- 文藝春秋 (1992年9月10日発売)
本棚登録 : 1295人
感想 : 111件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784167192273
作品紹介・あらすじ
家督をゆずり隠居の身となった清左衛門の日記「残日録」。悔いと寂寥感にさいなまれつつ、なお命をいとおしみ、力尽くす男の残された日々の輝きを描き共感をよぶ連作長篇。(丸元淑生)
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
晩年を迎えた三屋清左衛門の日常を描いた連作短編集は、隠居生活の虚しさと共に、日々の出来事や人々との交流を通じて命の輝きを再確認する物語です。主人公の清左衛門は、藩の陰謀や様々な出来事に巻き込まれながら...
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
用人の身から隠居することになった三屋清左衛門の連作集。晩年の作品の特徴である明るさが、この作品でもにじみ出ていて、主人公清左衛門のコミカルとも言える日常が活き活きと描かれています。
当時の隠居は52歳なのかぁ。最初は寂寥感が・・・なんていっているけれど藩の陰謀など次々に事件に巻き込まれ結構忙しい日々。いい年なのに、人を見抜けず厄介な状況になったりと、おちゃめな感すらある清左衛門。
作者も57,8歳くらいの時の作品と思いますが、実体験らしきものも反映されているのではないでしょうか。なかなかその年でしか描けない、しみじみとした作品です。
はぁ、早く隠居したい。 -
著者 藤沢周平さんが、いかに素晴らしい作家であったかは十分に知っているつもりでありましたが。
この作品、つい最近の月刊誌「サライ」で知り、読んでみました。
前藩主時代に、家禄百二十石からはじまり、そのまじめで真摯な仕事ぶりと、口が固く決して裏切らない人となりが信頼され江戸屋敷用人となるまで出世した「三屋清左衛門」
藩主の交代も無事に終わり、仕事も後輩に引き継ぎ、嫡男に家を譲り自分は隠居と。
大きな信頼感は今の藩主も特別に持ってくれたようで、破格の待遇で無事に隠居生活に。
清左衛門はあれほどなりたかった隠居生活に実際になってみると虚しさと張り合いを無くしていた。
まずは体を動かそうと、昔通った道場に通い始め、勉学も再開する。
少し元気がないのを心配した息子の嫁、里江が声をかけ、目をかけてくれる。
そして残日録(日記)を書くことにした。
まだ前髪があった頃からの同輩との再会。
今でも交流があり現役の友人。
いつのまにか、身分に開きができて、会わなくなってしまった知人。
昔の苦い思い出。
現役を退いた身分だからこそと、依頼される仕事や用事で日々がすぎてゆくのだが、石のように現役当時から一切変わらない価値観、倫理観で清左衛門は数々の難問にも果敢に対処するという話。
最近読んだ時代小説の名作も、もしかしたらこれが根っこに存在したのではないか?と。 -
隠居生活に入った三屋清左衛門。
「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」という意味で、
「残日録」を付けている。
醜女、高札場、零落、白い顔、梅雨ぐもり、川の音、
平八の汗、梅咲く頃、ならず者、草いきれ、霧の夜、立会人、闇の談合、早春の光の15編。
この柔らかい文体に癒された。
何度でも読み返せそう連作短編集。 -
北大路欣也さん主演のドラマを観ていたので筋書きは知っていましたが、原作も本当に面白かった。
多分藤沢周平さんの著書は初めてだと思います。
母が好きで何冊か持っているので他の著書も読んでみたいです。 -
藤沢・ハマるわ…
-
藩の勢力争いを背景に15の短編連作で主人公三谷清左衛門の目で見た人間模様が描かれている。
が、へそ曲がった見方をすると何とも羨ましい男の引退劇なのだ。
藩主からは格別の行為を受けて隠居場所を得る。
かつての剣の腕は隠居によってできた時間を使って道場通いを続けるうちに蘇る。
暇だらけだと思っていた隠居生活は、かつての藩の切れ者用人を頼ってくる現役の人々によって少なからず自尊心をくすぐられ、引いてもなお藩の役に立つ満足感を得る。
なおかつ女性にもモテるのだから。
歳老いた寂しさをそこに秘めているとは言え、かなり贅沢な境遇ですぞ。
しかしなんといっても藤沢さんの文章は良いなあ。
こういう文章が私に書けたなら、なんと幸福な事だろう。
流れる主題の合間に四季の匂い、自然の香り、人の心を差し挟む。
むしろ作品のテーマ以上にそちらを味わいたいという気になるほど。 -
三屋清左衛門残日録(文春文庫)
著作者:藤沢周平
発行者:文藝春秋
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
これぞ理想の隠居生活でのんびり読みたい日記風小説。 -
五十を過ぎ、藩主の代替わりに合わせて家督を息子、又四郎に譲って隠居した三屋清左衛門は、藩内で順調に出世し、最後は藩主の用人を勤めていた。
暇をかこつことになった清左衛門は、次々にトラブルが持ち込まれると、労を惜しまずその解決に奔走する。かねてより対立していた遠藤派、浅田派の派閥闘争が激化すると、その解決にも一役買うことになる。
第一線を退き、人生の黄昏を迎えた清左衛門が、老いと向かい合い、充実した日々を送る、ある意味理想的な老後が描かれている。今で言うと、六十五歳位で役員を引退した有能な会社人、といったところだろうか。何だか羨ましい。 -
-
久しぶりに藤沢周平読みました。
良いですねぇ。
日残りて昏るるに未だ遠し。
隠居した清左衛門は、老いと向き合う日々。
しかしいつの間にか、藩の紛糾の渦中に巻き込まれていきます。
連作短編集で、日常が描かれていきますが、背後には生きることへの深い洞察が見られます。
ーそうか、平八。
いよいよ歩く手修練をはじめたか、と清左衛門は思った。
衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終ればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。 ー 436ページ -
1月26日は寒梅忌であったらしい(読友の松風さんのご教示)。誰が名付けたのか寒梅忌というのは、まことに藤沢周平にこそふさわしいと思う。人は命日を自分では選べないのだが。少しずれてしまったのだが、遅ればせながら寒梅忌にちなんで藤沢作品をと本書を選んだ。本編は著者の還暦前後に執筆されている。篇中の「梅咲くころ」の清左衛門などは、作家本人を思わせるようで、ふと読者の微笑みを誘うかのようだ。作品は15の短篇が集積した物語集で、いずれも捨て難い趣きを持つが、「白い顔」の完成度が最も高いようだ。
-
昔NHKのドラマでやっていて、読んだ原作本。心理描写が、とても好きな作品。短編の集まりなので、読みやすいと思う。
-
連作短編の趣。派手さはないけど沁みますね。
-
面白い!隠居ながらいろいろ頼まれる元用人の三屋清左衛門がいろいろな難問、ちょっとした仲間との付き合い世情のあれこれを活写してくれる。清左衛門の人となりがいい。こんな隠居になりたい。
-
文章が美しい。基本的にはご隠居が何らかの形で力を貸すことによって、生じていた厄介事が解決へと向かう話。
ですがふと老いから来る悔恨、寂寥感などが
顔を覗かせて趣深い情景を演出しています。これをここまで美しく、そして分かりやすく書けるんだから、そりゃ何年経っても愛される作者な訳だ…。 -
楽しみながら最後まで一気に読みました。
清左衛門もいよいよ隠居。シリーズ最後の本作まで色々なエピソードが組み込まれていて、私のような妙齢の男子には引き込まれるものがあるでしょうし、上手いなぁと思ってしまいます。
いわゆる中間管理職で、政治を司る身分ではありませんが、武芸に秀で、上司からの信望も熱く、見栄えも心持ちもそこそこ男前で女性にモテ、幸せな家族をもち、妻には先だたれても、嫁に恵まれ、息子の将来も安心。これこそが本当は(自分の)幸せなんだと、1章ごとにひとつずつ確認するのが本書のストーリーだったように感じました。
俗に言う庶民からすれば,成功者の話であり、憧れというか、かくありたいと思わずにはおれません。人との出世競争(特に若い日を共に過ごした仲間との競争)を振り返ることは嫌なものですが避けては通れないものと諦めた上でのことです。
それより、藤沢さんの風景描写(街の様子、季節、空気感なども)、心理描写(息遣い、心の動きなど)はきめ細やかで美しく、読んでいて心地よかったです。
ここで藤沢周平さんは一旦休憩して、次は砂原浩太朗さんに挑戦したいと思っています。 -
2025年、12冊目です。
-
ここしばらくNHKドラマ『静左衛門残日録』全6巻を通して観ました。
そして原作本の『三屋静左衛門残日録』(藤沢周平)も読み返しております。
この物語は北の国海坂藩という架空の藩での出来事を、
隠居生活に入った元用人・三屋静左衛門が綴った物語
全15話に分かて書かれています。
テレビドラマでは各章を巧みに入れ替えて放映されています。
主演の三屋清左衛門を仲代達矢が演じ、南果歩、かたせ梨乃、財津一郎といった面々が熱演されていました。
中でも第10話「夢」では、吹雪の中 清左衛門が旧友を訪ね、
猛吹雪の中、日も暮れ帰宅することかなわず、
通いの小料理屋で休ませてもらうことになりました。
泥のような眠りに押し流された清左衛門に
女将のみさはそっと寄り添うにしてあたためゆきます。
つつましくやさしいこのシーンにはじ~んとくるものがあります。
所で、原作では日記を元にして書かれていますが、
どうしてか三人称で書かれております。
三人称の小説では、どうしてそれぞれの登場人物の心の思いがわかるのでしょうか?
この一点に関して私は常々不可思議に思っております。
その文章を書いた人は神か何かなのでしょうか?
作家にどうして人の心、気持ちがわかるのでしょうか?
司馬遼太郎のある本に二人の登場人物が対峙した折り、
それぞれの気持ちを述べる箇所がありました。
ということは、司馬氏はどこか高いところから見て、双方の心を読み取ったのでしょうか?
でも、最近『今昔物語』を読んでおりますと、
何とここでも三人称で書かれているのであります。
こので思い当たったのが、ものがたり(物語)です。
昔、母が私たちが寝るときに枕元で昔話をよくしてくれました。
これが原点ではないかと邪推しております。
方や、一人称小説では「渋江抽斎」(森鴎外)、「断腸亭日乗」(永井荷風)、フィリップ・マーーロウのレイモンド・チャンドラー、「私が殺した少女」(原 尞)等々かみしめて読むべき本が沢山あります。
それぞれ作法がきっとあることでしょう。
これからも、この点に留意しながらもっともっと本を読み、勉強したいと思っております。
その手始めとして、まず『三屋静左衛門残日録』の中の「清左衛門」を「私」という言葉に置き換えて読みかえしております。
≪追伸≫
「清左衛門」を「私」という言葉に置き換えて読みかえしてみますと、
この小説は齟齬なく読み通せます。
では、何故、「私」を「清左衛門」に置き換えたのか?
その時、思ったのは『三屋静左衛門残日録』の残目録は、
永井荷風の『断腸亭日乗』の日乗と同じ意味で、つまり日記のこと。
荷風の本をひもといてみますと、○年○月○日どこどこで、誰々と銀座で会食し、
あることについて話し合うと他人から見れば味も素っ気もないものだったのではないか?
そこで、古典文学に詳しい藤沢周平は小説として肉付けするために、
主人公を私ではなく、三人称の「清左衛門」にして、
この素晴らしい小説を完成させたのではないか?
読み進むうちにそう確信するに至ったのです。
余談として、伊坂幸太郎は一つの小説の中に、複数の「私」が登場し、
全体として一つの小説を構成している例もあります。
小説家はそこまでこだわっていると思うと、
これから良い本をますます読んでみたくなりました。 -
面白かったー!
藤沢周平の作品からしばらく遠のいていたけど、やっぱり良い。
控えめな隠居した藩の元重役という印象だったのに、これまでの人脈や経験からくる進言からどんどん周囲の人物が動いて物語が進む印象。最後は光を残して後味も良く。
著者プロフィール
藤沢周平の作品
