- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167140038
感想・レビュー・書評
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澁澤の人気本。
今とは全く異なる時代背景にあって書かれたエッセイだから、ややもすると噛みつかれそうな表現があるが、さすが大先輩、古今東西の文学の豊かな土壌に培われ寛容だ。スカトロジーが研究対象だと巫山戯る私とは雲泥の差。
澁澤本人はこの本を嫌ったらしい。かれのすすめる快楽主義とは実のところ何であるのか、お茶を濁すきらいもある。しかし、目次を追っただけで内容が読めてしまうような自己啓発書よりも、これを読んで澁澤の紹介する「韜晦」や「ダンディズム」を知るほうが、人は生きやすくなるのでは。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
精神の貴族たれ、という時に、都合の良い解釈かもしれないけれど、本書に書かれている姿勢をそのまま実績せよとは言っていないと思うので、
例えば本書でかなりページをさかれているエロティシズムに関しては正直なところ、共感は出来なかったが、要は偏屈だ頑固だと言われても、少なくとも精神の自由を侵されてはならないのだと言う主張だと解した。
巻末で解説者は、次のような趣旨を述べている。
本書での、労働の忌避や、大衆化したレジャー産業に乗せられないようにとの警鐘は既にして時代遅れで、定職につかないような若者、ますます個別多様化する趣向などはもはや当たり前になりつつある、と。
また著者は、当時、それこそ大衆向けの安易な入門書?のレーベルに執筆することに抵抗を感じていたともいう。
しかし、本書で重要なのは先に述べたように、誘惑に対して自覚的に乗っかるようなことがあっても、周囲の状況に安易に迎合せずに、既存の価値観念を冷静に検討し、少なくとも精神的には孤高の自由を保つことを最重要視しているのではないか。
時代が変わって、一見多様化したように思えても、結局似たような集団が形成されている状況に変わりないのではないか。
著者が執筆した当時のような破壊すべき「大衆」側の文化は、分かりにくい状況ではあるが、個人として取るべきスタンスは変わらない。そういうものを考えるヒントになるのが本書ではないか。 -
快楽主義の啓蒙書です。
人生に目的はない。ならば自分で作ればよい。では何を望むか。欲望の満足である。
この時、選択肢は2つ。苦痛を駆除して持続的な幸福を求めるか、瞬間的な快楽を獲得するか。
積極的な態度である後者の立場を採るのが本書です。
肉体の無政府主義という発想は面白いですし、自分自身を知る有害も新たな発見でした。
あまり深みは感じませんでしたが、脳は構造的に快楽主義ですし、哲学の視点から考える貴重な機会になりました。
最後に、解説の岡本太郎批判は的外れです。あの像は万博への"アンチ"テーゼなので。 -
これめっちゃ面白い
もっと勉強しよう
がんばるんば -
哲学というと、堅いイメージ
誰かがいう「頭のよい人ほど難しい言葉を使わず表現できる」にそった本
知性、学問を自分のものに(自己顕示欲のもとにではなく)した人はこういった文がかけるのかしら、と素直に関心
いつだったか(ファッションとは周りを伺いながら、少しだけ道をそれてアイデンティティを主張するものだ)という文章を読んだことがある。この人の主張はさらにその上の(他人に流されない)(迷惑をかけない自己中心主義)であるように思った。素直に良書。 -
人間は死ぬことを知ってる動物だから、哲学があると思う。良くも悪くも生き物はどうせ死ぬ、って考えたときにどうするか。中島義道の本に対する解説みたいになっちゃった。凄く一方的な視点な気がするけど、中々いい本。
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澁澤 龍彦著の怪作。
「幸福は不幸。幸福より快楽を選択せよ」1965年当時にこんな大胆な人生論を世間に突きつけてる澁澤先生はある意味リアルパンクスです。しかし当時異端だと思われていたことが21世紀に突入した現在では当たり前のことになっている等、多少の内容の古さは否めない。
それでも不可侵と思われがちな"聖人"宮沢賢治を卑屈などとけなしたりだの歴史上の快楽主義者を羅列して論じて見せるだのやりたい放題で面白い。
今の時代、こういったことを本気で書ける作家ってなかなかいないだろうなぁ。 -
1965年に発刊された単行本の文庫版。1996年にやっと文庫化されたというのは、この本が当時の日本に与えた衝撃がかなり大きかったということなのかな?こんなの読んじゃいけません!みたいな、保守的な偉い人とか知識人たちもたくさんいただろうなぁと想像する。本文中に、こんな箇所がある。
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p.47
個人的な快楽はすべて軽蔑すべきものであり、不健全なものだ、と頭からきめこんでいる人たちがいます。「きのうは映画、きょうはボーリング。」などというと、不愉快そうな顔をし、「昨夜はおばあさんのお通夜に行ってきました。」などというと、いかにも満足そうな顔をする人たちがいます。
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そういう人たちが大多数の時代にあっては、澁澤龍彦さんが翻訳したたとえばマルキド・サドの著作の数々も、澁澤さん自身の本も、かなり前衛的でアブノーマルなものと捉えられただろう。でも令和5年の今日読むと、そこまでぶっ飛んだ内容でもなかったように感じてしまうから不思議。欧米に比べたらまだまだなのだろうけれど、日本だけで半世紀前と今とを比べてみれば、思想的にも、性的にも、本当に多様性に寛容になってきてはいるんだなぁと思った。
そしてわたしは重大なミスを犯していた。昔読んだ『西洋哲学史 古代から中世へ』がずっと印象に残っていて、その著者が書いた本だと思ってこの本を借りたのだけれど、『西洋哲学史〜』は熊野純彦さんで、澁澤龍彦さんでは全くなかった…道理で文章の雰囲気が似ても似つかなかったわけだわ。 -
第一章 幸福より快楽を
から始まり、刺激的だが、荒唐無稽ではなく、むしろ生活そのものであるようなエッセイ。
快楽 とある以上、五感のリアルである事よ。
確かに、現代、概念的理性的に寄りすぎているかもしれない。
なんなら労働ですら遊んで仕舞おうか。 -
澁澤龍彦は人生の師匠