東京セブンローズ 下 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2002年4月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (432ページ) / ISBN・EAN: 9784167111229

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

戦中戦後の東京を舞台にしたこの作品は、旧字旧かなで綴られる男の日記を通じて、戦争の生々しさと日常の中に潜む希望を描き出しています。読者は、戦後のローマ字化計画や日本語禁止の中で失望する子供たちや、復讐...

感想・レビュー・書評

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  •  著者が『文藝春秋』に17年間にわたって連載した長篇小説。上巻はとても面白く読んだのだが、著者のさすがの筆力で退屈こそしなかったけれど、物語が進むにつれてだんだん不愉快になってきた。それは、読者としての自分の問題なのか、それともこの小説自体の問題なのか。
     
     ひとまず後者として考えれば、最も違和感を覚えたのは、この小説のジェンダーの描き方。帝国日本ではなく日本語をこそ守ることを決意した「東京セブンローズ」の女性たちは、自らの性を元手に、セックス・スキャンダルの種を蒔くことで占領軍の企みを押しとどめようとする。小説では、これは彼女たち自身の計画であると強調されているが、要は若い女性たちが時分の性的な魅力を手段=道具にすることでしかない。また、それがアメリカ人男性と日本人女性という典型的なオリエンタリズムの構図の中で設計されていることも見逃せない。
     上巻で戦時末期、空襲下の東京で生きた人々の大勢順応主義的な態度と内なるしたたかさとの両面を見事に描き取って見せた作者のねらいは、おそらく、戦争を起こし、推進させた日本の男たちに対する懲罰だった。そして、日本の男たちが帝国日本の植民地に日本語を押し付けたことを考えれば、占領軍が日本語をローマ字化し、日本語そのものを変えようとしたことを批判する資格はない、という主張もその通りだろう。(その証拠に、視点人物の山中信介は作中で3度も投獄されている)。
     だが、敗戦後には、「女と靴下が強くなった」を地で行くような通俗的な物語世界の中で、日本の男たちは、まさに男性性を去勢させられた情けない存在として植民地主義的に描かれつつ、一方で、男性の公的な世界と女性の私的な世界とが区別されるというジェンダーの区分を根底的には維持している。つまりこの小説は、まさにさだまさしの歌がそうであるように、人当たりは良いが、ひそかな家父長制を如実に継承しているのだ。

  • 2015/05/31完讀
    ★★★★★

    相較於上卷在戰末及戰敗生活中嘻笑怒罵的世相,下卷信介開始發現家中女眷結成七薔薇セブンローズ,瞞著他偷偷在進行什麼,結縭二十幾年的妻子也有些變化。信介被民間情報教育局(CIE)雇用成為言語課長ホール的日本人調查對象,此人也是他女兒文子的對象。在不斷與ホール的論戰中,信介還求助各方例如鄰居高橋,主張不可奪走漢字及假名;ホール則主張為讓日本人邁向國際、檢閱方便、得以理解(日文是惡魔的語言~第一人稱這樣變來變去,人名也念不出來的只有這種語言?!)、徹底與軍國主義斷裂(以後的人都看不懂戰前的東西)、改變思考迴路等等理由,主張要廢除漢字、假名改成羅馬字,最終達成徹底消除日文的目標。這卷的重點顯然就是擺在「日文」上面了。七薔薇抱著復仇的決心不讓外人奪走日文,既然阻擋不了ホール,就策畫對美軍訪問團的官僚仙人跳。信介雖然還是生雞蛋無在關鍵時刻拍照失敗被捕,然而備胎高橋順利完成目標,使節團最終沒有提出ホール案,決定將日文交給日本人決定。

    **
    一部原定速戰速決,卻寫了十七年的小說。因為十七年斷斷續續地寫,前後有些無法完全合致的斷層與矛盾存在,然而我依然非常非常尊敬這部小說。井上這樣勇於實驗,用日記體、正字正かな寫出這樣一部實驗小說,或許現在很多日本人都無法立刻讀懂舊漢字,但他能夠寫得這樣平易近人,讓讀者在捧腹之中漸漸無縫接軌此文體,一點都不覺得難讀(就像東北腔在吉里吉里人這部作品的笑鬧中讓我這樣的外國人也能漸漸接受一樣)。而且他寫的世相和生活瑣事實在太有趣,讓人差點忘記這是一個悲慘的時代與生活。確實如文末解說者所言,作者認為悲傷是個人性的,只有笑才是普世的,越悲慘的處境和時代,人們就必須用笑來找回日常的感覺。再者,在荒唐無稽的故事裡(下卷好像回到一分ノ一),正經八百地討論日文漢字假名的存否,卻又讓人津津有味,就像吉里吉里人裡登場字典一樣,本來我還期待更多更多的論戰。而卷末高橋與信介兩人點出的國家與人民是不同的,但突破不了這點迷津才會讓造成最終戰敗的悲劇。台灣至今還有「沒有國哪裡會有家」這種軍歌,井上要說的概念何其簡單,下台的只是支配階層,不應該被這種口號所迷惑,漢字被誤用來造出「玉碎」等沒有意義的造詞,最終還宣傳一億總決戰戰到最後一人究竟有何意義?在大環境的悲劇下,每個人在無意識間未曾反抗,漸漸也成為極權政權的抬轎者。裡面許多犯罪,或者像町會長青山基一郎這種甘草人物牆頭草,清和昭一參加少年黑市米搬運團或犯罪,雖然好笑歸好笑,但是令人毛骨悚然地是,看似架空的作品其實卻可能隨時真實在生活中上演,如果平日不思考就隨口號或政策起舞,除了有更多青山或者寫愛慕信給麥克阿瑟的人以外,每個人都不自覺地在促進家國的失速。最後,井上對語言,和母語日文的熱愛,在下卷也可以深刻感受,這個問題或許是他的終極關懷,我也不禁感慨,人當如此思考自己熱愛的語言和母語!他那樣地熱愛這個語言,那麼執拗地注視著這個語言,筆下所寫出的言語熱度自然與其他作家完全不同。正視這個語言的本質,和語言嬉鬧之中水乳交融,因此他才可以寫出這樣完全無法翻譯的作品。我個人一直覺得,可以翻譯的普世作品並不夠作為超一流的母語文學,能夠運用該語言唯一的優勢─文化、土壤、歷史、特殊用法、典故、意象、押韻、念法寫法、該語言的特殊表現方式來書寫出無法翻譯的作品,才是真正臻至該語言高峰的作品。

    PS寫了故事梗概,卻帶著好像是扭曲這本書的抱歉感。這本書就像井上的大部分長篇作品一樣,寫梗概好像是架空了這本書。劇情是絕大部分小說故事的命脈,井上其實有很強的掌握劇情能力,但何以長篇小說總是劇情七轉八轉?除了他自己也控制不了的,他本人的宏大格局以外,他的長篇作品的精髓完全在每一個瑣碎的細節裡,每一個每一個小小的光點裡,自成一國,每一個光點都是井上嘔心泣血之作,因此劇情已經顯得完全不重要,寫下劇情梗概,反而覺得俗氣無比。然而我還是做了簡單的紀錄,但那種去了菁華只留魚骨的負疚感揮之不去,可見每一個不足備載的細節有多麼令我珍重,令我喜愛。

    讓人無限地享受閱讀的每一個過程,我想沒有人比井上ひさし做得更好。笑作,傑作。

  • 【再読】この作品の読後感、何度でも味わいたい!

    下131「母國語なんですよ。その言葉で通信文を書いて生計を立て、戀文を書いて所帶を持ち、友だちに手紙を書いて友情を深め、遺言を書いて子に後事を托すわけでせう。一生使ふ言葉ぢやないですか。その大事な言葉に漢字があるから面倒だなんてずいぶん罰當りだと思ふな」

    終始、旧字旧かなで綴られる戦中戦後の東京を生きる男の日記。
    戦争の描写が生々しい、でも非日常の中の日常は決して悲観だけではないので救われる。
    そして戦後のローマ字化計画と日本語禁止。
    戦争を起こした大人の男達の戦後は…それに失望した子供達の選択、女達の復讐とは…

    とにかく読みにくい。でもそれがいい。

  • 東京セブンローズを読了しました。まぁ驚くくらいに面白かった。ちょっと簡単に説明できないけど、今、まさに僕が読むべき本でした。

    いろいろ考えた末Facebookは止めてしまったけど、あの拙い僕の読書感想に、間髪いれず「美しい日本語」ならと、この本を推薦してくれた鈴木君のの読書経歴に敬服します。

    推薦してくれたタイミングから考えると大分遅れてしまったけど、人に紹介してもらった本は必ず読むので、その待ち行列長く、今頃になってしまった。推薦してくれた本人は忘れた頃かもしれないが。僕の読書空間から考えると、恐らく君の推薦無くば、読まずに死んだと思う。読めて良かったよ。

    改めて感謝。ありがとう。

  • 日本語としての文章が一番だと思う。

  • 文庫 £1.00

  • いつか再読したい。瞠目の日記体小説。

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著者プロフィール

(いのうえ・ひさし)
一九三四年山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。一九六四年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。六九年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。翌七〇年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。以後、芝居と小説の両輪で数々の傑作を生み出した。小説に『手鎖心中』、『吉里吉里人』、主な戯曲に『藪原検校』、『化粧』、『頭痛肩こり樋口一葉』、『父と暮せば』、『ムサシ』、〈東京裁判三部作〉(『夢の裂け目』、『夢の泪』、『夢の痴』)など。二〇一〇年四月九日、七五歳で死去。

「2023年 『芝居の面白さ、教えます 日本編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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