新装版 考えるヒント (2) (文春文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167107130

感想・レビュー・書評

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  • 読めば読むほど味わい深い。

    フロイトの理論を歪めた後継者たち、それを尊ぶ現代知識人の愚かさ、デカルトの方法叙説を私の方法と訳し、敷衍した常識についても目からウロコ。小林秀雄の認識の源泉はどこにあったのか。そこが知りたいところである。

    “復讐という言葉の発明は、正義という言葉の発明と同時であった。”

    “イデオロギイとは文字通り、観念の形体であって、その中身を空っぽにしなければ得られなないものだ。又、事実、思想は、その中身を失い、社会通念として流通して、はじめてわかり易い、眼につき易い形を取るものだ。”

    “素行や仁斎の古学と言い、狙徠の古文辞学と言い、近代的な学問の方法というようなものでは、決してなかった。彼等は、ただ、ひたすら言を学んで、我が心に問うたのであり、紙背に徹する眼光を、いかにして得ようか、と肝胆を砕いたのである”

    “理屈はどうでも付くとは、理屈本来の性質なのであり、理は独り歩きして、世界に無レ之ところに行っても、理は理なので理を言い、智を喜ぶより、生きる方が根底的な事だ、知るより行うのが先きである、これが徂徠の基本的な思想であった”

    “深い思想ほど滅び易い、と言っても強ち逆説ではなかろう。実際、人が、或る思想を人間的と呼ぶ時は、まさしくそういう事を指している”

    “忍耐とは、癇癪持ち向きの一徳目ではない。私達が、抱いて生きて行かねばならぬ一番基本的なものは、時間というものだと言っても差支えはないなら、忍耐とは、この時間というものの扱い方だと言っていい。時間に関する慎重な経験の仕方であろう。忍耐とは、省みて時の絶対的な歩みに敬意を持つ事だ。円熟とは、これに寄せる信頼である。忍耐を追放して了えば、能率や革新を言うプロパガンダやスローガンが残るだけである”

    “常に見られる進歩派と保守派との対立は、伝統の問題には、恐らく何んの関係もあるまい。両者が争っている対象は、伝統というよりむしろ怠惰な精神にも自明な習慣というものだ、と言った方がいいだろう。”

    “意識が、眼に見えぬ無意識という心的エネルギイに条件付けられたものなら、眼に見えぬという理由にならぬ理由で、神聖視されていたような精神的価値など、もう何処に住んでいいか解らぬ。”

    “ニュートンは、いったん世界が成立した後は、世界は力学の原理に従って運動しているが、世界をかくの如く成立させた力を、この原理自体から導く事は出来ない事をはっきり知っていた。この物質的とも非物質的とも決め兼ねる力を、彼は全知全能の神に帰した。”

    “ペインという社会革命家は、コンモン・センスという理想をかかげた、と言っても過言ではあるまい。アメリカ独立という理想について、自分は、煽動的言辞も煩瑣な議論も必要としていない、誰の眼にも見えている事実を語り、誰の心にも具っている健全な尋常な理性と感情とに訴えれば足りる、そういう考えから、ペインは、その革命文書に、コンモン・センスという標題を与えたに相違ない”

    “古人の書物ばかり有難がっている人々より、誰にも備っている凡そ単純な分別だけを働かせている人々の方が、私の意見を正しく判断するだろうと思うからだ」と。そして重ねて言う。「私が、私の審判者と望むものは、常識を学問に結びつける人達だけである」と。”

    “「出来る限り」という言葉は、デカルトの著作に、屡々使われているが、この意味は、大変はっきりしたものなので、人間に可能な限りという意味なのだ。そこには、制限された人間という存在に関する彼の鋭い意識が、いつも在るのです。”

    “私達が常識という言葉を作った以前、私達は、これに相当するどういう言葉を使っていたかというと、それは、やはり生活の知恵を現す「中庸」という言葉だったろうと思う。”

    “人間に出来る事は、天与の知恵を働かせて、生活の為に、実在に正しく問う事だ。実在を解決する事ではない。正しい質問の形でしか、人間にふさわしい解答は得られはしない。”

  • 小林秀雄 「 考えるヒント 」 荻生徂徠を中心とした江戸思想に関する随筆。考えるヒントとして、江戸思想家の思索、内観を取り上げている。1より 各随筆に共通性があり 面白い

    徳川期の儒学、朱子学=思想上の戦国時代
    *当時の学問は 学というより芸→邪説を含めて広い読書は不可能→古言の吟味→読みの深さ、自得、内観が重要

    山鹿素行〜自分の歴史家としての成熟と開眼
    *耳を信じるな=聞こえてくるままの知識に頼るな
    *目を信ぜよ=心の目を持て→史眼とは心眼のこと

    荻生徂徠
    *学問は歴史(伝統)に極まる=学問するとは 歴史を生きること→自己の歴史的経験を明らかにすること
    *注に頼り早く会得することは 自己の発見が生まれない
    *孔子は 確かな物(仁、徳など)を好み〜これを行うことによって 智を成した→智により物を得たのではない→知るより行うのが先

    徂徠「弁名」
    *学問は先ず言語の学であるべき=言語の究明
    *物あれば名あり→聖人が 道 という名を発見した
    *道とは 形のない物、定義できない物全体の統名
    *聖という名を弁じて 聖とは 作るという行為を指す名

  • このメモページのタイトルそのままである
    知識の量を理解しようと時間をかけている端から読み終えた分を忘れていく
    たぶんこの1冊を繰り返し読み続けて飽きない自信がある
    1冊読み通すまで寝ずにいられる自信はない
    今後もこの本を自身に役立てられない確信はある

  • 小林秀雄のエッセイ集。1より難しくなった。相変わらずレトリカルな言い回しや反語・逆説が多く、著者の主張が見つけにくいことがある。一つひとつのキーワード(常識、歴史等)にブイを打つようにして、ゆっくり読み進めて行くことでなんとか理解できたかどうか、という感じ。

    内容だが、主に荻生徂徠や伊藤仁斎等、江戸時代の儒学者の思想を下敷きにして、常識、学問、歴史等について語られている。一貫しているのは「人間が持つ常識というものに対する信頼」。

    「読書とは、信頼する人間と交わる楽しみであった」。
    儒学者達が孔子と交わったように私はこの本を読むことによって小林と交わっている。

    しかしこの交わるということが手放しに礼賛するという事になってはいけない。かといって、書かれている思想の一面を固定化し利用するといったジコチューな考え方も危うい。これらは一方通行であって、交わりではない。

    交わりを楽しむという態度は、生活経験に照らして自ら考えることからしか生まれ得ない。これが常識であり、中庸ともいうものだ。それらは定義されることを拒み、絶えず更新されていく。

    この「考えるヒント」シリーズは、自ら考えるという心の動きを引き出す鏡のようなものなのだと思う。

    *

    統名についての議論の意味がうまく取れていない。要検討。

  • 何回読んでも難しい

  • うーん。。。

  • 私達は皆、物と物の名を混同しながら育って来たのだ。物の名を呼べば、忽ち物は姿を現わすと信ずる子供の心は、そのまま怠惰な大人の心でもある。歴史家達が、歴史を解釈し、説明する為に使用する言葉の蔭に、何かがある、その何かがあるという事と、彼らがどんな言葉を便宜上選ぶかという事とは全然関係のない事である。

    出来上がった知を貰う事が、学ぶ事ではなし、出来上がった知を与える事が教える事でもなかろう。質問する意思が、疑う意思が第一なのだ。

  • 時間もたんまりかけて、脳細胞をフル動員してガジガジとかじってみたのだが、全く歯が立たない。さっぱりわからない。アフォリズムの一つすら拾えない。俺は馬鹿なの?

    「アンチオイディプス」「ゲーデル・エッシャー・バッハ」も、「カラマーゾフ」の「大審問官」も難しかったが、彼らは、こちらが息を切らして、ボロボロになりながら這い登った高い先の暗闇で待っていてくれて、手を差し伸べてくれたのに。

    手を差し伸べないことが、理解されないことが目的なのだろうか?だとすればこの作者が馬鹿なの?

    俺の人生には存在しなかったことにしよう。3、と4は短時間で流し読みをしてやろうっと。

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