翔ぶが如く 五 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2002年4月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784167105983

みんなの感想まとめ

時代の変化と人々の衝動が交錯する中、主人公たちの葛藤や成長が描かれています。特に、大久保の強硬な外交姿勢や先見性は、明治維新の背景を深く掘り下げる要素となっており、彼の行動力には驚かされる場面が多くあ...

感想・レビュー・書評

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  • この時期、ルソー・中江兆民の民約論が持つ影響力の大きさ。フランス・アメリカにおける革命において、ルソーの影響力の大きいことか。
    日本における維新壮士たちのエネルギーが自由民権運動に向かうはずだ。
    ・下級武士による幕府転覆(明治維新)
    ・維新政府への失望不満
    ・有り余る革命エネルギーの矛先として
     征韓論、自由民権運動
    ・維新政府を支える大久保の孤独な先見性と独裁、
     征台時の目を見張る行動力

    やはり、戦前の日本の土台を作ったのは大久保だ。



  • 台湾出兵で、大久保の好感度が急上昇。
    自分で蒔いた種とはいえ、まさか自ら北京に乗り込んで刈り取ってくるとは思いもしなかった。
    李鴻章を完全に無視した強硬姿勢と、米仏独露に近づくことでイギリスを焦らせる駆け引きには、恐れ入った。
    最終的にあの北京政府を折れさせ、償金まで出させるんだから、呆気を通り越して失笑。

  • 【感想】
    西郷や反乱分子達への義理だて、ストレスのハケぐちの為とも思われる征台論を行なわざるを得なかったのか?
    溜まりつつある大久保への不満は、彼にとっても辛い毎日だったに違いない。
    ただ、、、読んでいる自分からすると、この靴の上から足を掻くようなこの物語の進捗に歯がゆい気持ちでいっぱいだな!笑
    早いとこ、大久保vs西郷でドンチャンし始めないかと思ってしまう。。。


    【あらすじ】
    征台の気運が高まる明治七年、大久保利通は政府内の反対を押し切り清国へ渡る。
    実権を握る李鴻章を故意に無視して北京へ入った大久保は、五十日に及ぶ滞在の末、ついに平和的解決の糸口をつかむ。
    一方、西郷従道率いる三千人の征台部隊は清との戦闘開始を待ち望んでいた。
    大久保の処置は兵士達の失望と不満を生む。


    【引用】
    大久保の北京における作戦の骨子は、英国公使に対しては儀礼のみであしらい、実は堀を設けて他人行儀でいる。
    一方英国以外の各国公使に対してはできるだけ好み(よしみ)を厚くし、彼らの応援を得ようとするところにあった。
    英国公使ウェードにとっては、これほど嫌な相手はなかったに違いない。


    p129
    大久保はもう一度、この談判を浮上させなければならない。
    彼は若い頃から、何度か万策尽きたところへ自分が追い込まれるという体験を重ねてきた。
    その時は、息を潜めて沈黙するか、それとも破れかぶれの一手に出れば自分の取り巻く状況の一角が崩れ、何とか道が通ずるということを知るようになった。


    p145
    ・征台論に対する大久保について
    客観的にみれば大久保の粘着力を非凡とみるべきだが、しかし戦争によって外交の新局面を拓こうという西郷たち好戦派からみれば、大久保のこの態度は国辱的な生温さであるといえる。

  • 征台の交渉にいよいよ大久保が臨む。下交渉は不調を極め、英米からは非難される。濃き出したばかりの明治政府が数々の不備が明らかになるなか、談判を成功に導く大久保の才幹が光る。明治八年、日本は近代国家としての体をなしていない。藩閥に風穴を開けたいもの、民権運動で政府に相対するもの。どうしようもないほどの衝動は共感できる部分がかなりあった。人間っていまも昔も変わらないと思えた。時代の変化の中で登場人物たちの考え方も大きく変わっていく。そんなダイナミズム溢れた巻であった。

  • ※2008.6.5購入
     2008.6.12読書開始
     2008.7.13読了
     2017.5.6売却@Book Off

  • 大久保の交渉力、というか気合いというか力技ですね。

  • 大久保利通が北京に談判に行くところから宮崎八郎が評論新聞社に入社するまでの第5巻。相変わらず進行が遅く娯楽読み物というより歴史教科書といった体です。
    前半の大久保外交は交渉力が凄いですね。ことを優位にすすめるには多弁にならず我慢する駆け引きも大事なのかな。胆力がかなり必要で常人には出来かねるでしょうけど。
    宮崎八郎の話は余談かと思って読み進めるとルソーの民役論と中江兆民に繋がるのでもはや新展開の様相で、西郷隆盛は出番なし。
    専制政治、共和制政治、元老院、三権分立と、終盤は政治の勉強モードとなりしんどく感じられたが、読後感は知的好奇心を満たして悪くないです。

  • 一部のノリの良い下級武士出身者がフィーリングで運営していた明治政府がいかにテキトーであったかがわかる本。

    一例を挙げると、各地に贅を尽くした高そうなお庭を作りまくった長州の山縣有朋さんは、やっぱり汚職しまくってるし、権力主義の成りあがりだったっぽい。

    この巻は、西郷隆盛さんが征韓論で下野したあとに不平士族を慰安すべく台湾に乗り出した顛末記でした。

    なので、西郷さんは全然出てきません。
    メインは大久保利通さんの巻でした。

    西郷隆盛さんの征韓論は潰したくせに、その弟の従道さんをトップに台湾に押し入る(名目は遭難した琉球人が台湾の高砂族に殺されたことに対する報復)だなんて、支離滅裂な政権運営がよくわかる巻だったよ。

    日本は対外的には国際常識を知らない粗暴なガキの国だと思われ、対内的には不平士族の不満が今回の征台論の顛末でますます膨れ上がり、まさに「内憂外患幕末よりヒドいんじゃない?」状態になっていました。

    まぁ、司馬史観に関してはいろいろ言う人もいるけれど、資料を精査したうえでの一説と考えれば良いと思います。

    九州に石高の大きい大名が多いのは薩摩島津を押さえるためで、特に隣国の熊本はそのために54万石だったとか(それでなければ熊本城もなし?)

    世界の紛争種まき国家のイギリスが、征韓論に関しても自分たちの利権がある清に手を出されたくないので協力するよとススメてきたとか…。

    いろいろお勉強になるなぁ!

  • 在野の不平分子を考慮した事実上大義のない征台を実施する。
    しかし撤兵するためには、この征台を義のあったものと清国側に認めさせ、しかも派兵のための賠償金を清国側から出させるという力技をもってして外交に臨んだ大久保は、ある程度満足のいくかたちで終結させた。力技を建前上だけでも成功裡に導いた執拗さと周到さは見事といってよいだろう。
    この明治がはじまって十年と経たない頃は、果たして維新の本来の目的は何だったのだろうかとも思わせられる時代だ。
    国家が大きく動こうとするとき、大きく進歩しようとするときの舵取りは後の時代になってみないと正解は分からないのかも知れない。いや、もしかすると後の時代になっても分からないのかも知れない。

  • くそつまんねぇ…。玄人好みにもほどがある。明治維新は巨大な氷山で、その一角しか見てこなかったってことだ。


     もしかして、この巻は大久保利通のサービス回なのかも。彼一人にこれだけスポットライトが当たるのはもうないカモ。
     後半の宮崎八郎は流し読みしてしまったが、この人スゴイ重要人物なんだろうな。でも、ちょっと読み返す気力湧かない。

    ______
    p9 強国が正義の時代
     この時代、西欧の列強であるというだけで正義であった。清国も台湾征討を興したのが欧米だったら、何も言わず正当性を認めただろう。しかし、開国したばかりの日本というちっぽけな国が列強を気取り台湾に攻め込んだのだから清国も黙ってはいなかった。むしろ、ここで日本に台湾を譲れば、国内統治の危機になるのは必至だった。

    p20 李鴻章という男
     偉大な政治家であるが、愛国主義でもなかったようだ。清が列強に食い物にされていく様を横目に、買弁商人と手を組んで巨万の富を築いたようである。
     もしかしたら李鴻章は淮軍を近代陸軍とし、北洋艦隊を創設し、清国の次なる国家の王になろうとしていたのかもしれない。そんな気もする。

    p24 幕府
     幕府はもともと中国の言葉。地方長官がその地で小朝廷なるものをもっていても幕府という。李鴻章も自前の幕府を持っていたといえよう。

    p28 日本の人事
     李鴻章は柳原前光との交渉で、日本の人事制度に不満を持った。李鴻章がまず交渉した全権大使は副島種臣だった、翌年の交渉では伊達宗成だった、そして、最初の交渉では卑官の地位にあった柳原前光が出世し、今度の交渉では公使として自分の前に対峙している。
     毎年コロコロと役職が変わる日本政府はなんともインチキ臭い行政府であるとみられたのである。
     とはいえ、現代の日本もコロコロ政権が変わる。これは日本人の体質なのかもね。

    p40 統帥権
     大久保が台湾に乗り込む前に、陸軍の山県有朋は対清戦争に絶対反対を表明した。しかし、大久保はそれを完全無視した。戦争も辞さないという強気で清との交渉に臨もうとしていた。
     この時、政権に陸軍の意向が完全に無視されたという経験が、のちに統帥権を設けるきっかけになったと司馬先生はみている。
     軍事を知らない文官が勝手なことしないための防波堤的な意味も内包していたのだろうか。それが逆に軍人の方が暴走するなんて、皮肉だね。

    p43 字下手か
     大隈重信は字が下手であった。

     この一文すごい司馬遼太郎っぽい。ぜひ渡辺謙に声を当てて欲しい。

    p53 東京の景観
     維新後、東京の景観は樹木が激減し悪化した。というのも、新政府の行政官がみな書生上がりで都市景観の美しさに理解が全くなかったかららしい。都下の旧徳川家の直轄地の樹木はみな払下げて、材木や燃料にされた。

    p85 ボアソナード
     49歳になるフランスの法律学者ボアソナードが大久保の清行きに随行した。江藤新平がフランスから日本の憲法創考に際して日本に連れてきて、そのご東大で教鞭をとった。国際公法の指南役として大久保に同行したが、ここで大久保の一番の相談役になる。

    p162 朝鮮を取れ
     当時の清の英国公使ウェードは、日本は台湾から手を引き、むしろ挑戦をとるように勧めたいと思ったに違いない。南下政策を進める対ロシアの障害として日本が利用できれば一番良い。
     この頃の列強の考えは、このような他の列強との足の引っ張り合いの所が強い。
     ドイツやフランスは日本が清と揉めることに好感を持っている。清が崩壊すれば、イギリスの既得権益は消滅し、新たな中国権益の獲得チャンスになる。

    p203 嫌われた日本政府
     当時のアジア駐在の西洋人は現地政府に好感を持たない。当然日本政府も外国人に嫌われていた。
     武士の気質が残るからか、建前や面子が先行し合理性を欠く。合議の決定が先延ばし先延ばしにされる。
     そりゃあフラストレーション溜るわ。

    p223 薩摩の価値観
     薩摩の価値観は、卓れた者に侚うのを良しとする。自分自身の考えや気持ちは二の次三の次で、自分の「先生」の言うことが最も正しいことであると考える。
     ここでは肥後人と対比している。肥後人は議論をよくする質で、薩摩の正反対と言える。

    p241 返金
     日本は最終的に台湾遠征の賠償金として50万両獲得した。実際は2~300万両はかかっているが、清の内政事情との妥協でこの値段で是とした。
     さらに、大久保はこの50万両のうち、内金の10万両以外の40万両は変換しようと考えていた。日本の義挙を世界に示し、清に恩義を売るという狙いが見え見えの策である。しかし、日本の財政事情も火の車だったため、これは実現しなかった。

    p283 時習館
     江戸中期、肥後に細川重賢という善政を敷く藩主があった。各藩で模範にされた藩校である時習館を創設したのもこの重賢である。
     この細川は、戦国時代の細川幽斎・忠興の子孫である。彼らも頭良かったが、その気質がこの熊本に定着したんだな。

    p285 清正の農政
     豊臣の時代「肥後は難国」と呼ばれ、長く統一領主が出ないほど強い地侍が乱立する地だった。
     この難国が加藤清正が封ぜられたことで治まった。
     剛毅な清正は現地人を積極的に採用し、反旗を翻すものは自ら先頭に立って槍を振り回し誅伐する猛将ぶりを見せた。武勇を好む肥後人にこれが好かれたが良かった。また、さらに肥後人は地侍として農耕を好んだが、清正も農業土木を得意とし、積極的だったことが好感を得たと見える。
     守護などただ年貢を取り上げるだけの無能者と考えていた当時の地侍にとって、農に明るい大名は新鮮だったし、信用できる存在だったのだろう。

    p293 愛国公党
     自由民権運動のため板垣退助が郷土土佐に作った日本最初の政党。当初は東京の銀座で「幸福安全社」という組織だったが、自由民権運動は地方で盛り上がり、議会創設の運動が起きなければ意味がないということで板垣は土佐に帰って党を作った。

    p316 肥後の考え
     肥後人は維新の主役を薩長土肥に奪われたという焦燥感がある。藩として平均的な教養が高く開明的な考えを多分に持ちつつも、維新の魁になれなかったために、薩長藩閥政府の支配に甘んじているという悔しさを持っているのが、肥後人の思想の根底にある。

    p328 讒謗律
     明治八年6月に明治政府が反政府的言論を規制する法律を施行した。それほど、反政府的な言論が横行していたのが明治八年という時代であった。
     薩長藩閥政治への限界が見え始めた時期というやつ。

    p330 森有礼
     森有礼は維新の時代を欧米で過ごした。そのため維新を西欧の革命と同列のものと考え高評価したが、帰国後に見た明治新政府の実態が旧態依然とした行政府であることに、後進性をはっきりと見て絶望した。
     そうした理由で彼は明六社を作る。

    p344 中江兆民の学校教育
     兆民曰く、「学校教育に必要なのは道徳の涵養である。」いかに外国語を教えても、人格が高くならなければ教育とは言えない。西洋ではキリスト教を以て道徳の教育としているが、日本は孔孟の教えを教えるべきだと言っている。

    p349 ルソーの時代の江戸
     ルソーの生まれた1712年は大岡越前が宇治山田の奉行になった年。ルソーが青少年の時代に江戸では、日本で最初の人文科学思考をした人物の荻生徂徠が活躍した。漢方の解剖図に合理的疑問を投げかけ、日本で最初に人体解剖を行った山脇東洋が活躍したのもルソーが生きた時代と並行している。
     日本の合理主義的思考が開花した時代にルソーは生きている。フランスやアメリカの革命の根源になったルソーの考えと日本の思想がリンクしているのは、シンクロニシティ。


    ______


     クソつまんねぇって言ってる割に、チェックするポイントが多い。本当勉強になる。

     明治維新は本当に氷山の一角しか知られていないな。この司馬先生の本のおかげで海の中の氷塊を目にできる。

     だから読書メモが多いんだな。

     つまらないが、次回が楽しみだ。

  • 明治維新直後の不安定な時代を描いている。
    征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。
    西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。

  • 大久保は火消しに大忙し
    従道は台湾で我慢大会
    八郎はルソーに触れる

    西郷さんは.......畑仕事?

    ゆっくりと濃密に流れる明治7年から
    徐々に反政府気分の地鳴りが高まる明治8年へ

    みんな必死なのに上手く行かないのがもどかしい。

  • 大久保の粘り勝ち。
    こういうお客さんいるわ

  • 明治7年、大久保利通が清国で繰り広げた外交劇は非常に印象的だ。平行線の交渉の場をあらゆる手段を用いて粘り強く挑むその姿には感動を覚える。どのような辛い立場であっても糸口を見つけるために頑なに挑み続けている一面を劇的に描いている。

    外交に限らず交渉において妥協をせずに自分の目標・目的に少しでも近づけるように努力することの大切さをしみじみと感じた。

  • 大久保利通、西郷隆盛を軸に、明治へと変動の時代を駆け抜けた名士たちの話です。
    色々な有名な武将たちが作中に現れますが、自分はやっぱり桐野利秋が好きです。
    変革の時に今で言うところのテロリストですが、その勇姿と忠義、そして何よりシンプル強いところが好きでした。
    江戸から明治へと時代がどのように変わっていったか、そして誰が変えたのがよくわかるので、歴史好きにはオススメです。


  • 征台、自由民権、宮崎八郎 中江兆民

  • このあと後半戦。どうなることやら。

  • 情報量が多すぎて、全部を咀嚼はできないが、志を持って江戸幕府をたおした志士たちが、いざ明治政府の役人になった時に、世界を知らないが故に途方にくれながらも一つ一つのことにあたっていく、ある意味のがむしゃらさを感じた。
    「鎖国・封建の世に包まれているころは、社会的環境としては大通りから外れた袋小路の奥にいて、小路の木戸を閉ざしているのに似ている。その小路の奥で熱狂的に攘夷を叫ぶことは、政治心理としては病的ながらも快感に属するであろう。攘夷を集団で叫べば、より一層に快感は昂進するに違いない。が、その攘夷家たちが、半開国主義の幕府を倒して革命政権をつくるというはめになってしまったのである。」(p181)明治政府のゴタゴタは結局、こういうこところから始まったからなのか…、と腑に落ちた気がした。
    後半、宮崎八郎のくだりは大久保、西郷ほどは有名ではないが、聞いたことのある人々が何人も登場し、様々な繋がりがわかって興味深かった。

  • 途中読み進められなくなり、時間をかけて読了。

  • ここまで読み進めてきた中では一番面白かった。
    特に大久保利通の外交シーン、ビジネスにもつながると思い同僚に勧めてしまった

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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