希望の国のエクソダス (文春文庫 む 11-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167190057

感想・レビュー・書評

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  • <u><b>この国には何でもある。だが、希望だけがない。</b></u>

    <span style="color:#cc9966;">2002年、一斉に不登校を始めた中学生がネットビジネスを展開し、遂には世界経済を覆した! 閉塞した現代日本を抉る超大型長篇</span>

    イライラしている時に村上龍はスカッとする。これが村上龍文学の私の一番好きなところ。誰かが、この『希望の国のエクソダス』を2000年版『愛と幻想のファシズム』と言っていたが、まさに『愛と幻想のファシズム』に似た読了感がある。

    ナマムギが発する「この国には何でもある。だが、希望だけがない。」という言葉は、きっと小説内だけではなく、今現在日本に住んでいる人間の多くが思っていることではないだろうか。私自身、そう思う時がある。新しい価値観が欲しい。そして本作では、新しい価値観・希望をポンちゃんたち中学生が提示してくる。それに寄り添いながら、支援しながらも、本当にこれで良いのだろうかと迷い続ける関口。スカッとしないけど、スカッしないその曖昧な関口の態度が好感が持てる。でも、その関口の曖昧な態度に好感を持つのは、自分を重ねて関口を正当化しているのだけか?うーん、、


    <blockquote>おれはまだ結論を出していない。</blockquote>
    私も、日本という国に対して、また、この小説の受け取り方について、まだ結論を出せそうにない。

  • かなり昔に読んだ作品。登録していなかったので、登録しました。
    主人公は子供たちのようだが、あくまで大人目線で描かれているところが、この作品の良いところ。
    子供たちの危うさを思いながら、少し羨ましくもある、大人達の葛藤が良く分かる。

  • 講評や、この本でよく言われる評価と同様に、日本の近未来を書いた本としてはおどろくほど未来に対する予測を当てているなという感想を抱いた。経済の流れもそうだし、「この国にはなんでもある、ただ希望だけがない」というこの本で最も強烈なメッセージに表される、日本の政治や体制。2000年頃に書かれた本ながら2018年である今でも同様のことが言われていることには率直に鳥肌がたった。

    と同時に、この本の文庫本のあとがきを読んでいて、当時の日本を率いるような”リーダー”たちが、この本を客観的に講評していることに対して、違和感を強く感じた。講評というものは客観的に本を分析し、それぞれの観点での評価、感想や筆者の心境や意図を探るものなのかもしれない。しかし、この本で強く訴えかけられたものは、誰もが認識しているこの国の大きな問題に対して、社会を担っているリーダーたち、体制側の人間が、その課題解決のボールを持っていない、持つことを避けているということであると僕は感じた。あとがき、講評で有名なリーダーさんたちが述べていることは、その課題の認識にとどまり、中には「ぽんちゃんが現れるないと変わらないのかもしれない」といった内容のことを書いている人を見て、まさに本書が示した国の現状を見事に体現されているなと感じた。

    正直僕はこの本を読むのが辛かった。それは別に、僕が何か強い課題感を持っていたり、この国をどうしたいか考えていることを表明したいわけではない。しかし、この本を読んで、そのメッセージに対して反対する、批判するならまだしも、それっぽく認識して、賛成して、無視するといった行為は、何もこの本の本質を掴めてはいないのではないかと感じざるを得なかった。ぜひこの本を読んだみなさんの感想を聞いて見たいと思う所存である。

  • 読み始めた時、てっきり2001年9月以降に書かれたものだと思ったら、違っていて驚いた。村上龍さんの目には、この世界はどんな風に見えているんだろう、そんなことを読んでいる間中思っていた。

    あとがきで、これは”ファンタジー”だと村上さんは書いているが、現実味があり過ぎるくらいある物語だと感じた。もしかしたら、書かれた2000年当時よりも2018年の今の方が、余計にそう思うのかもしれない。

    「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
    希望って何だろう。主人公の少年たちは、周りの大人たち、学校、国家に失望し、自分達で立ち上がり、自分達の手で理想卿を作り上げたわけだけど、結局、希望は持てるようになったんだろうか。

    そもそも、希望なんて必要としていなかったのかもしれない。「昔の方が情報が少なかったから、感情が豊かだったんじゃないか」そんな風に主人公が考える場面があるが、そうは思いたくないと思った。人間は間違えることはあるけれど、それでも進歩している、そう思いたい。昔の方が良かった、なんて思うようになったらおしまいだ。目の前の現実から目を背けて、静かにゆっくりと”死んでいく”国をただ黙って眺めている、そんな人生は送りたくない。そんなことを思った。

  • いま僕らが読み返すべき、もしかしたらある種のバイブルになる本。この話が現実で実現されるかもしれない世界に近づいているような気がした。

  • テロ、窒息しそうな日本。中学生。限定電子通過、再生エネルギー、未来。
    はぁ。ため息しか出ないほど良くできた本。何度も読みすぎてボロボロボ。

  • 10年以上ぶりに再読。
    著者の小説は暗い話が多いように感じるけど、
    この小説は終わり方も含めてまさに希望がある。
    今は仮想通貨が注目されているけれど、この古い小説でもその内容が描かれている。
    政治・経済も為になる。
    就職の氷河期についてもわかりやすく書いている。
    勉強になるなぁ。
    ちなみに相変わらず内容はあまり覚えてなかった。

  • 村上龍の小説は気味が悪い。どれを読んでもそう思う。そんな違和感や異物感のようなものを、何をテーマにしても書ける村上龍はやはりとんでもないのだと思う。ちなみにこの本は、家入一真さんが文章を引用していたので、急いで読んだ。2000年頃に書かれた本だが、現代の問題にも当てはめることができることがたくさんあって、家入さんが引用した気持ちが少しわかった。

  • バブル崩壊後、不況だ不況だと言われつつ
    なんだかんだで日本人の生活水準が保たれてきたのは
    デフレによる物価安の恩恵があったからだ
    それは必ずしも、労働者に強いた努力の結果のみにあらず
    財政の締め付けによる円高維持…通貨ブランドの維持によるところも
    大きかったと思う
    問題は、競争の過熱するなか我を忘れて保身に走り
    労働者をシバキ上げることこそが善い結果を導くのだという
    安直な発想に陥った人々が
    人間存在そのものに対するテロリズムを推し進めていったこと
    そしてそれを恐れた若者たちに
    ハイリスクハイリターンの冒険主義を煽ってみせた者たちが
    登場したことだった

    「希望の国のエクソダス」はそういう時代のパラレルワールド
    その世界での日本は
    不況の中、東アジアにおける特権的な地位を確立すべく
    円をユーロ的な国際通貨にしようと目論んで
    ムチャな財政出動をおこなってしまう
    ところが投資家のアタックを受けて円は大暴落
    日本経済は壊滅の一歩手前まで追い込まれる
    小説とはいえ、こりゃいくらなんでもバカにしすぎではないか?
    いやしかし日本には、たしかにそれぐらい驕った時代もあった

    ただし、パラレル日本の大人たちに
    そこまでの勇み足を踏ませた真の原因は
    中学生の大規模集団不登校という現象の生じたことにほかならない
    いい学校に行けば幸福が約束されるというわけでもないのに
    わざわざ偉そうな大人たちと面つきあわせる意味なんてあるのだろうか?
    誰もがそう思っていた矢先
    メディアに登場した同世代ヒーローの存在が、中学生を目覚めさせた
    話としては、穏当な「愛と幻想のファシズム」といった感じだ
    中学生たちはインターネットで連携をとり
    コンテンツビジネスで資金を集め
    フェイクニュースを用い、市場の操作をおこなった
    円の暴落も彼らが演出したのではないか?と言われた
    するとつまりこれは
    大人の保身で潰される前に
    逆に搾取してやろうと考えた子供たちの物語である
    しかし幸福というものについての、明確なビジョンを持たないまま
    他人を理解しようともせず
    ただ食い物として傷つけてきた罪深さが、彼らの思う大人たちと
    どれほど違うものだろう
    そういうことを意識したかどうかはともかくも
    彼らは、しがらみ抜きで合理主義を行うだけの自由をつかみとった
    それは、自分自身をブランドに掲げる自由である一方
    ありがちなエディプスの理想化とも言えようか…

  • 不登校の中学生がエクソダスする物語。異国で地雷除去をするナマムギに触発され、国内のポンちゃんをはじめとする不登校児が新しい社会(希望)を形成する物語。新世代のNWO。10年前の中学生というと長友佑都や斎藤佑樹の世代だろうか。現実では、どうやら猟師でも中学生でもなく弁護士が世の中を変えようとしている。直に維新の気配を感じつつ。奇妙な気持ちで中学生のエクソダスを読んだ。

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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