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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784166613434
作品紹介・あらすじ
パンデミックが露わにした危機について、コロナ禍以前から踏み込んだ発言を続けている教皇フランシスコに、「無関心というパンデミック」という言葉があります。自分さえよければいい、という他者に対する無関心が世界的に蔓延しているのではないか。でも、危機というものは外側から揺り動かされ、自己閉塞的なあり方から抜け出ていく機会ともなりうる、と。
答えを安易に求めるのでなく、問いをいかに深めていくか、を教えてくれるのが神学という学問だ。
トマス・アクィナスという中世最大の神学者の研究を続けてきた山本芳久さんはそう言います。
コロナ禍では文学よりも、神学の言葉の中に多く助けられたという批評家の若松英輔さんとともに、時代の大きな危機を生き抜くための叡智の中に光を探る対談。
教皇フランシスコ、トマス・アクィナス、アウグスティヌスから
カール・バルト、西田幾多郎まで。
はじめに 山本芳久
第一章 常に直面するものとしての危機
第二章 疫病とキリスト教
第三章 「個」から「ともにある」へ
第四章 「危機」こそ「画期」である
第五章 危機の神学者としての教皇フランシスコ
おわりに 若松英輔
若松英輔(わかまつ・えいすけ)
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授・批評家。1968年生まれ。『小林秀雄 美しい鼻』で角川大財団学芸賞、蓮如賞受賞。他に『悲しみの秘儀』(文春文庫)、『イエス伝』(中央公論新社)。『霧の彼方 須賀敦子』、『キリスト教講義』(山本芳久氏との共著、文藝春秋)『日本人にとってキリスト教とは何か 遠藤周作『深い河』から考える』(NHK新書)など著書多数。
山本芳久(やまもと・よしひさ)
東京大学大学院総合文化研究科教授。1973年生まれ。専門は哲学・倫理学(西洋中世哲学・イスラーム哲学)、キリスト教学。『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書)でサントリー学芸賞受賞。他の著書に『キリスト教講義』(若松英輔氏との共著、文藝春秋)、『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)、『キリスト教の核心をよむ』(NHK出版)など。
みんなの感想まとめ
危機をテーマにしたこの作品は、私たちが直面する無関心や個の孤立から、共に生きることの重要性を考察しています。特に、コロナ禍を背景に、教皇フランシスコや中世の神学者たちの思想を通じて、危機が新たな視点を...
感想・レビュー・書評
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多くの神学者、哲学者の文章から引用がなされ、そこから現代の私たちが何を汲みとり、そこから思考を深めていくかを解説してくださった対談集。
個人的に特に印象に残ったのが、
第四章 「危機」こそ「画期」である
というタイトル
その章の、オルテガの「人生とは、難破者として生きること」(山本さん)という箇所
既知であるようにも思うが、今の私に必要な言葉であった。 -
本書は神学という営みがどういうものであるかを問いかける書。哲学と神学との関わりはあまり日常的に意識されることはない。しかし哲学の中に神学的な問いかけがあり、神学の内に哲学的な洞察が含まれることを、本書は明示してくれる稀有な本である。著者の二人の対話の中で持ち寄られる本がちょうどその時を掬い取るようにして、言葉が下りてくるような体験を読者もまた経験できるであろう。
教皇フランシスコの「無関心のパンデミック」への応答としての、祈り。一見近寄りがたく思われるグァルディーニ枢機卿の祈りについての洞察が特に印象的であった。代表する神学者と評されながらもあまり触れることのできない方であるが、陰に陽にその影響は言及されているグァルディーニ(ファーガス・カー『二十世紀の神学者』参照)。そのグァルディーニの具体的な言葉に触れ、具体的には何もできない状況に置かれたとしても、祈りを通して具体的な道筋が一人ひとりにもたらされ得ることが明確な言葉で語られていた。ちょうどパウロがこの世を去る前に書き記した手紙のように、私たちが何をすべきかを問いかけてくるのである。
本書の特徴は神学的問題群が如何に私たちが生きることと密接な関わりをもつのかを明示するところにある。神学者トマス・アクィナスの観想についての洞察が、時代を隔てた哲学者アリストテレスとの深い対話に根ざしたものであることを明らかにしてくれる。さらには現代の私たちに痛切な問いかけをもたらしたアーレントの「悪の凡庸さ」(あるいは「凡庸な悪」)が彼女のアウグスティヌスとの神学的対話に基づくものであることを暗示してくれる。影響関係云々ということではなく、一人ひとりの思想家や哲学者と向き合う時に神学的な背景があるかないかでその読みの深さが変わってくることを本書は伝えてくれるのである。
教皇フランシスコの「無関心のパンデミック」という問いかけはただ知的に優れることをではなく、身近な他者にどう向き合うかを問いかけている。あれをしなさいこれをしなさいという具体的な指示ではなく、一人ひとりがどう他者と出会うことができるのか、どう他者と出会うべきなのかを問いかける教皇フランシスコの言葉に触れることで、読者もまた善きサマリア人の物語の中に自分を如何に見出しうるのかが問いかけられるのである。
本書は言及される本の紹介に留まらず、その紹介される本のエッセンスを引き出し、その中に語られる言葉を通して読者もまたそれぞれに古典との対話へと移り行くことを読者に呼びかけているのである。今、この危機と戦争の時代にあってこそ読むべき書であることを感じた。 -
祈る、そして感じること。
読み直しから始めて改めて原点に戻る。コロナはそれに気づかせてくれたのかもしれません。 -
【この危機を、私たちはどう生きるべきか】歴史を振り返れば「危機」こそが「画期」だった。コロナ禍で顕在化した「危機」への応答を、過去の叡智のなかに探る白熱の神学対談!
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