- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166609154
作品紹介・あらすじ
藤原道長『御堂関白記』、藤原行成『権記』、藤原実資『小右記』。平安時代の10世紀から11世紀に亘って書かれた、この3つの日記は、平安時代の貴族社会を知るための第一級史料と言われています。 この3つの史料を照らし合わせて、摂政に上りつめていった藤原道長の生涯に迫ります。藤原道長といえば、知らない人はいないぐらいに日本歴史上の有名人ですが、どんな人物だったのかご存知でしょうか? 3つの日記からは人間・道長がくっきりと浮かび上がります。 たとえば、妻は2人、子供は15人。糖尿病にも悩まされていたようです。性格は小心ですが、大胆な面もあり、よく泣き、よく怒ります。 娘の入内や出産に一喜一憂する道長、天皇に譲位を迫る冷酷な道長……。 歴史を変えた重大な場面も、生々しく再現されます。 国宝『御堂関白記』は、2013年6月にユネスコによって「世界記憶遺産」に認定される予定です。『御堂関白記』に対する関心が高まるなかでの刊行となります。
感想・レビュー・書評
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なかなか自分では読むことができない『御堂関白記』。
これと藤原行成の『権記』、藤原実資の『小右記』を照らし合わせながら、道長の栄華がどのように作られたのかを追いかけた本。
恥を忍んで告白する。
道長は兼家の四男だと思っていた。
実は四男には道義という人。
この本を読んで初めて知った。自分の迂闊さが恥ずかしい。
敦康親王の即位をめぐる、一条帝との駆け引き。
一条としては自分の意志を貫きたいが、政権の安定を考えると道長に折れなくてはならなかった事情が、詳しく伝わってくる。
敦康は自身の孫が生まれるまで、しっかり道長にキープされていたということを知った。
死期を迎えた一条が、定子の陵の隣に、自分も定子同様に土葬してくれと願ったのに、火葬してしまうというあたりは、唖然とした。
当時の上皇への扱いってこんなもんだったのか。
三条との対立は、見ていられないほどの緊迫感があった。
いくら実権が藤原氏にあったとはいえ、天皇をここまで露骨に退位を勧めるなんて、びっくりしてしまう。
内裏の消失や天皇自身の病などがその理由付けに使われるのだが、もしかすると道長の意を忖度した誰かの付け火かもしれない、とはねえ。
豪胆で知られた道長が、自分や娘たちの病の度に、怨霊を恐れていたという。
これは意外。
そして娘たちに先立たれ、病の汚穢にまみれて晩年を過ごしたことは、何とも感慨深く。 -
2024大河への助走⑦
世界的にここまで古い日記が残ってるのはレア、それは中国と違って国史編纂が途絶えてしまったから!というのが驚きだった。国史が連綿と編まれていたら道長直筆の御堂関白記は当代では見られなかったのかもと思うと複雑な気持ちになるな -
今年の大河ドラマ「光る君へ」の予習としてまずは1冊。初回放送に何とか間に合わせて読了。著者はこのドラマの時代考証を担当している倉本一宏氏。増補版は道長と紫式部の関係を補章として書き足したとのこと。もともと『御堂関白記』や『小右記』『権記』などの「古記録」(古代史、中世史?ではそう呼ぶらしい。少なくとも近代史では聞かない言葉)を研究されてきた方なので、本書の内容もそうした古記録を読み解きながら、不慣れな読者にもわかるような道長像を提示しようとしたものとなっている。なお『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書、2013年)『藤原道長「御堂関白記」を読む』 (講談社学術文庫、2023年、オリジナルは講談社叢書メチエとして2013年)が、著者の「御堂関白記」三部作らしい。 国際日本文化研究センターではこのような啓蒙書の叙述が励行されているとのエピソードも書かれていて興味深かった。普通、研究者はそんなの書いている暇があれば論文を書けと言われるものなので(苦笑)。
本書も「啓蒙書」の類ではあるが、古記録資料を縦横に利用して当時の平安貴族の頂点に立った道長の実像を提示しようとしている。道長をはじめとした上流貴族たちが日常的に関心をもったことは、ずばり「人事」。これに尽きる。権力=人事であり、天皇の外戚として一族の繁栄を恒久のものにしようと日夜努力していることがよくわかる。しかし、この時代の人事は女性の出産という天命にも大きく左右される。著者が述べているように姉の詮子(せんし、あきこ。円融天皇の女御。一条天皇の生母)がいなければ道長の出世もなかった。さらに詮子が生んだ一条天皇(道長にとっては甥)に自分の子どもの彰子(一条天皇とは従兄妹関係)を入内させ、一心にその懐妊・男子生誕を祈る。兄の道隆の娘(定子 ていし、さだこ)も同じく一条天皇に入内しているので、必然的に兄弟、従姉妹の争いということになっていく。紫式部は彰子に仕える女官で清少納言は同じく定子に仕える女官。後宮内での女性同士の「戦い」も結局は「人事」を軸に展開していくのである。『源氏物語』が日本が誇る文学作品であると同時に一条天皇の関心を惹くために道長が利用した道具のひとつであるということもまた非常に重要なのである。 -
ビギナーズ・クラシックスの『御堂関白記』と読む。
道長がいて、一条天皇がいて彰子がいて、定子は亡くなって、伊周も清少納言も和泉式部もいたりいなかったりして、紫式部がいる時代があった、と想像するのは面白い。
彰子を後宮にいれて、定子が亡くなってからはトントンと『我が世をば〜』になったイメージだったけど、一条をいじめ倒し、三条と権力闘争して、そこにたどり着くまで結構大変だったのね(汗)。割と病気ばっかりしてるし
実資がその日記(小右記)で、色々怒ってるのもリアルで面白い。(じつは道長とお互い尊重しあっている) -
とても読みやすく、でもどこかで似たような感じのものを読んだことがあるような…と思ったら、よく読み返している「一条天皇」と同じ著者の御本でした。まったく気付かず購入…
「御堂関白記」だけでなく「権記」「小右記」の記述も絡めて解説されているので、同じできごとでも三者三様の見方がおもしろかったです。
いつかは現代語訳にもチャレンジしてみたい…でもたぶんつまらないんだろうな(笑) -
【天皇に退位を迫った道長の内面に迫る】道長、行成、実資。平安貴族が遺した日記の読解から、人間・道長が生々しく浮かび上がる。天皇を退位させた最高権力者の実像とは?
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御堂と権記と小右記の併読ができることが利点。でも、実資の言葉で道長を考えるしかない箇所については、まだうなづき得ない。自分で道長像を再考するための材料にするには、この本と倉本さんの研究はありがたい。
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世界的に見ても古い時代の日記はほとんど残っていない。
そもそも外国では為政者が自ら日記を書くことはほとんどなかった。
そうなのか~・・・。