樹影譚 (文春文庫 ま 2-9)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167138097

作品紹介・あらすじ

自分でもわからぬ樹木の影への不思議な愛着。現実と幻想の交錯を描く、川端康成文学賞受賞作。これぞ、短篇小説の快楽! 「鈍感な青年」「樹影譚」「夢を買ひます」収録。(三浦雅士)

感想・レビュー・書評

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  •  少し詰めが甘い青年がデートに行く話と、木の映った影にまつわる作家の話と、友人から買った夢を本当のことのように人に話しそれに振り回される話が入った短編集。
     それぞれ、テーマらしいテーマが見えづらかったが、何かが足りないこと、細い縁の繋がりについて、人を騙すことなのかなと思った。
     とにかく描写や文章が上手く、不条理なことが起こっても納得感が出ていた。一つの風景描写でいくつもの感情が解釈できるような表現をしているところもあり、読んでいて引き込まれた。回収されない伏線らしきものがあったりもするけれど、何故か気にならないことすらあった。伏線ではなく物語の背景の一つなのかもしれないとさえ思えてきた。特に、「樹影譚」は今までに読んだことのない感じの作品でとても面白かった。
     ただ、最初の短編ではランボーの詩の知識があれば分かるようになっているところがあり教養が要求されるが、最後の短編では先生が書いた日射病に関しての論文(おそらくパウロ[当時サウロ]がダマスコへ向かう途中のことだと思う)が間違って書かれていた。もしかしたら主人公がよく分かっていないという描写なのかもしれないが、教養を要求する割には…という印象を受けた。
     また、これは谷崎潤一郎の小説でも見られたことだけど、「樹影譚」中の文章で一箇所、どこの視点から話しているのかが分からないところがあったのが没入感を阻害していて残念だった。4.4。

  • 村上春樹がどこかでおすすめしていた本。
    丸谷才一の本を読むのは初めてだが、解説でも言われている通り、「上手い」と思った。
    旧仮名遣いはあまり気にならなかった。文章自体が平易に書かれているからだろうか。

    「もう秋だ」という台詞、どこかで読んだことがあると思ったが、ランボオの詩らしい。ランボオの詩は読んだことがないのに、なぜ読んだ覚えがあるのだろうと思ったが、たぶん高橋源一郎の小説に出てきた「ヘーゲルの大論理学」が持病の「突発性小林秀雄地獄」の発作を起こしたときの台詞だな。


  • 軽口で上品〜
    内容自体は著者が執着している樹影のイメージをつらつら書き連ねてるだけだが、知的なエッセンスが面白い。
    表題作が強すぎるので、他もムラなく読みたかった。

  • 表題の『樹影譚』ほか2題が収録されている短編集。
    村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』で取り上げられていたので読んでみた。

    樹影譚は、壁に映る樹影が好きな男の話。男は自分の嗜好がどこから来たのか思い出せない。ナボコフの短編にあった気もするし、あるいは…と思い出そうとするのだが一向に浮かばない。そのうち幼少の頃の記憶にまで遡っていく…(という小説を書く)

    影がテーマというと谷崎の『陰翳礼讃』を思い出す。これだけで洒落ているなと思ってしまった。話も仕掛けがあって面白かった。

  • 村上春樹の短編の本で取り上げられていたので読んだ。
    表題作は、これまでに読んだことのない奇妙な作品。うまく説明できないが背筋がゾッとするような小説だった。土俗や血縁にまつわる呪術的な空恐ろしさがヒシヒシと伝わってくる感じは、昨日読了した遠藤周作「沈黙」との対比もあってか、かなり深く印象に残った。
    基本的に旧仮名遣いで、ところどころ旧漢字が混ざる(全てではない)のもかなり目を引いた。

  • 次も「第三の新人」です。
    って、急に言われても何のことか分からないですね。
    この本の前に、安岡章太郎「ガラスの靴・悪い仲間」(講談社文芸文庫)を読んだのです。
    決して古びておらず、むしろ現代的なセンスを感じました。
    第三の新人は、自分の読書人生を振り返っても手薄だったので、この機会にまとめて読むことにしたのです。
    ちなみに吉行淳之介「原色の街・驟雨」、庄野潤三「プールサイド小景・静物」を購入済み。
    さて、丸谷才一の「樹影譚」です。
    3篇収められていますが、全て丸谷の特徴でもある歴史的仮名遣いが採用されています。
    表題作の「樹影譚」は、風変りな作品です。
    話の内容というよりは、構造が風変りなのです。
    本作ではまず初めに、小説家である語り手によって、なぜこの作品を書くのかが書かれます。
    言うなれば、手の内を明かすようなものです。
    それから本題に入って行くわけですが、これも少し変わった話。
    主人公の小説家(七十何歳という設定)の元に、ファンだという老婆から1通の手紙が届きます。
    こちらに来る時にぜひ会いたいというのです。
    最初は丁重に断った主人公ですが、老婆の姪だという女からも来訪を懇願する手紙が届き、渋々行くことになります。
    そこで老婆から主人公にある事実が告げられます。
    主人公が自分の息子だというのです。
    唐突にそんな話を聞かされても、「ああ、そうですか」と鵜呑みにするわけにはいきません。
    老婆と主人公の間で、化かし合いのような問答が続きます。
    主人公は一貫して老婆の言うことを信じません。
    ところが最後に、老婆から衝撃的な事実が語られます。
    「七十何歳の小説家から二歳半の子供に戻り、さらに速度を増して、前世へ、未生以前へ、激しくさかのぼってゆくやうに感じた。」
    前世、さらには未生以前にまでさかのぼっていくというのが実にいいですね。
    表題作も良かったですが、「鈍感な青年」がぼくは一等気に入りました。
    主人公の青年が、思いを寄せる娘を自分の部屋に誘います。
    ところが、下心が見透かされ、誘いを断られてしまいます。
    青年は仕方なく、娘を地元の佃祭に誘います。
    ところが、行われているはずの佃祭が行われていない。
    地元の人に聞いて、佃祭は3年に一度しか行われていないことが分かりました。
    青年は娘と蕎麦屋へ入り、氷いちごを食べながら詫びます。
    娘はこれを咎め立てせず、逆に青年の部屋へ行こうと誘います。
    大願成就すべく青年は張り切ります。
    二人は房事に及ぶわけですが、事はそううまく運びません。
    青年は童貞、女も処女だったのですね。
    青年が情けなく果てるまでの過程は、たしかに男としてはもどかしいものの、丸谷の筆は冴えに冴え、ほとんど陶然として読み耽りました。
    最後は、青年の鈍感さが浮き彫りになって終わります。
    これもオチとしては、とても納得のいくものでした。
    「夢を買ひます」は、すみません、あまり印象に残りませんでした。
    でも、丸谷がいかに上手い作家かというのは分かりました。
    うん、満足です。

  • 樹影譚、なんだか写真のアート作品を見ているよう。
    あと三浦雅士による解説が素晴らしい。

  •  丸谷才一の短編集。樹影譚は流石、言葉を一つ一つ選んで紡ぐ。自分という存在と、樹影に魅せられた小説家が老いてそのルーツを探るという話しと、実の母は私だというショッキングなストーリーが途中から交錯していく。徐々に、というか突然に、丸谷才一から小説の中の第三者に移行する小説としては面白い構成、そこに思想的、文学的な要素を織り込む。何てことない話だけど、やっぱり一文一文読み進めると、その文章は秀逸だと感じる。
     村上春樹の「若い読者のための短編小説」によると、3つのパートのうち、特筆すべきは第二パート。不器用な並列文が続くことで、彼なりの変身部分を用意していると。新聞記者クラークケントが電話ボックスに入りスーパーマンになって出て行く。その電話ボックスの役割だという表現はさすが、面白い。また、構成を「小説内・小説内・小説」というようなレイヤーとして捉えるのも、村上春樹が書き手側にいることがわかる。
     短編の中に入れたかったもの。丸谷さんが持つ、暗くて、固執している現実を、何かで崩したかったのかなと感じた。樹の影という言葉はメタファーであり、自分にはきっと当たり前のもの。横断歩道は赤になったら渡ってはいけないとか、近所に人とすれ違ったら挨拶するとか、そんなことが当たり前じゃなくなっているという恐怖なのかも。

  • あまりそういうつもりはなかったけれど『モーダルな事象』に引き続きテクニカルな印象のものを手に取ってしまった。村上春樹さんの『若い読者のための短編小説案内』で取り上げられていた一編「樹影譚」を読みたくて買ってあった一冊。「樹影譚」と「鈍感な青年」「夢を買ひます」が収録されている。

    「樹影譚」は実に凝った話で、話の中に話がどんどん入れ子状になっていくもの。話の中の話というのは、まさに「樹」と「影」の関係とも言えて、そこの妙味を鑑賞するのが一つの読み方かなと思う。

    こういうのを読んでいるといつも浮かぶのが和歌の歴史。「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」と時代が進むにつれ、「万葉集」のような直情ではもはや歌がつくれず、「新古今」などでは言葉遊びとでも言えるような方向に活路を見い出さざるをえないようなイメージが何となく自分の中である。

    上記のような歴史から浮かび上がる、そのどうしようもなさというか、哀しさのようなものを思うにつけ、丸谷さんも、こういう風に歌うことを宿命づけられている人、という気がするのだ。自分の前にあったものをしっかりと吸収してこられた学識のある方なので、それを見なかったことにすることも、それと同じことをすることもできないのではないだろうか、などと考えてみたりする。そして自分なりの歌い方を探す…

    三浦雅士さんが解説を書いているように、批評家を呼び寄せるような文でもあるかもしれない。

  • 僕にはまだ早い大人の本でした。

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著者プロフィール

大正14年8月27日、山形県生まれ。昭和25年東京大学文学部英文学科卒。作家。日本芸術院会員。大学卒業後、昭和40年まで國學院大學に勤務。小説・評論・随筆・翻訳・対談と幅広く活躍。43年芥川賞を、47年谷崎賞を、49年谷崎賞・読売文学賞を、60年野間文芸賞を、63年川端賞を、平成3年インデペンデント外国文学賞を受賞するなど受賞多数。平成23年、文化勲章受章。著書に『笹まくら』(昭41 河出書房)『丸谷才一批評集』全6巻(平7〜8 文藝春秋)『耀く日の宮』(平15 講談社)『持ち重りする薔薇の花』(平24 新潮社)など。

「2012年 『久保田淳座談集 暁の明星 歌の流れ、歌のひろがり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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