天才と発達障害 (文春新書 1212)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 26
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166612123

作品紹介・あらすじ

アインシュタイン、モーツァルト、ヴィトゲンシュタイン、南方熊楠、芥川龍之介……「異脳の人」を殺さないための処方箋を明かす! 本書は、「創造」「才能」がいったいどのようにして生まれてくるのかを、誰もが知る天才たちを具体的に挙げながら、精神医学的見地から解き明かす作品である。 歴史上の天才たちには、精神疾患の傾向がみられることが多い。これは数々の医学的データから明らかになっている。 たとえば音楽の天才モーツァルトは、明らかに発達障害(ADHD:注意欠如多動性障害)の特徴があった。落ち着きない動作、「空気」を読まない所作などで周囲から嫌がられた。一方、創作に入ると「過剰な集中力」を示し、素晴らしい作品を瞬く間に書き上げた。 物理学の歴史を変えたアインシュタインは、ASD(自閉症スペクトラム)の症状を示していた。他者とのコミュニケーションに障害を抱え、言葉の発達も遅れていた。しかし、飛び抜けた数理的洞察力によって、古典的物理学の常識を覆す理論を打ち立てた。 発達障害の患者のなかには、映像記憶(一度見たものは、写真を撮ったように丸暗記できる能力)、共感覚(数字を見ると脳内に音楽が流れる、音楽を聴くと匂いを感じるなど)、特異な計算能力(何万桁もの暗算を瞬時におこなうなど)といった天才も多い。 著者は、発達障害には「マインド・ワンダリング」(いわゆる「心ここにあらず」の状態)、そして「過剰な集中」という2つの特性があることを指摘。そして、相反するこの2つの特性が、天才の特異な能力と密接に結びついているという仮説を提示する。 そして、「才能をもつ子供や若者をいかに殺さずに育てるか?」というテーマについて、日本社会が取り組むべき解決策を提案する。 発達障害に悩む親や本人にとっても福音となる作品だ。

感想・レビュー・書評

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  • 世界の古今の「天才」からその特性を探っていく。天才は異能の持ち主で、単に秀才で能力の高い人とは違う。「天才」は傑出した才能の持ち主。だけど孤独であったり破滅と背中合わせだったり、一言で言うならもう、壮絶。波乱万丈。時代を切り開くほどの業績を残しながら、燃え尽きるように消えていく。天才はある意味極端な例だけれど、予測困難で答えのない現代、異能を持つ人はますます求められている。もっとサポートされないといけないし、特別な教育も必要なのかもしれない。
    また、ADHD、ASD、LDなど数々の特性が顕在化するなかで、これらにかすりもしない人が一体どれ位いるのだろう?
    やはり、これからは少人数で、特性にあったカリキュラムを一人ひとりが受けられるようにしていく時代に向かっていくのだろうと思う。その点、移民や多民族であったりする外国は多様性が前提としてあり、進んでいる面があるのかもしれない。日本の高い文化と知性ある国民性をうまく融合していけたらと思った。

  • 野口英世、南方熊楠、モーツアルト、マーク・トウェイン、ヴィトゲンシュタイン、山下清、大村益次郎、ダーウィン、アインシュタイン、ドイル、サティ、ヘミングウェイ、チャーチル、ルーズベルト、夏目漱石、芥川龍之介、サリンジャー、中原中也、エリック・クラプトン、フレディ・マーキュリー。。。

    本書で、ADHD, ASD、うつ病、統合失調症として紹介された人々のエピソードが満載でした。人類の歴史や科学、芸術の発展に寄与したこれらの人々が、平均的性格傾向から、程度の差はあれ解離していたという事実に、大きな業績を生むにはある意味、その心的風景も並外れていることが求められているのか、という印象も持ちました。

    セレンディピティというのは、拡散思考のADHDの人が感応しやすい、と書かれており、創造性と発達障害(ADHD)の相性の良さについても認識を改めました。

  • 勉強も兼ねて読んでみました。

    ずば抜けた才能があるだけでなく、それを存分に発揮できてしまう特徴も持ち合わせているのかと考えました。

    ただ、一回読んだだけでは、内容を飲み込めた感じが足りないので、また読んでみようと思います。

  • 勉強のために読んだが、途中から面白くて、娯楽的に読めてしまった。

  • 多くの事例から、いわゆる天才とされる方々に内包される精神的な症例に対して目を向ける書。タイトルからある種の重さを予感していましたが、思ったよりも(?)軽く読み進めることができました。最後にあるインクルージョン(包摂)が印象的でした。

  • なんでもかんでも発達障害と関連して
    述べているような感じもしましたが。
    発達障害をベースに独自性をもった人たちにやさしい
    寛容性のある世間になってほしいと改めて、読んで思いました。また自分もそうでありたいと思います。

  • NHKの朝ドラ『らんまん』で牧野富太郎に関心を持ち(小学校の教科書に載っていた人物とのことだが、まったく記憶にない)、朝井まかての『ボタニカ』を読んだ。「類稀なる天才だけど、人間としてどーなのよ!」と思い、本書を手にした。

    本書で、天才の能力が何らかの発達障害と結びついていることを知り、牧野富太郎について理解が深まった。確かに、映画『アマデウス』で描かれたモーツァルトも奇人であったし、テレビドラマ『風よあらしよ』で描かれた伊藤野枝も非常にエキセントリックであった。

    (私は、サリンジャーの作品を読んだことはないが)著者は、作品の内容を精神医学の視点から読解しているが、味気無いと思った。著者は次のように書いている:サリンジャーの研究科によれば、(中略)しかし、このような解釈は納得のいくものではない。

    著者が言いたいことは、最終章「誰が才能を殺すのか?」にあり、日本社会の多様性のなさ、不寛容を問題視しており、仰る通りだと思う。ただ、『ボタニカ』の感想にも書いたように、こうした人たちとは関わり合いになりたくない、というのが正直なところ。

    朝ドラをきっかけに精神医学を勉強することになるとは!

  • 493.76||I95

  • 天才と馬鹿は紙一重と言われる。後世に偉大なる人物として名を残す政治家、文学者、芸術家、科学者たちが、社会から異端とされながらも大きな実績・成果を残してきた事実、その背景について精神面の研究と照らし合わせていく内容。
    大半の人が自分にもそう言う面があると考えるうつ病や、幼い頃を振り返ると何処か当てはまる時があったなと感じるADHDやASD。
    小さい頃は突然授業中に奇声を上げたり、変顔をしながら異常なハイテンションで周囲に話かけてた自分の事を未だ鮮明に覚えてる。現在の私は天才でも優れたビジネスマンでも何でもない人間(普通だと思っている)なのだが。そんな幼い頃がダメだったかと言えば、両親の教育のせい?でテストは100点以外とったこともなく、運動会のリレーのアンカーは不動、学級委員にも毎回選ばれたりはしてた。高校までがピークで大学時代はほぼ若年時代の活力はほぼ使い切っていたには等しい。何事にも「適当、興味無し」だった。
    本書を読んで感じられるのは、人間誰しも生きている間の、能力の発展や情熱を捧げられる総容量(キャパシティ)は凡そ同じくらいであり、それが山型の二次関数の曲線の様に人生の長いスパンの何処かで頂点が来るのではないかと思う。ある人はごく短期間に極めて高い位置まで届くが以降は低迷したり、またある人は緩やかに上がって徐々に加工するといった具合。タイミングや度合いによっては運悪く精神疾患の診断を受けるのだが。要は山の描き方を緩やかにできるか、歯止めが効かず何処までも上り詰めるかの違い。
    私も過去に仕事で天才的なマネジメントをする方に出会った事があるが、発想も判断力も気付きも何もかもが全て超人的と感じた。一度会議が始まると朝まで怒鳴り散らす事もザラ。一方で会議中は虚ろな目でぼーっとしたり目を閉じて(恐らくは)眠ってしまう事もあった(そう言う時に限ってズバリ突っ込まれたくない部分をいきなり指摘もしてくる)。
    読みながら何度も身の回りにいたその様な人達、自分の過去も照らし合わせて、もしかしたら自分もちょっとは天賦の才があったかも?使いどころを間違ったかも?と妄想しながら読める。面白い!

  • 2019I218 141.18/I
    配架場所:C3

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著者プロフィール

昭和大学医学部精神医学講座主任教授

「2023年 『これ一冊で大人の発達障害がわかる本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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