昭和史発掘 (2) (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1978年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784167106324

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  • 「昭和史発掘(2)」松本清張著、文春文庫、1978.07.25
    296p ¥320 C0121 (2018.08.03読了)(2018.07.30借入)
    「昭和史発掘(1)」は、相互に関連のある三つのテーマが扱われていましたが、第2巻は、相互の関連は特にない三つのテーマが扱われています。
    「芥川龍之介の死」は、芥川龍之介の自死についての考察です。大正から昭和にかけての時代の作家たちの様子も分かります。
    「北原二等卒の直訴」は、今でも根強く残っている「部落」差別の問題が扱われています。
    「三・一五共産党検挙」は、共産党員の一斉検挙のいきさつが記されています。

    【目次】
    芥川龍之介の死
    北原二等卒の直訴
    三・一五共産党検挙

    ●芥川の自殺(8頁)
    昭和二年七月二十四日、劇薬を多量に服用して絶命。享年三十六。
    自殺の原因は、多年肺結核を病み、最近強烈な神経衰弱に悩まされつづけ、さらに家庭的な憂苦もあった結果、厭世自殺を図ったものとみられている。
    ●H女(56頁)
    芥川は有夫の女と肉体的な交渉をつづけていた。それはスキャンダルとして、いつ、世間に洩れるか分からない不安がつきまとっていた。当時、人妻と関係すれば、夫は姦通罪として相手を告訴できたものだ。北原白秋もその罪で監獄に入れられている。
    ●衰弱(57頁)
    芥川の神経と肉体とは、H女との交渉から急激に衰弱し、創作活動もしだいに衰退してゆくのである。
    ●中国旅行(71頁)
    大正十年三月、芥川龍之介は、大阪毎日新聞社の命によって中国旅行に出かけた。
    上海、南京、蘇州、杭州、揚州、九江と江南地方の旅を終え、長江を遡って漢口から湖南の長沙に至った。そこから京漢鉄道で北上し、洛陽、大同を抜け、北京、天津に出た。中国の最も古い伝統の遺る古都や遺跡の黄金ルートを歩いたわけだ。日数百二十余日に亙ったというから、芥川としては思い切った大旅行である。この旅行記は、帰国後、大阪毎日新聞に連載され、後に「支那游記」と題して一冊となって改造社から出版された。
    (参考)
    「上海游記・江南游記」芥川龍之介著、講談社文芸文庫、2001/10/10
    ●M女(87頁)
    彼(芥川)は下谷辺を歩きながら、現在の地獄をM女に告白し、どうしても生きてゆけないといい、いっしょに死んでくれないかと申込んだ。M女はそれを承知した。なんのことはない、死を思いとどまらせる役目の女が、芥川の心中相手になったのである。
    (M女は、芥川の妻文子の友人で、文子から芥川の自殺を思いとどまらせるようにと依頼された。)
    M女は、芥川との情死の寸前から逃げ出した。(94頁)
    ●エタの起原(130頁)
    エタの起原は、昔から人種起原説と職業起原説とがあった。
    人種起原説というのは、古代、朝鮮から渡ってきた帰化人や戦争による俘虜の子孫ということになっているが、この説は、今ではまったく根拠のないものとして消えている。
    職業起原説は、その携わっている職業が皮革の手工とか、葬送の世話とかが多かったところから、死骸を忌み穢れとする思想につながって、穢れの多いもの、すなわち「穢多」となったというのである。
    ●エタの身分制度(132頁)
    徳川幕府では、農、工、商の下にもう一つ階級を作ったのが「エタ」の身分制度である。
    ●反軍闘争(137頁)
    水平社は第二回大会で軍隊内の差別撤廃を決議、陸海軍大臣に申入れた。が、差別はなくならなかった。
    軍隊内における差別は、徴兵制度がしかれてから激しく起こっていた。部落民は近衛兵には決してとらなかった。たいていは輜重輸卒か縫工兵で、成績が良くても上等兵に昇進する者はまれであった。
    ●直訴(175頁)
    昭和二年十一月十九日、名古屋練兵場で、大演習終了後の閲兵式が午前八時三十分から行われた。
    北原は、付剣の銃を左手に提げ、物入れから取出した奉書を右手に高く捧げ、その華奢な馬を打たせている高貴な人に向かって、確実に進んでいた。(178頁)
    ●懲役一年(186頁)
    二十六日の判決言い渡しは、被告北原泰作に対し懲役一年であった。
    ●同和教育(186頁)
    軍では事件後、すぐに「軍隊内における同和教育」の徹底を通達している。
    ●直訴の目的(186頁)
    北原が天皇に直訴したのは、もとより、天皇によって部落問題の解決が計られると思ったからではない。彼は、その前例のない行動で、軍隊内にはびこっている身分差別を世間に報せるのが目的だった。
    ●日本共産党の創立(202頁)
    (日本共産)党は、大正十一年七月十五日、コミンテルンと片山潜の援助のもとに創立された。
    ●二二年テーゼ草案(214頁)
    君主制の廃止、貴族院の廃止、労働者団結の完全な自由、現在の軍隊・警察・憲兵・秘密警察の廃止、労働者の武装などが政治分野における要求として掲げられている。国際関係の分野としては、朝鮮、中国、台湾、樺太からの軍隊の撤退、ソビエトロシヤの承認をうたい、その他、労働者の八時間労働制、天皇・大地主の土地の無償没収とその国有、などがおり込まれた。
    ●赤旗(237頁)
    日本共産党常任委員会は、非合法機関紙「赤旗」第一号を昭和三年二月一日付で発行した
    第一号は千五百部、謄写版刷十数頁のものだった

    ☆関連図書(既読)
    「昭和史発掘(1)」松本清張著、文春文庫、1978.07.25
    「昭和史発掘(7)」松本清張著、文芸春秋、1968.10.01
    「昭和史発掘(8)」松本清張著、文芸春秋、1969.03.10
    「昭和史発掘(9)」松本清張著、文芸春秋、1970.02.20
    「昭和史発掘(10)」松本清張著、文芸春秋、1970.08.01
    「昭和史発掘(11)」松本清張著、文芸春秋、1971.02.01
    「昭和史発掘(12)」松本清張著、文芸春秋、1971.12.05
    「昭和史発掘(13)」松本清張著、文芸春秋、1972.10.01
    「妻たちの二・二六事件」澤地久枝著、中公文庫、1975.02.10
    「雪はよごれていた」澤地久枝著、日本放送出版協会、1988.02.20
    「蒲生邸事件」宮部みゆき著、カッパ・ノベルス、1999.01.30
    (2018年8月12日・記)
    (表紙より)
    不況のドン底であった昭和2年。その7月24日芥川龍之介は自殺した。彼の死を昭和史のひとこまとしてとらえた「芥川龍之介の死」。未開放部落の歴史的な事件である「北原二等卒の直訴」。田中内閣の〝危険思想〟に対する弾劾がいよいよ厳しくなり、〝満州事変〟へと突進してゆく状況下の「三・一五共産党検挙」の三篇を収める。

    文庫: 295ページ
    出版社: 文藝春秋 (1978/7/25)

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著者プロフィール

1909年、福岡県生まれ。92年没。印刷工を経て朝日新聞九州支社広告部に入社。52年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。以降、社会派推理、昭和史、古代史など様々な分野で旺盛な作家活動を続ける。代表作に「砂の器」「昭和史発掘」など多数。

「2023年 『内海の輪 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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