日本の自殺 (文春新書)

  • 文藝春秋 (2012年5月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784166608638

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

文明の衰退と再生をテーマにしたこの作品は、1975年に発表された論文を基に、日本社会の現状を鋭く分析しています。著者は、古代ローマの崩壊と日本の経済状況を重ね合わせ、「豊かさの代償」や「情報汚染」とい...

感想・レビュー・書評

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  • 日本経済の予言の書。それも1975年に文藝春秋誌上で、匿名で発表された後に大きな波紋を呼んだというもの。文明が衰退消滅していく時に起きた事を、古代ローマ帝国などの例を引用しながら、当時の、高度経済成長から横ばい成長の兆候の見られた当時、その時代の日本社会の状況とローマ衰退期の史実とを行き来しながら、警鐘を鳴らしている。この記事から約50年が経過して今日の円安や長期の停滞を合わせ考え、そのたどった道筋の類似 予想の合致を合わせ考えると深く感じるところのある本。絶版なのか中古か電子版あるいは図書館にて手に取っていただきたいです。特に40-60代の、サラリーマン時代がこの時代にかぶるので、自分越し方と重ね合わせ これからの生き方を考えるのはいかがでしょうか 私はそのように読みました

  • 衝撃的なタイトルに惹かれて購入。
    本書は、1975年に「文芸春秋」紙上に掲載された論文である。
    2012年5月に新書として出版した文芸春秋社の決断の素晴らしさもさることながら、本書の内容が全く色あせていないことに驚いた。

    まず、冒頭の諸文明の没落の原因についてであるが、
    『諸文明の没落の原因を探り求めて、われわれの到達した結論は、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅するという基本命題であった。〜中略〜それは根本的には魂の分裂と社会の崩壊による自己決定能力の喪失にこそある』
    鋭い右ストレートをまともに喰らった 様な衝撃を受けた。

    この論点を補足する意味で、古代のローマ帝国やギリシャについてその没落過程を解説する。
    そして、日本の未来を予言的に言い当てる一文。
    『やがては日本の国民大衆を遊民化し、その家族や伝統的共同体を解体して大衆社会化状況を作り出し、エゴ、悪平等主義、活力なき福祉、怠慢そして画一的な全体主義のなかに社会を解体させていくことになるかもしれないのである。』

    続いて、戦後の民主主義を「疑似民主主義」として、本来の民主主義と異質な者としての理論展開を行う。
    疑似民主主義の兆候は、その画一的、一元的、全体主義的性向であるとし、その徴候が、多数決原理の誤った認識の仕方に示されているという。
    本書では、
    『真の民主主義の本質のひとつは、多元主義の承認である。ところが、疑似民主主義は本来、多元主義のための一時的、かつきわめて限定された調整のための手段、便法として工夫された多数決を一元主義、画一主義、全体主義のための武器に巧妙に転用するのである。こうして多数決の決定は、疑似民主主義の支配する集団のなかでしばしば村八分のための踏み絵のような役割すら果たし、多様なものの見方の存在を否定する方向で作用することになる。』
    といったように、世論調査などの多数の支持を得たような正義をふりかざして一元的な考え方を強引に押し進めるやりかたへの警鐘ともとれる。

    そして、最後には歴史から得られる教訓として、
    「国際的にせよ、国内的にせよ、国民みずからのことはみずからの力で解決するという自立の精神と気概を失うとき、その国家社会は滅亡するほかはないということである。福祉の代償の恐ろしさはこの点にある。」
    と締めくくる。
    2012時点でのホットな話題を1975年に展開していたのは驚きであった。

    また、ローマ帝国の崩壊につながった「主食を海外へ依存」については、TPPで揺れる現在に対して、圧倒的な説得力をもってその愚策を否定している。

    読んでいる最中、何度も現代に書かれた論文のような錯覚にとらわれるほど、現代性に富んでおり、今読むべき新書といった感想を持ちました。
    国内の政治的混乱や政策的な欠陥に憤慨されている方にはオススメの一冊です。

  • ふむ

  • 本文は内容は面白いが、ややまどろっこしい。
    後半、中野剛志の解説が簡潔で興味深い。

    山内昌之氏が指摘するように文藝春秋の40年前の記事を、このタイミングで朝日新聞が取り上げたことも面白い。

    パンとサーカスは、ベーシックインカムの議論を思い起こさせる。

    P97 情報過多の神経症状
    マスコミによる間接情報の氾濫、直接体験の希薄化
    →希薄な「ごっこの世界」の中で、深い感動に伴う経験に飢え「しらけて」くる。

    P106
    諸文明の没落の過程で必ずといってよいほど発生してくる文明の「自殺のイデオロギー」がある
    →極端な平等主義のイデオロギー
    →共同体を解体し、社会秩序を崩壊させる。

  • 論拠がよく分からない主張が繰り返されていて、本当に論文か?と疑うレベル。妄想に近い。

  • 膨張しすぎたために内部から瓦解した古代ローマ帝国と現代の日本に共通点を見出だし、日本は『第二のローマ帝国』としての道をたどりつつあると警鐘を鳴らしている。

    三十年も前に書かれた論説だが、現在に当てはめて読んでも十分に説得力がある。
    逆に言えば、三十年前から状況の改善していない部分があるということであり、それはぞっとしない話だと思う。

  • 1975年、既に現在の政治の低迷、衆愚政治を予言。
    『失敗の本質』も合わせ読み、日本は良いリーダーを育まないのか!

  • 1974年に書かれたという本書。驚くぐらいに日本の現状が書かれているように思う。これから成長して、JAPAN as No.1と言われる前にこのような警鐘が鳴らされていたことにただ驚くばかり。ただ、このような危機感を持つことが出来た人もいるのに、なぜ現代はこのようになってしまったのだろう。
    本書はこれから起きるであろう日本の崩壊をローマ帝国の崩壊と重ねて、解説している。「パンとサーカス」と権利を求めて、労働もしない市民、また、市民に迎合するためにそれを進める政治家。まさしく、日本の今の形ではないかと思う。
    栄枯盛衰とはよく言ったもので、必ず自壊に至ってしまうらしい。社会の崩壊は決して外的な要因ではなく、内部から起きるということは、組織にも当てはまることであり、真実なんだと思う。やはり、生き続けるためには変化していかなければいけないらしい。

  •  文明は内部から壊れてゆく。かつて栄華を誇ったローマ帝国も「パンとサーカス」に明け暮れる国民の堕落によって滅びた。そして先進国となった日本にも内部崩壊の危機が訪れている…。
     この『日本の自殺』が文藝春秋に掲載された当時(1975年)よりも、現在の日本の方が内部崩壊の危機は高まっていると思う。生活保護費での遊行、「経済成長なんていらない」という無責任な主張、耳触りの良い政策ばかりを実行する政治家等々。権利ばかりを主張する国民と彼らに迎合する政治家によって日本は自殺させられるかも知れない。

  • 具体的な数字と読者となる人々がなんとなくイメージしている事柄が同時に並べられることで、危機感や問題が逼迫しているものだと実感させるような作りになっている。また、単に世界と日本・昔と現在を比較するだけでなく、死や興隆と衰退といったセンセーショナルな要素が散りばめられている。

  • 大衆社会化→古代ローマ≒現代日本
    自律性と自己解決能力。この状況を乗り越えるカギ。
    帯の「平成日本人必読の書」というコピーは伊達じゃなかった。

  • 今年3月の文芸春秋に再掲載されて話題になっている1975年に「グループ一九八四年」によって書かれた論文。
    37年も前に書かれたものであるのに、まるで今の日本に向けて書いているかのようです。
    ギリシア・ローマ帝国滅亡と日本の政治的・経済的・社会的・文化的没落
    の危機が類似していると指摘。
    キーワードは、「パンとサーカス」の要求。

    長くなるので、内容は、ここに書かないけれど、興味深くサクサク読むことができるので、多くの人に読んでもらいたいなと思える1冊。


    それにしても、37年前にこの論文が書かれていたということは、実に、日本人として誇らしいと思う一方で、37年前に、このようなことが指摘されていたのに、37年後「まさに今の日本ではないか!」と話題になっている現代日本人は、あまりにもおめでたすぎるのではないでしょうか。

  • 平成22年最後の読了本。
    昭和50年に公にされていたなんてすごい。再読必至だ。
    ■諸文明の没落は,「魂の分裂」と「社会の崩壊」による「自己決定能力の喪失」にこそある。過去の殆どすべての没落した文明は,外敵の侵入,征服,支配などの前に自分自身の行為の前に挫折。
    ■ローマの没落はローマの繁栄の絶頂期に始まっていた。
    ■ローマの滅亡
     ▸欲望の肥大化,労働を忘れ消費と娯楽レジャーに明け暮れた繁栄の代償
     ▸各地から流入する人口により適正規模を超えた膨張によるコミュニティの崩壊。巨大都市象皮病。
     ▸パンとサーカスの要求 ~無料のパン,競技・娯楽に関わる公共施設
    ■大衆迎合主義の中に自信と責任を失って崩壊し大衆の思考力,判断力は目に見えて衰退・低下し,社会は「自己決定能力」を喪失していく
    ■「パンとサーカス」と自制なき権利を要求して活力なき「福祉国家」,怠慢な「レジャー社会」への道をたどるとき,社会は衰弱していく運命を辿る。
    ■家族の解体と悪平等主義
    ■カタストロフを考えようともしない日本人の国民性は長所ともなるが致命的な短所ともなる。
     ▸資源・エネルギーの厳しい制約
     ▸環境コストの上昇
     ▸労働力需給の逼迫と賃金コストの上昇
    ■豊かさの代償
     ▸無気力,無感動,無責任
     ▸自制心,克己心,忍耐力,持続力のない青少年が大量生産される
     ▸伝統文化の破壊を通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ倫理観を麻痺させ,日本人の精神生活を解体
    ■幼稚化と野蛮化

    ■あまりに組織されすぎた世界に生まれ,その中で便宜だけを見出し,危険を感じないタイプの人間は,ふざけて暮らすよりほかに行動できない。

    ※メモ整理中

  • 何となく抱く危機感、それは大小あるとは思うけれど読み手が属する組織で何らかの形で感じている問題意識が可視化されており紛糾間違いなし。
    一方、30年経っても変わらぬ課題が存在していることが、時代は繰り返すのだということが、その危機感が諦めや楽観になる。

  • インド出張に来られた先輩が読んでおり、
    それ以後ずっと気になっていた本著をやっと読むことができました。

    執筆された時期が70年代であり、
    帯に書かれているように、
    すべてが現在を言い当てているとは言い難いですが、
    情報化社会の弊害、「パンとサーカス」の考察など、
    多くの箇所において、現在の日本にも通じる指摘があり、非常に興味深く、
    また過去の日本人より自身への問いかけを受けているような錯覚をもたらす一冊でした。

    すべての方に「お勧めです!」とは言えないですが、
    他の方の感想が聞きたいと思う一冊です。

  • ローマ帝国をはじめとした諸文明の没落は、外敵にではなく、社会を構成する人間の内部にあった。日本もその道を歩んでいる。

    日本における自殺者の状況分析、かと思ったら、国の自壊の話でした。

  • 情報化時代の問題、日本はどうしてこうなってしまったのか、というが、今の日本はそれなりに立派なものだと思う。
    パンとサーカス、上等ではないか。世界にはそれすらありつけられない国、人がいるのだ。
    だいたい庶民が余計なことを考えるような国だとギリシャみたいになる。哲学者なんてたくさんいちゃ駄目なんだよ。

  • 確かにバブル期以前からこれだけの予言をするのはすごいけれども、全くといっていいほど根拠と解決策が語られていない。

  • ローマ帝国の「自壊」のプロセス。キーワードは「パンとサーカス」。

    豊かな暮らしを享受している国民が、「目の前の刹那的な快楽にばかり目を引かれて自分の頭で考えることができなくなった」結果、勤労などの義務も果たさずに、ただその権利(パンをくれ、サーカスを見せろ)だけを主張するようになる。為政者側もエリート意識を失い「衆愚政治」に陥って、大衆化した国民を諌めることも無く、ただ彼らの要求に応え人気を得ることだけにまい進する。結果、経済的にはスタグフレーション(不況下のインフレーション)が「賃金コスト上昇×生産性低下=付加価値を伴わないコスト上昇」により発生する。

    翻って、日本でも同様のことが?

    筆者の指摘する日本における「スタグフレーションの兆候」は、①資源エネルギーの輸入依存、②環境コスト上昇、③賃金コストの上昇であり、当然現在の日本にも同様の課題はあるのだが、現在の日本は「インフレ」ではなく「デフレ」となっている。今の日本はお金もあふれているが、それ以上にモノがあふれている。この本の想定と現状が異なっている大きなポイントが「グローバル化」であり「円高」、その結果として産まれた「海外製品の大量流入」だろう。

    それはさておき、日本の社会は、いや地球全体の社会は、先人たちの活躍によって、豊かになり、便利になり、快適になった。それはそれで悪い事ではないのだが、それを「当たり前のもの」と勘違いしてしまうと、「それらが一体何によって実現されているのか」、或いは「それらを維持するために何が必要なのか」「もっと進展させるにはどうしたらいいか」といったことを考えが至らなくなってしまう。「インプット」(原因)を忘れて「アウトプット」(結果)だけを求める(例えば「ひきこもり」や「アダルトチルドレン」になって、ただ親の家に寄生し続ける、或いは「原発は嫌だ嫌だ」と言って、一方で「増税にも反対」する)ようになってしまう。この「甘えの構造」的な精神状態が、諸悪の根源だ、というのが本書の主張の幹たる部分である。

    とは言え、現実には、世の中には豊かさが溢れている。「押しボタン式」な機能製品で溢れている。この状況に於いては、誰もが「これが当たり前」という精神状態に陥ってしまうのだろうか。過去から、人間は豊かさや便利さを求めてきたし、それはいつの時代でも基本的に前進してきた。その時代の人にとってみれば「今が一番便利」だったはずだが、それでも「当たり前だからもういいや」とはならず、「もっともっと」と、進化は止まなかった。人間の欲望の凄まじさである。その点は、悲観する必要はないように思う。****

    要は、いつの時代も現状を当たり前なものと受け入れて親世代の惰性でしか生きられないダメな子供やダメな国民はいるものだか、ダメな子供には厳しい親が、ダメな国民には厳しいエリートが、現実をきちんと認識させる必要がある、ということなのだろう。親が子に、為政者が国民に迎合してしまうと、そのサイクルが崩れて社会は自壊へと向かってしまう。

    但し、今の日本に言える事は、「この国がなくなるかもしれない」という危機感に乏しいことにある。或いは、そういう危機感もとに立ちあがる人材に乏しい事である。現代の日本人には、精神的には何処か「鎖国」したような心持があって、国際的なニュースを「おれたちには関係ないや」と、どこか「蚊帳の外」から眺めている風情がある。それはまさしくあの第二次世界大戦と、その後の「平和主義」を掲げ、日米同盟の下で「骨抜き」にされた「戦後日本」の産物なのだと思う。

    祖父の世代は世界大戦に兵士として赴いた。父の世代は、その厳格な祖父の世代、「国体」から敗戦後瞬時に「転向」した祖父の世代に反発し、安全保障や外交面、要は「戦争の記憶」からは一定の距離を置いた中で、結果的に経済的な成長を第一に求めて必死に頑張って来た。そして彼らは、「おれたちは頑張った。子供の世代には少し楽をさせてやりたいものだ。父のような厳格な家長像など真っ平だ。おれたちは父から何もしてもらえなくてもここまで自分の力でやって来たのだから、あえて子供に教育を施す必要もないだろう」という態度で子供に接した。「やさしい父」であり、「仕事優先の父」像であった。そして、その社会での厳しさをあえて子に教えることはしなかった。戦争や外交、安全保障などについては、話題にすらしなかった。

    子の世代に起こったのは、「歴史の終わり」だった。自らがよってたつ社会構造そのものは「元からあったもの」「誰かが提供してくれるもの」であり、「批判」や「愚痴」の対象であっても「自らが作っていくもの」ではない。政治や社会には無関心或いは「何でもかんでも批判的」で、ただ経済的には(親ほどではないにしても)、「相対的に悪くない」ポジションを保つことばかりを考えている。

    こういう「甘えた日本人」「アダルトチルドレンな日本人」の再生産を少しでも減らしていかなくてはいけない。ただでさえ人口が減少している中で、歩留まりを上げていかなくてはいけない。

    もう一点、大きな潮流の原因となっているのが「ソーシャルネットワークサービス」である。「レジャー化」する人間は「無駄だけど楽しい体験」(つまりは「平日体験」ではなく「休日体験」)ばかりを追い求めるわけだが、SNS(特にmixyやfacebook)はまさに「休日体験」の「発表と共有」の場であり、自分の体験だけでなく、他人の体験をも(‘いいね!’や‘RT’によって)「追体験」することで「レジャーの波」は加速度的に高まっていく。つぶやくために休日体験を積み上げ、他人の体験を「追体験」するのにも忙しく、まじめに「平日体験」を考え進める時間すら失われていく。

    匿名のtwitterに関しては「平日体験」に関する議論を架空の場ではあるが行えるという点ではまだマシで、実名で「当たり障りのない」休日体験を雪だるま式に共有化していくfaceboookはとても危ないツールだと考えている。

  • P162
    「グループ一九八四」の論文をはじめて読んだのは、1974(昭和49)年の春、関西から東京に帰る東海道新幹線の車中でした。大阪で会った山崎正和さん(大阪大学名誉教授)から、「これ、ちょっと面白いですよ」と渡されたものが、「日本共産党『民主連合政府綱領』批判」というまがまがしいタイトルの第論文だったのです。執筆者は「共同執筆グループ一九八四」とある。ジョージ・オーエルの近未来小説『一九八四』をもじったものだということはすぐわかりました。(田中)

    P163
    当時、私は月刊誌『文芸春秋』の編集長をしてましたので、早速その年の6月号に掲載しました。論文が論争を挑んだ「民主連合政府綱領」とは今風にいえば日本共産党の「マニフェスト」です。それまで、野党の中でも独自路線を歩んできた同党が、1973年、他の野党と連携して連合政府を模索することを提案したのがこの綱領でした。(田中)

    P165
    有史以来、多くの文明において、国民が利己的な欲求の追及に没頭し、難局をみずからの力で解決することを放棄するようになり、しかも指導者たちが大衆迎合主義に走った時、国家が自殺する。ローマが滅んだのはこれだった。いまの日本もローマが歩んだ道を歩んでいはしないか。──というのが「日本の自殺」の発表時の趣旨でしたが、事態はまったく変わらないのではないか。あいかわらず日本人はかつてのローマ人のように「パンとサーカス」に酔いしれてはいないか。(田中)

    目次
    はじめに
    第一章 衰退ムード
    第二章 巨大化した世界国家“日本”
    第三章 カタストロフの可能性
    第四章 豊かさの代償
    第五章 幼稚化と野蛮化のメカニズム
    第六章 情報汚染の拡大
    第七章 自殺のイデオロギー
    エピローグ 歴史の教訓
    補論 ローマの没落に関する技術史的考察

    「グループ一九八四」との出会い(田中健五)
    「グループ一九八四」の執筆者(大野敏明)
    「日本の自殺」その後(中野剛志)
    「自殺」か、「自然死」か(福田和也)
    二一世紀の「パンとサーカス」に抗して(山内昌之)

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