快楽主義の哲学 (文春文庫 し 21-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167140038

感想・レビュー・書評

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  • 「欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう」
    「この「満ちたりた生活」には、二つの考え方があることがわかります。一つは消極的な考え方であり、もう一つは積極的な考え方です。(中略)前者はむしろ苦痛を回避しようという傾向であるに対し、後者は、進んで快楽を獲得しようという傾向です」
    「幸福は主観的なものだが、快楽は客観的なものだということがあります」
    「快楽とは、瞬間的にぱっと燃えあがり、おどろくべき熱度に達し、みるみる燃えきってしまう花火のようなものです。それはたしかに夢のようなものですが、それだけに、はげしい起伏があり、人間を行動に駆り立てる美しさ、力強さがあります」
    「文明の発達は、人間を満足させない」
    「抑圧された「快楽原則」は、ときどき小さな悲鳴をあげて、意識の表面に踊り出してくる。反社会的な欲望が目ざめる。そうでなければ、ストリップやエロ映画が喜ばれるわけはないし、汚職とか公金横領とか強盗殺人とかいうことが起こるはずもないのです。フロイトによると、空想の世界は、心のなかでただひとつ取り残された「快楽原則」の全面的に支配する世界です。芸術家の空想は、一般の社会では禁じられている快楽や欲望の美しい花を咲かせます」
    「しかし考えようによっては、精神力や意志の弱い人の頭のなかにある「幸福」というものは、すべて、こんなものではないのでしょうか。「山のあなたの空遠く」にあるような気がするので、それを遠くから、いっしょうけんめい、あこがれの気持ちをこめてながめている。いじらしいけれども、困ったことです。家出少年が、ただ漠然と東京のはなやかさにあこがれているかぎり、けっして彼は、自分の手でしっかり幸福をつかむことはできますまい」
    「自分というものの能力や、その限界を知りつくしてしまった人に、いったい、どんな冒険ができるでしょう。わざわざ自分の本質を制限し、自分の能力の限界を小さくせばめてしまう必要が、どこにありましょう。たとえ、自分の財布の中がさびしいとわかっていても、なに食わぬ顔をして、つぎからつぎへと大ばくちを打つのが、いわゆるポーカー・フェイスの醍醐味ではありませんか」
    「自分自身を知ることにこだわって、謙虚になりすぎ、いつまでたってもサナギから成虫に発達しない人がいます。いや、サナギのままで満足している人が大部分ではないでしょうか。飛躍したり発展したりするためには、つねに自分の限界をたたきこわし、自分の可能性に賭けることが必要です」
    「けっきょく、人間にとっていちばんの大敵は、わたしたちが頭のなかでつくりあげる空想だ、ということになります」
    「東洋的と西洋的、自然主義と反自然主義、文明主義と反文明主義など――は、いずれがより以上にすぐれているか、簡単に断定をくだすわけにはいかないものです」
    「これがフロイトの「死の衝動」の説で、人間が無益な戦争をするのも、しばしば愛する対象を傷つけたいという欲望(サディズム)に攻め立てられるのも、要するに、人間が死ぬことを心の底でひそかに望んでいることの結果なのです」
    「情死の美学」
    「しかし、だれでもが心の底でひそかに望んでいる、この乱交という極端なセックスの混淆には、哲学的な深い意味があります。それは、おおげさにいえば、所有権の廃止、および、階級観念の否定につながるのです」
    「『三銃士』を書いた小説家の大デュマも、いつも家におおぜい客を招いて、大宴会をひらくのをなによりの快楽とした男で、彼には『料理大辞典』という著述さえあります。「大デュマがその息子(小デュマ)にくらべて、知的にすぐれていたのは、彼のほうが食事に関してより多く知識をもっていたからである」という、へんな意見さえあります。
    「(岡本太郎さんは)つねに戦闘的な姿勢を失わず、真のアバンギャルド(前衛)の芸術家は、いつも他人からきらわれ、憎まれるような人間でなければならない、という信念のうえに立って、行動しております。人から誤解されることなんか、ちっともおそれません。しかし、あけっぱなしで、陽気で、無邪気で、純粋で、バイタリティーにあふれ、永遠の青年の魅力をもった人間である岡本さんを、いったい、だれが憎んだり、きらったりするものでしょうか」
    「小心翼々とした人間や、けちな占有欲のある人間、反抗精神や破壊精神に欠けた、優等生のエリートだけが、家庭だとか、会社だとか、――あるいわもっと広くいって、国家だとか、社会だとかいった欺瞞の秩序に、必死になって、かじりついているわけです。なんの意味もない、くだらないものでも、しっかり手に握っていないと、不安になるのかもしれません。そもそも、しあわせな家庭などというものを築いたら、もう、若者のエネルギーは、行きどまりだということを知るべきです」

    主人公の造形に役立つ感じ。型にはまらないでつきすすむ、快楽→幸福を積極的に求めていく人物。はちゃめちゃなのに、憎めない存在なのは、快楽を求める人をうらやましいと感じるからなのかな。

  • 快楽と幸福の違い。

  • 冒頭から「人生に目的なんかない」と言い切ってしまう所は小気味よく、目的がなければ「自分でつくりだせばよい」とカール・ブッセの「山のあなたの空遠く」から始まる詩を登場させてセンチメンタリズムを批判し、私たちを行動に駆り立てるその文章は寺山修司を彷彿とさせる。

    第四章では、労働嫌悪の風潮を逆転させるために「どうすれば、労働と遊びとを一致させることができるか」という問題を取り上げ、そこから快楽主義の究極の目標を「一種のユートピア議論にはちがいありませんが」と前置きしつつ、「人間のエロス的な力の解放」であるとしている。
    子どもが泣いたり、叫んだり、駆け回ったり、あるいは疲れ果てて眠ること、これら全てが快楽に繋がっている。そう考えると、子どもは自然にエロス的な力を使いこなしているといえる。
    しかし大人になるとその肉体は労働のために利用され、非エロス的に矮小化していく。そこで筆者が提言するのは、肉体を単なる労働のための道具とみなすのではなく「つらい労働が全て楽しい遊びになる」ような肉体の解放である。
    このような考え方は、筆者曰く、ヒューマニズム的偏見からの解放であり、自分の周りに白線を引いて行動範囲を狭めてしまうような消極的幸福論からの脱却、思想的冒険なのだ。

    『快楽主義の哲学』は発表後45年以上が経過しているが、その内容からは色あせない刺激を感じ取れる。そこには時代に左右されない、人間にとって根本的なものがあるからだと言えるのかもしれない。

    60年代と現在を比べて、人間の持っている肉体的・思想的自由が矮小化していないだろうかという疑問がふと頭をよぎった。ただ、思想の自由度なんて測りようもないのが事実だ。
    今を創るのは今を生きている人間だけだとすれば、「今を生きる私たちが、思想的自由をどこまで拡大していけるのか」こそが問われることになる。

  • 三島の金閣寺を読み終わった後に手に取ったら、本の巻頭の文章は三島由紀夫によるものだった。
    本の好みが近いひとが書評を書いていたので久しぶりに澁龍を手に取ったが、なんだか読んだことあるかもと思いながらも、いや昔読んだのはたぶん「不道徳養成講座」のほうだよなと思ったり。井原西鶴の話など、最近読んだどこかの新書にも書いてあった内容だということに気がつき、あんまり昔の文章という気がしない。きっと澁龍の方が、時代が早かったのね。
    本が新しいせいか、行間が広いせいか、なんだかずいぶん読みやすくて頁がすすんでしまったが、これはやはりこの語りかけるような文章がお上手なんだろうなあ。

  • 09/27

  • 小市民向け・反逆バイブル
    日頃無意識のうちに考えてることを丁寧に、ややお節介気味にまとめたらこうなりましたって感じかね。とかく、生きることが先でしょう。

  • 書痴(ほめ言葉です)な澁澤先生にかかればさくさくっとこんな本で来ちゃうわけだ。
    宮沢賢治を痛快に批判して、サドはもちろん色んなぶっ飛んだ人をほめまくる書き方はタイトルどおり快感です。

  • 思想の強い本。何年も前の本だけど今とつながる部分もある。少し強すぎるきらいもある。

  • 『澁澤氏の本にしては随分と軽く取っ付き易いな』と思ったらカッパ・ブックス用に書かれた内容でした、納得。
    既存のモラルや道徳を捨てて型に嵌らずに人生を謳歌しようと言った内容。
    第5章の『快楽主義の巨人たち』が様々なタイプの快楽主義者が出てきて面白かった。

  • 快楽主義といえば派手派手しいイメージがあったが、隠者について語るところが印象的だった。

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著者プロフィール

1928年、東京に生まれる。東京大学フランス文学科を卒業後、マルキ・ド・サドの著作を日本に紹介。また「石の夢」「A・キルヒャーと遊戯機械の発明」「姉の力」などのエッセイで、キルヒャーの不可思議な世界にいち早く注目。その数多くの著作は『澁澤龍彦集成』『澁澤龍彦コレクション』(河出文庫)を中心にまとめられている。1987年没。

「2023年 『キルヒャーの世界図鑑』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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