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Amazon.co.jp ・本 (560ページ) / ISBN・EAN: 9784167125073
作品紹介・あらすじ
十六世紀の後期、天正遣欧使節として八人の若者がローマへと旅立った。八年あまりの波瀾と苦難と驚きの全旅程。無為に終った彼らの青春を描破した歴史長篇。(川西政明)
みんなの感想まとめ
歴史的な旅路を描いたこの作品は、天正遣欧使節の若者たちが経験した過酷な船旅やヨーロッパでの出来事を、従者ドラードの視点から淡々と綴っています。詳細な描写により、彼らの苦難や驚きがリアルに伝わり、当時の...
感想・レビュー・書評
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使節たちの従者ドラード(日本人です)の視点で淡々と書かれています。
ヨーロッパでの行程がとても詳細に描かれていました(松田毅一『天正遣欧使節』にあった通りだった)。
そして想像を絶する過酷な船旅。
凪が嵐と同じくらい恐ろしいものだったとは初めて知りました。
生きて帰ってこられたのは奇跡だと思う。
ここまでしてヨーロッパを歴訪し、やっとの思いで帰国したのに…
彼らは幸せだったのかな。
でも、無為に終わった青春とは思いません。
テレビやインターネットで海外のことを詳しく知ることができる現代でさえ、実際に現地を訪れることは全く別物。
ましてあの時代に世界を見てきたこと、帰国後それぞれの道は違ったけれど懸命に生きたこと、無為であるはずがない。
ヴァリニャーノにとっては期待外れだったというだけ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2010年に「読みたい」で登録。
やっと図書館の書庫より借り出し。
イエズス会のヴァリニャーノの提案で、3人の切支丹領主「有馬晴信」「大村純忠」「大友義鎮」の名代として、有馬の学問所の生徒をローマに送ることとなった。
使節は、「伊東マンショ」「千々石ミゲル」「中浦ジュリアン」「原マルチノ」
天正10年(1582年)に長崎を出発、天正18年(1590年)までに及ぶ足掛け9年の旅路と、彼らのその後を、従者のコンスタンチノ・ドラードが記録係として語る。
インドを回り、喜望峰を巡ってポルトガル(リスボン)に着くまでは、ありとあらゆる海難の危機に襲われる。
まずは船酔い、突然現れた浅瀬に乗り上げるがやっと風が吹いて押し出される。
マラッカを出るとぱったり風がやみ船が進まなくなる。
暑さ、熱病と下痢、進路ミスであわや座礁。
異教徒を恐れての、陸路の夜行。
大嵐はもちろんのこと。
ポルトガルが統治する黄金の都ゴアでは、地元民は奴隷のように働かされていた。
サルガッソでは冷気で病人が出る。
多くの死人が出た中、使節は奇跡的に全員リスボンに到着。
ヨーロッパの各都市では歓迎のお祭り騒ぎ。
珍しいものを一目見ようと、民衆の大群が彼らを取り囲む。
1970年代の日本での、モナリザやパンダを見物するための行列や、外国人アーティストを一目見ようと空港に押しかける見物人を髣髴とさせる。
ソフィアの大学では、講義が中止になり、大量に押し寄せた大学生たちの間に失神者が出たり、一斉に堂になだれ込んで将棋倒しになって踏みつけられ気を失う者が出たりという、こちらは日劇ウエスタンカーニバル?(古くてすみません)
行く先々で貴人の歓迎を受け、ご馳走攻めで胃がくたくた。
「和服を着て見せろ」と、毎回せがまれる。
下にもおかぬもてなしをされているが、その実、猿回しの猿かもしれない。
どこへでも飛行機で一日二日で行ける現代とは違い、当時の船旅は風待ちで1年を費やすなどは当たり前のことだった。
帰りは船を失い、マカオで帰国を待つが、祖国では秀吉の突然の心変わりで伴天連追放令が出されていた。
ここから日本に上陸するまでがまた、試練の連続だった。
彼らに感情移入して読めば秀吉は憎い。
しかし、ヨーロッパが日本の植民地化を狙っていなかったかといえばそれも疑える。
ミゲルは伴天連たちへの疑問を口にしていた。
何よりも、こまごまとした記述で、みっちりと濃い旅路であった。
裏表紙の紹介文に「無為におわった彼らの青春」と書かれていたが…
イエズス会の思惑としては無駄な旅だったのかもしれないが、近代以前に世界一周とも言える旅をして珍しいものを見聞し、語学も修め、誰にもできないような体験をしたのである。
帰国してからも、信念に従って生ききった、彼らの青春が無為だったとは思わない。 -
使節の随員、ドラードが主人公の長編小説。
長いので読むのは大変かもしれませんが、
使節の行動が細かく描かれているので
当時の様子を想像しやすいと思います。
著者プロフィール
三浦哲郎の作品
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