落第坊主の履歴書 (文春文庫 え-1-10)

  • 文藝春秋 (1993年1月1日発売)
3.48
  • (3)
  • (5)
  • (12)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 70
感想 : 6
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784167120108

みんなの感想まとめ

テーマは、人生の中での自己理解や神の存在についての深い考察です。著者の独特な視点が光り、彼の人生観や人間関係が描かれることで、読者は共感や癒しを得ることができます。特に、世間の基準から見れば「落第坊主...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 落第坊主の履歴書

    著者:遠藤周作
    発行:1993年2月10日
    文春文庫
    単行本:1989年12月(日本経済新聞社)

    日経新聞の「私の履歴書」の書籍化にあたり、100ページほど加筆したものをつけている。1部が「私の履歴書」(125ページ)、2部「履歴書捕捉」と3部「先輩・友人のこと」である。1部にも、もちろん友人たちのことが多く出てくるので、人物としてはダブる部分もあるが、トピックには事欠かない。日経の新聞連載はいつごろだったのか、不明。単行本には書いてあるのかもしれないが、結構、昔のことが多く、それからあまり日を隔てていない感じもする。ただ、やっぱり80年代なのであろう。

    幼い頃の悪童ぶり、勉強嫌い、ちょっと抜けたところなどが書かれている。2歳上の兄の通信簿は全甲なのに対し、著者は良くて「アヒルの行列」だったという。それは、乙、乙、乙に丙が混じっているという状態。そんな兄を尊敬していたのであったが、ある夜、珍しいことにその兄がオネショした。情けない顔で泣きそうだったので、著者はもっとデカいことをしなければと考えた。朝、彼らの母は長男の布団でオネショを、著者のほうでは寝糞を発見して仰天したとのこと。

    大人になってからについては、作家仲間などとの悪戯やなじり合い(もちろん表面的なもの)、酔っ払った時の遊びなどが披露されている。一番、酒癖など気があっていたのは吉行淳之介だったようである。とにかく彼は飲み屋に行くとモテたそうで、彼の有名な言葉に「膝なで三年、尻八年」というのがあるそうである。バアなどでホステスの膝を嫌味なくなでるには三年のバア通いが、尻を嫌味なくなでるには八年の修業がいるという意味だそう。

    少し前、少年時代を過ごした兵庫県西宮市にある夙川教会について知りたくて、同じ著者の「心のふるさと」というエッセイ本を読んだが、本書にもその教会のことは出て来たので少しほっとした(意味不明)。

    それにしても著者の人脈というか、人とのつながりはすごい。作家になってからはもちろんだが、子供時代や無名時代から、世間でいう有名人と偶然にもいろいろと出会い、関係を作っている。どうしてそんなネットワークが出来たのであろうか。運の強さとだけで解釈ができるのだろうか。

    例えば・・・
    大連時代、小学校3年生の学芸会で始めて舞台に立たされた。端役中の端役で「パン」と書いたボール神を首にぶらさげて立っているだけ。その時、生まれて初めて恋をした。主役になった女の子に夢中になった。あの子は大連の木村パン屋の娘だよと誰かが教えてくれた。その子の跡をつけたり、気に名前を刻んだり。後にこの話を耳にした銀座の木村パンの社長が、当時大連にいた親類の写真を送ってくれたが、何人か写っている症状のうちのどの少女か分からなかった。

    大連時代に著者の家によく遊びに来る女性がいた。上野の音楽学校(後の東京芸大)の卒業生で、著者の泣き母と同じだったので親しく交際していた。渡辺静さん。著者も下校の途中、小学校近くの彼女の自宅によく寄った。彼女が一緒に住んでいる大きなシェパードと遊びたかった。彼女も楽しみにしてくれていた。一度、なぜ一人暮らしなのかと不躾な質問をしたことがある。「間もなく、大連におじさんが来るから待っている」と答えた。そのおじさんとは、おそらく東海林太郎。後日、日本で東海林太郎と対談の折、大連で奥さんに可愛がっていただいたというと、えっと驚き、泪を流した。「静は私にとって神のような人でした」。



    著者は慶應大学時代から文芸誌「三田文学」に出入りして編集の手伝いをしていたが、三田文学で活躍していた山本健吉(文芸評論か)が家の近所に引っ越してきたのでしばしば訪問したものの、ほとんど喋らない寡黙な人だったという。その頃、三田文学は原民喜(詩人、小説家)が編集をしていたが、この人は山本健吉以上に寡黙な人。著者は、この2人と劇作家の田中千禾夫に対し「三田の三黙人」とあだ名をつけた。

    芥川賞を受賞した1955年当時、世間ではこのような賞についてあまり世間で知られておらず、発表当時の夜に著者が池袋にあるいきつけの飲み屋にいくと、「さっき、ラジオで何だか、あんたの名前を言っていたよ」と経営するおばさんは全く知らなかった。山陰で一人暮らしする祖母に至っては、近所の人から「あんたの孫の名前がなぜか新聞に載っていた」と言われて仰天。小さい時から始末に負えなかったから何か悪いことをして警察に捕まったに違いないと信じてしまい、その日一日、雨戸をしめ外に出なかった

  • (08.24.2016)

  • ■遠藤周作って面白い人だったんですね。
     彼の本を読むのは,本書が初めて。
    ■有名人はスタンド使いみたいに,知らないうちに,
     お互いに引かれあってしまう(?)。
    ■世間の基準からすると落第坊主なのかもしれないけど,
     上手く立ち振る舞っているので,落第坊主ではない。
    ■才能のある彼だから,落第坊主(?)でも生き抜けたのであって,
     かの遠藤周作だって云々…というのは成り立たない。

  • 2012.8.5読了。

    かわいいじいさん。あとがきが素敵!

  • 神様について。最初考えるのはいるか。いないか。信じるか。信じないか。そのあと神様はいる。と考えるとどこにいるのか。一体どんなものか。なぜいるのか。とか考えはじめる。狐狸庵先生はどう考えたか。神様は心の中にそういうものが働いているかどうかである。と。母を通して。友人を通して。故人を通して。幸も不幸もそういう働きを通じてもたらされているんじゃないかって。狐狸庵先生は自称おバカさん。ところがこれは自身にも言えることで代弁してもらえたようでダイブ癒された。それは以下。人間ひとつのことにあまり気がとられると他を忘れて大局がわからなくなるものである。

  • はじめての遠藤周作…だったような。

全6件中 1 - 6件を表示

著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

遠藤周作の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×