子どもの体験 学びと格差 負の連鎖を断ち切るために (文春新書)
- 文藝春秋 (2025年4月18日発売)
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感想 : 51件
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784166614912
作品紹介・あらすじ
「体験格差」という言葉の響きがもつ薄気味悪さを手がかりに、
大人たちを「体験の詰め込み教育」に駆り立てる「呪い」の正体に迫る!
大学入試の変化や非認知能力ブームで、子どもの体験までもが課金ゲーム化している。親たちは体験の詰め込み教育に駆り立てられ、子どもたちは格差意識を刷り込まれる。まるで「体験消費社会」だ。
体験をたくさんしたほうがいいと煽られた結果、お金のある家庭の子どもたちはたくさんの習い事をさせられ、かたやお金のない家庭の子どもたちは遊ぶ相手すらいない状態で地域に残される……。そんな、小学生たちの放課後の分断が、あるNPOの調査結果から浮かび上がってきた。
著者は、100年以上の伝統があるキャンプから、プレーパーク、無料塾、駄菓子屋さんまで、体験を通した子どもたちの学びの現場を訪ねる。現場からは、「体験格差」という概念そのものに対する疑念や困惑や批判の声が相次いだ。
本書は最後に、体験消費社会に対して3つの警告を発する。著者が発する3つの警告について、体験格差解消を掲げて活動する複数の団体からの回答もそのまま収録されている。
みんなの感想まとめ
体験の重要性とその格差について深く考察されている本書は、現代の教育システムにおける「体験消費社会」の問題点を浮き彫りにします。親たちは子どもに多くの習い事をさせることで、良い人生を送らせたいと願います...
感想・レビュー・書評
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こどもにより良い人生を送ってほしいという親心から、習い事を選んでいたつもりだが、自分の不安を解消したいだけだったかもしれないと反省。
共働きで時間をつくるのが難しく、そんなに多くの習い事はさせてあげられないことに後ろめたさを感じていたが、そんな心配よりもこどもが自分で好きなことを見つけていく可能性を信じてあげることが大事なのかも。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
体験はないよりはあった方がいいと思うが、今はそれが極端になっているように感じる。周りがそうだと同調されやすいのが人間だし、学校では個性よりも協調性が重視されるために子も親も型にハマりやすい部分があると思う。ただ、理想的な話ではあるが、多くの人々が消費を求める現状で格差を断ち切ることは簡単ではないだろう。子どもに期待して体験をさせるのではなく、子どもがやりたいことを後押しできるような親でありたい。
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子どもの習い事について色々悩んでいたので読んでみました。
内容は、体験格差の定義、社会的な構造などについて書かれています。
著者が教育ジャーナリストということもあり、教育に関するカタカナも多く、慣れない人はこれどういう意味だっけ?となるかと思います。
体験格差について考える機会がないまま、TV、雑誌などで取り上げられるので体験(習い事、旅行など)について新しい視点を持つことができました。
体験についての私の解釈は、以下の通りです。
体験は、多くしてほしい(チャレンジをしてほしい)。
しかし、その体験をやる前に子どもの判断でどの体験をするのかを選ぶ機会を設ける。
やりたいと思わないこと(気持ちが入らないこと)をしても能動的な作業となり、新たな学びにはつながりません。
親にできることは、この体験の種類を多く提供しすることで、何が自分の好みなのかを判断する材料の提供です。
あとは、家族で体験するのか、友達と体験するのかなど誰と体験するかを変えることでまた新たな学びになると思います。
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功利主義的な発想で子どもたちに習い事などを詰め込むことに対する警鐘。
どのようテーマでも、資本主義からくる歪みがあるのだと感じる本でした。
ただ、正しいことをマイノリティが叫んでも、どう世界が変わるのかという虚しさも感じました。 -
小学生の我が子に体験学習型の習い事や夏休みの体験イベントを熱心に勧めている自分がまさに本書で戒められたような気分だ。
自分でも知らないうちに、人生や人格の豊かさが子どもの体験で決まるような思い込みがあった。
ただ、現在の社会では、子どもだけで外で過ごさせる・遊ばせることもできない。公園は禁止行為の注意書きの看板があり実質何もすることができない。外は不審者がいるからと子どもから目を離すことは許されない。親は大抵共働きで、学校が終わったあとは学童に預けられ、外で自由に過ごす時間なんてない。
そんな環境だから、子どもに習い事をさせなくてはならない。そうでもしないと、子どもは何も体験することができない。我が子も週に3日の習い事があり、友達も忙しいと遊ぶことも難しい。
社会環境は最悪だ。
本屋に行けば非認知能力を謳う本が並んでいる。
「〇〇力」という、ほんとにそんな能力があるのか分からないけど、メディアでは当然のように使われてる。
非認知能力を子どもに獲得させて、勝ち組にさせたいという誤ったマインドセットはなくしたいと思った。これからは親の価値観を押し付けず、子どもの意思を見守って育てたい。 -
なぜ子どもの体験サービスはこんなに高いのか?
私も疑問に思っていました。
子どもが消費者にされている。
子どもがビジネスに取り込まれている。
なぜ私たちの社会はそれを許しているのでしょうか。
今は子どもがやりたいこと、好きなことを見つけてあげることが親の使命のようになり、あらゆる体験をさせて子どもの反応を見ている。そんなふうに、私には見える。
教育は「親ガチャ」のように言われて、子どもが優秀ではないこと、子どもに頭抜けた取り柄がないことは親の責任のように感じてきた。この本は、そんな視点で子どもを見ていることがおかしいんだよと教えてくれる。
体験格差を切り口に、なぜ体験が消費される社会になったのか、私たちが煽られて体験させなきゃと思わされているかを説明してくれる。
負の連鎖を断ち切るためには、子どもたちを体験の数で比較して、数が少ない人を支援するのではなくて、社会に包摂してあげることの大切さを説く。
社会を良くするためのアプローチを、知恵を絞って考えるきっかけを与えてくれた。 -
ネット上でみたこの本のための五味太郎の談話(というか毒舌)↓がよかったので読んでみようと思った。
「体験格差」という考え方が親たちを体験への課金に駆り立て子どもに格差意識を刷り込んで「体験詰め込み教育」「体験消費社会」を加速しているのではないか、という懸念・危惧を全面に出しつつ、その「呪い」の正体に迫り処方箋を提案する本。
たしかに、食べるにも事欠くとか家庭で親が料理する姿も見たことがない、というような最低限の体験の欠如への手当は必要かもしれないが、一般的には大小の体験にいいもわるいもなければ、多ければ多いほど豊かというものでもない。「コンピテンシー/非認知能力」だって、あまりに総花的すぎてけっきょくなにも言ってないに等しいし、まずは大人が落ち着こう、という話。
「大人のよかれは子どもの迷惑」というのはわたしもずっと思っていることで、いまは大人も子どもも将来の幸せや成功のために「今」をあまりに犠牲にしているのが息苦しさの正体の一つだと思っているので、著者の提言はおおむね共感できるものだった。どんなによかれと思っても「与えられた」「させられた」と感じてしまったら得らるものは意図したものとまったく異質になってしまうと肝に銘じたほうがいい。五味太郎のいう「上品だと言われるものばかりを見ている下品さ」というのも言いえて妙だった。
一冊読み通せば、衣食住の世話と安心できる家庭さえあればシンプルにほうっておいても子は育つのに(むしろ勝手に育っていくのに)、おとなになったときに困らないよう計画的に勉強させ学力をつけることも、さまざまな体験をする機会を作るのも、すべて家庭の責任のように思わせる(そして子どもは与えられたものをこなすのにいっぱいいっぱいで疲れ切っている)今の世の中に、自信を持って「ノー」を言うための理論武装になる。「学歴社会からさらに広い能力を含む序列化社会、ハイパー・メリトクラシーへ」「競争社会を内面化したキー・コンピテンシー/非認知能力」「体験=(能力主義にもとづく競争社会を生き抜く武器としての)非認知能力を得るための手段」という思い込みの呪い、「消費者マインドの内面化」⋯こういう言葉が理解できかつ説得力をもつタイプの人にまずはとどき、少しでも立ち止まる人が増えるといいいなと思う。世の中をひっくり返すのは不可能だしその必要もないけど、今の風潮は眉唾だしちょっと行きすぎだな、と思える人はもっといたほうがいいと思うので。
五味太郎×おおたとしまさ(書籍非掲載部分も含めて再構成したインタビュー)
https://bunshun.jp/articles/-/78280
西野博之×おおたとしまさ(書籍非掲載部分も含めて再構成したインタビュー)
https://bunshun.jp/articles/-/78234 -
同じく新書で話題となった『体験格差』と同類かと誤解される向きもあるかもしれないが、本書は逆に「体験格差」なる概念が子どもの世界に持ち込んでしまう諸々に対して大きな懸念を示す。
世代を超えて経済的な格差が受け継がれ固定化されてしまうのは問題であるとの前提は共有した上で、各家庭の抱える細かな違いを揃えることでかえって競争の結果の正当性が強調されてしまうことにならないか?様々な体験を外注することで得られる結果が保証されているかのような倒錯が起きていないか?そもそも体験で得られるとされる「非認知能力」とは何なのか?など、著者の様々な疑問を子ども支援の現場で奮闘する人々とともに議論する。
最後には著者が違和感を感じる『体験格差』の著者にも直接疑問をぶつけ回答を得ている。言いっ放しではないところに好感を持てる。 -
学力などの認知能力だけでなく、非認知能力までも経済的豊かさを基軸とした評価をし、その能力を獲得するための体験を提供する。教育が社会に必要な人材を供給する、という上からの視点が根底にあると、子どものいいこと思いついた!が無視され、能力開発のための投資対効果に目がいってしまう。そうではない。子どもがやりたい、と思うことを体験できる環境を整えること。そのために人間の評価軸を経済的なものだけでなく多面的に捉えること。
木材や食材は皮を剥いで加工しやすくなったもの、人材は?という例えが秀逸。 -
【要は各家庭で抱え込みすぎ】
五味太郎氏と著者の対談記事を目にしたのがきっかけで本書を購入。
非認知能力の高さが収入に影響するという言説、
「体験格差」という薄気味の悪い概念の正体に迫る。
体験を「消費」する社会とはーー
社会は本来、助け合い支え合うための場なのに
いつしか競い合う場になってしまった。
将来の成功のために
子供に体験をさせて「あげる」ことで、
社会を勝ち抜ける人間に武装させようとする。
子育ての家庭依存が進みすぎていることも
親の不安を駆り立てる。
あの子は体験も習い事もたくさんしているのに
うちの子には「してあげられてない」。
このままだと子供の将来の選択肢が狭まってしまう。
村全体で子供を育てれば、偏りが補正される。
直接子供にかかわる大人を増やすべきだ。
子供の未来を案じすぎず、
今、子供が目を輝かすものに時間を割いては。
五味太郎氏のように下心やメッセージ性抜きで
子供と同じ目線で楽しむことが大人の役割なのだろう。 -
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「体験格差」なんてないんだというお話。
説得力があり、体験の量や質を格差だと感じてしまう日本社会全体への提言でもあった。
自分自身の少年期を振り返ってみても、著者の言っていることに凄く共感できた。
子どもにとってはあらゆることが体験であり、それを見守れる余裕のある人間が必要なんだと思った。
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体験消費社会か、確かに頷ける。非認知能力を獲得するために体験を用意するのではなく、日常の中で子ども自ら興味あることを伸ばしていける環境を作っていきたい。あくまで、あまり手を出さないように。今後、出来るだろうか、不安だが大切なことだ。
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「光る泥だんご」のドキュメンタリー番組の中で、
担当ディレクターの「光るだんごっくりが子どもの将来にどうゆう影響をもたらすのか」の問いに対して、著者の加用文男さんは
「これをやったからと言って、それが何かにつながって将来こういうふうに良い結果が出るなんてことは、考えたくもない」と返された。
このエピソードに「おっ」と反応される方にぜひおすすめです。 -
まさに子供が生まれた今、自由型選抜が増えてきたから習い事たくさんさせた方がいいのかな〜と考えていたところで読むことができて運が良かったかも。どんどん体験の機会を与えてはどう?楽しかった?と聞いてしまったかもしれない、、子供が自らやりたい!と言ったことにはなるべくサポートして、あとはほどほどに見守ろう、、
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結論は第1章ですでに出ているようで、その根拠をたくさん書きましたという印象。
経済格差と子供の体験や学びが直結する社会はよくないし、子供に習い事をたくさんさせたり、目先の利益を見据えた体験をさせるのも良くないのはわかる。
親になって気づいたのはとにかく子供を待つ、子供に合わせるがとんでもなく疲労する。だから習い事って楽だよね。だってお金払えば子供は習うものに興味を示すし。私も間延びした時間過ごさなくていいしと。その結果、習い事させちゃうご家庭もあるのかなと思う。みんな共働きですし。
しかし、「おわりに」の2つの幼稚園の比較。これは書き方としてどうなんだろう?とも思った。うち小学校受験予定ですが、まるで小受予定は全員目が死んでますとでもいうかのような書き方ですな〜と思った。
そして、この人の書き方なのか、このシリーズの特徴なのかわからないが、強調したい部分に点つけるのいいけど、文章まるごとに点をつけすぎて行間狭すぎて読みにくい…点が目に入るたびにチカチカします -
内容に同意しかなかった
というか、今の都市部の子育てってこんな感じなのか笑
田舎育ちゆえ、ここにかかれてる理想的な環境そのもので育ったからこそ、自分が親になった時もその環境になりたいと改めて思った
あとやっぱり、大人に余裕がない社会の皺寄せが子どもにいってる気がしてならない… -
ママ友の子供で、習い事を5つとか6つとかやっていて土日ハシゴしたりしていてすごいなーと思っていた。自分の子供にももっと習い事をさせたいと思っていたところだったので、本書はなかなかに今の私にグサグサと刺さるところが多かった。
習い事のあとで「どうだった?」と聞くのは答えを強制しているようだからよくない、というのが印象に残ったので実践しようと思った。私もやってたし。
でも。本書を通読して、やっぱり女は子供を産んだら(少なくともしばらくは)主婦になって、いつでも子供に向き合える余白の時間を作るのがいいかなあ、と思い至り、そう自分が思ったことが、よい事なのか悪い事なのかは…分からなかった。もしかしたらこの本、ワーママさんたちは読んでいてつらくなることがあるかもしれない。
決して著者の結論がそう言ってるわけじゃないんだけど。でも私にはそう読めた。
著者はおそらく聡明な人だから、そう断言しない品性を持ち合わせているだけ。
(夫に余白の時間がたくさんあって私が稼ぐのもよいのかもしれないけれど、そういう男の人が夫だったら私はいずれ尊敬できなくなるだろうなあ。。)
インタビューしている人たちの活動が楽しそうで行ってみたくなった。一方でちょっと左翼っぽさというか、なんだろう。そういうのも感じた。今のままでよいんだよっていう全肯定してくれる場所はもちろん必要だと思うけれど私はやっぱり上に向かって努力できる人間が好きだし子供にもそうあってほしい。と思うのは親のエゴなんだろうか。 -
【子どもにとって本当に必要な体験とは何か?】なぜいま「子どもの体験」が課金ゲーム化しているのか。「体験格差」という言葉の薄気味悪さを手がかりにその諸悪の根源に切り込む。
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