話のような論議には、その後の「大日本帝国の大破綻」につながる大陸政策や、近隣諸国との関係への辛辣な考察はかけらも見られない。
     本書の座談会の論議は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の「正しい日本と邪悪なロシア」の勧善懲悪のような単純な史観から一歩も出ていないように思えた。
     日露戦争時のロシアの内情については、相当詳しい考察がすでに明らかになってきているのだが、日露戦争を「ロシアの膨張主義に対する日本の防衛戦争」と捉えるには相当無理があるのではないかと思う。
     「勝った戦争より、負けた戦争から人々は多くの教訓を得ることができる」とはまさに真理だと思えた。
     現代の著名な歴史家5人でさえも、勝った戦争への評価には、辛辣さは全くない。
     この「日清・日露戦争」の勝利が「韓国併合」や「満州国建国」につながり、「昭和の大破綻」を迎えた日本の歴史を考えると、徹底検証すべきことは、「日清・日露戦争」の戦術的巧緻ではなく、政略の歴史的評価ではないかと思うと、本書は残念な本であるとしか言い様がないと思う。

  • 近現代史の権威が集まり対談した内容が書籍化した。
    日露戦争は、読めば読むほど、日本の勝利が幸運だったことがわかる。特に陸戦においては、敵将クロパトキンの無能力に助けられた感じがする。
    日本海海戦においては、連携機雷戦法も用意されていた。海が荒れていたため実施できなかった。

  • 新たな資料なども踏まえ、これまでの通説を批判。また、太平洋戦争の敗因の一つが、遠く日露戦争の勝利にあると分析する。

  • 半藤一利さんの著作を追いかけていたらこの座談会が目に留まりました。専門家5人の話は実に面白い。一人がネタを振ると皆が次々と話を追っかけて行く。そして皆無茶苦茶詳しい。「七生報国」は広瀬武夫の書簡に残された漢詩の一節というのは初めて知りました。それをまた皆さんさらりと流す。まだまだ続きが読みたい!

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著者プロフィール

半藤 一利(はんどう かずとし)
1930年、東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)生まれ。東京大学文学部国文科卒業後、文藝春秋新社に入社。編集者として活動しながら匿名記事も記す。1965年に大宅壮一の名義を借りて『日本のいちばん長い日』を執筆、発行。『漫画読本』『増刊文藝春秋』『週刊文春』『文藝春秋』編集長を歴任。1995年に文藝春秋を退社してから作家・評論活動専任となる。
1993年『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞、1998年『ノモンハンの夏』で山本七平賞、2006年『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞をそれぞれ受賞。2009年の語りおろし『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』はベストセラーとなった。
妻の半藤末利子は、松岡譲と、夏目漱石の長女・筆子の四女で、夏目漱石が義祖父にあたる。

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