信長の血統 (文春新書)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166608751

作品紹介・あらすじ

天正十年六月二日、織田信長は本能寺の変で斃れ、四十九年の生涯を閉じた。見果てぬ夢となった天下統一、この「織田体制」とは何だったのか?織豊政権の権力構造を解き明かしつつ、信長一族や末裔が辿った運命を克明に検証する。

感想・レビュー・書評

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  • 天下統一目前で逝った織田信長。その一族や血統の運命は如何に?
    第一章 信長の達成・・・織田政権の全国統一への道程。
    第二章 織田政権の崩壊と再建・・・本能寺の変~清須会議。
    第三章 織田信孝の「謀叛」・・・秀吉&信雄VS勝家&信孝。
    第四章 織田信雄の「逆意」・・・秀吉VS家康&信雄
    第五章 羽柴政権の誕生と織田体制の継承・・・秀吉の考える織田体制。
    第六章 織田家の血統・・・関ヶ原以後~江戸時代の織田一族の運命。
    主要参考文献一覧有り。
    織田政権。信長の天下統一の夢、それを継承しようとした秀吉。
    朝廷の思惑。そして、家康の徳川政権への道程。
    それらに翻弄され、或いは生き延びてきた織田一族。
    織田家の継承者との自負は、信孝、信雄、三法師の運命を左右。
    争乱に斃れ、或いは豊臣と運命を共にした者もいるけど、
    小藩や旗本として、また、徳川その他の家に、
    織田家の血を残して、現在までも受け継がれていることは、
    興味深いものでした。

  • 信長、秀吉、家康と政権が移る中、信長の親族やその子孫はいかに生き残ったか(ただし、織田家側から見たものではない)。この本書の主題は事実の羅列に止まり、お江が徳川秀忠夫人、織田信雄や長益の子孫が江戸期を生き延びた点は興味は引かない。ただ、信長の政策継承が豊臣惣無事令につながっていく点は別。例えば、信長が、息女と北条家との婚姻を画策した際、北条は織田の「分国」として、その緩やかな支配を容認。九州での近衛前久による停戦斡旋、伊達輝宗へ動員要請は惣無事令の萌芽と見るのはなかなか。京都支配の重要性も同様か。

  • 信長の死後、その子孫はどうなったのか?秀吉の死後に秀頼が一定の力を持ち、家康へのプレッシャーになったのに対して、信長の血統は影が薄い。信長の長男・信忠は二条城において信長に殉じて死ぬ勇猛な武将だったようだが、もし生きておればその後の展開は変わっただろう。次男・信雄、三男・信孝、そして嫡孫・秀信(三法師)のその後はあまり知られていない。豊臣・徳川政権下でも信雄、秀信らは主筋として一定の配慮を以って高い官位に処遇されていた!関ヶ原後に西軍についた秀信が高野山で淋しく没したということもドラマを感じる。信長から秀吉への権力移行が第2次織田政権としての性格を持たせ、小田原攻め後に信雄を改易したことで初めて豊臣の世の中であることを示したというプロセスの説明が非常に興味深い。また信長が将軍に推任され、回答を保留したということは初聞であったが、信長らしい。従三位・右大将、権大納言で十分であったということ。実は秀吉も全く同じ役職に就いたこと、そして更に関白の地位を求めたこととの対比が面白い。

  • 図書館

  • 女性優位のスポーツ界において、私が知る限りで男性も活躍したスポーツの1つにフィギィアスケートがありますが、数年前に織田家の血を引くと言われる織田信成氏がいることを知りました。「信」という諱に興味が引かれて、お顔を拝見したら信長の面影が残っていたので驚いたことを覚えています。

    その後に、次男信雄の子孫から大名が江戸末期まで続いていることを知り、織田信長亡き後の織田氏について興味を覚えました。この本によれば、滅ばされた豊臣家とは異なり、江戸時代に織田家は、大名4家・旗本10家が存在していたようです。

    信長については多くの本を読んできたつもりですが、主に「織田信長」個人の活躍について述べたもので、織田家全体について書かれた本はこれが初めてだと思います。

    ある人について遡って歴史を見てみるのも面白いなと思うと同時に、自分の家の歴史(系図)についても興味をもつようになったのが、この本を読んだ賜物と思います。

    以下は気になったポイントです。

    ・信長は、文官としては義昭が任じられた参議の上の権大納言に任じられている、公家の場合ならその上に大臣がいるが、武家が叙任する官職としては破格であった(p20)

    ・信長は、右大臣・右大将の両官を辞任したが、正二位の位階は維持しているので、朝廷を否定したり独立しようという兆候は全く見れない(p21)

    ・信長は権大納言に任じられた時点で、単なる軍事政権ではなく正当な武家政権として認められていた、いったん認められてしまえば、その後は辞職しても構わなかった、天皇を退位した上皇が朝廷の第一人者になるのと同じ(p23)

    ・京都での馬揃えにおいて、織田一門は織田信忠が、80騎で美濃・尾張衆を率いて、信雄は30騎で伊勢衆を率いた、その後は、信包(信長の弟)、信孝(三男)、津田信澄(甥)で、この5人が織田一門の中核をなしていた(p29)

    ・戦国大名の軍団は大名直属部隊(馬廻り)しかいなくなる、有力な者は軍団を任されて独立するので(p36)

    ・本能寺の変において、信長が「是非に及ばず」と言った現代訳は、それ以上の応答を拒否する響きを待った「わかった}というような言葉(p53)

    ・本能寺の変は、黒幕がいるという説には根拠がなく、光秀の単独犯行と見るのが妥当(p57)

    ・信忠が自殺したとき、討ち死にした者は、村井貞勝(二条御所への移動を勧めた)、毛利新介(桶狭間で活躍)等もいた(p63)

    ・本能寺の変後、秀吉の居城長浜城は、京極・阿閉により落とされた、丹羽長秀の佐和山城も落ちて、近江はほぼ抑えた(p65)

    ・手紙に「様」ではなく「殿」を使っていることろから、秀吉は両人(織田信雄、信孝)を信長の息子としてしか見ていないと判断される(p101)

    ・小牧長久手の戦いの信雄と秀吉の講和が成立すると、朝廷は秀吉に従三位・権納言に叙任した、これにより羽柴政権となった(p154)

    ・秀次事件によって豊臣政権は弱体化した、秀次は尾張清州城主であり、与力には、田中(岡崎)池田(吉田)堀尾(浜松)山内(掛川)中村(府中)がいて、尾張から駿府へかけて家康の抑えになっていたから(p203)

    ・羽柴秀勝が朝鮮で病死すると、その領地(岐阜)に三法師(秀信)に13.3万石で与えた、冠位は従四位下・参議、天正5年5月には従三位・中納言
    に昇進している(p205)

    ・関ヶ原の戦いは、豊臣政権の後半期に与えられた織田一族の領地のほとんどを失わせる結果となった。(p211)

    ・豊臣家は、全国に配置された蔵入地(直轄領:200万石弱?)が、慶長8年2月に家康が征夷大将軍になると、幕府により接収された(p212)

    ・江戸時代を通して存続した信長の血筋は、次男信雄の家系が、大名2家と旗本2家に分かれて続き、7男・9男の家系も旗本として存続、有楽の家系は、大名2家、信包系が旗本として続いた。(p219)

    ・秀吉は信長と違って世襲制権を築き上げることができた、家康が将軍宣下するまでは豊臣政権の枠組みは続いていたので、家康は大阪の陣で豊臣家を潰さざるを得なかった(p222)

    2013年1月6日作成

  • タイトルから想像する信長の子孫とか一族とかの話はあまり本題ではないようです。帯には「その血を握る者のみが支配者であった」とあるし、いわゆる織田政権継承の正統性がどのように意識されていたのか、が本題でしょう。なるほど、と思う部分も多々ありますが、いかんせん秀吉の事績が幅をとっています。「江戸時代の織田家」が2ページちょっとです。

  • 戦国動乱の世、その「血」を握る者のみが支配者であった。
    本能寺の変で斃れた信長、あとを襲った秀吉、家康。
    全国統一の支配権力は、こうして生まれた。
    時代を超えた「革命児」の意志と、末裔たちの盛衰を描く。
    天正十年六月二日、織田信長は本能寺の変で斃れ、49年の
    生涯を閉じた。見果てぬ夢となった天下統一、この「織田体制」
    とは何だったのか?織豊政権の権力構造を解き明かしつつ、信長
    一族や末裔が辿った運命を克明に検証する。

    さくさく読めてしまいました。山本氏の著書だけあってそつがあり
    ませんが、私にとっての山本氏は近世史家(豊臣〜徳川)のイメー
    ジが強いので、中世(織田)は違和感がありますが、織田信長を
    素直に読んだ感じがしました。信長、秀吉ともに朝廷とのからみは
    面白かったです。

    以下、備忘的に
    p22 「朝廷の官職は、一度それに任じられることに意味があった」
    p35 戦国大名軍団の構造的弱点。国衆と馬廻り
    p152羽柴筑前は叡慮より四位の大将に任じて、兼ねて将軍の官を
        成さるべき旨、勅諚あり。
    p162秀吉は強い意志を持って関白職を摂家から奪い取った

    まあ、読んで損は無かったですし、私は大いに参考になりました。

  • 秋になるとむしょうに読みたくなる歴史もの。




    しかもピンポイントなものがいいですね。




    今回の新書も信長の子どもや孫に焦点をあてた本です。




    信長在命時、そして信長の死後豊臣政権下及び江戸時代に入ってから




    信長の血縁者たちがどのような運命をたどったかが




    すっごく詳しく書かれていて、戦国好きにはたまらない1冊です。




    秀吉は意外に信長のこどもたちを立てていたこと




    逆に家康はちょっと冷たかったこと




    意外な真実はこの本には記されています。




    戦国好きにはオススメの一冊で、一気に読めてしまいます。

  • 織豊政権から徳川幕府への時期、信長の血統がどのように扱われたのか。尊崇されたのか、無視されたのか。秀吉も家康も、信長の呪縛から逃れられなかったのか、必至に逃れようともがいたのか。そんな視点からの内容を期待したのですが、単なる戦国時代史でありました。多少、信長一族の動きを普通の歴史書よりは詳しく取り上げている感じはしますが、それを中心に書いているというほどではありません。タイトルから期待して読み始めたのですが、残念です。

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著者プロフィール

1957年、岡山県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。文学博士。東京大学史料編纂所教授などを勤めた。1992年『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。著書は『寛永時代』(吉川弘文館)、『日本史の一級史料』(光文社新書)、『歴史をつかむ技法』(新潮新書)、『流れをつかむ日本の歴史』『武士の人事』(角川新書)など多数。NHK Eテレ「知恵泉」を始め、テレビやラジオにも数多く出演した。2020年逝去。

「2022年 『角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 全16巻+別巻4冊定番セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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