若きサムライのために (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167124038

感想・レビュー・書評

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  • 日本人必読の書。

  • 友人がヨルダンに旅行に行った際に持っていったという本。
    海外旅行にはまさにオススメ。
    前半は短編集で、ちょっとした空き時間とか旅行では避けられない(!)待ち時間に重宝すること間違いなし。かつ、内容も日本を離れて日本を想うに最適。
    ただ、後半の対談集は晩年(というほどでもない年齢だけど)の三島World全開で、学生運動の時代に理解が無さ過ぎる私には少し苦しかった。

  • 三島由紀夫の死の直前の作品。
    とにかく全編にわたって尋常ならざるほどいらだっている感じなのだが、いらだちがポジティブな方向に向けられていて、netの世界にありがちなネガティブや寂しさ拡大再生生産なナヨナヨしたタイプのいらだちではない。割腹自殺する作家のいらだち方はマッチョだなと。

    男の生活、男の肉体は、それに向かって絶えず振り絞られた弓のように緊張していなければいけない。私は町に緊張を欠いた目をあまりに多く見すぎるような気がする。-29

    この一節にすべてがはいっているかんじで、緊張感のない目をした輩がとにかく嫌いなんだろうなと。

  • やっぱり三島、大好きです。
    べらんめぇ口調の所が良いですね。ふふ。

    私も誰かのためとかでなく、今日を必死に生きよう。

  • 三島が若い人達向けに,敢えて口語体で,時にはべらんめい口調で三島の思いが記された作品。
    想像力というのは多くは不満から生まれ,退屈から生まれる。危急に際して行動し,生きることに全ての力を注いでいる時には想像力の余地はほとんどない。戦争中の日本の人々の想像力のかては全て戦争につぎ込まねばならなかった。これは芸術と結びつき,退屈した平和な時代では爛熟した芸術を生むが,その爛熟した芸術は,その生の不安に耐えられないような魂を十分に魅了できないという矛盾も起こる。
    現在,日本の勇者が勇者であることを証明する方法もなく,不勇者が不勇者であることを見破られる心配もない。最終的には勇気は死か生かの決断において決められるのであるから,そのような決断を迫られることがない現代に生きていれば当然である。それでは,今,若いサムライが勇者か不勇者かを見分けるにはどうするか。三島は,それは,非常事態と平常の事態とをいつもまっすぐに貫いている一つの行動原理だという。危機というのを心の中に持ち,その危機のために毎日毎日日常を律してゆく根本的な生活に変えることが必要だという。
    努力についても三島は何が楽で何が努力かけじめが必要と言う。”天才は努力である”というのは,いわばなりあがり者の哲学で,金も地位もない階級の人間が世間に認められるための血みどろな努力を表現するものでむしろイギリスなどでは軽んじられたようだ。楽をする方が苦しい場合がある人もいる。何十年もの間会社や役所でじみな努力を重ねてきて,定年退職後は生ける屍となる。彼らにとっては努力を失った人生の空虚と言うものにほんとうに対処するすべを知らないので,庭木いじり等の無害な道楽に余生をおくるなど,また別な無駄な努力を重ねて死ぬまでいきたいと思うのである。しかし,一番つらいのは努力をすることそのものではなく,ある能力をもった人間がその能力を使わないように制限されることだと三島は言う。人間として一番不自然な苦しさ,つらさがそこにあると言う。人間の能力を100%出している時に人間は生き生きとしている。しかし,その能力を削減され,自分で出来ることよりもずっと低いことしかやらされないという拷問には,努力自体のつらさより,もっと恐ろしいつらさが潜んでいる。
    明治時代の新帰朝者は,西洋の物質的な進化に度肝を抜かれ,本当に大事な非物質的な精神価値を見失っていた。戦後の経済的な復興,物質的豊かさが満たされるに連れ,多くの人の心の中に,日本は大したものだという感情がわいてきて,人の目に見えない内面的精神価値を磨く必要がなくなり,情熱もなくなってしまった。
    このため,三島は日本のこの先を憂い,今まさに50年先を見据えた教育改革が必要だと。50年しなくては変わらないものだから,何ものより早く,まず真っ先に取り組む必要があるのだと。
    精神というものは,あると思えばあり,ないと思えばないようなもので,誰も現物を見た人はいない。その存在証明は,あくまでも見えるもの(例えば肉体)を通して成就されるのであるから,見えるものを軽視するのも妥当でない。行為を担うのはあくまでも肉体なので,精神の証明には行為が必要で,行為のためには肉体がいる。だから肉体を鍛える必要があると言う。文字によっても精神は表現されうるが,最終的な証明は出来ない。このため,やはり精神の証明は文字だけでは足りないと。まさに三島の腹切りは文字ではなく,肉体的な行為での証明でもあったようだ。

  • 第6回(09.04.22)田原

    (本文抜粋)

    危機というものを、心の中に持ち、その危機のために、毎日毎日の日常生活を
    律してゆくという男性の根本的生活

    完全な肉体を持つことによって精神を高め、精神の完全性を目ざすことによっ
    て肉体も高めなければならない。

    約束に軽重があるべきではない。それはこちら側の信義の問題だからだ。

    人生は、成熟ないし発展ということが何らか約束されていないところにおそろ
    しさがある。

    自分でできるよりも、ずっと低いことしかやらされないという拷問

    そもそも市民の自覚というのは、人間性への恐怖から始まるんだ。

    小説家にとっては今日書く1行が、テメエの全身的表現だ。明日の朝、自分は
    死ぬかもしれない。

  • 小説より読みやすくレポート書くのに役立った
    この人はいろいろと面白い

  • 最近、某ビジネス雑誌でこの本が紹介されていたし、最後の陽明学の信奉者といわれる彼のことが少し気になっていたので図書館で借りて読みました。

    印象に残っているのが、「人間の能力の100%を出しているときに、むしろ、人間はいきいきとしているという、不思議な性格を持っている。しかし、その能力を削減されて、自分でできるよりも、ずっと低いことしかやらされないという拷問には、努力自体のつらさよりも、もっとおそろしいつらさがひそんでいる」という部分。自分の今までの人生を思い出して、まさにその通りだと思いました。もっと勉強したい、もっと活躍したいけれど、周りに迎合しないといけない社会だと、フラストレーションが溜まってしまいます。できる奴にはより高いステージをどんどん与える、その代わり、できない奴にはできるようにきちんとサポートをする。そういう社会が個々の力を十分に発揮させるのだと感じました。

    また、日本人として気高く生きるためにはどうしたらよいかが沢山書かれていました。自衛隊についてたくさんのことが書かれていますが、彼の意見はとても「正し過ぎ」ます。ただし、あまりにも「正し過ぎ」たために、結局は自分も周りも追い込んでしまったような感じがします。あまりにも鋭すぎて逆に刃が欠けてしまった日本刀のようです。

    彼が割腹自殺を遂げる1年前の作品です。すでに、心の中では自害を遂げて崇高な世界に行っていたようです。共感する部分もたくさんありますが、やはり、正論もどこで出してどこで引くかそのバランスは大切だと感じました。

  • 今まで三島由紀夫の作品は読んだことがあるけど、初めて「三島の作品」という意識を持って読んだ。それは僕にとっては自決をした作家、という意識だった。彼の、意思と行動をワンセットに、健全な魂と健全な肉体、文武両道、という考えは、本当に強いと思うし、それが彼の人生の終わりの自殺へとつながっているのだろうと思った。
    最後にあとがきを読んだら、三島と同年代の同じ時代を生きた人々にとってと、それ以下の僕らのような人々の間には意識の差があり、僕たちは前提として「自決した作家」というイメージで彼を見ているとかかれていた。まさに、と思って、ちょっとだけ理解できた気になって解説を読み始めた自分がこっぱずかしくなった。

  • 感性が老け込む前に、三島の本を全部読破してしまわなければならないなー、と思った。

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著者プロフィール

三島由紀夫(1925.1.14~1970.11.25) 小説家、劇作家。
東京生まれ。学習院時代から文才を注目され、1944年、東大入学と同時に『花ざかりの森』を刊行。47年、東大卒業後、大蔵省に勤務するも、翌年辞職。49年、『仮面の告白』で新進作家として地位を確立。『金閣寺』『鏡子の家』『近代能楽集』など、強固な美意識で彫たくされた作品を発表。海外での評価も高い。68年、楯の会結成。『豊饒の海』の最終回を書き上げ、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室に立てこもり、割腹自決。

「2017年 『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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