快楽主義の哲学 (文春文庫 し 21-2)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167140038

感想・レビュー・書評

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  • この本を読むまで、快楽主義と聞いて個人的に思いつくのは、辛いことから逃げて楽しいこと(快楽)に逃げる、ということであった。

    ところが本書で著者は、快楽主義をもっとプラスな意味で捉えていた。自分の自分の求める理想、さらに楽しく生きることが出来る方向へ、覚悟を決めて進んでいく。そうやって自分で快楽を発見して掴んでいくことが本当の快楽主義者である、ということであった。

    60年代の作品だということを忘れてしまうほど、しっくりと入ってきた。あとがきで浅羽通明氏は、今ではそこまで珍しい論ではないということも述べているが、個人的には感銘を受ける内容が多々あった。ただ、浅羽氏の言葉を受けて、時代が違うんだから、そこまで思いつめて著者の論を全て受け入れなくてもいい、と言われているような安堵感があったことは拭えない。

    この作品を読んで、澁澤龍彦という人物に非常に興味が湧いたので、今後著書やムックを読んでみようと思った。

  • 澁澤世界はなかなか面白い。私は此の人は評論・哲学を語るより、芸術作品を産み出す側であってほしい。
    要するにこの本はイマイチ、だが、澁澤作品にはこの一冊を引き金に惹かれる事になった。
    人類はこの通りになった―とあるが、果してそうだろうか。究極美をどこまでも追求する快楽は見当たらない。
    美に倒錯し給え、人類よ。

    快楽の追求は最早、芸術世界でしか不可能であると私は思うのだ。

  • 情死の美学は好きだったな。去年道行ものの日本画をたくさん見たからかな。

    全体としてはサクサク読めて手頃だし、基本スタンスは自分のそれと一緒なので楽

  • 澁澤龍彦には多分に影響を受けているが、この本は現代人の自分にとって余りにも当たり前の内容だった。

    幸福なんかより刹那的な快楽、現在形よりing形を重視する生き方なんて当たり前でしょう。
    マジメな人には今でも響くものがあるかもしれない


    とはいえ、ソクラテスや宮沢賢治を痛烈にディスるのは心地よかった。(かなり無理矢理だが)

  • 文章自体は非常に読みやすかった。

    正直、共感は皆無だった。
    50年以上前、当時36歳だった著者が書くにはなんか爺臭く枯れてるのか当時の人はこんな感じなのか何だか不思議な感じがしたが単に著者の知識階層のレベルが高かっただけで老成してるだけだった。
    内容はボードレールもワイルドもサド公爵も読んだことのなさそうな昭和のスケベ爺が好んでそうな話。
    選挙も行かず、消費行動もとらない今の人たちを見て素晴らしいとこの方は感じるのだろうか?

  • 1960年代に書かれた澁澤龍彦さんの雑談。

    色んなものに縛られていないでやりたいようにやろうよ!という呼びかけが冗談交じりに行われる本。
    ユーモア溢れる内容です。

    人間がいつでも遊んでいるような状態にならなければ真の意味で社会や文明が進歩したということにはならないという考えには文句無しに首肯する。

  • 澁澤龍彦のことはこの上なく好きなのだけれど、レジャーも愛する私としてはものたりない。

  • 2009/8/14図書館で借りる
    2009/8/22読了

    三島由紀夫が序文を書いているところで、すでに鳥肌ものです。澁澤龍彦は珍書奇書に埋もれた書斎で、殺人を論じ、頽廃芸術を論じ、その博識には手をつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名である。

    第一章:幸福より、快楽を
    第二章:快楽を拒む、ケチくさい思想
    第三章:快楽主義とは何か
    第四章:性的快楽の研究

    15分くらいで読みきるほど、おもしろかった。

    第五章:快楽主義の巨人たち
    血と太陽の崇拝者――反逆児ワイルド
    ワイルドは快楽主義を自分の生き方として堂々と押し出した人物である。


    第六章:あなたも、快楽主義者になれる

  •  「快楽主義の哲学」は、彼の中ではポップな部類の本で、エロティシズムや博物学の本を読んでいるファンにとっては、どこか彼らしくない押し付けがましさが感じられる。あとがきを読むと、売れる路線で企画されたために、改稿を余儀なくされたらしい。

     とはいえ、簡潔な文章で彼の思想を語る本なので、澁澤さんって誰?という人にうってつけだと思う。

     面白いのは、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が、こてんぱんに叩かれているクダリ。
    ・・・いつも静かに笑っている・・・そういう気持ち悪い人に、私はなりたくありません!って、そこまで言うか(笑)

     文学をやる人のライフヒストリーには、自分の「生まれ」で苦労する話がしばしばある。宮沢賢治も、太宰治も、生まれと環境のジレンマに悩まされた人だ。鴎外や漱石は、西洋と日本の文明の狭間で困難にあう。芥川龍之介は極端で、「一行のボオドレエル」よりも価値のない自分を嘲笑って死んだ。

    どれも澁澤龍彦より前の世代の話ではあるけれど・・・

     私が澁澤さんのファンなのは、彼が自分の生まれや、人生や、社会的な環境・・・そういった事に対してアッケラカンとしていて、もし自分に苦労があっても、それについてグチらずに文を書くところが好きだからだ。「雨ニモ負ケズ」をこき降ろすのは、徳の高い人格を目指しながら、へんに自分をすり減らそうとするコンプレックスの丸出しに我慢がならなかったんだろう。

     澁澤さんは、子供っぽい作家だと思う。だだをこねる子供、夢見がちな子供、理屈っぽい子供。子供でいることは、快楽を追い続けることだ。彼の本のなかでは唯一、自己啓発の要素があって元気づけられるものでもある。 

  • 労働をあそびだと思え!

著者プロフィール

1928年、東京に生まれる。東京大学フランス文学科を卒業後、マルキ・ド・サドの著作を日本に紹介。また「石の夢」「A・キルヒャーと遊戯機械の発明」「姉の力」などのエッセイで、キルヒャーの不可思議な世界にいち早く注目。その数多くの著作は『澁澤龍彦集成』『澁澤龍彦コレクション』(河出文庫)を中心にまとめられている。1987年没。

「2023年 『キルヒャーの世界図鑑』 で使われていた紹介文から引用しています。」

澁澤龍彦の作品

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