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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784167169473
感想・レビュー・書評
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吉村昭さん最後の、エッセイや講演録の一部を載せた一冊。前半部は特にとても面白かった。 吉村昭さんの創作姿勢が、真摯すぎる程に感じる訳が解る気がした。
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吉村昭氏の随筆集です。お人柄がわかる内容で、とても興味深く面白かったです。この本を読んでから、他の吉村氏の作品をもっと読みたいと思いました。
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人間年をとると話が繰り返しになりますね
しかもなぜだか前とそっくりにしゃべりますよ(笑
わが連れ合いもしかり、しかもまだ70代ですよ
わたしも嫌になっちゃいますが
「おとうさん、またおんなじ話している」
という息子娘のなさけない顔がたまらん
作家の文章もそうです
あんなかしこい作家野上弥生子の最後の作品『森』も
終盤は「あれれ~!」と思うほど繰り返しとみだれがありました
でも、百歳なら仕方ありませんね
だから編集者もそのまま本にしたんですね
吉村昭の最後の著書エッセイ『ひとり旅』を読了しましたが
やはり同じ話題を繰り返してあるのがおさまっております
エッセイと講演からおこしたのやら対談ですから
まとまった小説ではないのでそれはそれでよいのです
吉村さんは徹底的に調べて書く作家さんなんですね
それもひとりであちこち出掛けて行くのです
普通は出版社の編集者さんがついていく方が多いらしい
題材の関係者たちにも会うし、関係地の図書館にも通う
そういう時の費用も自前がモットー、ひとり旅
だから、作家とは思われないで警察関係や土建業者に思われ
挙句の果て「作家吉村昭」の名をかたっている詐欺まがいに
そういうおもしろいエピソードが満載
また、吉村さんの作業苦労やその醍醐味が語ってあって
作品が読みたくもなる、宣伝効果ありのエッセイ
ひとり、満悦したのであったがそれではもったいない
で
これは詳しく感想を語らねばと思ったの -
事実のみをもって語らしめる。
虚構が前提の小説において、著者が独自に貫いたスタイルをひとことで言えばそういうことではないだろうか。
『ひとり旅』とは、妻であり作家である津村節子さんが、収蔵作のひとつ「一人旅」から改題してつけたタイトルだという。
現場と膨大な資料を必ず徹底的に一人で踏査した著者を、誰より知るひとは、当たり前のことだが妻の津村さんだ。
「ものを書く女は最悪の妻と思っていたが、せめてこれが彼にしてやれる最後の私の仕事になった」と序文の中で彼女は言う。
ひとり逝ってしまったつれ合いへの哀しいおもいを、「ひとり」というたった平仮名三文字に結晶させることができたのは、やはり「もの書き」のなせる業であり、見事というほかない。
収蔵作のひとつ「清き一票」は笑えた。
オホーツクに面した村。現地取材に訪れた著者は、畠で農作業する老婆と若い嫁の2人にだけ向かって、ハンドマイクで選挙演説をがなっている男に出くわす。ときあたかも村の議会選挙中だという。老婆は妻。若い方は長男の嫁なのだという。そして、前回落選したときの男の得票数は「1票」だった。
「たったの」とも「なんと」とも余計な修飾は一切無い。ただひとこと「1票」と、これ以上そぎ落としようのない事実のみが語られている。
吉村山脈とさえ言って良い膨大な作品群のなかで、幾つかある笑えるエッセイのひとつではないだろうか。
だが、ほかの謹厳な作品群同様、「事実のみをもって語らしめる」スタンスは貫徹されている。
『追悼吉村昭』と題された本書を見かけたのは7月だった。ああ、そういえば「お亡くなりになられてから一年になるのかぁ」と思いつき購入した。どうしてそうしたのか全く考えはないのだが、帰ると亡父の仏壇に供え手をあわせた。時折何度か手をあわせ、初めてページを開いたのは9月になってからであった。
先日の三連休は久方ぶりに伊豆で過ごした。
南端の下田まで足を伸ばしたが、海水浴場はいまだ盛夏だった。
ある予感があって下田の市立図書館を訪ねた。ナビが示すその場所は、見落としてしまうほどお世辞にも立派とは言いがたい小さな建物だ。しかし、「黒船」「吉田松陰」ゆかりの地である、外見に反して歴史関連の資料の充実振りには目を見張るものがあった。
生前著者は、「目指す資料は向こうからやって来る」と豪語したという。やって来るのではなく、執念ともいえる徹底振りで探しに行かれたのに違いないことは、ファンならずとも解っている。
下田の歴史コーナーに『黒船』と『海の祭礼』の二冊が並んであった。
当地にまつわる著作をいくつも残している著者が、訪ねてきていないはずはない。そして、地元の図書館の職員と丁寧な交友を結んでいないはずはない。私には密かな確信があった。
『海の祭礼』の裏表紙を開き奥付きを見る。
「昭」の朱色の蔵書印が押されている。
著者からの寄贈本の証である。
証はやはり確かに「あった」
目星をつけて取材に出かけると、目当ての資料は必ずあった。どこかでそう読んだ。執念の取材の果て、「あった」と思えた瞬間の著者のこころ持ちは如何であったか。
「昭」の蔵書印を見つけ、作家の足跡をたどる私の思いと、事実を追い求めた作家の思いとが、身震いとともに、重なり合った気がした。
そして、何気なく見てみると著者略歴には、見慣れた「1927年生まれ」ではなく、「昭和2年」と記されていた。気付かずにいたが、25年前に亡くなった父と吉村さんは同い年であったのだ。
父が亡くなったとき私は学生であった。大人同士として言葉を交わしたことは、だから無かった。吉村さんとも生前お目にかかったことは当然無い。
吉村昭さんと父とは、この私一人にとってだけのドラマである事実を見せつけて、いったい何を語ろうとしたのであろうか。
以来考え続けている。 -
恥ずかしながら著者の小説に触れたことがないのにこのエッセイ手にとってしまった。
小説を書くことに対する著者の向き合い方に感銘を受けた。自ら足を運び取材することで本質を探り書く。納得できるまで現地で取材する。小説家は空想の中で想像力を働かせて書くものだと思っていたけど、ここまでリアリティを突き詰めて一つ一つの文章を練り上げていっていることに驚いた。
誠心誠意、本気で取り組むからこそ読者に伝わるし、心を打つのだと思う。誰にそうしろと言われたわけでもなく、そうしたからといって万人に喜ばれるわけでもない。それでもやる。すごいことだ。
わたしは最近仕事で資料を作ったところ分かりにくいと様々な方に指摘を受けて何度もやり直した。何度もやったけど、結局最後には分かりにくいと怒られて途方に暮れた。思いはあったのだけど、うまくまとめられていなかった。誰にその資料を作れと言われたわけでもないけど、今後その仕事をやる上でまとめておいた方がいいのではと思い作った資料。今は分かりづらくても、今後はそれをもとにもっと分かりやすい資料にブラッシュアップされていくと思えば、とっかかりとしては意義はあると思う。
成功ばかりではない。ダメならダメなりに思いを持ってやった、そのこと自体に意義を見出したい。 -
事実こそ小説である、という徹底した創作姿勢で
知られる著者が遺した、珠玉のエッセイ。
最近、ハマった吉村昭のエッセイ集をまたまた購
入する。著者の小説は「ポーツマスの旗」しか読
んだことが無く「事実こそ小説である」という姿
勢には圧倒されつつも敬して遠ざけて来た。
小説の方はいまだ手つかずであるが、エッセイの
方はすこぶる気さくで面白い。いくつかの作品の
取材の裏側を語っているが、歴史の証言としても
貴重である。
巻末に小沢昭一氏との対談が収録されている。
小沢氏も昨年亡くなられたが、ラジオ番組「小沢
昭一的こころ」を思い出しながら読みました。 -
著者最後のエッセイ集。最晩年のものらしく、記述の重複やわかりにくい表現もあるのが痛ましい気がする。
しかし、冷徹な筆致はまさに「吉村節」である。
戦時中、寄席通いをしていたエピソードなどを、きまじめに記しているのが、何とも著者らしいのである。
合掌。 -
背ラベル:914.6-ヨ
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なんていうか、「ふ〜ん...」って感じ。この人の著作をいくつか読んでたら、違う感じがするのかな? あんまり変わらないような気もするけど。
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読んだ
それ以上でもなければ、以下でもない
これも読み終わった内の一冊 -
表題は、自分の足と金で小説の取材の為、各地を巡る著者のスタイルから取られている。そこまで調べるのかというくらい徹底した姿勢は、ひとり旅という少し風来坊的な響きがする言葉とは対照的。内容の重複箇所が幾つかある。
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2012.10.13(土)。定価¥552。
2012.10.30(火)。 -
夫人の津村さんによれば吉村さんは「小説を書くための取材以外の旅行はしなかった」そうだ。
史実に基づき、現地に赴き掘り起こした資料や聞き取り調査を原点として創造していく姿勢が高潔で迫力ある読み物となる。
調査は自腹で編集者などめったに連れ添う事はない「ひとり旅」なのだ。人がモノを創っていく様子が垣間見える。 -
吉村昭の最後の著作になるかもしれないエッセイ集。
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2ページ足らずの物語、「茶色い犬」に泣けた・・・。
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