徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

  • 文藝春秋 (2023年2月17日発売)
3.77
  • (22)
  • (62)
  • (38)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 615
感想 : 55
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784166613892

作品紹介・あらすじ

徳川幕府が二百六十年隠してきた真実を暴く! 信長、信玄、そして秀吉。圧倒的な強者を相手にしてきた家康はつねに「弱者」だった。それがなぜ天下人となったのか? そこには弱者だから取り得た戦略、ライバルからの旺盛な「学び」があった。第一人者が家康の実像に迫る。

みんなの感想まとめ

歴史の中で「弱者」として位置づけられていた人物が、どのようにして天下人となったのかを探求する作品です。著者は、徳川家康の実像を明らかにし、彼が信長や秀吉といった強者たちから学び、成長していく過程を描い...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  オーディブルの日本史の著書を片端から読んでいますが、これはとてもいい著作でした。天才信長は、実力本位で普通なら登用しない人材を中心人物まで引き上げるほどの器量を持っていたにも関わらず、その中心人物に裏切られて天下統一を目の前にして暗殺されてしまう。そして豊臣秀吉は、信長の遺産を絶妙に引き継いで短期間で天下統一を果たすのだからこれも天才である。それに対して徳川家康は、幼年時には今川義元に育てられ、織田信長と敵対する陣営にいたにも関わらず、信長の忠実なパートナーとして様々なパワハラに耐えながらも秀吉に伍する実力を身につけていく。その二人の天才の成果を全て引き継ぎ、しかも徳川の世を260年も継続させる家康は、すごいのだけれど、天才ではないからこそ、じっくりと準備したのだ。そして部下に安心感を与えたからこそ大きな謀反も起こらなかったのだ。ちょうど最近読んだ「日本史のなかの兄弟たち」と複層的な著作だったのでとても勉強になりました。

    • ぴりさん
      読んでいませんが、とても分かりやすく的確な感想ですね。
      部下に安心感を与える事、すなわち忠誠心を持たせる。
      現代にも通じる事ですね。
      早く読...
      読んでいませんが、とても分かりやすく的確な感想ですね。
      部下に安心感を与える事、すなわち忠誠心を持たせる。
      現代にも通じる事ですね。
      早く読んでみたいです。
      2025/07/19
    • 雷竜さん
      いつもコメントありがとうございます。歴史はとても大きな教訓を教えてくれるのですが、ぼくは少しもそれを生かせません。どんなにえらい人でも欠点が...
      いつもコメントありがとうございます。歴史はとても大きな教訓を教えてくれるのですが、ぼくは少しもそれを生かせません。どんなにえらい人でも欠点があって、必ず失敗もするところが面白いですね。
      2025/07/20
    • きたごやたろうさん
      「いいね」ありがとうございます。

      この作品はおもしろそう!
      「いいね」ありがとうございます。

      この作品はおもしろそう!
      2025/07/20
  • 祖父も父も殺されて自身は人質に取られるところから始まるところは弱者だろうが、武田信玄と織田信長に挟まれて数々の修羅場を超えていく辺りから武将としてのブランドは高まっていたように思う。興味深いのは関ヶ原以前では武田信玄や豊臣秀吉といった大物達と戦っているが遂に信長とは干戈を交える事は無かった。律儀者という評価だが本能寺の変後に勝手に領土を接収している。弱者というより抜け目ないと感じる。

  • 面白かった。

    最近、国際情勢が激しいよね。それと、国内政治を考えることもある意味では面白くなってきた。
    誰に入れても同じこと…という虚しさを払拭してくれる…そんな気配を感じていることだけでも奇跡。。。

    そんなわけで先人に学ぶことも多いのでは?と思って読んでみました。

    学ぶこと、多かった。

    よく比較対象になるお三方。
    信長、秀吉、家康…もちろん、彼らの背景には沢山の知恵者が揃っていて、各々のつながり方も違うのだけど、わかりやすく組織として、またはリーダーとして比較されているので、そこを抜粋。


    信長型→求心力が強く急速成長可能だがブラック化しやすく、メンバーが「信長疲れ」を起こす。
    (強烈なカリスマ性、力による圧迫ゆえに)

    秀吉型→強い成長、拡大路線には強いが、朝鮮出兵の失敗のように行き詰まると「秀吉疲れ」。

    家康→若くして人質となり、今川家の「権威による支配」か織田家の「力による支配」かというテーマと向き合った→今川氏真の無力さを目の当たりにして権威による支配に見切りをつけ、織田の「力による支配」に寄るも本能寺の変で、一直線に力の支配を追求した失敗を見る→その両方の限界を知る


    そして→「互酬信用・棲み分けによる支配」にたどり着く→日本社会によく適合し長期政権となる。


    ****************


    家康は元々、武田、今川、織田などの強国に囲まれた中でいかに生き残るかを考え抜いた人だったことがわかった。大勢を見極め、広く視野を持ち、一方で武人としての志しを一貫して通し人としての信頼を失わないような生き方を目指していた点が揺るぎない徳川幕府としての地盤を築く重要なポイントだったことを教えてくれる。

    日本もロシアや中国、北朝鮮、といった核保有国に囲まれている中で不穏な世界情勢を考えると、この家康の人生は何かをアドバイスしてくれるような気がするかな。。。


    ****************

    最後に。
    お三方の辞世の句を。
    ここにも大きな違いがみてとれるので。

    信長→「死なうは一定、しのび草には何をしようぞ、一定かたり遺すよの」(人は誰でも死ぬものだ、生きているうちに何をするか、人は語り残してくれるだろう、生きているうちに語り草になるようなことをやるべきだ)

    有名な「人間五十年、下天の内をくらぶれば、ゆめ幻のごとくなり」も同様で自分死んだらそれまでなんだ、ということ。生物は個体単位で消滅するとみる信長の人生観が伺えます。


    秀吉→「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢」有名なものですが、やはり、一代で天下をとっても、死んだら全て夢のようなものだ、と。
    やはりこれも、「消える人生観」です。

    家康→辞世の句というよりもこういう句を詠む人という意味で…「先に行くあとに残るも同じこと連れていけぬを別れとぞ思う」(これは殉死を思いとどまらせる歌です。死後に残された人にポイントを置き、自分がいなくなっても徳川の世を続けよ、というメッセージになっています。

    もうひとつ…
    「嬉しやと再び覚めて一眠り浮世の夢は暁の空」
    (目が再び覚めて、うれしいな、また一眠りする。現世で見た夢は、また東から世を照らす日が昇ってくる空だった)

    なんとものんき、らというか、明るい辞世です。
    彼の死生観は2人とは全く異なっていて、信長、秀吉が「消えゆく人生観」に対し、家康のそれは「再生、永続の人生観」です。ここに家康の原点があるように思いました。

    弱く小さいなら敢えて力や権威に頼るのではなく、共に生きる、共生、互助によって生きようよという処世術を通して大きなメッセージをもらえたように思います。

  • 久しぶりに日本文学の本を読むことができてよかった。教科書では語られなかった徳川家康が全盛期ではない時の動きやその時期の家康の権力的なものを知ることができて良かった。五章では天下人になれなかった明智光秀と天下人になれた豊臣秀吉や徳川家康が対比されていて、誠実さや正直さといのが人々から信頼を受けやすく上に立つものが持っている物と語られていて、それは今でも必要なことだなと偉人から少なからず人生のヒントを得ることができたと思いました。

  • 戦国の世に、周囲三方を強国(駿河・遠江の今川家、尾張の織田家、甲斐の武田家)に取り囲まれた三河の三河の弱小大名であった家康が、どのようにして天下を手中にし、しかも260年も続く政権を築けたのか?歴史学者<磯田道史>氏が、史実と伝説をふるいにかけて解き明かした、弱者の戦略に学ぶ歴史講和。▷三河武士の赤誠と忠勤によるもの ▷家康の優れた外交力(三大国に囲まれて、いかにして生き残るか―すべてを敵に回さず、最低一つ、できれば二つと同盟を結ぶ) ▷よいと思ったものは、敵からでも積極的に学び取ること。

  • 大河ドラマの影響で、様々な徳川家康関連本が出版されていますが、テレビ番組等で活躍する著者がこれまでと異なる視点から家康の戦略を述べた一冊。
    著者の視点は明確で、冒頭で次のように述べています。
    ○家康は、三河の弱小大名であったのに、なぜ・どうやって天下を手に入れ、しかも260年も続く、政権を築けたのか?
    ○読者の参考になるように、家康のその「弱者の戦略」をみてもらう

    大まかに歴史を振り返りながら、キーワードは「武威」と「信頼」だという視点で解説されており興味深い内容です。この戦略により天下統一を果たしたわけですが、その支配のあり方が現在の日本に影響しているということがよく言われるわけですが、逆に、日本の国民性がこうだから、家康の考え方、支配の仕方で統一できたとも言えるのではないかと感じてしまいました。

    さて、今回の大河でも史実かどうかという意見がよく聞かれます。本書を書くにあたり、著者のスタンスが個人的に納得いくものでしたので、そのまま引用しました。

    ○大切にしたい視点
     専門家の難しい歴史書は「史実」の追求に血眼になります。それをあまりやりすぎると、読者が置いてけぼりになってしまいます。史実も大切ですが、史実には必ず「尾ひれ」がつきます。学者は必ず、その尾ひれを切り捨てるトリミングをしてしまいます。「素朴一次史料主義」というやつです。当時の一次史料だけを確かな史料とみなし、後世の史料や伝聞の記録を全部捨てます。見向きもしません。
     しかし、それでは、かえって歴史の真には迫れないのです。というのも、歴史は伝えられるなかで尾ひれがつきますが、その尾ひれのつきかたにこそ、歴史時代の人々の心があらわれる面もあるからです。

    <目次>
    はじめにー家康はどうしたのか!
    第1章 「境目の土地」三河という運命
    第2章 信長から学んだ「力の支配」とその限界
    第3章 最強の敵・信玄がもたらした「共進化」
    第4章 二つの滅亡 長篠の合戦と本能寺の変
    第5章 天下人への道

  • どうする家康の放送に便乗した本である。
    分かりやすく説明され、かつ最新の研究についても説明されている。

  • 戦国時代の三英傑の1人、徳川家康。彼の功績を弱者という立場から解説していく新書。著者の磯田さんは歴史研究の中でも分かりやすく解説してくれるので読みやすかった。実際に家康は家柄が良くとも幼い頃から人質として今川家に仕えていたためいつ殺されるか分からない状況でもあったため弱者といえるだろう。その後も家柄を守るため強者の信長や信玄、秀吉たちと上手く立ち回り最終的に天下をとる。これを読むと家康はバランスがよく強弱の使い分けが上手かったように思う。また家臣との関係性をこれも上手く使いこなしていたように思う。興味深かったのは酒井忠次をナンバー2とする書き方。実際に有能な武将であっただろうがあまり細かい書き方をされないタイプの武将だったため面白かった。

  • NHKの歴史番組でもおなじみの磯田先生。独自の視点で家康をとらえます。運もさることながら、やはり学びですね。家康自身信長や秀吉、吾妻鑑からも多くこと学んだ。そして江戸幕府とつながった。棚から牡丹餅的な言い方をされることが多い家康ですが、実像はそんな簡単なものではなかったと思います。

  • 【大河より面白い! 天下人ができるまで】人質、信長との同盟、信玄との対決……次々に襲う試練から家康は何を学んで天下を取ったのか。第一人者が語り尽くす「学ぶ人家康」。

  • 徳川家康は幼少期から織田家や今川家に人質に出されるという環境の中から、弱者の視点で自分や自分の環境を冷静に分析し江戸時代の徳川治世を作り出した。その中でも印象に残ったのは大きく2つ。1つ目は武田などの強豪との戦いの中で敗戦にも全滅せず生き残り徐々に戦い方を見つけて力をつけていったこと。負けを認め改善する姿勢。2つ目は信長や秀吉の成功や失敗の中から中から、「権威での支配」と「力での支配」について学び常に実践していた事。自身の権威や徳を高める(そう見せる)ため自身のふるまいや言動を演じていた事や力を見せるため難しい戦いも逃げない姿勢を見せ続けるなど内外に統治者として徳川を刷り込み続けていた。弱者だからこそ細部にわたり油断なく作り上げたのだと感じた。自身の役割を果たすためには、失敗を受け入れ改善すること、細部にわたり理想を演じつづける力をつける事(演じ続ける意思を持続することかもしれない)の必要性を学べた本でした。

  • 徳川家康が弱者から強者に移り変わっていく様や、その時々に意識していたであろうことについて知ることができた。
    現代を生きていく上で、場面場面によって私自身が弱者になることも強者になることもある。その際にこの本に書いてあったことが参考になってくるのではないかと感じた。

  • 大河ドラマから徳川家康興味がわき、この本を読んだ。よくNHKで拝見する磯田先生、分かりやすく、勉強になりました。「人の振り見て我が振り直せ」こそ家康がリーダーに登り詰めた秘訣ではないかと感じた。

  • 今年(令和5年)の大河ドラマのテーマは家康です、明智光秀をやった時以来ですが毎週楽しく拝見しています。今まで何度も家康が大河ドラマでも取り上げられてきたと記憶していますが、振り返ってみると年配の大俳優が演じていたのもありますが、かなり美化されていたように思います。

    さらに、大名としてかなり勢力を持ってから幕府を開くまでに焦点が当てられていたようで、失敗しない手堅い大名として描かれていたと思います。ところが今回のドラマでは、苦悩する家康が表現されています。そして歴史を勉強していたときには殆ど登場してこなかった、今川義元の嫡男である今川氏真との関係も数多く触れられていて、私にとっては新鮮な徳川家康像を見ることができたと思います。

    こんな状況である私が、この本を近くに立ち寄る本屋さんで見つけました。徳川家康は戦争は上手でない、と始めた言い切ったのは私が知る限りでは、本郷和人でした。その時は衝撃を受けましたが、この本のタイトルにも驚きました。

    家康は弱者であり、彼なりの戦略があったということがこの本に解説されています。家康の成長の秘密に触れられたと思いました。学び続けた家康が、信長・秀吉がなし得なかった、自分の代以降にも揺るがない政権を作り上げたのはこのような姿勢があったからで、これは現代の私達も大いに学ぶ点があると感じました。

    以下は気になったポイントです。

    ・家康は大名をやらされたその運命自体が苦痛だったと思われる、天下取りの意欲を持っていたとは思えない、その理由は、家康が生まれた三河という地が、地政学的に非常に過酷な環境にあったから。いつ滅びてもおかしくないくらい危うい状況に置かれた小国に、家康は生まれたから。天下取りどころか、家の再興、存続を考えるだけで頭が一杯だっただろう(p11)

    ・三河の場合、日本の陸の潮目に位置していた、日本列島は地質学的に行って、二つの島から出来上がっている。その継ぎ目、裂け目が本州の中央にあるフォッサマグナで、その西縁は糸魚川ー静岡構造線と呼ばれる。これが実は政治文化の上でも、東西の境目になってきました。日本史上、このフォッサマグナあたり、駿河・遠江・三河・尾張のエリアおを境に、大きな衝突が起こり、文化的にも社会的にも東と西が分かれる傾向があった点は重要である(p13)

    ・ヤマトタケルを最後まで苦しめたのも、この地域であった。野原で火攻めに遭い、草薙の剣で難を逃れたのが静岡の焼津で、それを奉納したのが終わりの熱田神宮である(p14)

    ・熊野の鈴木というのは、中世、熊野比丘尼と呼ばれた、諸国にいた女性たちを束ねている家が鈴木家であった(p18)

    ・江戸時代の家来は主君に仕える代わりに俸禄などの報酬をいただくが、中世の主従関係は逆で、家来になる方が上納の財やサービスを持っていくことが多い、サービスして家来扱いしてもらい、権威付けしてもらったり保護を受けたりするのが中世的な被官関係である(p22)

    ・桶狭間の戦いの目的は、西三河から熱田・半田といった尾張の東南部をとりあえず確保し、信長の居城を囲めば御の字といったところであった、東南部の熱田・半田は水運の拠点であり、織田家の力の源泉となっていたから(p36)

    ・家康に学ぶべき小国の知恵は、良いと思ったものは敵からでも積極的に学ぶことであった。自軍のアイデンティティというべき主力部隊のコンセプトを敵であった武田からためらうことなく取り入れている(p45)

    ・秀吉の行った太閤検地により、今川の支配下にあった駿河国(静岡市などの静岡県中部)は約15万石、遠江国(浜松市を含む西部)は25万石であり合わせて40万石、対して尾張国は1国で57万石、三河国は29万石であった(p48)

    ・桶狭間の戦いの後、家康は岡崎城に入ったという選択は重い決断であった、これは最前線に身を置いて織田勢の攻撃を受け続けることを意味するから、今川から派遣された城番は駿府に引き上げていた(p55)

    ・尾張と美濃を両方支配できたら、東海道と中山道の両方を押さえられる、さらに近江に進んで領有できれば、京都に入れ天下の権を握れる。信長にとって美濃はまさに「天下への扉」であった(p61)

    ・家康は権威信仰を捨てて、信長風の「実力を信じる」方向へ傾いていった、家臣たちを信頼し利益を図ってあげると彼らも命懸けで働いてくれる。すると家康の側もさらに家臣たちの忠義に応えようとする。三河武士団にこのサイクルが出来上がった、こういう信頼の互酬関係で結ばれた集団は武士団でも企業でも強い(p65)

    ・家康の凄さは、信長の失敗、ダメな点を学んだところにある。一言で言えば「信長疲れ」を見破った、秀吉も信長以上に家臣・領民の「秀吉疲れ」を巻き起こす存在であった(p72)信長、秀吉、家康の三者を比較するなら、信長は価値観も含め一元的に服従させる権力、秀吉は全てを飲み込もうとする権力、家康は棲み分ける権力ということになる(p76)

    ・なぜ中部、南九州、ついで東国に強豪の戦国大名が集中したのか、この地域は京都に近い近畿ほど、お寺・神社や住民自治(惣)の抵抗が強くない。それで年貢や家屋税(棟別銭)が撮りやすい、また土が関係している。黒ボク土という火山性の土壌が分布する地域で、牧畜、馬産に適していて、良い狩場でもある(p81)

    ・信玄との衝突が不可避と見ると、腹を括って最強軍団・武田を敵に回して、その宿敵・上杉と結んだ。今川氏真や北条氏政が勇断を避けて没落していったのに比べて、家康の外交戦略や果敢かつ大胆なものであった(p95)戦うときに戦わないと求心力が失われ家臣たちの離反が始まる(p105)

    ・酒井忠次が優れているのは、指示が具体的で的確なこと、人に調査を依頼するとき「様子を見にきてくれ」といった曖昧な言い方では、たいていうまくいかない。これは指示を出す方が悪いのであって、細かいところまで想像力を働かせて「どこで何を確認せよ」といった具体的な命令に落とし込まなければ調査の実は上がらない(p103)

    ・敵の最強軍団をリクルートしてきて、自軍の中核に据える大胆な軍事改革の人事は家康しかやっていない、家康は外部のものでも本当に優れたものなら、躊躇なく取り入れる革新性を併せ持っていた、これも彼が天下を取れた要因の1つである(p109)

    ・武田勝頼と信長・家康連合軍との間で血みどろの戦いが継続された、そこで要となったのが3つの城(東から、高天神・二俣・長篠)であった、武田家が西に進出してくる時、ここで押さえなくてはならない地が、この3つの城であった(p114)

    ・長篠の戦い以後、勝頼の命運を握っていたのが、遠江に残された武田方のクサビ、高天神城(岡部元信城主)であった、徳川方は補給路を遮断し、周りに砦を6つも築いて攻め続けた、これに対して勝頼は武田家当主として援軍を出せずに落城した、この時に勝頼は当主としての政治的生命を失った(p136)

    ・石川数正を秀吉に取られて、まだ1ヶ月もしないころ、秀吉方から上洛を促す使者がやってくる、その翌日の夜に中部地方に大地震が起きた、これで秀吉が濃尾平野に築いた前線基地は軒並み破壊された、大垣城は崩壊・火災、長浜城も倒壊した、一方家康の領地である三河は大きな被害は受けなかった(p163)

    ・家康が江戸地方へ転封される前の石高は150万石(6万人派兵可能、実質4万人)であったが、関東8カ国で250万石は家康にとって必要な石高であった。さらに引越し先の関東で家臣たちに与えられる土地は、全て家康のおかげでもらえる土地であり、家臣に対する家康の力はさらに強くなる(p166)

    ・大御所時代の駿河は、朝鮮・オランダ・イギリス・スペインなどから使者が訪れる外交拠点となった(p185)

    ・鉄の武士はメッキして金の力(天皇・公家)を借りるのが最強になれる秘訣である、家康はそれを看破していた、弱者・家康が辿り着いた最後の戦略は「文化」の重視であった(p187)儚い個人が夢を求めて闘争を繰り返す戦国時代は、家康によって消去された。家康が掲げた「個人の安心」「家の存続」こそが、まさに天下万民の望むところとなっていった、だから徳川の世は260年も続いた(p190)

    2023年3月20日読了
    2024年3月21日作成

  • 徳川家康の生涯から何を学ぶか、それを書いたものは色々とありそうだが、実はなかなか難しいテーマだ。あまりにも時代が違うことや、さまざまな研究が進んでいることなどがその理由である。しかし、この本は、多くの資料をあげて、うまくまとめている。家康が武威を掲げ、信頼を得ていったことなどが説得力を持って述べられている。

  • とっつきやすくて読みやすくてイイよね。

  • ●「天上人」から逆算したのではない、リアルタイムでの家康の実像はどうだったでしょうか?
    ●家康が生まれた三河と言う地が、地政学的に非常に過酷な環境にあったから。いつ滅びてもおかしくない位、危うい状況に置かれた小国。天下取りどころか、家の再興、存続を考えるだけで、頭がいっぱいだったことでしょう。
    ●家康ねルーツ。松平親氏は元は徳阿弥と言って、諸国を渡り歩く僧侶(時宗)でした。
    ●人質生活を続け、10年以上、三河にいなかった19歳の家康が、帰国後一気に求心力を持ちえたのは、なぜか。三河の人たちが、少年時代の家康を知らないことが、かえって、カリスマ性の獲得に、プラスに働いたからではないでしょうか。

  • 磯田氏は乗っかった感じです。
    私はNHKを執ります‼️

  • 2024.10.2
    最新の歴史学、文献学から見た徳川家康の生き方。「弱者」という視点で分析していることにリアリティを感じました。

全46件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

磯田道史
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年4月より国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『無私の日本人』(文春文庫)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイストクラブ賞受賞)など著書多数。

「2022年 『日本史を暴く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

磯田道史の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×