歎異抄 救いのことば (文春新書 1283)

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  • Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166612833

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  • かつて戦場で多くの若者がむさぼるように読んだという『歎異抄』。唯円と目される著者が、師である親鸞の思想が間違って流布されているのを文字通り歎(なげ)き、本当はこうなんだと綴ったもの。いわば浄土真宗の聖典である。「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」の悪人正機説で知られる第三条は、歴史の教科書で読んだ人も多いだろう。

    しかし、浄土真宗の門徒であっても読み通した人は少ないのではないだろうか。分量は大したことはないのだが、なかなか一筋縄ではいかない。だからこそ、古今東西の知識人が『歎異抄』に魅力されてきたのだろう。

    かくいう私は仏教徒ではないが、これまでに2度読んでみた。そして2度ともよく分からなかった。そんな私のような浅学の者にとって、本書のような全訳付きの解説書は実にありがたい。

    『歎異抄』には印象的なパートがいくつかある。「念仏を唱えても喜びが湧いてこないのです」と相談してくる唯円に対して、親鸞が「そうなんか。あんなあ、実はわしもやねん」と答える場面。親鸞はそんなことを弟子に言える人だったのだ。親鸞が同じく唯円に「千人殺してくれへん?」と言う場面も忘れ難い。危険な男、親鸞。とどめは「わしは罪深い奴やから、阿弥陀様はわし一人のためにいてはるねん」と言い切る親鸞。すごいな、親鸞。関西弁は私の意訳です、念のため。ここだけ切り取ると妙になるが、もちろん実際には前後にも文章が続き、緊張感があり深い意味がある。その真意は本書で確認してもらいたい。

    本書のお陰で少し『歎異抄』の理解が深まった。当然ながら理解し切れたわけではない。釈先生も『歎異抄』は年齢を重ねると読み方が変わる。その時はピンとこなくても、ある時ふと立ち上がってくる言葉があると書かれている。次はどんな風に読むのか、怖くもあり、楽しみでもある。

  • 「捨てる」は仏教の最初期からの王道。仏教を一言で「捨ててこそ」と言ったのは空也、これを受けて一遍も「捨ててこそ仏教だ」と言う。自分のはからいを捨てていく、自分のはからいを捨てたところに、他力の世界が広がる。寄進する金品が多いか少ないかで、仏のお体の大小を決めることなど言語道断。

  • この分野の権威、釈徹宗先生の個人的解釈・解説でさえも「歎異抄」にはもはや不要。

  • 歎異抄の言葉と親鸞の足跡、親鸞を巡る状況がないまぜになっていてちょっと分かりにくい。著者の親切心による気遣いなのは分かるけどアレも触れなきゃコレも書いとかなきゃというのが縦横無尽過ぎて混乱のもとに。
    それぞれは難しいことを書いているわけじゃないから内容の交通整理をしたらより伝わったのかもしれない。でも、歎異抄への興味は高まったので違う本も読んでみようかな。そういう意味ではいいゲートウェイかもしれません。

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著者プロフィール

1961年大阪生まれ。僧侶。専門は宗教学。相愛大学学長。論文「不干斎ハビアン論」で涙骨賞優秀賞(第5回)、『落語に花咲く仏教』で河合隼雄学芸賞(第5回)、また仏教伝道文化賞・沼田奨励賞(第51回)を受賞している。著書に『お世話され上手』(ミシマ社)、『不干斎ハビアン』『法然親鸞一遍』『歎異抄 救いのことば』など。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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