働く女子の運命 ((文春新書))

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166610624

作品紹介・あらすじ

女性の「活用」は叫ばれて久しいのに、日本の女性はなぜ「活躍」できないのか? 社会進出における男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数2015」では、日本は145カ国中101位という低い数字。その理由は雇用システムの違いにある。 ジョブ(職務)=スキル(技能)に対して賃金を払う〈ジョブ型社会〉の欧米諸国と違い、日本社会では「社員」という名のメンバーを「入社」させ、定年退職までの長期間、どんな異動にも耐え、遠方への転勤も喜んで受ける「能力」と、企業へ忠誠を尽くす「態度」の積み重ねが査定基準になりがちだ。このような〈メンバーシップ型社会〉のもとでは、仕事がいくら出来ようとも、育児や出産の「リスク」を抱える女性は重要な業務から遠ざけられてきた。なぜそんな雇用になったのか――その答えは日本型雇用の歴史にある。 本書では、豊富な史料をもとに、当時の企業側、働く女子たち双方の肉声を多数紹介。歴史の中にこそ女子の働きづらさの本質があった! 老若男女必読の一冊。〈〈目次〉〉●序章 日本の女性はなぜ「活躍」できないのか? ――少子化ショックで慌てて“女性の活躍”が叫ばれるという皮肉●1章 女子という身分 ――基幹業務から遠ざけ、結婚退職制度などで「女の子」扱いしてきた戦後●2章 女房子供を養う賃金 ――問題の本質は賃金制度にあり。「男が家族の人数分を稼ぐ」システムとは?●3章 日本型男女平等のねじれ ――1985年、男女雇用機会均等法成立。しかし欧米型男女平等とは遠く離れていた●4章 均等世代から育休世代へ ――ワーキングマザーを苦しめる「時間無制限」「転勤無制限」の地獄●終章 日本型雇用と女子の運命 ――男女がともにワークライフバランスを望める未来はあるのか?

感想・レビュー・書評

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  • 出版社(文芸春秋Books)ページ
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610624
    内容・詳細目次・濱口桂一郎×上野千鶴子対談(前編・後編)

  • 戦前、工場監督官の女性が一人。日本でただ一人。今の感覚なら、すごい話だなと思うが、製造業を見回すと、工場で職場長をしている女性は、今だって珍しい。あまり、変わっていない。

    この日本初の婦人工事監督官補、谷野せつ。日本女子大学卒。一等国から女の役人がいないと指摘された際に、谷野さんを一枚看板にして体裁を繕っていたのだという。体裁のための女性。これも、今と意識があまり変わらない。

    労働者の賃金は、生活するに十分なだけ、与えておけば良い。そこには妻と子供を養う分は含める。労働力は、使い捨て。成功した起業家のみが人間であるかのような価値観。今も変わらない。これを変えるには、起業するか、副業や転職により、雇用者側と対等にネゴができる環境が必要だ。転職に関し、少しずつ社会が変わり始めているが、これは女性の働きやすさにも繋がる。

    生活に必要なだけの賃金という目線だから、総合職ダブルインカムに対し、妻が子育てしながら夫一人で稼ぐ家庭との格差意識が生まれている。転勤なしのダブルインカムの方が良い、となり、転勤制度もいずれ瓦解していく事だろう。

    一族経営の創業家が地方政治家と結託し己を肥やすための制度は、代替可能な労働力という構図と共に終わりにしなければならない。女性に替える、移民に替える、AIに替える。労働者の発言権を削ぎ落としたい経営側のこれら企みに対し、誰の足が速く、誰が先にゴールするか。ゴールまでの時間の限りが、労働環境改善の猶予だ。

    経営は人材確保に苦しみながら就労条件を改善するから、これら代替手段には頑張るなと内心思いながら、表面的には頑張るフリ。面従腹背、利益相反な社員が目に浮かぶ。資本主義の悲劇は緩やかに修正されるが、労働者の発言権と女性の就労改善が一面ではトレードオフ。経営者に有利なテーマ優先という問題は隠されたままである。

  • 『働く女子の運命』 濱口圭一郎
    2022年10月―12月期 グロービス参考図書

    本書でも『若者と労働』と同様に、雇用保障と引き換えの職務・労働時間・勤務場所が無限定の労働義務を負う正社員と非正規雇用の二極化する日本的雇用慣行をベースに論を進めている。
    女性はその中で、育児やその他の女性の身体的特徴からなる活動と上記の無限定的な正社員像の狭間で退職し、育児の見通しが立つと非正規雇用での復帰とならざるを得ない状況となる。
    濱口氏がかねてより主張するジョブ型雇用やジョブ型正社員像であれば、こうした女性も給与は正社員として、業務はジョブに限定されるため、これまでの日本の少数精鋭的な無限定型の正社員と一線を画し、活躍することが可能である。
    本書で興味深かったのは、日本の戦前からある生活給という思想について歴史的に紐解いている点である。20世紀初頭まで日本は年功的な賃金制度はなく、基本的に技能評価に基づく欧米的な職種別賃金であったが、1922年の呉海軍の『年功賃金の歩みと未来』という書物を端緒に、対共産主義的な施策として、生活給と言う発想が出現する。生活給の発想とは、従来の賃金が労働力の需給関係によって決まり、生活費の要素が考慮されなかったことを、労働者の思想悪化=共産化の原因として批判し、年齢とともに賃金が上昇し、家族を扶養する壮年期には家族を扶養するのに十分な賃金を支払うという発想である。ここでは明言されていないが、技能的な観点ではなく、労働者の生活にフォーカスしているため、若者は基本賃金が低く、ライフサイクルとともに技能に関係なく賃金が上がるという発想である。
    こうした発想が、戦時中の皇国勤労観と合流し、労働が国家への奉仕である限り、国家は労働の対価としての賃金で、労働者の生活を保障しなければならないという国家社会主義イデオロギーが形成された。その結果、現在の年功序列賃金、終身雇用という日本的雇用慣行が形成されたのである。戦後、この生活給思想はGHQにより批判され、同一労働同一賃金への是正を求められるが、常に綺麗に論点をすり替え続け、現在まで生き永らえている。
    特に、マルクス経済学に立脚する労働組合からもこうした思想が受け入れられているのは興味深い。マルクスは、労働力はそれ自身の価値=賃金よりも大きな価値を作り出すが、その超過分=剰余価値は資本家のポケットに入り、賃金として還元されない点を看破し、資本家と労働者の対立構造を論じた。では、剰余価値を除いた分の賃金はどこにベンチマークされると言えば、労働力の再生産=労働者の生活に必要な最低限度となる。この発想から敷衍された先に、労働力の再生産と言う観点では「個体としての生存のみならず、種族としての存続、再生産」が必須であり、種族としての再生産とはまさに妻や子供を養うことである。かつて更迭された某厚生労働大臣の「女性は子供を産む機械」発言もびっくりの、まさに資本主義が人間の生殖にまで掌握しているという理論であろう。こうした観点から、マルクス経済学でも、生活給思想は奇妙な形で合流し、現在まで残っている。
    勿論、子供がいる壮年社員を単に労働生産性が低いからと言って、解雇することが良いことではないと理解はしているものの、結局のところ生活給という発想がある限りにおいて、労働者の技術力や労働生産性に自ずと目が行かなくなるのも理解ができる。労働生産性が上がらなくともなぜか上り調子の景気状況であれば、こうした発想も許容されていたが、現代では、許容されなくなっているのが現状であろう。
    日本的雇用慣行に紐づく生活給という発想は、ある種奇妙であり、個人としてはやはり報酬は成果やその人物の労働生産性に基づいて評価され、その上で、家族がある人間には会社としてスケールメリットを効かせた形で提供できるベネフィットを享受してもらうという発想が極めて合理的と考える。
    個人的には、生活給という発想が、マルクス経済学にも調和しており、ある種資本主義というメカニズムの中で生殖が正とされている点に、一瞬何等かの示唆があるのではないかと考えたが(つまり、生活給発想があれば、若者も生産性を上げるより早く子供を作る方が賃金が上がると考え、子供をつくることに躊躇がなくなるのではないか)、日本の低出生率を見る限り、この仮説は誤っていた。
    やはり、生活給発想において、男性に焦点をあて、企業も賃金を多く与え、そうした状況に乗っかる形で社会保障の原資を源泉徴収で賄っていたモデルはとうの昔に限界を迎え、社会保障で言えば、宮本太郎氏も訴えているが、支え手への保障、そして全世代型社会保障という発想に転換してきている。

    本書のテーマにも戻るが、生活給発想では、やはり女性は周縁化され続ける。やはり、同一労働に対しては同一賃金を支払うという至極当たり前のことがスタンダードになっていくことが、日本の今後の女性の労働環境の良化につながると考えている。現在の若者や女性がコンサル業界やIT業界を志望するのは、自分自身のスキルの獲得が労働市場で生きていく上で不可欠と感じているからでなかろうか。

  • 女性労働者がどのように扱われてきたかのまとめ本
    歴史書みたいな感じで個人的に相性が良くなかった。

  • 各所で別資料の引用が多く行われており、その資料も読んでみようと感じました(^^)

  • 去年読もうとして数ヶ月かけたけど、途中で挫折。女子がそもそも不利なことはよーく分かったが育休共働き世代への答えは出なかった。

  • 変にフェミニズムに偏ることなく、働く女子(女性労働者)の歴史的変遷についてわかりやすくまとまっている。昔から、女性労働者は都合の良い存在として扱われてきたんだなぁ。

  • 日本の雇用システムの歴史的流れとその中の女性労働者の立ち位置が整理されていてとても読みやすくわかりやすかった。

    ワークライフバランスには、労働時間を規定する第一段階と柔軟性をもたせる第二段階があり、日本は第二段階については他国と遜色ないくらい充実してるのに第一段階が空洞化(時間無制限な労働義務)しているから、育児や家事で時間が制限されることが決定的なデメリットとなり、結果育休世代がジレンマに投げ込まれるとの説明は納得感あり。

    国民は勤労することで国家に奉仕し、国家は家族含めて勤労者を守るという立て付けが、現在も企業と社員の関係性の中で生きている。

    日本がメンバーシップ型からジョブ型に移行するのはまだ相当ステップが必要になるのだろう。

  • 性別による差別以前に、日本では法律で労働時間の上限が定められてないことを知って驚いた。てっきり、週40時間と決められてると思っていたけれど、筆者の言う通り、それ以上は残業になる、と線引きする区切りのことで、それ以上働けない、という時間ではない。

    女性がまともに働ける状況になるには、まず、そもそもの仕事に対する考え方が今とは別のものにならなきゃいけない。
    職務を遂行する技能のある労働者として、欧米の会社で働いてみたいと思った。

  • ●日本のメンバーシップ型社会では、ジョブをこなせるスキルがあるから採用したり昇進させたりするわけではありません。新卒採用から定年退職までの長期間にわたり、企業が求める様々な仕事をときには無理をしながらでもこなしていってくれるだけの人材であるかどうかと言う判断がなされます。女性は目の前のこの仕事をどれだけきちんとこなせるかなどと言う些細なことではなく、数十年にわたって企業に忠誠心を持って働き続けられるかと言う「能力」を査定され、それができなければ男性並みに扱われないのです。
    ●マルクス経済学で言う賃金とは「労働力の価値」。労働者がずっと労働者として働き続けられる程度の生活ができるギリギリのお金が労働力の価値と言うことになります。
    ●技能が高まるから賃金が上がるのではなく、ともかく年齢に連れて賃金を上げてやらなければならないからこそ、その賃金に見合う機能をつけさせようとするのだ。ただしその労働者が男であると言う条件付きで。

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著者プロフィール

1958年大阪府生まれ。東京大学法学部卒業、労働省入省、欧州連合日本政府代表部一等書記官、東京大学客員教授、政策研究大学院大学教授を経て、現在は労働政策研究・研修機構労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員。主な著書・訳書に、『日本の雇用と労働法』(日経文庫、2011年)、『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』(岩波新書、2009年)、『労働法政策』(ミネルヴァ書房、2004年)、『EU労働法形成過程の分析』(1)(2)(東京大学大学院法学政治学研究科附属比較法政国際センター、2005年)、『ヨーロッパ労働法』(監訳、ロジェ・ブランパン著、信山社、2003年)、『日本の労働市場改革――OECDアクティベーション政策レビュー:日本』(翻訳、OECD編著、明石書店、2011年)、『日本の若者と雇用――OECD若年者雇用レビュー:日本』(監訳、OECD編著、明石書店、2010年)、『世界の高齢化と雇用政策――エイジ・フレンドリーな政策による就業機会の拡大に向けて』(翻訳、OECD編著、明石書店、2006年)ほか。

「2011年 『世界の若者と雇用』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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