仏教の大東亜戦争 (文春新書)

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  • 文藝春秋 (2022年7月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784166613656

作品紹介・あらすじ

殺生を禁じるのが、本来の教えであるはずの仏教。それが国と一体となって戦争を推進した時代があった。多くの寺院、文化財を破壊した廃仏毀釈を追った『仏教消滅』の著者が、昭和の戦争に至る、日本仏教界最大のタブーに挑む。
従軍僧の派遣、戦争を正当化する「戦時教学」「一殺多生」の提唱のみならず、梵鐘や仏像などを軍事物資の製造のために供出したり、宗派を挙げて軍用機を献納、軍艦製造に多額の寄付を行うなどの闇の部分に迫るべく、各地の寺院に残る戦争の痕跡を粘り強く訪ね、資料を丹念に掘り起こした、類のない歴史ドキュメント。

・「上野の大仏」が顔だけになってしまった理由
・四天王寺の「世界最大の梵鐘」が消えた
・著者の寺に掲げられていた「開戦詔書」
・「明照(上人)号」「花園妙心号」……各宗派が献納した軍用機
・朝鮮、台湾、満州……植民地は仏教布教のフロンティアだった
・東本願寺の門に「挺身殉国」の大看板 ほか

みんなの感想まとめ

殺生を禁じる仏教が、戦争にどのように関与したのかを掘り下げた歴史ドキュメントで、仏教界の最大のタブーに挑む内容です。著者は、従軍僧の派遣や戦争を正当化する教え、さらには寺院が戦争に協力した実態を詳細に...

感想・レビュー・書評

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  • 殺生を戒める<仏教>が、無差別の殺戮を伴う戦争に直接的・間接的に関わったのか? 仏教教団のトップが戦争を煽る発言や戦勝を願う祈祷を繰り返し、植民地では次々と寺院が建立された時代を俯瞰し、いまも残る戦争の傷跡と仏教界最大のタブ-に触れた歴史ドキュメント。 明治の「廃仏稀釈」の壊滅的打撃からの仏教界の存続を懸け、昭和初期の「皇道仏教」という天皇に対する忠孝思想〝天皇は阿弥陀仏である〟と曲解し、国家の手先となって戦争加担した事実を認め謝罪したこと、反戦を貫いた僧侶のことなど、詳細な記録のノンフィクション。

  • まず、よくここまで取材したのだと思います。
    筆者は僧侶でありながら仏教界のタブーに切り込む。
    国家神道の影に隠れていますが、各宗門もかなりのものです。戦国時代にも陣僧という従軍僧は存在しましたがそれとは明らかに性格を異にします。
    そういえば学生の頃、取材で見せて貰った古い回向本も、戦中のものは、ん?と思う書き換えが多々ありました。
    特に若い僧侶の方には読んで頂きたい。

  • 「仏教は平和宗教」という根拠のない共通認識が何故かなんとなく存在するなか、よく考えれば、全ての宗教が平和宗教に決まってるし、仏教だけが宗教戦争が少ないように見えるが、それもちゃんと調べれば怪しい。という前提で読んでみると、宗教の効力というのは、国政の前にあまりに無力で非力で無意味である、と感じさせられる。仏教が大東亜戦争を起こしたわけじゃないが、日本仏教界が戦争協力した事実を追いながら、宗教の役割について再検討することになる。

  • 刺激的なタイトルは著者の”はじめに”の末を参照。

    物足りないという評も分からないではないが
    ジャーナリストで現役の僧侶でもある著者による
    明治維新以降の権力側と仏教教団との関わりの通史として
    十分に読み応えのある内容では。

  • 浄土宗寺院の住職でもある著者は、まだ10代の頃、太平洋戦争時の「開戦詔書」が本堂にうやうやしく飾られていることに気づく。著者の祖父(先々代の住職)は戦時中、志願して陸軍に入隊しており、どうやら「軍国青年」であったらしい。殺生を戒め、慈悲や寛容を説くはずの仏教者が侵略戦争に加担するという矛盾。困惑する著者。それから30年、調べれば調べるほど「仏教界最大のタブー」と言うべき、戦争との深い関わりが見えてきた。

    歴史をさかのぼると、その始まりは明治維新の際に新政府が発した神仏分離令にある。それまで分け隔てなくあがめられてきた神と仏を明確に区別することが宣言され、天皇を中心とする国家神道体制が打ち建てられていく一方で、全国的に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、仏教は大打撃を受けた。これに怯えた仏教界。各宗派が競い合うようにして過剰なまでに政府にすり寄るようになり、やがて植民地政策や侵略戦争までをも正当化していった。

    読んでいてとくに驚かされたのは、各宗派・宗門トップの号令のもと、「天皇制の下での仏教ファシズム(皇道仏教)」という新体制が敷かれていたという事実。「絶対的な存在、天皇を支えるための仏教」として、「天皇は阿弥陀仏である」などとのたまい、戦中は「敵はもはや人間ではない、人間でなければ、殺しても不殺生戒を破ったことにはならない」といった極論を唱え、仏教教義そのものまで変質させていたという。

    ほかにも、諸宗派による政府への献金とロビー活動、大陸への進軍に付き従っての布教拡大、従軍僧の戦闘への参加、戦闘機や軍艦の献納、などなど、数々の事例が、関係した人物とともに紹介されている。中には、僧籍剥奪・永久追放などの厳しい仕打ちを受けながらも反戦の姿勢を貫いた僧侶が、わずかながらもいたという。有名な大逆事件に連座して逮捕され、獄死した僧もいた(戦後何十年もたってから名誉回復されている)。

    本書の主題は仏教界にとどまらず、日本という国そのものの一大タブーと言えるかもしれない。
    ベースとなる明治維新からの流れは、同著者の前著『仏教抹殺』を読んでいたので、とてもよくわかった。未読の方には、そちらを先に読むことを強くお勧めしたい。

  • ざっと。仏教界が、というより、多くの業界が自らの生き残りをかけて戦争を支持し、参加し、賛美し、あるべき姿から曲解して姿で物事を進めていたのではないか。しかし、天皇を阿弥陀如来にしたり、戦勝の祈祷を行なったり、戦闘機まで寄付していたとは驚き。

  • 明治維新以後、神仏混淆や農地改革の仏教への影響。仏教の生き残り政策として、仏教界が政治と結びつき、戦争に協力していた経緯の記録。著者は寺の住職も勤めている。戦争に加担したことには否定的だが、金属供出で鐘や仏が破壊されたことなどを残念がるところは仏教界の側の人だと思った。著者の意に反して、私は読みながら宗教は本当に必要なのか、どのような役割を果たしているのかなど、考えてしまった。

  • ・幼いころからの疑問だった。宗教があるのにどうして戦争が始まったのか。戦時中の宗教界の動きはどのようなものだったのか。軍部の暴走、特高などによる言論封鎖で何もできなかったのか・・・と思っていたが、そうではなかった。

    ・「真俗二諦の仏教」「皇道仏教」というものがあったことを知る。占領地での布教活動は支配権がその地に及んでいることを明確に示すものとなる。また、積極的に戦闘機を軍部に納め戦争に加担する。戦地に赴く僧侶もあった。そこで何が行われたかは想像に難くない。

    ・戦争当時、戦争に反対する僧侶もいたことが本著には記載があるが、あくまでもそれらの僧侶は、社会主義、共産主義といったイデオロギーを身につけた僧侶によるものだった。純粋に宗教の教義から戦争に反対したという記述は見当たらない。

    ・以上から、平和や道徳は宗教から導き出すことができないという理解に至った。人間はその時々の価値観や状況に合わせて都合の良いように宗教の教義までも変えてしまう生き物なのだということが分かった。


    ・保元寺住職里見氏へのインタビューが心に残る。

    Q.「仮に将来、再び戦争の機運が高まってきたとするならば、日本の仏教者はどういう立場をとるか?不殺生を貫き、戦争に反対することはできるのか?」

    A.「反対できると信じている。(略)昔よりはるかに自由に反対意見がいえる社会ではありますから・・・」

    なんとも心許ない。反対意見が言えない社会なら、宗教者は戦争に反対できないと言っているように聞こえる。憲法が発言の自由を認め、心理的安全性が保たれる場合のみ、反対するというのか。

    ・また、本著の締めくくりも薄い。

    「宗教の役割はつまるところ『恒久平和の実現』なのだから」。

    著者は浄土宗の僧侶でもあるのだから、浄土宗の教義から、またはキリスト教など他の宗教も含めた「宗教」というものから、どのようにその考えが導き出せるのかを示してほしかった。前述の通り、人間はその生きる世界の状況で宗教に持つイメージや教義の解釈にブレが生じることが分かっている。現在、平和を希求する心を持つことは普通であると思われるが、その立場から述べられる意見は、戦時中の皇道仏教者たちの述べることと(内容は異なれど)本質的には変わらない。誰がどの時代に生きようとも、教義、経典からは「恒久平和の実現」が導かれるということを証明してほしかった。

  • 九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
    https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/1407995

  • 現職の住職である著者が、戦時中に全国各地の寺院が政府の要請により、また、むしろ積極的に戦争に協力していた状況を丹念に取材した力作。
    それは元々明治の廃仏毀釈に端を発していたが、第二の廃仏毀釈は自らの手による自滅であった。

  • 10月12日新着図書:【殺生を禁じるのが、本来の教えであるはずの仏教。それが国と一体となって戦争を推進した時代があった。 日本仏教界最大のタブー、闇の部分に迫ります。】
    タイトル:仏教の大東亜戦争
    請求記号:180:Uk
    URL:https://mylibrary.toho-u.ac.jp/webopac/BB28204277

  • 2022年9月読了。

  •  殺生を戒める仏教が明治以降いかに戦争に協力したか。廃仏毀釈、寺領没収からの生き残りをかけて仏教界は政府に接近。日清・日露戦争からは従軍僧侶の参加。満洲、朝鮮、台湾での開教。東西本願寺派は中でも積極的だったようで、現在でも寺院跡が残るのに納得が行った。
     大東亜戦争期には銃後の支援に加え戦闘機献納、鐘など金属供出、寺での軍駐留や学童疎開、戦死者への戒名、一方で空襲による被災。
     事実の羅列が多くやや冗長な反面、当事者の思考や協力理由への考察がやや不十分に感じた。住職である著者は仏教の戦争協力にかなり批判的で、「衝撃を受けた」「胸が苦しくなる」と書いているが、仏教界の外にいる自分には、政治との関係につき何を今更という印象も受ける。また戦後のGHQ改革で、地主として農地改革による土地喪失を被害者的に記述しているところ、寺院はやはり特権階級だったのかとも思う。
     また、本書で見る戦争協力は、良くも悪くも仏教が社会と密接だった時代の証左ではないか。現代のように葬式仏教と観光地化した寺院ならば社会の雰囲気と距離を置くことも可能だろうが。

  • 東2法経図・6F開架:182.1A/U58b//K

  • 【日本仏教界最大のタブーに迫る!】「一殺多生」による正当化、軍用機の献納、仏像や梵鐘の供出、植民地での布教。昭和の戦争を推進した仏教界の語られざる真実。

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著者プロフィール

正覚寺副住職、元「日経おとなのOFF」副編集長

「2019年 『ビジネスに活かす教養としての仏教』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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