空港にて (文春文庫 む 11-3)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167190064

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。時間が凝縮されている手法をとった短編集。何人かの人生を横から切り取るような体験だった。その時その人が何を見て何を考えているのか。文章がとても思考に寄り添う形になっていたので、本当に細かいところまで想像できる。良い文だと思った。自分がそこにいてその人になっているかのような錯覚がある。そして、現実は往々にしてそうであるが、今見ている世界との乖離、思考の振り返りで物語が進む。その切り替わりが突然だったりするのがリアルだった。切り替わりのきっかけも不意だったり原因があったりするのが余計面白かった。

  • 著者特有の過激とも言える表現はかなり少なかったが、各短編のその状況における描写がとても丁寧で素晴らしかった。ある場所という1つの設定からここまで拡げられるのは凄いなとしみじみ感じた。自分が最も好みだったのは最初の「コンビニにて」だった。とてもありふれた場所という設定に加えて事件が起きるわけでもないのに、文章は飽きさせることなくとても緻密な描写力と表現力には凄みを感じた。

  • 村上龍に最近はまってて、たまたま手に取った一冊。自分が今まで読んだ他の作品に比べるとえぐい描写はほとんどなく、心情描写に焦点をあてて「時間を凝縮させた技法」で主人公の人生の背景や人間関係が描かれている。
    一遍話が終わったところで時間は大して進んでいないけれど、話の終わりには主人公のことをずいぶん知った気になって、気が付いたら感情移入していた。主人公たちは少し暗い部分を抱えていて、全体的にもやがかかったような雰囲気があり、その感じが個人的に良かった。自分も頭の中でよく考えるタイプなので、この描写の細かさ、面倒くささが気にいったのかもしれない。

  • この文庫本の発売が2005年。閉塞感が強まる日本社会において、そこに生きる登場人物固有の希望を描いた短編集。

    加藤典洋さんが評論集『小説の未来』の中で、村上龍さんを「外国通・日本嫌い」の作家と書いていたのを思い出した。本書では、日本のどこにでもあるコンビニや居酒屋を舞台に、人生に充実感を得られず、疲れきってしまった市井の人々の生活が淡々と描かれている。

    この淡々としている、ストーリー上では僅かな時間を細かに思考し描写するといった様な「時間を凝縮した手法」の良し悪しは分からないが、最後には小さな希望に救われる、名短編集だと思う。

  • 淡々としたしかし粘着質な文章は読んでいて疲れた。登場人物がいかに社会に疲労しているかがよく伝わってきて良かったと思う。
    あとがきでの氏の文学へのスタンスが印象深かった。

  • 希望に心が温まった。素敵な短編だった。
    トパーズも好きだけどこういうのもいい。
    それぞれの主人公の内面の描写に共感できる部分が多かった。

  • 最初の「コンビニにて」が一番好きな作品。
    コンビニ=日本社会
    コンビニの中の人=ツボ型の人口分布の縮図
    コンビニの外からの光に目を細める老人。
    日本社会からの脱却の強い訴求を感じた。

  • 想像を掻き立てられながら読んでいたのですが、最後のサイトウで急に現実に引き戻されました。

  • ひとつひとつの話は短いが、それぞれの人物の鬱屈した思いが凝縮されていて、一方で周りの人間はそれを知らずに「日常」を過ごしている。
    人はそれぞれに複雑な思いを抱えているのだと思うと同時に、自分の心の弱さの襞に触れられる感じがした。

  • もう一度読んでみたら違うものが見えそう

  • 短編小説
    この本も昔読んだことがあるずだ。
    2回目のはずだが、どこも記憶のフックに引っかからない。
    本棚にあっただけなのか、読んだことを忘れてしまったのか、今となっては分からない。
    でもこの本の表紙は記憶にある。
    あの頃は何をしていたのか。
    どうしてこの本を買ったのか。
    今となってはどうでもいい。
    でも奥と手前の二層式の白い本棚でその手前の右側にこの本があったのは覚えている。
    なぜそんな記憶ばかり喚起されるのかが不思議だ。
    昔、英単語を覚える作業ばかりしていた時もそうだ。
    綴りも分かるし、発音も分かるが意味が分からない。
    そんな時も決まって、あのページの左側の下にこの単語はあったんだと思い出すんだ。
    物事の本質を理解することよりも空間的な把握の方が記憶に定着しやすいのか。
    脳内記憶の媒体が上手く他の細胞に連動していない感じだ。
    さて、寝るか。

  • ジャケットと、持った時の薄さになんだか惹かれて購入。

    村上龍は、初めて。

    「海外に留学することが唯一の希望であるような人間」をテーマにした短編集で、短いながらも主人公たちの「眼」を通したストーリーは濃厚で面白い。

    精緻な描写は、話を硬質にさせるのに、そこに漂う彼らの希望だけはしっかりと温度を持っている。村上龍はこんな書き方をするなんだな、と興味を持った。

    一番初めの「コンビニにて」で、音響の仕事をしている主人公の、眼と音と回想の交錯がとても良かった。
    何気ないシーンから、しかし彼の父や兄を置いて、主体的な生き方を選ぶ回想の切り替え。

    最後の「空港にて」は、風俗で働く女が、蔑みながら、それでも真面目に自分の生を選ぼうとする姿が良い。
    理想論であっても、理想論ではないと言いきる人の存在って、大事なんだろうな。

    旅に出る前に、生き方に迷ったときに、ゆっくり読みたい一冊。

  • 誰にも言えない気持ち。
    言葉にならない感覚。
    誰とも共有したことがない不安や混乱が、そのにはあって、なんだかホッとできる世界。

    ひとは弱くて、
    どうしても過去にとらわれがちになってしまうのが、混沌と描かれる。
    誰もそれに気づけなくて、そこから抜け出せない。


    131117読了。
    空港にて。すごく共感できる。
    期待と後悔と希望と不安と
    戸惑いと流されて行く様子が。
    自立することや
    たよることや
    いろいろなこと。

  • 電子本「空港にて」(村上龍)を読んだ。「これはホントに村上龍なのか?」これまで読んだ村上龍氏の長編と違って、私の苦手な冷たく尖った先端を有する文章や痛みを伴って沁み込んでくる毒もない。どちらかというと、視界を遮り降り続く雪の向こう側にほの見える灯りのような希望を予感させる作品群。

  • 人はどんな場所にいても
    いろんなことを
    考えているのだな。

  • こちらも再読。
    数作の長編が有名な村上龍の短篇集。

    日常的な様々な場面を舞台に、何気なく暮らしていそうな人々を
    物語にしている。掲載順を見れば、意識的、あるいは物理的に主体的な空間の広がりに応じて舞台設定がなされていて、最終的には「空港にて」で締めくくられる。追って読めば、この「空港にて」が極めて優れた、儚くても美しい短編小説か分かると思う。



    あとがきから。

    「社会の絶望や退廃を描くことは、今や非常に簡単だ。ありとあらゆる場所に絶望と退廃があふれかえっている。協力に近代化が推し進められていたころは、そのネガティブな側面を描くことが文学の使命だった。近代化の陰で差別される人や、取り残された人、押しつぶされる人、近代化を居日する人などを日本近代文学は描いてきた。近代化が終焉して久しい現代に、そんな手法とテーマの小説はもう必要ではない。

    この短篇集には、それぞれの登場人物固有の希望を書き込みたかった。社会的な希望ではない。他人と共有することのできない、個別の希望だ。」

  • 音が聞こえてきた。いろんなところから。

  • 作者のあとがきの通り、読んでるこっちまでどんよりしてくる閉塞感溢れる、こうはなりたくないなと思う設定に、一筋の希望を残す内容ばかりであった。特に、最後の空港にてのサイトウというコンサルの考え方がものすごく共感できた。大多数の人は、本当に簡単に「でも」「だって」「~だから」で思ったことを行動に移さないし、諦める。ものすごく勿体無いと思う。バツイチだからって、水商売だからって、できないわけではないし、禁じられてるわけではないのだ。自分で勝手に自分に制限をかけてるだけなのだ。お金だって、それは本質的な問題ではない。大事なのは本人自身なのだ。それを、優しく諭してくれた。短編すべてから、人生を有利に進めるためになにかしないとと思わせられた。個人的に、「クリスマス」の話が1番好きで、もっと読みたいと思った。

  • 偶然が次の偶然につながってドミノ倒しのように展開していく。気づいたらスタート地点には想像できないようなkぴょに。よかったね、とでも声をかけたくなる話。あとがきで筆者は「希望」を描いたとのこと。裏返せば、これまでは「文学」で扱われたような絶望や不安などはもはや当たり前であると言う。村上龍にとって、その「希望」は昭和の日本からの脱出にあるように思える。そこに共感する。

  • いろいろな場所を舞台に、個々人の小さな、ささやかな希望を「時間を圧縮する技法」を用いてえがいた短編集。

    どの話もはっきりいって他人からすればどうでもいいような問題を題材にしている。日本の現状だとか、社会問題について語るのではなく、あくまで個人的な問題を取り上げていて、一言でいえば「よく見ているな」と思った。

    普通、見過ごしてしまいそうなほど日常的で、個人的なものをここまで濃密に書くというのはかなり難しい。前々から村上龍は洞察力がずば抜けていてさらにそれを言葉にするのが上手いと感じていたが、この本ではそれが最高に活かされている。

    各話はどうにも霧がかった、不透明な状態から始まり、やがて主人公たちはささやかな「希望」を抱き、終わる。決して雲がなくなって青空が見える、といったものではないが、雨が弱まり雲が少し明るくなりつつあるような感じで終わるので、終始穏やかな気持ちで読むことができた。

著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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