脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克 (文春新書)

  • 文藝春秋
3.52
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本棚登録 : 104
レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166610594

作品紹介・あらすじ

痛快すぎる知的刺激! 「近代的人間観を捨てよ」脳科学・社会科学・哲学……新進気鋭の論客による白熱の議論10時間!人類はなぜナショナリズムに高揚し、愚かな政治的リーダーを支持し、戦争をやめられないのだろうか? なぜ賢いはずのインテリがバカな政策を支持し、知性に溢れた科学者がサイコパスに翻弄されてしまうのか? あるいは、なぜ日本人は「空気を読む」のが得意なのに、外交が不得手で英語も下手なのか? ……じつは最先端の脳科学実験では、これらの疑問を解き明かすヒントが多数報告されている。本書は新進気鋭の論客たちが、脳科学実験の成果や古今東西の哲人・社会学者の知見などをもとに、われわれが囚われている近代的人間観を乗り越えることを試みる。「保守主義は危険」「ナショナリズムは悪」「改革は善」「人を見た目で判断してはいけない」……こうした思考は、すべて近代がもたらした迷妄にすぎない。近代的価値観が捨象してしまったものの中にこそ、人間の本質がある。最先端の脳科学でも、それを裏付ける結果が出ているのだ。本書に「きれいごと」は一切ありません!◎男は女より知能が高い個体が多いが、バカも多い◎ナショナリズムが快楽なのは「内集団バイアス」が働くから◎ドーパミンが多い民族は進取の気性に富むが、浮気も大いにする◎「自由」は人間の脳にとっては苦痛である。国民主権も民主主義も、脳には合わないシステムだった◎イスラム国が世界遺産を破壊するのは、聖的なシンボルを破壊すれば共同体が滅びるから◎生物学的に女性のほうが「保守」の本質を深く理解している◎世の中にバカがはびこるのは、「B層」よりも「A層」に責任がある◎脳内物質オキシトシンは人類社会をまとめるが、戦争にも駆り立てる

感想・レビュー・書評

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  • 読了:2017/8/5

    他人を嘲笑い軽蔑することを、自尊心を保つための武器としている二人の男性の居酒屋談義に中野信子さんが如才なくヨイショコメントをしている本。

    「良質な保守論客」とか言われてる人たちがこんなに野卑で下劣な話し方とはなぁ…。

    いくら対立相手とはいえ「安倍は」と呼び捨て、一般市民をA層B層C層D層と分類し(彼らに言わせると自民党が作った分類らしいが)A層B層を侮蔑しきった発言を繰り返す様は、いくら良い大学を出ていよう常識と良識が身につくとは限らないのだなぁとしみじみ感じた。

    内容も批判だけで代案はなかったりあっても根拠が薄く、「結局あなたには何ができるの?何を生み出せるの?あなたのした何が『この国のため』になったの?」と問いたくなるものだった。

    にもかかわらずこんな本を堂々と出版してしまえるのは、自分は正しいことを言っているのだ、だから偉いのだ、よって自分の言葉は皆が聞く価値があるのだ、という自意識のなせる技であろう。

    検証を行うこともなく自分は正しい、あいつらはアホだ!と言いっぱなしなだけの彼らの姿を、エビデンスベースの思考をずっと説いてきた中野さんが内心どう思っていたのかすごく聞いてみたい。

  • タイトル負け、有機的に絡んだ話迄には発展してないが

  • 脳科学、社会科学、哲学の若手論客の鼎談をもとめた本です。
    序章 近代的人間観を捨てよ!
    第1章 ナショナリズム――なぜ快楽なのか
    第2章 国家と体制――なぜ自由は苦痛なのか
    第3章 ポピュリズム――なぜバカがはびこるのか
    第4章 暴力――なぜ人間は戦争をやめられないのか
    おわりに――近代を超えられるか
    お互いがお互いにジャンルで蓄積してきた知見を歯に衣着せず、論じ合う。
    何となく常識であると思っていたことは実は非常識であった。
    「おわりに 近代を超えられるか」において、「自然科学の陥穽」という項目があって、自然科学においてさえ「客観的な真理」を見出すのが不可能になったということです。自然現象の観察者が人間であるのだから、当然、純粋に客観的な真理があるわけがないのです。
    こういう自然科学者がおられるかぎり日本の学界は大丈夫だと思いたいです(笑)。

  • 有意差 釣鐘状 社会通念上 近代イデオロギーが生み出しているタブー そう、「私が言ってるんじゃなく、実験データが言ってるんだから」って開き直れる。それがサイエンスの魅力でもあると思います。 外見こそ情報のかたまりである 迷妄 人間の世界も、「他者のリソース(資源)を奪う」という点では攻撃性が持つ意味は同じです。 惹起じゃっき 不安感情を抑える脳内物質セロトニンの合成能力が、女性は男性の三分の二ぐらいしかないのです。 シャーデンフロイデ=メシウマ感情=他人の不幸で飯がうまい=他人の不幸は蜜の味 類似性と獲得可能性 陰惨な権力闘争 近代的人間観を覆す鼎談ていだん 包含 人間は生物学的にナショナリズムの芽のようなものを抱えている おらが村=パトリア 想像の共同体=ネイション 勝手に国境線で囲まれてインドネシアという国にされてしまった プロイセンに統一されるまでのドイツ連邦 カタルーニャ地方に独立の気運 物語的な捏造された歴史 パトリオティズム=愛国心 神の前の平等 近代国家の建前 ただ単に多数決で決めるというのは知性の否定です 歯止めの装置 決めるという行為には大きな負担が伴う 「自由教」という宗教を信じているだけ 二項対立のような政治が蔓延るようぬなる 抜本的に変える 煩悶はんもん 女性のケアの論理 男性のジャスティスの論理 セロトニントランスポーター シナプス近傍でセロトニンを増やす薬剤=抗鬱剤 レッド・ツェッペリンの『移民の歌』 紋切り型の日本批判 ア・プリオリ=先天的 改善しようとする意欲は束縛から生まれてくる 種の世代交代に対する寄与度の低い雄 所謂知的エリートの女性ほど結婚も出産もしない傾向にあるという現実 世俗化 隷属を免れず 聖なる象徴がないと国民統合はできない 祀り 鎮座 純粋な一神教 プロテスタント 原理主義化してより危険なものになっていく 冠する トランス・ヨルダン 画定かくてい ISのマーケティング戦略 環境を抜きにして「自分が自分らしく生きる」というのは、意味のない議論なわけです。 『反日』ナショナリズムで国民の不満を外に向ける 識字率が上がると受胎調整が始まる 知性より筋肉に重きをおいていたスパルタ人 アメリカ→るつぼ カナダ→サラダボール 苦々しく 親殺し ルサンチマン或いは劣情に突き動かされている人が持つエネルギー 細川護熙もりひろ ポピュリズムが蔓延 大衆の破壊願望を煽動するやり方で一貫してます 橋下維新は、ウソ、デマ、プロパカンダを流すことにより拡大した大衆運動です。 ヒトラーの手法『我が闘争』 無知な人間を確信犯的に利用する連中が跋扈する 大阪都構想 僅差ながら否決 隷属れいぞく オキシトシン=幸せホルモン 独身者ないし寡夫/寡婦かふ 戦争中はナショナリズムが昂揚するので自殺率は下がる 罵倒というのは、ある種の人々にとっては、「根源的な部分から自分を理解してもらえた」という深い満足感を与える場合があるのです。 依拠いきょ 茂木健一郎 バルス=滅びの呪文 心理療法の傾聴は「懺悔」に相当 単に付き合ってあげてるにすぎない 食い扶持を失うことはない 宗教家も心理学者も脳科学者も癒せないルサンチマン 権威によって承認されたい 「蓼食う虫も好き好きという諺がある通り、何をもって爽やかだと思うかは人それぞれです。例えばスカトロジーの人はウンチをみていいなと思うわけでしょ」 顰蹙 「本能が壊れる」 「虫の知らせ」 正しさと美しさの錯覚を利用 顔の半分くらいが目 二次元に萌えたらもう三次元には萌えられない 現実を抽象化し、理念を精製する。 オタクと左翼 論駁ろんばく ファストフードの対極スロウフード 渦中 咄嗟の対応 合理的な根拠 「フールジャパン」と揶揄 「全米が泣いた」といった宣伝文句が成り立つ 立身出世 知性のかんせい陥穽に陥らない プラグマティック=実利的な カンボジアでクメール・ルージュによる大虐殺が発生 ポル・ポト 自己の遺伝子をばら撒くあがめたてまつる崇め奉る 立憲主義が民主権力の暴走を防ぐものであることを理解してないのです 諮るはかる 恫喝めいた文言 じくじ忸怩たる気持ち 安閑あんかん 尖閣や南シナ海でやりたい放題 喫緊の課題 諸侯が分立する時代 弁えてわきまえて 法匪ほうひ 党是とうぜ 復活したら半沢直樹になる。彼の場合は「倍返し」ではなく「安倍返し」ですが。 がいぜんせい蓋然性の高い仮説 サンクション=制裁 えきしゅう腋臭わきが 叙勲じょくん 金科玉条 リジェクト=却下 えんえき演繹された理論 ごびゅう誤謬 パースペクティブ=遠近法 犬は人間の数万倍の嗅覚があるけど視覚はモノクロ 「自分のことは、歯の痛みのように、他人には本当にはわかってはもらえないんだ」という人間の根源的な恐ろしさを知らない甘ったれた日本人ほど、安易に「個の自立」だの「近代的な自我の確立」だのと口走り、共同体を破壊するのです。

  • 横断的に色々な話題を提供してくれる本、といった印象。ここで取り上げてある話はそれぞれ断片的なので、詳しくはもっと専門的な本を読むべき。「脳科学」とか「統計的に~」というのは論理的に飛躍していたり説明が後付けなケースが多い気がしてどうも胡散臭く感じてしまうのだが、こう流行っているしちゃんとその道の本を読むべきか…?「知性を鈍らせなければ人間は繁殖もできないし共同体の維持もできない」というのはどうだろう?真面目くさって堅苦しくやるものではない、または大して役に立たないというだけで、知性が備わっていることが邪魔になるとは思わないが。アダムとイブのイチジクの葉っぱじゃないが恥ずかしい気持ちが生まれるということ?それも違う話のような。恥を乗り越えるのは知性でなく勇気でしょ。

  • 序章 近代的人間観を捨てよ!
    第一章 ナショナリズム なぜ快楽なのか
    第二章 国家と体制 なぜ自由は苦痛なのか
    第三章 ポピュリズム なぜバカがはびこるのか
    第四章 暴力 なぜ人間は戦争をやめられないのか
    おわりに 近代を超えられるか

  • 期待を持たせるタイトルで、若手論客白熱の討論10時間とのことだが、他人にたいする批判を3人で一緒になってしている感が強い。専門的な情報が披露され参考にはなるが、建設的な前向きの意見や示唆が少ない。異なった意見を戦わせて、議論を深めて欲しかった。

  • 言いたい放題 ならぬ 言いたい放談 かな
    「そりゃそうだ」と納得したり
    「ん?」と思ったり
    「それは ちょっと…」と懐疑的だったり
    「なるほどね」と賛同したり
    「そこまで 言う」であったり

    なんだかんだと 思いながら
    最後まで読んでしまいました

  • 脳科学の成果で社会、政治をリバースエンジニアリングするかのように滅多斬り。
    右も左もお構いなし。

  • 近代的な思想、価値観を揺らがされること請け合いの一冊。対談者の思想の根底にあるのは近代への懐疑であり、基本的には保守的な立場から議論が展開される。西部邁や中野剛志の書籍に慣れ親しんだ者にとっては、議論の出発点だけをみれば既知の内容も多々ある。しかし、対談形式で話が脱線するが故に、思わぬ内容に触れることもできるはずだ。中野信子からの視点は、議論に広がりと深みをもたらすのに大きく貢献している。

    ・人種・日本人

    <性差・人種差は存在する>
    「男女の脳に差はない」「人種間の能力に差はない」このような近代的な価値観は科学によって否定されつつある。男女の知能指数を統計的に比較すれば、女性は中央に多く分布し、男性は両端(知能が極端に高い人、低い人)に裾野が広くなっている。つまり、とても頭の良い人間と、とても頭の悪い人間が男性に多く、平均的な知能の持ち主が女性に多いことがわかる。また、サトシ・カナザワは統計的な研究から、「美しい人がより知的だという私たちの主張は、純粋に科学的なものです」と述べ、外見的な魅力と知能指数は連動していると指摘する。ドーパミン分解活性(ドーパミン分解酵素の働きの強さ)の研究から、日本を含む東アジアでは7割以上の人は活性が高い(分解しやすい)ことがわかっている。ところがヨーロッパでは、半数以上の人は活性が低い。前者はドーパミン濃度が意思決定をする前頭前皮質で低くなりやすく、後者は高いままということである。このことから、日本人や東アジア人は、所与のルールに引きづられやすく、ヨーロッパ人は自らルールを探し出す傾向が強い(何事も自分で意思決定することに快感を覚えやすい)ことがわかる。また、人種・民族によってドーパミンレセプターのサブタイプを持っている人の割合も違う。我々の脳には「DRD4」というレセプターがある。神経細胞の表面にあり、ドーパミンと結合する。レセプターが細胞の中にある部分において、同じ塩基配列の繰り返される回数が違う。繰り返しの回数によって、「新奇探索性」が変わる。新奇探索性とは、新しいものを好んだり、進んで物事に取り組む性質のことである。7回以上の繰り返し型を持つのが、南欧、南欧からの移民に多い南米で多い。日本人は極端に少なく、7回以上を持つのは1%を切るぐらいしかいない。前者と比べれば20分の1の割合である。繰り返し回数の多いグループほど浮気が多いという研究がある。欧州ではフィンランドが少ないほうだが、日本人の6倍程度は存在する。フィンランドで、南欧・南米の3分の1程度である。

    <日本は階級社会ではない>
    安倍首相に見られるように、2世・3世の政治家が多いように思われる日本だが、ソーシャル・モビリティ(社会階層間の流動性)を見ると、親と同じ階層に子がいる確率は、0.34で、共和制をとっているフランスの0.41よりも低い。またアメリカでは0.47、階級社会といわれるイギリスでは0.50となっている。しかしながら、身分制の社会より、平等な社会のほうがルサンチマンを描き立てられる。トクヴィル(19世紀前半のフランスの政治思想家)は平等になればなるほど、お互いの差異が目に付き、羨望・嫉妬によりさらに平等化が進められる。すると前近代的な共同体は破壊され、革命が続けられることになると言っている。これを裏付ける科学的な研究も存在する。対象との類似と獲得可能性が高いときに、妬みの感情は強くなるというものである。どうしようもない格差があり、類似性もかけ離れている場合には、妬みの感情は生じにくい。

    ・ナショナリズム

    <パトリアティズムとナショナリズム>
    グループに分け、どちらのグループに属しているかを常に意識させることを続けると、自らのグループをひいきするようになる(青シャツと黄シャツの実験)。これを「内集団バイアス」という。人間の集団は、放っておくと戦争になってしまう性質を包含しているといえる。集団を形成し、別の集団に対する根拠なき優越感を覚えることによって、戦闘で有利に働いてきたことから、このような性質が発達したと考えられる。優越感は集団の結束を強化し、集団の協力行動をより促進するからである。グループや地域、共同体「パトリア」に愛着を覚えるものは「パトリアティズム」。国民国家「ネイション」への愛着を覚えるものが「ナショナリズム」である。ネイションへの愛着は、国民国家が出来た近代以降のものである。つまり、国境などの枠ができ、そこでコミュニケーションを行ううちに擬似的な共同体意識が生まれ、ナショナリズムというものが成立したのである。例えば17世紀以降、オランダがインドネシアの地域を植民地にし、国境線を引いたことからインドネシアという国が成立した。その統治下で独立した言語を持つ独立した部族同士が交流し、共通語を作り、同質の教育を行ったことで自らはインドネシア人であるという意識が芽生えたのである。ヨーロッパではナポレオンのグローバリズムに反発する形でネイションの感覚が高まった。スペインでは近代国家が先に作られてからスペイン人という国民意識が生まれた。昨今のカタルーニャ地方の独立運動はこうした歴史に対するゆり戻しである。勘違いしてはいけないのは、ネイションは、多民族・多宗教・多言語の共同体であり、日本のように多様性の少ないネイションは珍しいということである。島国という環境が日本人の「ネイション」に対する誤解を育んでしまった。

    <ナショナリズムは左翼との親和性が高い>
    ナショナリズムが保守的であるという観念が蔓延しているが、必ずしも正解とは言いがたい。前近代的な共同体を破壊したのが近代であるとすると、その延長にナショナリズムはある。近代イデオロギーを懐疑する保守はナショナリズムを警戒するのである。むしろ、近代の理想である「国民の平等」を標榜するナショナリズムは左翼との親和性が強いといえる。スターリンは一国社会主義を、第三世界が植民地から脱しようとしたときにも社会主義をを標榜したが、いずれもナショナリスティックであった。現在の中国も共産党一党独裁を続けるため、ナショナリズムに訴えている。左翼は福祉国家を標榜する。金持ちから税金を多く徴収し、貧しい人々に配分することによって福祉国家は成立するが、そのためには金持ちが、自らの財産を配分するのは同じ国家の人間であるという意識を持たなければならない。福祉国家とはナショナリズムがなければ成立しないのである。左翼の好むスウェーデンの経済学者カール・グンナー・ミュルダールは福祉国家の理論家として有名だが、彼もナショナリズムにもとづく国民国家が先になければ彼の理想とする福祉国家の実現はないと言っている。

    <ではナショナリズムと保守の関係性とは何か>
    ナショナリズムは全て人工的に作られたのではなく、核には複数の民族のなかでも支配的なエスニックグループがあるのではないかという説もある。核となるグループが少数民族を包み込む形になったという論で、パトリア的なものを拡大していったのがネイションということである。ネイションの土台がパトリアとすると、保守的な人がそこに賛同しやすいことも理解できる。国には少なからずその国の神話がある。神話には多くの嘘が含まれる。しかし歴史の連続性を重んじる保守は、物語としての神話を、単にフィクションであるという理由で拒絶せず、そこに投影される民族の美意識を見出そうとする。また保守は、ラディカル(根本・根源的)な変化を、原理原則に忠実でありすぎることを嫌う。例えばイギリスは多くの地方の集まった擬似的な共同体であって、パトリアティズムを重視し、分割すべきであるという考え方はありうるものだが、あまりに原理原則に立脚しすぎており、国がまとまらなくなる。保守はこうした「ラディカル」で「革命的」な考え方を嫌うのである。民族紛争は、このように共同体意識を拡大し、「元々は誰々の土地であった」「あの民族は昔我らを迫害した」といった考え方に拘った結果起こることが多い。昔のことはおいておき、今は上手くいっているのだから現状を保守しようとするのが保守の発想である。言い換えればリアリストなのである。

    <人間の脳にそぐわない国民主権、民主制>
    キリスト教の「神の前の平等」に由来すると思われるのが、近代国家を支える「国民主権」の理念である。一方で、伝統や神話も国民を統合し、国家を支える大きな力となっている。伝統や神話を重んじる保守的な考え方がなければ片手落ちであり、近代の方向に暴走していまうのである。国民主権の論理を突き詰めると直接民主制となり、直接民主制は議会主義を否定することになる。議会において重要なのは熟議、利害調整であって、単に多数決で決めるのは知性の否定となる。ピュアな民主制が危険であるから、立憲主義、代議制、三権分立、二院制といった装置が必要とされているのである。シーナ・アイエンガーの著書「選択の科学」で示された実験結果に明らかなように、人は目の前に示された選択肢が少なければ少ないほど、快適に感じるのである。自由に決めてよいという状態は実は脳にとって不快なのである。人間は完全な自由に耐えることができない。心理学者、バリー・シュワルツも選択肢の多さは幸福度を下げると主張している。また、多様な医療を選ぶことができる患者の自己決定権は、プロの医者の判断より素人の判断を優先させることに繋がり、結果的に患者にとってマイナスとなることもありうる。多すぎる選択肢は決断を困難にし、選択に対する後悔を引き起こす。一方で、極端な形での「わかりやすい」「二項対立」のような選択肢を提示し、それに流されてしまっているのが今の日本の政治状況である。

    <リベラルであるにはナショナリズムに基づくネイションが不可欠>
    国単位での排他性は認めないが、サークルやNPOで排他性は認めるという人が存在する。ネイションでなく、自由意思で選べる集団(ゲゼルシャフト)であるなら良いという人はリベラルな傾向を持つ人に多い。しかしナショナリズムに基づくネイションという拘束があればこそ、リベラルであれるのである。ネイション成立以前においては、貴族階級と農民階級が同じ人間とは誰も思っていなかった。異なる宗教を持っていれば交流はせず、地域にしても藩や身分、一族ごとに孤立していた。それらが人口的にまとまったのがネイションである。つまり、国民意識を持ったからこそ、互いの交流が生まれ、多様な価値観が共存する多元的な社会、まさにリベラルな人々が標榜する理想が成立したのである。例えば歴史についての見解の相違を認めないような社会では、国がばらばらとなり、リベラルな社会とは全くいえない。

    <保守は女性的な発想である>
    キャロル・ギリガンというフェミニストの提唱する論で、「ケア」というものがある。ロールズに代表される正義論は、正義を満たす原則とは何なのかを突き詰めて考えるものであった。ギリガンはこの問題設定自体が間違いで、男の論理であると断じたのである。男性は一般論・原則論に基づき答えを導き出しやすいのに対し、女性はより具体的な効果に配慮しやすいという実験結果がある。この実験からギリガンの提唱したのがケアの発想である。これまでの政治思想はジャスティスの論理だけを取り扱うものであって、ケアの論理が抜け落ちているとギリガンは述べる。女性的なケアの発想は、原理原則、ラディカルないままでのジャスティスと比べ、保守的な発想といえる。正義を掲げ、社会を動かすような人々は保守的ではないのである。

    <保守的な脳をもつ日本人>
    セロトニンの合成能力が小さい日本人(調査を行った国々の中で日本人は最もセロトニンを使いにくい脳をもつ)は、不安感情に苛まれやすいため、新しいものをなかなか受け入れない。「日本人は英語が下手」論も、失敗に対する不安の大きさから英語を話さず、結果として上達しないのではないか。日本人はセロトニントランスポーター(セロトニンを使いまわすポンプのようなもの)が少ない。二種類の遺伝子の組み合わせによってセロトニンの多少は決定される。「SS(少・少)」「SL(少・大)」「LL(大・大)」の三種類の組み合わせがあるが、日本人はSSとSLの二種をを併せた人の割合が98%なのである。このような割合を示すのは日本人だけである。トランスポーターの多い傾向にあるのは、南アフリカ、アメリカ、移民の多い国である。移民を受け入れるほうにも不安感に関わるセロトニンは関係しているのであり、日本人が移民に拒否反応を示すのにも関係があるのかもしれない。

    <改善は束縛から生まれる>
    日本では「自由」「開放」「グローバル」のように、束縛から脱するのがア・プリオリよしとされる傾向にある。しかし夫婦関係においても、妻が他の男性に対して開かれるのが大問題であるように(中野剛志氏の冗談であるが)、開かれていないことによって価値が生まれてくることもある。束縛について、経済学者アルバート・ハーシュマンは、人間社会に問題が生じた際、「イグジット」と「ボイス」の2つの解決方法があるとした。イグジットは、その場から逃げ出すことで、ボイスは状況を改善すべきだと声をあげることである。自由な環境であれば、外に逃げ出せばそれで済む。ところが何らかの心情や状況によって束縛されている場合には、そこにある問題に向き合い、解決しようとしなければ自らに悪影響が降りかかる。改善は束縛から生まれるのである。地元に束縛されていればこそ、そこが破壊されれば復興を目指す。アメリカでは金持ちは税金の安い国に逃げ、国を良くしようと思わないため、スラム街に代表される劣悪なインフラは放置される。

    <社会を維持するための宗教>
    フランスの社会学者、デュルケームは、社会を維持するために聖的なものが必須であると指摘した。マックス・ウェーバーは近代化するにつれ、宗教の力は衰え世俗化すると考えたが、デュルケームはそもそも社会とは聖的なものがなければ成り立たないと考えた。パトリアとは比べ物にならない近代のネイションをまとめるには聖的なものがかかせない。つまり聖的なものが成立に必須であるナショナリズムは一種の宗教と言い換えることも出来る。「聖的なもの」は端的にいえば権威であり、知性で判断させず、黙って従わせる力である。アメリカは建国の父から続く”偉大”な歴史を教えるし、大統領選ではキリスト教色を押し出した儀式を行う。トクヴィルは、人間は信仰を持たなければ隷属を免れず、自由になるには宗教を信じる必要があるといっている。物質的享楽だけを求めると、矮小な欲望を求め、刹那的な快楽に溺れるようになる。宗教を否定した共産主義国家が国の最高指導者を神格化させたのも、国家を統治するために必要なことだからである。そしてだからこそ、最高指導者が失脚すると同時に、それらの国は滅びた。ニーチェいわく、統合原理としての神は、先祖に対する畏敬の念、自然への恐怖、農耕に対する感謝のような民族の感情を投影したものであり、民族は神に祈りをささげることで自己肯定したのだという。そして、こうした複雑な神を、一神教は一面的な「正義の神」にしてしまったとして批判している。またニーチェは、ユダヤ民族が外敵から攻められた際、自分達を正当化する理屈を作り出したのだと考えた。強い敵は悪、弱い自分達は善。この価値観の転換から、善悪二元論が生まれたという仮説である。

    <戦争が近代を生んだ>
    宗教原理主義を非合理主義の典型のように考えるのは誤りである。近代合理主義は、原理原則に導かれたものを信じるということであり、宗教原理主義も合理主義の一種である。戦争に勝つには合理的、効率的に国家を運営することが求められる。欧州の30年戦争では、宗教改革にともなう戦争によって人々が合理性を追求するようになった。それから近代・合理的な組織や制度が生まれ、合理主義的な考え方が生まれたのである。また、戦争が大規模化されるにつれ、庶民を巻き込む必要が生じてくる。動員される庶民は、徴兵と引き換えに権利を要求しはじめる。結果、自由権や参政権が誕生し、近代合理主義の考え方が普及していった。戦争が近代を生み出したのである。理性・合理主義が絶対視されるようになると、フランス革命においては理性が神の座に祀り上げられた。近代イデオロギーの典型、「神の前の平等」は唯一神を想定しない限り成り立たない。トクヴィルいわく、専制国家も民主国家も基本的には同じものだという。専制国家では専制君主の前に全員平等、民主国家では神の前に全員平等なのであるから。

    <中東・イスラム・ISIS>
    イスラム教はプロテスタンティズムに近く、平等を強く志向する。富める者が貧しい者に支援するのは当然であると考えている。中東の歴史は70年程度しかなく、ネイションの概念が薄い。ネイションの概念が薄いということは、民主化が難しいということである。スンニ派とシーア派が同じ国民であることを認め、どちらの派閥が政権を握っても他派閥にも配慮するということが前提として共有されなければならない。しかし、そうした保障がないからこそ、配慮されない側はイグジットしようとするが、できない場合もある。すると、民族・宗教意識の高まりとともに土地の奪い合いがはじまり、民族紛争の勃発につながるのである。ISISが巨大化した要因にはそうしたものがある。クルド人(民族)は、イラク、シリア、イランそしてトルコにまたがり住んでいる。クルド人のネイションを作られると困るから、クルド人は弾圧されたきたのである。悲劇を生んでいる弾圧だが、民主化したらしたで内戦が勃発してしまう可能性が高い。イラクのフセインは、国民統合のために「聖なるもの」、メソポタミア文明を象徴する神殿や自らの銅像を造った。ブッシュはイラクに介入し、民主化を押し付けたために、国民統合は果たされなかった。民主制には議会が必要である。議会主義とは代議制であり、国民の代表を選ばなければならない。しかし、ネイションの概念の発達していない場所では、ネイション、国民の代表を選ぶことはできない。アラブの春の起こった全ての国は民主化に失敗している。ISISが世界遺産を破壊するのは、聖的なものをなくし、社会の統合を崩壊させようとしているからである。おそらくISISは国民意識を持ったネイションの力、人的、経済的な動員力などを理解した上で、領土の獲得と国家の樹立を目指していると思われる。特定の領土を実効支配し、他国から干渉されなければ国家は樹立できる。だからISISは干渉する相手には干渉しなくなるまでテロを仕掛け続けるという戦略を取るのであろう。ISISは他国から「イグジット」できる受け皿としての役割を宣伝すると同時に、いったん入れば出にくくする措置も行っていることから「ボイス」の効果もあがる。巧妙で合理的である。

    ・環境・体制・ポピュリズム

    <人は環境から逃れられない>
    人は、身を置く環境によって遺伝子レベルで変化してしまうように、環境から切り離された「個」は存在せず、故に自由ではありえない。必ず周囲の何かに束縛される。アイデンティティとは環境との関係性であり、その要素を除いていけば最後にはそこに何も残らない。安倍首相は「国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」というが、国境を開放していたヨーロッパは難民問題に直面している。国境や国籍が無意味というのであれば、難民や北朝鮮人が日本に押し寄せることを許容しなければならない。ハンナ・アレント(1906~1975)いわく、権利とは「人権」のように抽象的なものでなく、「継承された遺産」である。「日本人の権利」「アメリカ人の権利」というように具体的にしか現れず、国籍にこだわらずというのは獲得した権利を放棄することに等しい。後天的な資質が遺伝する現象「エピジェネティクス(epi外側+genetics遺伝学)」。DNAはメチル化されたたんぱく質に巻きつくなどしており、その状態で子に受け継がれる。しかし環境要因によって遺伝するように見える資質は大体が一世代限りである。

    <丸山眞男の誤り>
    丸山は論文『超国家主義の論理と心理』の中で、「日本には封建社会の遺制が残っていたため、近代的な自由な主体意識が発達せず、非合理的な戦争に突き進んでしまった」と言っている。実際には論理が逆さまで、前近代的な共同体(封建社会の遺制と呼ぶべきもの)が崩壊したからこそ、戦争に突き進んでしまったのである。明治以降暴走したのは、丸山の指摘したような封建社会的、前近代的な要素でなく、近代そのものであった。

    <アメリカ社会の同調圧力>
    カナダでは中国系移民が社会問題になっている。西部の町、リッチモンドでは20万人いる住民の半数近くは中国系で占められている。政府が外国人投資家を呼び込む目的で移民政策を開始し、中国の富裕層が移り住んだのがはじまりである。アメリカの人類学者、チャールズ・リンドホルム、ジョン・ホールの論文によると、アメリカはカナダより同調圧力が強く、移民2世からは元の社会の言語、文化を忘れはじめ、3世になると完全にアメリカ人と変わらなくなるという。

    <ポピュリズム蔓延の原因>
    日本にポピュリズムが蔓延したのは、90年代の政治制度改革によるところが大きい。94年、小沢一郎が細川護熙を担ぎ、政治資金規正法を改正し、党本部に資金が集中するようになった。そして選挙制度は、中選挙区制から、小選挙区比例代表制になった。小選挙区制では上位2候補を当てる人気投票になりやすい。そのため、民意を包み込んで訴えるようなポピュリズムが横行するようになった。

    <B層、A層>
    B層とは「近代的価値観を妄信する人々」のことであって「バカ層」ではない。我々は自ら意思決定することに心地悪さを感じる生き物であって、わかりやすい選択肢や単純な論を展開する人間に対し、心地よさを感じてしまうのも無理はない。そうした意味で、知的な素養のない人間がポピュリズムに流されてしまうのはある意味仕方がないといえる。しかし、知的水準の高い人間でも、扇動者を支持することがあり、そうした層をA層と呼ぶ。中野剛志氏は、知性があるからこそ勝ち馬に乗ろうとするのだ、という仮説を展開する。損得を計算した結果、批判することが可能であってもあえて行わなわず、静観するか、賛同するフリを行う。強者に抵抗するには知性は役立たないのである。

    <個人主義・集団主義の誤解>
    日本人は個が確立していないから、集団主義であるといわれる。しかしリースマンは『孤独な群集』の中で、他人志向(他人に合わせる人)は共同体からはずれ、個々に分化しているが故に、他人を見て動くのだという。内部指向型(自らの価値観に従って動く人)は、共同体の価値観を自分の中に持っているからこそ、それに従い、ぶれないのだという。トクヴィルも、共同体から切り離された個は、大体数のものの一般意思に進んで自分を固く縛りつけることになると言っている。前近代的価値観から逃れたと思っている個は、多数者の専制に隷属するようになっただけなのである。

    ・戦争

    <反知性主義とは何だろうか>
    左派が昨今多用する言葉に「反知性主義」がある。左派はこの言葉をネット右翼に適用し、「知性のないバカ」のように使っている。しかし実際には、ピューリタンの極端な理性崇拝への反発で生まれたアメリカの思想のことを示すもので、ネット右翼とは何の関係もないのである。「知性主義(主知主義)」は、「机上の空論を行う」主義のようなことを意味するもので、反知性主義は、机上の空論でなく、現場経験やプラグマティックなものも重視しようというポジティブな意味で、「反」を使っているのである。

    <戦争によって富の再配分が行われてきた>
    バタイユは、蓄積された富を戦争により消費することが共同体の維持につながったと指摘する。ピケティいわく、フランスの1910年から75年にかけての時期では、大戦や世界恐慌によって経済格差が縮小したのだという。富裕層は戦費調達の為に課税を強化されたのである。また、一般市民を兵士として雇うため、手当てや医療保険制度を拡充することに繋がったのも、格差縮小の要因である。さらに、兵士として活動するために必要な教養を教えるため、一般国民に教育が普及した。ナショナリズムを高めるためにも祖国の歴史や地理を教えていった。

    <立憲主義がイギリスに根付いた訳>
    立憲主義や法の支配という概念自体は、中世ヨーロッパから存在していた。しかし軍事が近代化され、中央集権の絶対王政を敷く国家が出来ると、貴族の力が弱められていった。権力が君主に集中した結果、軍隊を動かすために絶対的な権力が必要だったヨーロッパ諸国では、立憲主義は邪魔になったのである。しかしこれは国境を接する国々に適用される事例であって、島国であったイギリスでは戦争において、即応的な対応、迅速な意思決定を行う必要がなかったため、立憲主義が残ったのである。

    <解釈改憲の問題点>
    国体である憲法(憲法とは歴史から抽出したもの)を時によって都合よくルールを変更するのは左翼の手口であり、フランス革命で独裁を行ったジャコバン派の手口と同様のものである。自衛隊合憲論の根拠も脆弱で、憲法13条の「幸福追求の権利」が根拠となっている。しかし、国民の幸福追求のために軍隊の行動が合憲であるのなら、海外派兵や他国への侵略も合憲となってしまい、いくらでも拡大解釈できるようになってしまう。

    その他メモ・疑問点
    ・左派的な福祉国家の実現にはナショナリズムが必要で、ゆえにリベラリストであるためにはナショナリズムが不可欠という。しかしリベラリストはいわば国を超えた国、全世界の全ての人々に対して愛着を持つ=グローバリスト?ではないか。要するに、世界をひとつの国家と見なしている。この場合、一国家に対する愛着、ナショナリズムとの違いは何であるのか。
    ・一神教的な要素が強いのはプロテスタント。カトリックにはジャンヌ・ダルクのような聖人が多く存在するため
    ・カトリックは拡大の過程で民間信仰を飲み込み世俗化していった。原始キリスト教と聖母マリア信仰は関係なく、クリスマスも冬至の祭り。

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プロフィール

1971年生まれ。東京大学教養学部教養学科(国際関係論)卒。通商産業省(現・経済産業省)を経て、評論家。エディンバラ大学より博士号(社会科学)取得。主な著作に『TPP亡国論』(集英社新書)、『真説・企業論』(講談社現代新書)他。

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