- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167140038
感想・レビュー・書評
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シニカルに生きる
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人間にはいろんな生き方があるなと思う澁澤氏の生き方と考え方。
史上の珍な生き様を紹介しながら、いかに自分にとっての生き方が大事かを説く。
労働と遊びの一致。
いつでも遊んでいるような存在にならなければ真の意味で社会や文明が進歩したということにならない、と。
1965年刊行で、
今もって尚新しい。
博識知的教養の深さに裏打ちされた澁澤龍彦の思想・発言。
出過ぎた杭とはこのことだろう。
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とてもわたくしごとですが。
この本で若かりしわたしは読書をほぼ初めて、楽しいと感じました。
今はもう少し捻たので、手放しに大絶賛するような感想は持てなくなってしまいましたが、読み物としてとても面白いことは今でも何も迷わず主張できます。
10年前後昔に、澁澤みたいなお父さん欲しいなって思ったのを思い出しました。
完全にチラ裏です本当にありがとうございました -
人生に目的などはありはしない。ただひたすら快楽を求めよ、それが異端でも構わない。一匹狼を辞するな。という扇動が込もったシブサワ哲学。
なるほどな、と思ったのが、幸福と快楽は違うということである。一見、類似しているかのような二つの言葉だが、意味が全然違う。まず、幸福とは苦痛を回避するものだ、という。確かに、幸福というイメージは平和、安泰、保険などがあり、どれも苦痛を回避している。澁澤はこれを苦痛の欠如とも言っている。
ところが、快楽となると、これは進んで快感を求めることである、という。例えば、おいしい料理をたらふく食べたい、絶世の美女(または美男)を手に入れたい、という欲求が快楽であるという。
なるほど、確かに幸福ばかり続くとつまらない。「日常に刺激が足りない」とよく言うが、この刺激こそが澁澤の言う快楽なのであろう。
澁澤自身、黒魔術についてだったり、妖怪についてだったり、超常現象についてだったりと、様々な日常とはかけ離れたものを好んでいた。それは小説にも見られ、澁澤の書く小説は「衒学的だ」、「異端だ」、「役に立たない」と人々は揶揄し、非難したそうであるが・・・私は首を捻ってしまう。私には、澁澤の書くものが、人間の自然的快楽欲求に叶っているとしか思えないからである。そういうお気楽な幸せ者たちに、「非難されるのはどちらなのか」と、思わず訊きたくなる。 -
世の中がどんどん禁欲主義に向かっているのを教えられた。これからは「幸福<快楽」という価値観を持って生きていきたい。
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普段の生活を見直す機会になる一冊。まぁ、内容が内容だけにすべてが参考になるわけではありませんが。
なんにせよ、普段過ごしている「日常」や疲れている現状に刺激的な「何か」を抱かせてくれる一冊です。 -
18歳の時に読んで、それまで死にそうに真面目に生きていたのに、膝かっくんされたみたいに笑われて楽しくなった。何度もコタツに潜って読んだっけ。
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なぜかもう一度読みたくなった。
定義付けが曖昧な言葉をテーマに論じる時、結局こねくり回した言葉遊びになってしまうことが多いのだけれども、彼の"遊び"はスマートでクールで、Z世代の言葉を借りればエモい。 -
お前ら、これ読まないでロックとか語ってんの?
読むほど、自分の元の孤高さを感じる。目を覚まさせてくれ、云うなら自身の「アイデンティティ」を鼓舞してくれる。誰にも邪魔させないという強い気持ちが湧いてくる。
私に近いのは愛読書を書いたゲーテだ。光やまない汎神論の中で、愛に生き進み続ける。
ディオゲネスの放蕩ぶりや、ジャリの茶目っ気も好きだけど。