- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167140038
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
快楽と幸福の違い。
-
冒頭から「人生に目的なんかない」と言い切ってしまう所は小気味よく、目的がなければ「自分でつくりだせばよい」とカール・ブッセの「山のあなたの空遠く」から始まる詩を登場させてセンチメンタリズムを批判し、私たちを行動に駆り立てるその文章は寺山修司を彷彿とさせる。
第四章では、労働嫌悪の風潮を逆転させるために「どうすれば、労働と遊びとを一致させることができるか」という問題を取り上げ、そこから快楽主義の究極の目標を「一種のユートピア議論にはちがいありませんが」と前置きしつつ、「人間のエロス的な力の解放」であるとしている。
子どもが泣いたり、叫んだり、駆け回ったり、あるいは疲れ果てて眠ること、これら全てが快楽に繋がっている。そう考えると、子どもは自然にエロス的な力を使いこなしているといえる。
しかし大人になるとその肉体は労働のために利用され、非エロス的に矮小化していく。そこで筆者が提言するのは、肉体を単なる労働のための道具とみなすのではなく「つらい労働が全て楽しい遊びになる」ような肉体の解放である。
このような考え方は、筆者曰く、ヒューマニズム的偏見からの解放であり、自分の周りに白線を引いて行動範囲を狭めてしまうような消極的幸福論からの脱却、思想的冒険なのだ。
『快楽主義の哲学』は発表後45年以上が経過しているが、その内容からは色あせない刺激を感じ取れる。そこには時代に左右されない、人間にとって根本的なものがあるからだと言えるのかもしれない。
60年代と現在を比べて、人間の持っている肉体的・思想的自由が矮小化していないだろうかという疑問がふと頭をよぎった。ただ、思想の自由度なんて測りようもないのが事実だ。
今を創るのは今を生きている人間だけだとすれば、「今を生きる私たちが、思想的自由をどこまで拡大していけるのか」こそが問われることになる。 -
三島の金閣寺を読み終わった後に手に取ったら、本の巻頭の文章は三島由紀夫によるものだった。
本の好みが近いひとが書評を書いていたので久しぶりに澁龍を手に取ったが、なんだか読んだことあるかもと思いながらも、いや昔読んだのはたぶん「不道徳養成講座」のほうだよなと思ったり。井原西鶴の話など、最近読んだどこかの新書にも書いてあった内容だということに気がつき、あんまり昔の文章という気がしない。きっと澁龍の方が、時代が早かったのね。
本が新しいせいか、行間が広いせいか、なんだかずいぶん読みやすくて頁がすすんでしまったが、これはやはりこの語りかけるような文章がお上手なんだろうなあ。 -
09/27
-
小市民向け・反逆バイブル
日頃無意識のうちに考えてることを丁寧に、ややお節介気味にまとめたらこうなりましたって感じかね。とかく、生きることが先でしょう。 -
書痴(ほめ言葉です)な澁澤先生にかかればさくさくっとこんな本で来ちゃうわけだ。
宮沢賢治を痛快に批判して、サドはもちろん色んなぶっ飛んだ人をほめまくる書き方はタイトルどおり快感です。 -
思想の強い本。何年も前の本だけど今とつながる部分もある。少し強すぎるきらいもある。
-
『澁澤氏の本にしては随分と軽く取っ付き易いな』と思ったらカッパ・ブックス用に書かれた内容でした、納得。
既存のモラルや道徳を捨てて型に嵌らずに人生を謳歌しようと言った内容。
第5章の『快楽主義の巨人たち』が様々なタイプの快楽主義者が出てきて面白かった。 -
快楽主義といえば派手派手しいイメージがあったが、隠者について語るところが印象的だった。