枝野ビジョン 支え合う日本 (文春新書)

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  • 文藝春秋 (2021年5月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784166613144

作品紹介・あらすじ

「保守本流」を自称する立憲民主党の代表が、その真意と、目指す社会の未来像を提示する。明治維新以来の「規格化×大量生産社会」はすでに限界を迎えている。いま必要なのは、互いに「支え合い、分かち合う」社会だ。国民に「自助」を強いることのない、もう一つの選択肢を示す。

【目次】
第1章 「リベラル」な日本を「保守」する
第2章 立憲民主党結成に至る道筋
第3章 新型コロナウイルス感染症が突きつけた日本の課題
第4章 そもそも日本は今、どこにいるのか?
第5章 新自由主義の限界
第6章 近代化の先にある社会の理念
第7章 「支え合い」の社会における経済
第8章 これからの成長の芽はどこにあるか?
第9章 「機能する政府」へのアプローチ
第10章 支え合う社会のためのいくつかの視点
第11章 地に足の着いた外交・安全保障

みんなの感想まとめ

互いに「支え合い、分かち合う」社会の重要性が強調され、現代日本が抱える課題に対する新たな視点が提示されています。著者は、保守とリベラルの対立を超えた新しいアプローチを模索し、過去の歴史や伝統を踏まえな...

感想・レビュー・書評

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  • 自分が、枝野氏の政策・ビジョンに共感するところがあり、枝野氏が落選というまさかの出来事があったせいか、ふと目に止まり読みました。私にとって内容は概ね共感できるものですが、枝野氏を支持しない層に響くのか、というと難しいだろうと思いました。今度は、演説を伺ってみたいものです。

  • 特に無し。

  • 立憲民主党の枝野幸男前代表の著書「枝野ビジョン」を読みました。
    自民党の岸田文雄総裁の「岸田ビジョン」も以前読みました。

    比較すると「枝野ビジョン」の勝ち!(支持はしない)

    だが「東京電力が、福島第一原子力発電所からの撤退を打診してきた」と書き捏造はダメ。
    https://seisenudoku.seesaa.net/article/485036326.html

  • うーむ
    もう価値がなくなってしまったか
    「支え合う」という言葉以上のものを感じなかった

  • ●「右でも左でもなく前へ!」日本では55年体制からずっと右と左で対立を表現してきた。現在ではそのまま保守とリベラルという言葉に置き換えられている。その常識に異を唱えるべく、あえてこうした言葉使いをしている。
    ●野党第一党の党首選挙に出馬するなら、総理になる覚悟が必要である。
    ●日本における「保守」とは何か。歴史や伝統などを大事にして、急激な改革を否定すると言う精神や運動であるとされる。あり得ない理想の社会を目指すのではなく、先人たちの試行錯誤の歴史を大事にしながら、世の中を少しずつ良くしていく。過去にも理想の社会は無かったのだから、安易に昔は良かったなどと懐古主義に走ることもない。これが本来の保守。
    ●本来の保守すべき歴史は1500年。自民の考えは明治維新以降の150年。
    ●多神教文明という多様性
    ●日本の平和志向は、農耕社会を背景に、争いを好まず、合意形成を大切にし、他者に寛容な文明を持つことから生じた。→和を以て貴しと為す。
    ●自民党が長期政権を維持するため、社会党の政策を3年遅れて実施する戦略をとった。
    ●民主主義と多数決はイコールではない。民主主義とは、みんなで話し合い、みんなが納得できる結論導き出すことである。多数決は、皆が納得できる結論を導くための1つの手段に過ぎない。例えば、蕎麦アレルギーの友人への配慮。
    ●国民が求めているのは「物質的豊かさ」なのか?

  • 選挙に備えて、野党党首の人となりや考えを知りたいところだったので、たいへん参考になりました。
    ワイドショーで何もしない野党と揶揄していた出演者の話を聞いたことがあったが、知ろうとしていないだけだと感じたので、とりあえず読んでから話せって思います。

    本の中では自分たちの理念を明確にし、現在の問題点を洗い、どう過去の経験を生かし、理念をもとにどういう社会を築いていくかが筋道立てて書かれていたので、どうしてその青写真を描いたかがハッキリしていました。

    個人的には考えに共感しましたし、おおよそ冷静かつ的確に状況を判断して、自分の現在地を俯瞰で捉え、過去の失敗を取り戻す気概と余地に溢れていると感じました。
    一度与党を経験したことで、取り組み方を何度も何度も反省・整理したんだろうなぁと思います。

    与党時代の経験を経て現実的に、これだけしっかり筋道立てて健全に考えられているのに、SNSなどでは内容が全く伝わってこなかったので、もったいないとも感じます。
    ひろゆきさんみたいな見識や発言力・まとめ力があって、プログラミングもできるような人を味方につけた方がいいのでは?と思ってしまいました。

    保守でありリベラルである
    保守とリベラルは対立概念とされてきているが、その常識に異を唱える立憲民主党
    自民党は保守政党、立憲民主は左派で反権的とされているが実態は違うという意見。

    保守→歴史や伝統などを大事にして急激な改革を否定する。
    保守思想の土台になっているのは「人間は誰もが不完全なものだ」という謙虚な人間観。
    不完全な人間が作り上げる社会もまた常に不完全で、理想の社会は過去にも現在にも未来にもありえない。

    先人たちが試行錯誤しながら積み重ねてきた歴史を大事に生かしながら、そこから得てきた経験知を踏まえ、世の中を少しずつ良くしていく。過去にも「理想の社会」はなかったのだから、安易に「昔は良かった」などと懐古主義に走ることもない。
    26p

    理性によって理想の社会像を作り上げ、その実現のために邁進するというのは、保守的に見れば人間の本性に反している。
    社会の欠陥を許容せず、急激な革新や進歩を目指すのではなく、急激な時代の変化に対し、施策を通じて国民の不安を和らげ、ソフトランディングを図るのが保守。

    保守すべき歴史は、文字で記録が残る1500年の歴史すべて。明治維新後だけではない。

    八百万の神
    日本語ですら漢字という異文化を寛容に受け入れ、かなカナこ日本独自の進化をした。
    明治の西欧近代文明もそう。
    実は多様性を認める社会であるから、異なる文明の利点を上手く取り入れ、独自の文化をつくり、繁栄を実現してきた。

    水田稲作
    誰か一人が抜け駆け的により多くの収穫を求めるのは難しい。
    地域社会全体で水資源を確保し、洪水を防がなければ、収穫を維持できない。
    自由競争より地域の共同作業、つまり支え合いや助け合いを重視して村落共同体が構成され、河川を共有財産として管理してきた。
    終身雇用制や年功序列型賃金、企業内福祉の充実も会社内の支え合いの仕組みとして似たような役割。
    悪く言えば横並び思想だが、全体で協力して結果をのばし、うまく再分配しなければ再生産には繋がらないからこそ、相互扶助や社会保障的な側面を有しているのではないか。

    憲法9条
    日本は歴史的に武力解決経験が圧倒的に少なく、一定の平和が続いた時代の方が長い。
    ドラマや小説で源平、戦国、幕末が三大テーマとされるのは、殺し合いの時代がこの三つに限定されるからとも言える。
    鎌倉幕府における京の朝廷、関ヶ原における毛利や島津、幕末における徳川慶喜、みな共存してきた。
    元寇を除けば19世紀まで外国から武力攻撃を受けていない。
    天皇も明治維新から第二次世界大戦を除けば軍事に直接関与しない。
    十七条憲法の和を以って貴しと為すが引き継がれてきている。
    (平安や室町も外国から襲撃を受けているし、石器時代から戦いの痕跡は確認されている。室町も戦乱の時代だ。
    ただそれでも、大枠はたしかにと感じる部分もある。平安と江戸という200年平和が続く時代があった)

    民主政における立憲主義
    「民主的プロセスによって成立した権力」に対する制約
    =民主的に選ばれた代表者でも権力を好き勝手行使してはならず、憲法の制約のもとに
    「民主的に選ばれた代表者であっても、その判断が絶対に正しい都は限らない」
    →保守の観点に立ち、権力行使を経験知の集約である憲法で制約

    民主主義とは「みんなで話し合い、みんなが納得できる結論を導き出す」こと。
    民主主義と多数決はイコールではなく、結論を導くための一つの手段にすぎない。

    第二次安倍政権以降の自民党はしばしば「選挙で多数の民意を得た政権が、民意に従って政策推進を強行することの何が悪いのか」という傲慢な姿勢が感じられ、自民支持者から「多数の民意を得た政権よ判断を否定するのはおかしい」と批判
    (その批判が正しいとしてしまったら、何でも許されてしまい独裁になってしまうおそれを感じる。)

    1人を除いて皆が蕎麦屋に行きたかったとしても、行けない理由が蕎麦アレルギーであれば、別の店を検討する余地はある。

    不完全な存在である人間のつくった政権が、一時的に多数だからと先人たちの経験知と積み重ねの結果である憲法解釈を勝手に変更することには抑制的に

    五五年体制当時の自民党は保守でありながらリベラルな施策を通じて一億総中流社会を実現
    現在の自民は保守の対極
    小泉政権以降、支え合いより自己責任を強調し、競争重視の新自由主義的な経済政策を軸とし、社会保障というセーフティーネットが軽視されるように。

    1500年の歴史で昭和初期体制は異質
    多様性と寛容を基本とする日本の歴史と伝統に矛盾
    安倍政権は昭和初期体制と親和性が高い
    欧米への憧れや対等であろうとしてきた時代へのノスタルジー

    欧米流の新自由主義は日本の伝統的な支え合いを壊してきた。
    目指すべき社会のあり方そのものが問われている。

    保守、リベラルの意味を問い直し、現在の政治のありようを見つめてみてほしい

    保守の自民がリベラルな政策を実施し、社会党に政権交代してリベラルな施策を実現する必要性を感じさせなかったことで、万年野党となり、自民に望む方向に流れを作っていく力や幅広いコネクションなど経験値を重ねられ、経験値の差が露呈。

    2009鳩山内閣
    大臣のほとんどは副大臣の経験もなく、秘書官チームやSPがつくのも初めて、担当記者数も激増。
    野党として要求を押し込む経験はあっても、野党を納得させ円滑に国会運営する経験のあるメンバーはごく少数。
    職務の幅広さと複雑さに戸惑いの多かった当初。
    当時の経験不足の苦い経験を踏まえて「次は同じ失敗はしない」
    (経験することで見えてくるものはある。一回の失敗でダメと決めつけるつもりはない。実際に与党として動いたことある経験値は私も立憲民主党の強みと捉えてはいる。東日本大震災という未曾有の経験もしているから、今のコロナに対する見方に影響があるのではと推測はしてる)

    民主党政権は期待に応えてくれなかったを否定することはできない。
    同じように期待を集めるのは難しく、目新しい提案や大衆に迎合した人気取りも強い不信を招くだけ。
    すでに2012年末早く支持を取り戻したいと、目先を変えたり、奇をてらって認めてもらおうと右往左往した反省もある。
    目指すべきはまた期待に応えられないかもしれないという不安を払拭する安心感や安定感
    挫折の経験を活かし、新たな期待を得るために

    東日本大震災
    初動から「情報は隠すな、全部出せ」と繰り返し指示し、知っている情報は包み隠さず発信
    しかしそれでも上がってこない情報があり批判を受ける
    新しい情報を伝えるFAXのコピーが小一時間で20-30cmの山となる状況で、知りえたけれど気づいてなかった情報もあっただろう
    (当時メディアで働いていたので情報が錯綜するのは想像に難くありません。)

    「直ちに健康の影響はない」
    詳細説明もしたが切り取り報道
    一方では原発事故影響全体についてと受け止められ、過小に伝えたと批判
    他方で先々のことについていたずらに不安を高めたと批判
    政治的発言についてはどう切り取られるかを含め、言葉を選ぶ必要があるのかもしれない。
    しかし危機管理において詳細説明の一部を意図的に切り取られると正確な情報が国民に届かなくなる。
    他に適切な説明はなかったと思いつつ、正解はどんな表現であったのか自問が続く。

    政府発信の軸が官房長官にあると明確にする
    危機管理上重要ととらえている
    情報共有の行き違いや発信者によるニュアンスが大きな混乱を招きやすい
    誰の言ってることが正しいかわからないと不安
    (スポークスマンがわかりにくいと混乱してしまう)

    情報を集約する司令塔も欠かせない
    平時では所管の対象を見て所管の権限範囲で仕事をしている
    緊急事態、明確な指示や要請、情報などなければその範囲で対応せざるをえない
    明確で強力な司令塔が存在しなければそれぞれの動きがちぐはぐになってしまう
    (今思うと計画停電ってすごいな)

    緊急時に迅速で効果的な対応をするには、行政の側の備えが重要である。
    民間の協力を得る場合でもそれは変わらず、平時から密接に連携し、情報やノウハウを共有しておくという備えがないと急にはできない。
    「民間でできることは民間で」というスローガンは間違ってないかもしれないが、その旗のもとで「民間でできないこと」まで民間に委ね、現場力が不足し、小さすぎて機能しない政府になっていたことを痛感。
    コロナも実働部隊が不足しているためにマスク配付や給付金で著しい混乱が生じた。
    特別定額給付金も地方自治体という実働部隊を小さくしすぎてしまい、協力をお願いする国の体制も脆弱であったため、混乱の末、大幅に遅れる地域が続出した。

    東日本大震災で痛感した自己責任論の誤り
    亡くなった人、自宅が流された人、避難を余儀なくされ故郷に戻れない人、誰にも「自己責任」などとは口が裂けても言えない。「自助」でなんとかしろとも、とても言える状況ではない。
    地域全体が被害に遭った中で「共助」すら叶わない。

    合併した地域ではどうしても人口の集中する旧市が中心になってしまい、合併された旧町村の対応が後手に回りがちと感じる状況になってしまった。
    最も「公助」が求められる災害時だからこそ、最も身近な「公助」の拠点である基礎自治体が住民に近い存在であることに重要な意味があると明らかになった。

    かつての民主党には「自民党に代わり得るために、自民党との違いが小さいことを強調すべき」という考え方が、相当程度存在した。第二自民党を目指し、政権奪取につなげるべきとい声まで存在していた。
    社会全体で支援する「普遍主義」理念や「経済的価値にとどまらない一次産業の多面的価値を適切に評価する」という哲学を党内ですら共有されていなかった。
    その結果批判に過剰にひるんだり、本質からズレた言い訳に終始したりすることに。
    看板政策についてすら自信をもって訴え続ける理念や哲学が共有されていなければ抵抗を撥ね除けて推進することはできない。
    よく考えれば第二自民党を作っても、それより経験も地方組織となじみもある第一の自民党の方が支持されてしまう。
    「政権交代」という旗印は、政権を取ってしまうと意味を失う。
    理念や哲学の共有が不十分なまま「政権交代」そのものを目的化してしまえば、それを実現した瞬間から、目標と求心力を失うのも必然
    (どおりで迷走してると感じたはずだわ)

    立憲民主党結成にあたり、希望の党との違いを明確に。
    民主党や民進党と本質的に違いがないが、それまでは理念や政策に幅を持たせないと自民党に対抗する大きな勢力がつくれないという声に押され、あいまいさを含んでいた。
    立憲民主党ではあいまいさを排除した理念をかかげ、結果として希望の党や自民党と違いが明確に。
    「支え合いの政治」

    新型コロナウイルス感染症によって、現代社会の抱える矛盾と課題が明確な形で私たちに突きつけられた。
    一極集中やコスト削減なの「目先の効率性に偏重した経済」
    自助を強調して社会を分断した「過度な自己責任社会」
    公的業務を担う組織や人を切り詰めてきた「小さすぎる行政」
    この30-40年近くにわたって日本や多くの先進国で構築されてきた「新自由主義的」傾向に偏った社会経済システムが、この歴史的危機において、いかに脆弱なシステムであったかが明らかになった。

    (なぜ、耐久消費財視点ばかりなのだろう?)

    近代化モデルの限界
    大量生産など生産性の向上で人々の暮らしをより良くできるはも通用しない時代
    人口減少と急激なグローバル化の中で、従来路線で成長できたとしても、多くの国民の労働対価が引き下げられ、生活水準が悪化したのでは意味がないのではないか
    日本は近代的に最も成功した国であり、最も早く近代化の限界に直面している

    アベノミクス
    新自由主義な政策
    金融緩和、財政出動、規制緩和
    近代化路線がすでに行き詰まりを見せているにもかかわらず、さらに加速させた安倍政権
    高度経済成長の夢をなぞった2020五輪パラや2025大阪関西万博

    私たちは明治以来150年進んできた社会のあり方が今後は通用しない事、過去の成功体験が役に立たないことを直視しなければならない。
    これまでの社会が続く前提で打ち出される政策は、もはや時代遅れなのだ。

    内需の落ち込み、GDP伸び悩み

    財政出動
    本質的には当座の時間稼ぎを目的としたカンフル剤や痛み止めの施策
    大きなインフラ建設すれば、その完成までは仕事が発生し報酬が入る
    公共事業従事者が入ったお金で消費拡大
    効果が切れる頃には民間の投資や消費が拡大し経済の好循環を生み出してきた

    アベノミクスはたしかに株価は上昇したが、その後の経済好循環を生まなかった
    財政出動したから経済効果がありそうだという期待を、市場関係者に一時的に持たせただけに終わった

    日本経済はすでに民間投資や消費を拡大させない構造になっている
    国際社会における規格化×大量生産分野では、民間企業や人件費の安い新興国に投資した方が有利と考え、人件費の高い日本国内に投資する意欲は低い
    いくら公共インフラ投資を進めても、民間企業は儲からないと思えば投資しない

    また公共事業ら将来にわたっての雇用や賃金は保障しない
    新たなバイパス道路で建設して、郊外型ショッピングモール建設投資に繋がり、客足が集まったとしても、人口減少の中では既存の商店街の客を奪っただけに過ぎず、新たな需要が生まれたわけではない。

    金融緩和は金融機関から資金を借りやすくすることで投資や消費を促し、そこから経済の好循環をもたらそうとするものだが、投資や消費をしたいという潜在的なニーズが存在することで初めて意味を持つ
    ニーズがあるところに環境を整えるからこそ、投資や消費につながるのだ

    どんなに低金利で多額の資金を得られても、赤字になりそうな事業に投資する企業はない
    潜在的な投資や消費の意欲が乏しい中で金融緩和は、経済対策に期待の効果を生まずに、恩恵は株式投資などに集中する
    結果「富める者がますます富む」という社会構造が固定化している

    そもそも経済は通貨量が増えれば拡大するものではない
    通貨が使われる頻度も重要だ

    今の消費者は、モノの豊かさが拡大することよりも、将来の安心が重要だと考えている。
    自己責任が強調さ、十分な社会保障のサービスが供給されていない状況では、消費者は少しばかり所得が増えたり、融資を受けやすくなったりしても、簡単には消費を増やさない。それどころか、一定程度の金融資産を持つ高齢者などは、低金利政策で利子所得が減ることから、かえって消費を抑制する。そうなっては全く逆効果である。

    近代化の行き詰まりで消費や投資の意欲は構造的に低迷停滞
    短期的で限定的な農家を追い続け本質的課題から目をそらしてきたのがアベノミクスの限界だった
    根本的な治療に取り組むことなく、目の前の痛みを取り除こうとするだけでは、経済の体力を奪い、病状を悪化させてしまう。

    「見たくない現実」でも、それをしっかりと見つめ、受け止めなければ、対応策を見出して「夢や希望」に繋げることはできない。
    残念ながらこれまでの政治は、こうした「見たくない現実」を正面から受け止めることを避け続けてきた。
    失われた10年どころじゃないにもかかわらず、高度経済成長期の夢を追う経済活性化に熱心な一方、現代の日本が抱える喫緊の課題に対しては根拠なき楽観論に依存してきた。
    少子化は20年も30年も前から続いてきたのに放置しさらに深刻な状況へ。
    結果、経済は長期低迷を続け、国民を守るどころか政治が逆方向へ加速化させている。

    国民が求めているのは物質的豊かさか?
    必要なのは不安の解消、将来への安心ではないか。
    多くの国民が閉塞感を感じている原因は、老後の年金や介護に対する不安や、子育てサポートの不足に対する不満、安定した職に就けないという苛立ちである。
    一見、これらの問題の外にいると思われている国民の間にも、「将来自分がその状況に陥るのではないか」という不安が、潜在的に広まっている。
    だから私は、「目標を変えよう」と提案する。
    「より物質的に豊かになる」というこれまでの目標に代わり、これからは、「より安心できる」ことを目指していく。そのための「支え合い、分かち合う」処方箋の提示を、政治は求められているのだ。

    私たちに必要なものは、お金などの「物質的な豊かさ」それ自体ではない。その「豊かさ」を通じて、安心感や便利で快適なサービス、安定した仕事や生きがいを手にしたいのだ。
    若い世代には、非営利活動による社会貢献を目指す人や、高いレベルでの自己実現を目指して世界にチャレンジするスポーツ選手や芸術家など、「物質的に豊かになること」以外の夢や目標を掲げて努力している人たちが、着実に増えてきていると感じる。
    しかし現実には、学校を卒業して企業に勤め、「より物質的に豊かになる」ことを目指すという、近代化のプロセスで形作られたシステムに組み込まれてしまう。
    より豊かになるどころか、一歩間違えるとブラック企業で身も心もボロボロにされたり、格差拡大の中で貧困に陥ったりする。

    日本全体という大きな「社会」で支え合うことが必要であり、そのためには、政治と行政が機能しなければならない。
    これからの社会に求められているのは、政治と行政が、日本と言う「社会」の単位で互いに「支え合い、分かち合う」ための機能を果たすこと。それによって「リスク」と「コスト」を平準化し、自助だけでは逃れられない「不安」を小さくすることだ。
    過度な自己責任社会から「支え合い、分かち合う」社会に転換することこそ、私の訴える、ポストコロナ社会の理念であり、そして「近代化」の先にある社会の理念である。

    今は病気になったり介護が必要になったりしたときの不安は、ほぼ全国民に共通している。
    こうした経済、社会の状況で、政治が一部の「弱者」だけを保護する施策を進めたらどうなるだろうか。
    大多数の国民が不安を抱え、自分の生活で手いっぱいで「弱者を救おう」という余裕を持てない。政治が一部の「弱者」だけを保護すれば、多くの国民に不満がたまってしまう。
    「弱者」を含む大部分の国民が普遍的に抱いている不安を、全体として小さくするべきだ。
    (だからベーシックインカム論が出ている)

    障がいや難病を抱えている方は、他の人に比べて受けるサポートが多く見えるかもしれない。だがそれは、「弱者だから」ではない。障がいや病気によって、サポートが必要な部分が「たまたま」多いからなのだあ。いつか自分が同じように障がいを持ったり病気になったりすれば同様のサポートを受けられる。その安心感があるから、他者をサポートすることに寛容でいられる。そんな社会が求められているのだ。

    情けは人のためならず
    正しい意味は「人に親切にすると、巡りめぐって自分にも恩恵があるのだから、親切にしよう」

    安心して子どもを産み育てることができるように社会全体で支えれば、出生率の低下を食い止めることができ、子どもたちが将来の消費や税金などの担い手となる。子どものいない人や、子どもを持たない選択をした人たちにも、結果として大きな恩恵がある。
    もちろん、子どもを持つかどうかは、あくまでそれぞれの選択だ。決して政治が介入すべきことではない。ましてや、経済のために子どもが生まれてくる訳ではない。このことは強調しておかなければならない。

    自民党の一部などには、かつてのような前近代的家族共同体を取り戻し、子育てや介護の責任を家族に押しつけ、社会全体の負荷を小さくしようとする動きがある。しかし、現在の日本社会では、多くの場合、子育てや介護などの負担が、女性にばかり押し付けられている。父親の育休取得がなかなか進まないことなどが象徴的だ。そんな中で、子育てや介護を家族の責任に戻そうとすれば、女性がますます過重な負担を強いられる。
    人口減少を補うために「女性の社会参加」の旗を振っておきながら、このような現状がある中で、その女性に子育てや介護の負担まで押しつけるなら、女性の負担は増える一方になり、結果として非婚や少子化がさらに進むだろう。もはや家族の負担だけで子育てや介護を担えるはずがないのだ。

    国内消費の底上げ、低所得者層の底上げ
    正規雇用、1人当たりの生産性向上
    「同じ富を少ない労力で生み出すこと」「同じ労力でより大きな富を生み出すこと」
    生産性向上という言葉が、ある意味で「悪用」されている。単なる「人件費のカット」は、本質的な意味での「生産性向上」とは似て非なるものであることを強調しておきたい。
    老後の安心 60歳以上家計金融資産1900兆円(約2/3)保有
    介護や医療の不安で使わない
    100歳のお年寄りが「老後のために貯金する」といった笑えない笑い話のような高齢者の不安を取り除き、安心してお金を使えるようにすれば、「老後のため」の蓄えが消費に回る余地が出て、経済成長に資することにある。
    自分が何歳まで生きるかを明確に予測するのは不可能に近く、自己責任で対応するのは著しく難しい。
    「自己責任」になれば、みんなが100歳まで生きても大丈夫なように、できるだけ貯蓄を持とうと考え、使い切れないお金が、市中に回らずため込まれることになる。老後の不安は、間違いなく消費を冷え込ませている主要因の一つである。
    老後の不安を取り除くことで、高齢者が安心してお金を使える環境を用意することは、経済成長には死活的に重要だ。

    「子育てにはお金がかかる」と嘆く声がよく聞かれるが、裏を返せば、子育てにかかる費用は積極的支出されるということだ。ミルク、離乳食、おむつなどに加え、生長に応じて衣服も次々に必要になる。子育てや教育への支出は世帯による差が大きいが、「子どものためには最大限の支出をしたい」という親の思いは、一般的には所得にかかわらず強い。
    経済のために子どもが生まれてくるわけではない、ということは、繰り返して確認しておきたい。だが、子どもの数が増えることは、結果的に、短期的にも中長期的にも消費の拡大につながる。経済対策としての意味を持つのだ。

    政治に即効性を求めがちだが、「即効性がある」とされる従来型の施策だけにいつまでも頼っていては、日本経済の未来は築けない。
    近代化が早々に成功し、豊かになったことが壁にぶつかっている原因だ。その壁を越えるために、豊かさを生み出した要因である近代化路線にアクセルを踏んでも、効果が上がるどころか、むしろ逆効果だ。本質的な治療に取り組むことなく、カンフル剤や痛み止めを打ち続ければ、病はさらに悪化する。

    支え合いのための財源
    医療介護子育てすべての人に必要に応じたサービスを
    安定的な雇用のもと安心できる生活を
    社会全体の安心感高まり、格差の拡大抑制されれば、経済全体も恩恵を受ける
    一見負担増に見えても、それによって老後の不安や失業の不安、格差拡大の中で貧困に陥る不安などが小さくなり、安心して子どもを産み育てることができるようになれば、回り回って結果的には、すべての人の負担を減らすことができる。

    いったん一律に支援するが、高額所得者からは、その後に税金という形で取り戻す仕組みとする。税務行政は普段から、所得などの把握に最大限の努力をしているのだから、ほかの行政部局が、給付金支給などのために改めて所得の把握に四苦八苦する必要はない。
    (毎回対象か確認するためにいくらのお金と作業の負担がかかっているのだろうといつも思っていました。)

    余力
    空きベッドがあっても成り立つ経営制度
    機能する政府

    金銭で測れない多元的価値


    中長期的には「何を目指していくのか」によって、将来大きな違いとなり、国民生活を大きく左右する。
    辺野古って25年も建設中なのか…
    日米同盟が基軸を基本方針のもと短期的には現実的に
    中長期的には「人権・民主主義・地球環境・核軍縮・公平なルール作り」

    集団的自衛権
    日本の同盟国が第三国からの攻撃を受けた場合に、日本が「自らが攻撃されていないにもかかわらず」武力行使をすること
    「日本が攻撃された時」に「同盟国が」日本を守るために行動すること、つまり、日米同盟に基づく米軍の軍事行動については、従来から認められている。

    米国の国益
    太平洋西側、アジア東端に信頼できる同盟国
    安定的な米軍基地設置
    米国から見た日米同盟の本質踏まえれば、日本の防衛を米国の協力だかに依存することはできない
    米国政府は、その時点での国際状況に基づき、「米国の国益」の観点から介入の度合いを判断する。これが国際政治の冷徹な現実である。
    特に尖閣防衛を考えたとき、米軍による十分な関与が得られない場合に備えた、日本自身の対応力を強めることこそが求められる。

  • 立憲民主党の枝野幸男代表が、「総理になる準備ができた」として、2021年4月に出版したビジョンである。
    枝野氏がこれまでに述べてきたことで、立憲民主党の代表という立場からも想像の範囲内の内容だが、感じた点をいくつか挙げると以下である。
    私は、基本的に政権交代が起こり得る二大政党制が健全であると考えている。米国でも英国でも、新自由主義的な政策で空前の好景気に沸いた1980年代の保守系政権(レーガンとサッチャー)の後も政権交代を繰り返し、緊張感をもって一定の代謝が行われている。一方、日本では、二度ほど自民党以外の政権ができたものの、政権交代が定着化しているとは言い難い。なぜ日本で二大政党制が根付かないのかについて、枝野氏は、保守を自認する自民党がリベラルな政策(国民皆保険など)も含めて実現してきたため、保守vsリベラルが政党間の対立軸になり難かったと述べている。国民からすれば、結果として、世界的に見れば格差は小幅に留まり、また、各種政策が大きく振れることがなかったというメリットはあったものの、その引き換えに、与党には緊張感がなくなり、国民に全く説明しない/できない(国民を軽んじた)政権が平然と続いており、今やその弊害は見逃すことはできない。
    他方で、近年、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(2020年)がベストセラーとなり、脱成長コミュニズムに関する議論が注目されている。私は、世界中に広がる格差に対する問題意識から、これまでも、トマ・ピケティの『21世紀の資本』、ジョセフ・E・スティグリッツの政策理論、広井良典の唱える「定常型社会」などに注目してきたのだが、これらは、いずれも現在の行き過ぎた資本主義に対して問題を提起したもので、それは、いまだに新自由主義的アプローチをベースにする自民党への対抗軸として「支え合う社会」を標榜する枝野氏の主張と、一定の親和性を持つものといえる。
    また、枝野氏は冒頭で、「人間は不完全なものなので、作る社会も不完全なものであり、よって、過去を踏まえて世の中を少しずつ良くしていく」という思想を「保守」、「人間は努力すれば賢くなれるので、理性によって理想の社会像を作り上げ、それに向かって邁進していく」という思想を「リベラル」とし、自分は「リベラルな日本を保守する」と言うのだが(ここの説明は、政治思想用語を一般の用語として使っているため少々わかりにくい)、いずれにせよ、理想の社会を追求するというスタンスには、私としては共感できる。
    様々な意味で「大分岐」にある今、我々は一度立ち止まって、今後進むべき道を考える必要があるが、そのための材料となる一冊である。
    (2021年9月了)

  • 東2法経図・6F開架:310.4A/E21e//K

  • 面倒な内容である。
    でも、今読むべき本でも有る。
    さらに言うなら、今、私たちが生きている国の状況を整理している本だ。
    コロナ禍で、混乱しているこの国の現状と、コレから目指すべき方向の一つを提示している。
    分かっていない事も多いこの社会だ。
    こうして、整理された意見を読んでみることは重要だ。
    是非、一読されることをお勧めする。

  • 一度政権を奪い、そして再び野党になったその党首が何を考えているか、個人的にはふわっとしていて魅力に映るものは特になかった。

    成長重視から支え合いへというコンセプトには共感するが、気になる財源のところもまず支出を、とか既存のマイナーチェンジの域を出ていない。
    ベーシックインカムくらいのことを言ってくれれば面白いのだが、加えて定量敵でもない。

    エネルギーの部分は特に関心が高いのだが、原発に頼らない自然エネルギー主体なシステムを目指す、その要諦は送電網を国の責任で整備進めていくと言うもの。送電網を不安定な再エネを融通しやすく整備、投資していく必要性は全くの同意だが、それで原子力不要な電力システムが構築できるイメージがあるなら、定量的な根拠が欲しい。

    率直に言って政権を任せて国が良くなるイメージは持てなかった。

  • 「保守本流」を自称する立憲民主党の代表が、その真意と、目指す社会の未来像を提示している。現総理の菅氏が口にする「自助」を強いる社会に未来は無い!

  •  立憲民主党が今度の総選挙で政権交代の選択肢になり得るのかという判断をする為に読むべき本である。枝野ビジョンという割には、情勢について一般的に語る部分が多すぎるような気がする。
     もっと自らが主張する政策を全面に出して、その根拠としてのデータを具体的に示せないものか?と感じたものの、枝野ビジョンはよく理解できました。
     この国を新自由主義の方向でこれ以上進めても、国民は疲弊し、国力も強くならないだろう。やはりこれからは、今までのGDP成長頼み、市場原理の追求では日本の夢を描けないのは事実である。必要な公的な給付をしっかり行う為に何をすべきかということがメインテーマなのである。
     少し退屈な部分はあるもののこれからの政治を選択する為には必読の書である。

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枝野幸男の作品

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