槍ヶ岳開山 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (2010年3月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784167112387

みんなの感想まとめ

修行僧・播隆の槍ヶ岳初登攀を描いた物語は、単なる登山小説に留まらず、宗教的なテーマや人間関係の複雑さをも織り交ぜています。彼のストイックな姿勢が、世間の俗化に直面する様子は、登山の精神性と人間の欲望が...

感想・レビュー・書評

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  • 槍ヶ岳を初登攀した修行僧・播隆の物語。カテゴリーを山岳小説にしたが、純粋な登山話ではない。槍ヶ岳開山を志したころまでは良かったが、終盤はイマイチ。大名や幕府の老中がからんだり、最後は弟子同士の色恋沙汰が露見したり、ストイックな主人公を世間が俗化させようとする、宗教小説のようになってしまった。

  • 槍ヶ岳開山は、槍ヶ岳開山や笠ヶ岳再興をおこなった播隆上人を主人公にした小説です。
    実在の人物ですが伝記ではなく、あくまで新田次郎氏の創作小説。
    例えば播隆上人は史実では10代で出家していますが、この小説では30才ごろまで商人をしていたことになっています。
    商人の彼が一揆に巻き込まれ、誤って妻を殺してしまった所から物語が始まります。

    槍ヶ岳開山の偉業が本作のメインテーマですが、予想したよりも播隆上人が卑小に描かれていました。
    屈強なアルピニストでもなく敬虔な宗教者でもなく、ただ妻の許しを得たい平凡な男。
    そんな側面が強かったように思います。
    周囲に対しても弱腰で、長年苦楽を共にした弟子の徳念に我慢を強いること度々。
    播隆上人の偉業よりも、上人今際の際に彼の元を去った徳念の、それまでの苦悩に想いを馳せてしまう…。

    他の新田次郎氏の小説に比べても山や登山の描写は少なく、アルピニストとしての播隆上人を期待していた私には拍子抜けな面もありました。

    とはいえ、文章力は流石の一言。
    お気に入りの一文が、たくさん見つかりました。
    不満はありますが決してつまらない訳ではなく、主人公が播隆上人でなければ、純文学として楽しめたと思います。

  • 史実の播隆上人とだいぶ異なっている。最後まで自分が手をかけた妻のことを悩み生き抜いた市井の人という設定は、人間味溢れるとはいえ、自己本位といえばそれまで。自分の意志を言わず黙してあらゆる煩わしさから消極的な人物に思えた。

  • 笠ヶ岳登山道を再興し、槍ヶ岳への初登頂と登山道整備を成し遂げた播隆上人の半生をまとめた伝記的小説。
    播隆上人が成し遂げた仕事が大きいことは、山に登ったことがあるものならその成果と史実だけで分かる。史実的には、どうやら誰にもできそうにない偉業を淡々とこなしたらしい。まさに「すごい」の一言で、それ以上のことは書けない。
    この小説のおもしろみは、そんな史実に作者が付け加えた「業」なり「内面の葛藤」にあるんだと思う。無心になって偉業に挑む人を、人はなんやかんやで支援するわけですが、支援する人はそこにいろんな想いを自ずと乗せている。その想いには善も悪もあるわけですが、それらの両方を受け止められる超越した存在として聖人が存在する。それは自然現象の偶然が作るブロッケン現象の中に、人がいろんな想いや願いを見ようとするのと同じ。

    個人的には作中人物の弥三郎との対比が興味深かった。
    一見すると播隆上人とは全く逆の生き方をしている弥三郎が、ある意味では全く同じ思いと悩みを抱えて生きていた。作中では、まさに播隆上人との対比のためだけに存在するのみの存在ですが、「もし、こんな人物がいたら、下手すると播隆上人以上に悩み深い人生だったろうな」と思う。

    播隆上人が拓いた笠ヶ岳への登山道は今は使われていないようですが、それを偲んでつけられた地名がクリヤ谷コースに点在する。笠ヶ岳には一度登ったことがありますが、クリヤ谷コースを使ったことはない。機会があれば、クリヤ谷コースを登りそこでなにが見えるのか見てみたい、そのように思った一冊でした。

  • 高山信仰とブロッケン現象の関係がわかった。
    実際に槍ヶ岳に登って蟠竜窟を見たときは感慨深かった。


  •  すっかり新田次郎を読みまくるフェーズに入っている。そのなかで、今年の登頂目標でもある、槍ヶ岳を舞台としたこの小説を読むことにした。

     実在の人物でもある播隆上人(岩松)が、誤って妻を殺めてしまったという罪を背負い、僧に身をやつしてさまよっているうちに、運命に導かれるように槍ヶ岳の開山に向かってゆく物語。約三十年に及ぶ年月が約400ページに詰まっており、大河小説というほどの長さではないにせよ、読み終えた時には、紆余曲折の酸いも甘いもある人生をしっかりと走りきった播隆上人の長い人生を追体験したかのような、心地よい疲れがあった。
     徳の高い僧というものの一般的イメージがよく分からないが、少なくとも主人公は日々悩み苦しみ、それでいて登山に何かを見出し、楽しみ、良いことも悪いことも経験し、生涯を閉じるという、多かれ少なかれ共感を呼ぶ人物として描かれる。

     私が播隆上人の名を知ったのは、マンガ『山を渡る -三多摩大岳部録- 6』内で槍ヶ岳の開山者として名が挙がっていたことによる。以下引用。
     「日本にまだアルピニズム登山の概念がない時代 播隆上人が広めたかったのは信仰だったのでしょうかそれともーーー 美しい景色だったのでしょうか」pp.131-132
     そもそも必ずしも二者択一なものではなく、時代背景も現代と大きく異なるにせよ、美しい景色を求めてただただ山に登ったという考え方が、二百年前にもあったとしたら面白いなと感じた。
     小説においてはやはり妻を殺めたことが物語の原動力になっているが、大キレットに挑もうとするシーンなど見ると「登りたいだけでは?」と思わずツッコミを入れたくなるところもあり、この信仰や妻を巡る想いこら逸脱するようなところは、山を愛する作者の願望が播隆上人を動かしたのかもしれないな、と勝手に思ったりした。

     小説の播隆上人が、実際の播隆上人が、それぞれ何かを想った山頂で、自分が何を思うだろうか。その時を楽しみにしている。

  • 今年の夏、親しい友人と計画して槍ヶ岳を登頂した。予定よりも天候が悪く、これまでの登山経験の中でもなかなか厳しい登山であった。登山中に登山仲間から播隆上人について教えてもらい、槍ヶ岳山荘でもその歴史を断片的に学んだ。
    小説の中の播隆上人はもともと商人であり、おはまという妻もいる普通の男であった。数奇な運命により僧侶となり、笠ヶ岳と槍ヶ岳の開山を行なうこととなった。登山だけの話ではなく、この小説は播隆上人を通して人の想いや人々の運命を語る物語であると感じた。
    やっと滲むような暑い夏が終わり、夏の槍ヶ岳を思い出しながらこの本を読み終えた。

  • 新田次郎の作品を読み始め、地元にゆかりのあるものがたりと思いながら、手に取りました。つらい事は、いつの時代でも、どこでもおきるでしょう。一心不乱に、何かをなせばそれを乗り越えれるのでしょうか?名のある山の頂には、良く祠があります。それを安置した先人に想いをはせ、自然への畏敬と世界の安寧をせめて、祈りたいです。

  • 昨年の秋に槍ヶ岳に登った際に友人に薦められて手に取った本。

    新田次郎の丁寧な取材で明らかにされる播隆と槍ヶ岳開山の歴史は読み応えがあるが、自分は何よりひとりの求道者をカリスマに仕立て翻弄する世論について考えさせられた。

    自らをタレントとして売り出しカリスマになろうとする人だけでなく道を極めてひとつの仕事に心血を注いでる間に周りから勝手にカリスマに仕立て上げられる人もいる。播隆はまさにその人で、そのいやらしさに気づきつつもそれを受け入れることで様々な困難に翻弄される。戒律を守り続け、求道を続けることは難しい。

    思いがけず社会的な地位や名声を得てしまった時や他者の評価が自己評価よりも上回ってしまった時の身の処し方を考えさせられる。

  • このところ自分が低山ハイクを良くするようになり、高山である槍ヶ岳開山に興味を持って読んでみた。
    小説ながら良く取材して書かれているらしく、いろいろな事情に驚き、知ることが多かった。

    そもそも、槍ヶ岳信仰というものがあって開山したものではないことが意外だった。特に関心を持たれていない山を、山頂に仏像を設置し、人々が登って拝む山にすることが行われたのだ。

    作中では新田開発などに手を染めるいわゆる事業僧・椿宗の意向から始まったことになっている。僧もただ座しているのでなく、寺を経営したり、何かで名を上げて階層を登る努力をするなどの営みをそれぞれ行っている。
    主人公播隆の登山をサポートした面々、村で力がありキーとなった家のことなど、当時の様子を魅力的に描き出していて面白かった。
    物語は播隆が僧になる以前のことから最期までを扱い、その重い心の軌跡をたどる旅となっている。

  • 山岳宗教小説。昭和43年の作品。格調高い文体だが内容的には今ひとつの感想を持った。点の記のほうが小説としては良い。

  • 槍ヶ岳に登ったことがあり、興味を持って読んだ。
    播隆上人の描き方がよく練られていると思った。

  • 今となってはという内容。人物象に感情移入できない。他に読みたい本があるので、途中で断念。

  • 史実に忠実かは別として、播隆上人の素晴らしさが分かる。ちょうど槍ヶ岳に行く前に読み始め、帰路で読み終わった。思い出の一冊になった。

  • 私を山へ向かわした本の一冊。山に行くたびに読み返している。宗教観を考える機会の少なかった自分に 山を通じて考えさせてくれる一冊。

  • 悟りへの道は一心不乱になることだ。
    播隆上人はそれが高い山に登ることだったが、人によっては、一心不乱になることが、厠の中だとしたら、それはそれでもいいのだ。

    何人かの人が、おはまのことは、取って付けたようでいかがなものか、とかいていたが、確かにくどいと思う。もっと違うものに突き動かされて、槍ヶ岳開山をしたのだと思う。例えそれが名声を求めたものだとしても、その方が播隆上人らしいと思う

  • 上人と呼ばれながら、罪の意識に生き救いを求めた男とその周囲との関わり。愛弟子や商人の最後の行動が意外でもあった。ありがちな感動おしきせではない。

  • 古くから山は信仰の対象だった。頂上が槍の穂先のように鋭くとがったことで有名な槍ヶ岳を開いた僧と弟子の物語。歴史小説であるが複雑な人間模様が描かれ面白い。

  • 播隆上人の槍ヶ岳開山への動機の解釈があまりしっくりこなかった。

  • 2014*12*22

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著者プロフィール

新田 次郎(にった・じろう):1912-80年。長野県上諏訪生まれ。旧制諏訪中学校、無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、1932年、中央気象台(現気象庁)に入庁。1935年、電機学校卒業。富士山気象レーダー(1965年運用開始)の建設責任者を務めたことで知られる。1956年『強力伝』で、第34回直木賞受賞。1974年、『武田信玄』ならびに一連の山岳小説に対して吉川英治文学賞受賞。

「2024年 『火の島』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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