坂の上の雲 2 (文春文庫 し-1-29)

Kindle版

β運用中です。
もし違うアイテムのリンクの場合はヘルプセンターへお問い合わせください

  • 文藝春秋 (1978年1月1日発売)
4.09
  • (24)
  • (16)
  • (17)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 310
感想 : 13
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784167105297

みんなの感想まとめ

この作品は、正岡子規や秋山兄弟がそれぞれの目標に向かって進む姿を描きながら、固定概念を打破する改革精神を強調しています。日清戦争から日露戦争にかけての明治期の日本の躍動感や、当時のナショナリズム、帝国...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日清戦争から日露戦争直前まで。明治期の日本の勢い、当時のナショナリズム、帝国主義を肉感を持って感じられる。当時の日本人の志を伺える。

  • 情報が溢れるほどなので読んだらすぐに書き留めておかないと。。。
    しかしこうも才人というのはある場所・時間に交錯するものなんですなぁ、改めてそう思います。それだけ当時の日本はびっくりするほどの素朴さで世界に投げ出されて悪戦苦闘したんでしょう、行きついた場所は多大な迷惑を内外にまき散らしてしまったけれども。
    そう考えると現在の日本、もしかすると若い人にとっては絶好の場所と時間があるのかもしれないと思ったりも。

  • 日清戦争に勝つ。
    陸軍の好古と海軍の真之そして病床の子規。
    列強の拡張意欲と、軟化してくるロシア。
    日露戦争直前まで。
    まだこの小説の本質(?)は見えない。

  • 戦争が勃発した…。世界を吹き荒れる帝国主義の嵐は、維新からわずか二十数年の小国を根底からゆさぶり、日本は朝鮮をめぐって大国「清」と交戦状態に突入する。陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。一方正岡子規は胸を病みながらも近代短歌・俳句を確立しようと、旧弊な勢力との対決を決意する。

  • 江戸から明治って本当に激動の時代だな〜と改めて感じました。

  • 日清戦争から日露戦争直前まで。
    明治維新によって初めて「国家」という概念が輸入され、清という大国に勝利したことで、人々は有史以来かつてない国民的興奮を体験した。このことによって国家と国民といものがどういうものであるかということを日本人は実物教育されたらしい。

  • (2012.01.19読了)(2006.04.18購入)
    第2巻に入りました。第1巻で、秋山真之に物語の重点があるというようなことを書いた気がするのですが、第2巻を読んでみると正岡子規についてもかなり詳しく書いてあるので、前言取り消し、としたいと思います。

    第2巻の目次は以下の通りです。
    日清戦争
    根岸
    威海衛
    須磨の灯
    渡米
    米西戦争
    子規庵
    列強

    Wikipediaによると「日清戦争」「米西戦争」「北清事変」とは以下の通りです。
    ◆日清戦争は、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(朝鮮王朝)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。
    ◆米西戦争は、1898年にアメリカ合衆国とスペインの間で起きた戦争である。結果としてスペインは敗北し、カリブ海および太平洋のスペインの旧植民地に対する管理権をアメリカが獲得した。
    ◆義和団の乱は、1900年に起こった、中国清朝末期の動乱である。
    北清事変との呼び方もある。(映画では「北京の55日」がこれに当たる)

    第2巻では、このあたりの時代のことが描かれている。
    子規は、陸羯南の「日本」で働きだした。日清戦争では、従軍記者として中国に渡ったが、帰りの船で喀血し、たどり着いた神戸で入院となった。
    少し元気になったところで、大和などをめぐりながら東京に戻った。大和寺の旅で、カリエスが発病し、根岸では、ほぼ寝たきりとなった。
    秋山真之は、日清戦争での海戦をわずかに体験し、アメリカへ留学した。アメリカでは、アドバイスを受けながら必死で史料を読みながら勉強をした。
    米西戦争におけるキューバでの海戦を見ることができ、克明に記録し、日本に報告した。この時の経験が、日露戦争の際の作戦構築に大いに役立った。
    秋山好古は、独身主義者だったが、結婚した。日清戦争後は、中国に駐留し袁世凱と親交を結んだ。秋山好古には、外交の才能もあると言われたとか。

    ●文科は不要(10頁)
    佃にすれば大学に文科があるというのも不満であったろうし、日本帝国の伸張のためには何の役にも立たぬものと断じたかったに違いない。
    ●俳句(20頁)
    俳句も短歌も子規によってよみがえらされたが、それまでの、特に俳句は町の隠居の暇つぶし程度のもので、縁台の素人将棋と変わらない。
    ●人間の偉さ(24頁)
    「人間の偉さに尺度がいくつもあるが、最少の報酬で最も多く働く人ほど偉い人ぞな。一の報酬で十の働きをする人は、百の報酬で百の働きをする人より偉いのぞな」
    ●日清戦争とは(26頁)
    「日清戦争は、天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得戦争である」
    「朝鮮と中国に対し、長期に準備された天皇制国家の侵略政策の結末である」
    ●鉄道(50頁)
    鉄道は海岸をも通るが
    「敵の艦砲射撃を受けるではないか。一朝有事の際、軍隊輸送がそれによって大いに阻まれる。鉄道はよろしく山間部を走るべきである」
    ●黄海海戦(86頁)
    戦闘4時間半で、深刻艦隊は12隻のうち4隻が撃沈された。経遠、致遠、揚威、超勇であった。さらに広甲が擱座した。が、日本側は一艦も沈んでいない。
    清国艦隊の残る7隻が戦場を離脱し、旅順方面に向かって逃げた。
    伊東祐亨はこれを追うべきであったろう。敵を追撃して戦果を拡大することが戦術の原則であったが、夕刻、艦隊をまとめて引き揚げてしまっている。
    (太平洋戦争でも、幾つかの場面で、同じようなことが行われている。海軍の伝統ということなのでしょう。確か真珠湾攻撃、マリアナ沖海戦、だったような。)
    ●北京政府(145頁)
    丁汝昌における困難の一つは、北京政府であった。彼はその作戦行動についていちいち北京からの指令を待たなければならなかった。しかも李鴻章によって代表される北京の首脳部はことごとく文官であり、軍事の素人であった。
    ●高浜虚子(169頁)
    子規は虚子に対し、二言目には学問学問と言った。ところが虚子は文芸に学問は無用だと思っているし、それに何よりもそれが嫌いだった。
    ●清国(182頁)
    「最初から清国兵は投げやりだったように思える。彼らの国の政権は満州人種が握っており、皇帝も無論そうだ。異民族であるその皇帝とその政府のために死ぬという気持ちが、漢人将士にすれば起こそうにも起こしようがないというのが正直なところだったろう。しかしながら日本人は清国そのものを押し倒したのだと錯覚している」
    ●好古の独身論(191頁)
    「科学や哲学は、ヨーロッパの中世の僧院の中から起こった。僧侶たちは独身であるため、自分の課題に対しわき目もふらずに精進することができた。そのようにたとえ凡庸なものでも一心不乱である限り多少の物事を成し遂げるのである」
    ●真之の要点把握術(219頁)
    「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ」
    「従って物事ができる、できぬというのは頭ではなく、性格だ」
    ●アメリカ軍(249頁)
    米西戦争におけるアメリカ陸軍の弱さについては柴五郎少佐によって日本の参謀本部に詳しく報告されたが、奇妙なことにこの19世紀末の資料が日本の軍人のアメリカ陸軍に対する固定観念になり、その後もほとんど修正されることがなく続き、この後40年たってこの陸軍を相手に戦いを始めようとしたとき日本軍部はアメリカの兵士の本質についてその程度の認識しかもっていなかった。
    ●実弾演習(251頁)
    スペイン人の悲哀の一つは、その海軍予算が少なすぎて砲術練習のための装薬がなく、どの艦のどの砲手も、実弾射撃というものをやったことがないことであった。
    ●戦訓(253頁)
    米西戦争の戦訓は、後に日露間で行われた海上封鎖と決戦のためにどれほど役に立ったかわからない。
    ●匈奴(318頁)
    匈奴とは、東洋史上の呼び名である。フン族とも言う。モンゴル語でhumunというのは人という意味である。純粋の遊牧生活をもち、騎馬に達者で、射術に長じ、その容貌は日本人に似、その言語も日本語と文法が類似している。
    ●ロシアの野望(337頁)
    ロシア帝国が極東侵略の野望を露骨に表わし始めたのは、わが国の年代から言えば、江戸中期から後期にかけてである。
    その地名に、
    ―東を征服せよ。
    という意味があるというウラジオストックをロシアがシナから譲らせたのは、日本が攘夷熱に煽られた安政5年、1858年である。
    ●遼東半島(354頁)
    「遼東半島を強奪したことがロシアの呪われた運命の第一歩だった」

    ☆関連図書(既読)
    「坂の上の雲(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1978.01.25
    (2012年1月25日・記)

  • 請求記号 : 913.6||S
    資料ID : 91990624
    配架場所 : 工大君に薦める

  • 2010年3月24日
    読むのに時間がかかります。面白いのですが、なにか仕事に通じるものが見えてきます。

  • 1986.1.22

  • 国家という概念が生まれた明治。

    そういう中の外交。日本を強く感じさせられた。
    やっぱ司馬さんの本はおもしろい!

全11件中 1 - 11件を表示

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

司馬遼太郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×