生きる (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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レビュー : 64
  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167141646

感想・レビュー・書評

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  • やっぱり雰囲気は藤沢周平ですね。
    でも、出来は今一かな。乙川さんの平均点は非常に高いのですが。
    そうは思っても、特に欠点など見当たりません。ただ、何故か物語の中に引き込まれなかったと言う印象があるだけです。
    ひょっとしたら、この手の本は夏休みなどに読むものではないのかもしれません。暑さに茹だりながら読むよりも、秋の夜長にじっくり読むべき本だったのかも・・・。

  • 2017年、7冊目です。

    第127回直木賞受賞作です。

    時代は、江戸時代初期でしょう。関ケ原の戦いで敗軍となり浪人となった父がようやく食禄を得た十一万石の主家に自らも仕え、馬回り組五百石の家柄となった男の生き様を描いています。と言っても彼(又右衛門)の成り上がっていく物語ではなく、主君の死に対し、追腹を切るか切らぬか、その選択の結果に如何に向き合って”生きる”かを描いた作品です。
    登場する人物の心の機微に触れながら、自分の選択を周りの誰もが認めてくれない
    という怒りと諦めに抱かれながらも”生きる”ことに気づいていく男の心情が、丹念にそして誇らしく描かれています。
    主人公は、自ら望んでその生き方(作中では、家老の頼みで、主君の追腹を切らない)を選択したわけではない。その選択結果を淡々と、自分に説くようにして生きているように思える。しかし周囲の目は冷たく彼の生き方に理解を寄せるものは、家族にさえもいなくなってしまう。その悲観的な状況に追い込まれてから、自らの気づきで再生していく様を描いた作品後半の描写は、人間の持つ”生きる”力を誇り高いものとして称賛していると感じます。

    久しぶりに心揺さぶられた文章。
    ・・・やがて「いきているのがつまらなくてならない。生きる目当てが霞んでしまうと、強く生きてゆこうという意志もどこかへ消えてしまった。あるいはこのまま藪のかせ枝のように、ただかれてゆくのだろう。」という心情に陥っていきます。
    誰からも”あなたの判断は間違っていないですよ”と支えて貰えない人間の行き着く心境として必然のように思えてしまいます。
    そしてついに暗然たる気持ちは彼を覆い、毎日を無為に過ごすようになる。
    やがてその無為に生きる日々にも飽きてきて、自分にこの選択を迫った元凶である国家老への書状を認め始めるのであった。「どうせ恥辱に塗れたまま死ぬのなら、恨みつらみを吐き出してやろうと思ったのである」「ところがいざ恨みを綴り出すと、どれもこれも力を出せば克服できたはずのものに思われ、書けば書くほど泣き言を並べているような気がした。家中の誹謗中傷は容易に予測されたことだし、自信さえあればこれほど翻弄されずに済んだのではないか。」・・・「死んだ小野寺郡蔵(追腹を切らなかった同僚で断食して果てた)の分まで書いてやるつもりが、胸のうちを文字にしてみると、恨みの正体が見えてきて、その薄さに気付かされたのだった。
    長い間、評定を聞いたままに書き留めることに馴れてしまい、中身の重さや真意について考えないことが癖になっていたのかもしれない。」
    (こんなことでわしは苦しんでいたのか)
    何もせず、ただ恐れ立ち尽くし、嵐が去るのを待っていただけではないか。
    吐けるだけ吐き出し、自分の不甲斐なさを差し引いてみると、あとに残ったのは不当な扱いをする世間への反骨と、そういう事態を放置している家老や重職に対する正当な不満だった。
    そのことに驚き、後悔もしたが、又右衛門は何よりも闇の中に一条の光がさしたように思った。彼は三日ほどかけて書いた手紙を破棄した。

    この経験を経て、彼(又右衛門)は、再び登城し役職を務めだします。

    「僅かなことで人は変われるものだと、やがて他人事のような感想がもてたとき、又右衛門はようやく本来の尊厳を取り戻したらしい自分を感じた。それが当然のように毅然として白眼を白眼で見返し、青眼を向けてくるものがあれば青眼で応じるという、感情の生き物としてごく普通のことができるようになったのである。

    その後、彼は、自分に面と向かって蔑みを込めて接するものを睨み返し、「おぬしに人間の値打ちがわかるか」と胸の中で言い返えすことができた。

    この男は、孤独のなのに矜持を抱いて生きているといえるのか?
    辿り着く境地は、諦観の先にある微かな誇らしさか?

    この物語を読んで、この主人公と対局的な主人公を描いた作品を思い起こしました。北方謙三の「一人群せず」の光武利之です。彼は、「自らを持って由とする」という自由を矜持と共に生き抜いた。どちらの主人公にも共感を持ちます。男として。

  • 2002年上期:第127回直木賞受賞作品。

  • 題名にある通り、どう生きるのかということを
    テーマにした3作の中編集。

    どう生きるべきかというテーマに向き合った作品で
    心に響くものが多い作品だった。

  • 正直に生きても報われないこともある。生きることはなかなか難しい。とても現実的なお話。

  • 【葛藤。】
    世間様にまだ馴染まぬ、
    追腹禁止令を守ったが故の苦悩。
    暖かさはあまり感じられず、
    淡々と、深々と積もる想いが
    人の人生をつくる様を垣間見ました。

  • 人間の矜持とは何かを語り掛ける3作。

    表題作の「生きる」
    追い腹を禁じられた男はどう生きるのか
    安穏河原
    娘を身売りさせてしまうほど落ちぶれた男の親子の物語
    早梅記
    身の回りを世話してくれる女を通じ家族とは何かを問う作品

    どれも淡々とした筆致から、心の奥から考えさせられる作品。

  • どこかのテレビ番組で「愛」と「お金」とどちらが大切かなどとやり合っていたが、凛とした生き方をしながらも世の流れに逆らうこともできずにどんどん生活が苦しくなって、それでも凛とした生き方を通すなんて、実際にはできないけど憧れる気持ちが自分の中に存在することに驚きを感じた。

  • 恩顧のあった主君の死に殉じ「追腹」するはずが藩命により禁じられる男の話だが、特定の時代の特殊な話ではないなと感じた。現代でも凶悪事件を起こした犯人の家族は、この主人公の男と同じく、「あれだけの大恩を受けながら(あれだけの事件を起こして)のうのうと生きていくつもりか」という周囲の白眼視を浴びながら、身内内での不和や離散を経験する人たちはいる。主人公は最初、自身の身の処し方だけの問題だと思ったに違いないが、案に反して周りの家族が次々と彼の下を去り、うろたえ、落胆し、いつしか眼だけが自身の生を主張しはじめる。

    ラストの2つのサプライズはなくてもいいかな。むしろ暗示だけにとどめ、その前の再度出仕を始めると決心したところで終わってくれれば、その後の展開は読者の想像で充分楽しめたのに。

  • 現代日本では、すでに追従自殺が強いられることもないし、餓死寸前の空腹を感じることもない。あったら犯罪。理不尽であっても、自分の力では抗えないこともあの時代は多かった。武士として主家があるために、動きが不自由な男と、その男に仕える女。3篇のお話では、男よりも翻弄された人生を送らざるを得ない女が生き生きと描かれる。彼女達の生活は俗に言う「幸せ」ではないかもしれないが、なんて強い生き方で、他人任せでなく、己が選んだものなんだろう。ここに同じ女性として教訓があると思った。男はここでは、ある意味気の毒な存在だ。

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著者プロフィール

1953年東京都生れ。96年「藪燕」でオール讀物新人賞を受賞氏デビュー。97年「霧の橋」で時代小説大賞、2001年「五年の梅」で山本周五郎賞、02年「生きる」で直木三十五賞、04年「武家用心集」で中山義秀文学賞、13年初の現代小説「脊梁山脈」で大佛次郎賞を受賞。16年「太陽は気を失う」で芸術選奨文部科学大臣賞を、17年「ロゴスの市」で島清恋愛文学賞を受賞。著書に「トワイライト・シャッフル」「R.S.ヴィラセニョール」など。

「2018年 『ある日 失わずにすむもの』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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